第2話

 西暦二一二九年九月一三日 東京都庁元本庁舎


 私、鮫島花音さめじまかのんは息を殺し柱の壁に背中をつけてゆっくり座り込む。細心の注意を払い、抱えた自動小銃アサルトライフルを落とさぬよう額の汗を拭う。腕につけた時計を見ると時刻は正午を過ぎたところだった。本命の到着まではあと半刻ほどもある。


 全く、こんな幼気な十五の少女にこんな危険な任務をやらせるなんて、うちの上層部はどうかしている。元東京都庁庁舎の奪還先行作戦なんて、他ブロックには数人配置しているのに、なんでここは私一人なんだ。能力者だからといって過剰に評価しすぎだろう。私の能力は戦いには向かないのに。


 口には出さず頭の中で愚痴を言う。無音の状態が永遠にも思えてくる。もう一度時計を見るが、ほんの数分しか経っていなかった。この部屋の探索はまだ終わっていないが、害虫もいなさそうなので移動をしようとしたその時、ジュルジュルと気色の悪い音が聞こえた。この区画には私以外の人間はいないはず。人間だったとしてこんな音は立てないだろう。となると、やはり害虫しかいない。


 害虫との戦闘は基本、初手で生き残る確率が決まる。一撃で脳を撃ち抜ければ数分の間害虫は動けなくなり対処が格段に楽になる。しかし、撃ち損じると害虫は暴れ狂い手がつけられなくなる。


 手元にあるのは三十二口径のスコープ・サイレンサー無しの日本軍が作った独自の自動小銃アサルトライフル。連射速度は毎分六百発と少ないが、その分反動が少ない。どうする…やるか?


 意を決して身を隠していた机から身を乗り出し銃を構える。私の位置はちょうど部屋の真ん中あたり。前方半分に害虫の姿無し。背後うしろか!


 振り向くと害虫のものと思われる触手のようなものが目の前に迫っていた。とっさに構えていた銃で対衝撃態勢を取るが、勢いに負けて窓際の壁まで弾き飛ばされる。


 まずい! このままじゃ激突する。仕方ない!


 私は背中に意識を集中させる。すると壁との衝突の刹那、背中に強力な磁場が発生し、壁内部の鉄骨と反発し合い、直撃を免れた。これが私の能力「磁力操作マグネット」である。指定した二点の磁力を操作し、引き寄せ合ったり反発させたりできる。


 まぁ、使い道としては今のように緊急回避くらいしかないのだが。今度は、床と足の裏の磁力を操りゆっくりと着地する。さっきまで私がいた場所を見ると、そこにはぐちゃぐちゃと音を立てて蠢く気色の悪い害虫がいた。


「うわぁ…」


 思わず声が出てしまうほどの容姿をしたソレはあまり見ていて良い気分ではなかった。薄暗く、沢山の机が密集した中でうごめくそれは私を探しているようだった。


「やっぱり建物の中にも害虫がいるんだ、情報は正しかったみたいね。触手が六本、体長は私と同じくらいか。ステージは1かな。どっちにしろ、厄介な気がする。」


 害虫は自分が私のことを吹き飛ばしたのに、行き先がわからずに探している。もしかして馬鹿なのかな。


 しかし、これはチャンスかもしれない。奴が私を探している間に頭を撃ち抜けば私の勝利だ。そう思い、害虫の頭部を探し始める。そこで気づく。頭部はどこだ?よく見ればこの害虫、全身が湿っていてまるでスライムみたいな形状をしている。


 これじゃあ頭部どころか他の部位も分からない。どうしよう。もしむやみに撃って暴れられでもしたらきっと一人では対処できない。そもそも害虫は五人で一匹を相手にするのがセオリーなのになんで私は一人で戦おうとしているのだろうか。でも、一人で倒した際の評価は高いな…。リスクは高いが引き替えに見返りも大きい……。やるか。


 心の中で決心し、銃を構える。距離はおよそ十五メートルか。この距離ならスコープ無しでも当たるだろう。目視で狙いを定め、ゆっくりと引き金に手をかける。その瞬間、害虫の触手が勢いよく襲いかかってきた。


「うわぁぁぁぁ!」


 思わず驚き銃を乱射してしまう。狙いを定めず撃った弾は当たるはずもなく、ただ空を貫いていった。触手を間一髪で躱し、臨戦態勢をとる。私の能力は磁力を発生させるため銃と併用はできない。全く、相性が悪い。連続で繰り出される触手を躱し机の影に隠れる。思った以上にあの触手、厄介すぎる。全部が同時に不規則に動くなんて、二本ならまだしも六本は躱すのがやっとだ。それに、頭部が判らないのも非常にウザイ。どこを狙えばいいんだ。


 先ほどの乱射がスライム状の身体にどれだけ効いたのかはわからない。痛覚を伝える器官は有るのだろうか。無いなら無いで厄介だし、有ったらそれでもっと厄介になる。


 リロードを終え、銃を再び構える。動く気配はない。緊張で肩が強張り呼吸が落ち着かない。膝も震えだした。汗が頬を伝う。


 全く、害虫一匹に情けないな、と思い額に溜まった汗を拭おうとしたその瞬間、しまった!腕で視界が無くなった一瞬に脚を触手に掴み取られた。体勢が逆さまになると同時に銃を落としてしまう。


 これは非常にマズイ。あの触手にはなんらかの知覚器官が備わっていたのだろう。さっきの沈黙は触手を私の所まで動かしていたのか。緊急用の小型ナイフで絡みついた触手を切ろうとするが、スライム状の表皮はすぐに癒着してしまう。


「くそっくそっくそっ!切れない!」


 何度も何度もナイフで切りつけるが、直ぐに元どおりに治ってしまう。


 くそ! 私はここで死ぬのか? この気持ちの悪い害虫の手で。なら、いっそのこと!


 まだ自由になっている右手で腰についている手榴弾グレネードを掴む。害虫に殺されるくらいなら、ここでこいつもろとも死んでやる! 手榴弾グレネードを顔の前まで持って行き、そのまま口でピンを咥え、引き抜こうとしたその時、大きな音を立てて窓が割れ、勢いよく人影が飛び込んできた。


 人影は勢いのまま、乱雑に放置された椅子や机に衝突し、書類やら何やらをまき散らした。その音に反応して害虫は触手から私を離した。私は能力を使ってゆっくりと着地する。


「うっわぁ、いやぁ、流石に凄い衝撃だった。アザになっちゃうかなぁ、これ。」


 書類と土埃の中から聞こえてきたその声はとても聞き覚えのある声だった。土埃が晴れ、声の持ち主が姿を現わす。


 風になびく長い茶髪、幹部だけが着用できる特別な隊服。そしてその声に聞き違いはなかった。そこには我が日本軍能力部隊大佐にして、日本軍最強能力者の「神代由依奈」大佐が立っていた。


「か、神代大佐! 突入は屋上のはずでは⁉︎」


 確か作戦要項では大佐は屋上から順順に降っていくはず。ここは全七三階中五十四階目だ。私とは会うことはないはず。


 私の質問に大佐は、一度考えるように首を傾げてから言った。


「この階に一番大きな害虫がいるみたいだから、危険かなって思って来ちゃった。それに応戦している子がいるんだもん。助けないわけにはいかないでしょ?」


 予想外の返しだった。日本軍幹部の一人が、私みたいなヒラ隊員のために来てくれるなんて、思いもしなかった。


「怪我は……してないみたいね。良かったぁ。一人で大変だったでしょ? もう平気よ。後は任せて。」


 そう言って神代大佐は前に出る。まさか、ここで神代大佐の戦闘が見られるのか。害虫との戦闘の最中だったが強く興奮した。あんなに憧れた大佐の戦闘をこんなに間近で見ることができるなんて、私はなんて運がいいのだろう。


 神代大佐はおもむろに掌を開き、害虫に向かって突き出した。緊張が走る。生唾を飲み込み、目を凝らす。神代大佐が一つ深呼吸をした。


 一瞬だった。神代大佐の動きの一つ一つに見惚れていて見逃してしまった。グチャ、という音が聞こえた時にはすでに、害虫は血だまりの上に置かれた不味そうな肉団子となっていた。害虫の抵抗も、返り血で汚れることもなく、ただそこに立つ姿はさながら戦場に咲く一輪の花のようだった。


 一時間後――――


「花音! 良かったぁ! 怪我とかしてない? 怖くなかった? 大丈夫だった?」


 そう言って無駄にデカイ胸を私の顔に押し付け抱きついてくるこの女は、私の同期の「藤原恵美」だ。こいつは訓練兵時代の頃から何かと私に世話を焼いてくる。中々に鬱陶しいのだけど友人のいない私とっては結構助けになっているわけなのだが。窒息しそうなほどの抱擁を引き剥がそうとするが全く離れようとしてくれない。すると、恵美は何かに気がついたのか私を抱きしめる手を緩めた。


「か、神代大佐⁉︎ ど、どうしてここに⁉︎ あ、いや、お疲れ様です!」


 慌てた恵美は勢いよく敬礼をする。今更気づいたのかこの女は。私の隣に大佐が立っていることに。長いこと一緒にいるがついに確信した。こいつバカだ。そう心の中で思っていると横から、ふふっ、と笑い声が聞こえた。


「そんなに畏まらなくてもいいわよ。大佐なんて肩書きだけなんだから。」


 そう言って大佐は私と恵美の頭を撫でる。その手はとても温かかった。


「ところで大佐、制圧後はすぐに本部に向かわれるのではないのですか?」


 恵美がそう尋ねる。作戦要項には制圧後には作戦後の大佐の動きは書かれていなかった。だとすると制圧後には庁舎に用があるか、本部にとんぼ返りするかに二択くらいしか考えられない。


 すると大佐はわざとらしく顎に手を当て考える仕草をする。


「まぁ、隠すようなことでもないし、いいかな。でも、まぁ、一応…。」


 少し逡巡したと思うと、大佐はこちらに向き直り少し真剣な表情を浮かべた。


「とりあえず、貴方達の所属と名前を聞いてもいいかな? 情報を話すときは聞いておかないと後々面倒だからね。」


 そう言われてハッと気づく。どうして私たちは今まで名乗らなかったのだろう。上官に対して正さなくてはいけない礼儀の一つなのに。私と恵美は急いで部隊章を取り出し首に下げ敬礼をする。


「第八期訓練兵卒業。偵察部隊、第六班所属一等兵、鮫島花音です!」

「同じく、第八期訓練兵卒業。後方支援部隊、補給三班所属二等兵、藤原恵美ふじわらえみです!」


 それぞれ所属と名前、階級を伝えると大佐はうんうんと頷いた。


「鮫島さんに藤原さんね。わかりました。では、私があの場所にいた理由を教えます。」


 私はゴクリと唾を飲みこむ。いったいどんな理由なのだろう。


「実はね、今回の任務とは別に私が懇意にしている研究部の隊員から別にお願いがあって、さっきまで害虫の体細胞の採取をしてたの」


 研究部からの依頼ということは、あの庁舎にはステージ三以上の害虫がいたという事なのだろうか。だとしたら、私の仕事はとても危険なものだったのではないだろうか。


「それで採取したサンプルがコレ。今は保存容器に入ってるから見えないけど、きっと研究部も喜ぶと思うわ。でも、あそこにステージ三がいなかったのは誤算だったわね。居たら研究もそれなりに進んだのでしょうけど、仕方がないか。」


 そう言って大佐は肩をすくめる。確かに、脱出の時に掃討した害虫の中にステージ三はいなかった。それにしても、あんなに簡単に害虫を駆除できる大佐はやはりとんでもない人だ。流石は日本軍最強の能力者。私もあんな風になれるかな。いや、私の能力じゃ無理だな。戦いに向いていない。


「でも大佐?それなら大佐ではなく採取班が向かうはずでは?あ、大佐でなら確実なのは承知ですが、何も大佐がやるような仕事ではないと思うのですが…。」


 ふと思った疑問を投げかける。


「それは今回の任務と研究部からの依頼が同時期にあったからついでにって感じかな。一度にやれたほうが楽じゃない?」


 楽だからって、それで受けられるような仕事では無いと思うけど……。大佐だから言えることなんだろうな。改めて大佐の規格外の強さに感心する。きっとこういう人がこれからの軍を引っ張っていくんだろうな。


「じゃあ、私が今までここに残ってた理由は話したからもう行くね。早く持って行かなきゃ、今日中に届けるって言っちゃったから。」


 そう言って大佐は、私たちがこれから乗るはずのヘリから離れていった。


「大佐?帰るならヘリに乗った方が早いのでは?」


 大佐が振り返りこちらを見る。


「んーん、私、走った方が早いから。」


 そう言うと大佐はクラウチングスタートの姿勢を取った。そして深呼吸をし、一拍置いた次の瞬間、鼓膜を破りそうなほどの爆音と、身体が飛びそうなほどの衝撃波を生み出し、大佐はいなくなっていた。


「…何でもありじゃん。」


 そう呟いた声は誰の耳にも届かなかっただろう。

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