第83話 応酬

「何を根拠に卑怯な手を使ったと?」


 マーカスの質問に、アンジェは桜色の唇をとがらせる。


「だって、あたしの人参を食べなかったもの」

「既に主人を選んでいるのだ。当たり前だろう」

「でもでもっ! ロイドは白いリッグルは絶対あたしのになるって言ってた!」


 分別のきかない子供のようにわめき立てるアンジェを、マーカスは冷たい目で見降ろす。

 そしてそのまま厳しいままの顔をロイドに向けた。


「聖女候補の教育はどうなっている? これではとうてい、聖女としては認められまい」


 確かに奇跡は起きた。


 だがそれが本当にアンジェによるものだったのか、未だ証明はできていない。というより、証明ができない。


 アンジェが奇跡を起こしたと言われる瞬間、マーカスもまたあの泉にいた。

 アンジェの守護精霊であるシャインの魔力が暴発した。それは確かだろう。


 だがそれによって傷ついたもの全てを癒したのは、本当にアンジェだったのだろうか。


 あれだけの人数を癒すには、膨大な魔力を必要とする。だがそもそも、アンジェには奇跡を起こせるほどの魔力がない。


 ロイドたち教会関係者は、アンジェは今までの聖女たちとは違って、普段はその力を秘めているのだと主張している。必要な時にだけ、その力をふるえるのだと。


 その証拠に、アンジェについている守護精霊は今までにないほど力のあるシャインなのだという。


 あまりにもその力が強大すぎて、アンジェが育つまでシャインによって封印されているのではないか。


 マーカスにしてみれば、自分の意思で使えない力など意味がない。


 武力であれ魔力であれ、いついかなる時も自らの持てる最大の能力を発揮するために、日々研鑽するのだ。


 だからもし本当にアンジェがそれほどの潜在能力を持っているというならば、それを引き出すために努力すべきだ。


 けれど見る限り、ロイドを筆頭とする教会のものたちがそういった教育をアンジェに施しているようには見えない。


 むしろ、ただ我がままを増長させているだけのようだ。


「……感情の爆発が、力の発動と連動しているかもしれないのですよ」


 ロイドは、貼りつけたような微笑みを浮かべながらそう言った。だがその泰然とした表情とは裏腹に、指先が苛立たし気に組んだ腕を叩いている。


「たとえそれで力を発揮したとしても、聖女というのは力だけの存在ではないだろう。聖女とは皆を慈しみ守る、慈愛の象徴だ」


 少なくとも、マーカスの知る聖女はそうだ。穏やかに微笑む、まさに聖女にふさわしい女性だった。

 こんな風に醜悪に笑う娘ではない。


「ははっ。マーカス先生は意外と理想家なんですね。もっと現実主義の方かと思っていました」


 ロイドはマーカスの言葉を鼻で笑った。


「僕はね、マーカス先生。凡庸な聖女百人よりも、突出した能力を持つたった一人の真の聖女にこそ価値があると思っています。……もちろんこれは、教会の総意と考えてくださって結構ですよ」


 つまり教会は、アンジェの性格を矯正するのではなく、その我儘をどこまでも叶えるということだ。


「ふむ。だがここは教会ではなく学園だ。ここに在籍する以上、学園のルールに従ってもらおう。それができないのなら、大事に教会の中で囲っているといい」

「……あなたにそんな権限はないはずだ」

「さて。どうかな?」


 銀縁の眼鏡の奥の藍色の瞳はどこまでも冷めていて、その言葉が本当かどうかロイドには確かめるすべはない。


 ロイドは悔し気にマーカスを睨みつけるが、マーカスは気にした様子もない。


 同じようにポール先生も睨むと、こちらはビクっと体を震わせた。

 それに少しだけ満足して、大きく息を吐く。


「……マーカス先生、これからは大怪我などされないように気をつけてくださいね」


 それは明らかに、教会と対立するなら今後一切、治癒魔法は受けられないぞという強迫だった。だがマーカスは全く動じない。


「我が家の治癒師は優秀だから、君に心配されるいわれはない。そもそも君はまだ学生だろうに、まるで教会の重鎮のような振る舞いだ」


 ロイドが叔父である教皇のお気に入りであるのは周知の事実だ。だがロイド自身は学生で、今はまだ何の力もない。


「行こう、アンジェ。君にふさわしいリッグルは他にもいるよ」

「でも!」


 アンジェに手を差し伸べたロイドは、その耳元で何かをささやく。


 アンジェはそれを聞いて、唇の端を上げる。そしてレナリアを見て「ふん」と鼻を鳴らすと、背を向けた。


 当事者でありながらマーカスとロイドの応酬に一言も口をはさめなかったレナリアは、ほっと安堵の息を吐く。


 ロイドの態度に、一体今の教会はどうなっているのかと思ったりもしたが、とりあえずラシェのことは諦めたようで安心した。


 立ち去ろうとするアンジェたちに、取り巻きらしき生徒が近寄る。胸のリボンの色を見ると最高学年の五年生のようだ。


 ロイドはその生徒に何事かを耳打ちする。

 その生徒がレナリアのほうを見た。手にはなぜか杖を持っている。


 なぜ、と思う間もなく、杖の先から炎が現れた。


 そしてそれはレナリアの隣にいるラシェに向かう。


 次の瞬間、白いリッグルが炎に包まれた。

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