第37話 レナリアの小さなため息

 飛び回るサラマンダーを見て、レナリアは小さくため息をついた。


 何とか目立たないようにしてきたのに、色々と台無しだ。

 どうにかごまかそうと決心したレナリアは、頬に手を当てて首を傾げた。


「私にも分かりません。フィルがいたずらをしてしまったみたいで……」

「レナリアさんのエアリアルがいたずらをしたんですか?」

「ええ」

「でも、どうしてお湯になったんでしょうね」

「なぜでしょう?」


 レナリアは目を逸らさずに不思議そうな顔を心がける。

 さすがに、サラマンダーがフィルの子分になったからだなんて言えない。


 ポール先生はう~んと腕を組みながら天井を見上げた。

 

「いたずら好きな精霊もいると聞くから、レナリアさんのエアリアルはそういう性格なのかもしれないね。今までに見たことも聞いたこともない現象だけど……。もしそれがいたずらじゃなくて狙ってできるようになったら、凄いことじゃないかな」


 ポール先生の期待に満ちた視線が辛い。

 レナリアは良心の呵責にそっと蓋をした。


「どんな効果になるか分からない魔法紋を彫るのは危険です。それよりもちゃんとした効果のある魔法紋を彫るのが大切だと思います。フィルにもちゃんと言い聞かせますね」


 レナリアの言葉に、フィルたちから不満の声が上がる。


「ボクのせいじゃないのに」

「ちゃんとできたのに、喜んでくれないー」


 教室の中を不満そうに飛び回る精霊たちをちらっと見ながら、レナリアはこちらを見て青ざめているマリーに気がついた。


 どうしたのかしら?


 不思議に思うが、レナリアがマリーに何かしたわけではない。

 うっかりお湯が出る魔法紋を彫るというやらかしをしてしまったのは事実だが、フィルたちの姿が見えているわけではないだろうから、それが原因ではないだろう。


 思い返せばいつもマリーはレナリアを見ると顔色を悪くしているような気もするが、さっぱり理由が分からない。


 機会があったら聞いてみましょう。


 そう考えたレナリアは、マリーがレナリアの発した魔力に怯えているとは思いもよらない。


 魔力が色として見えるマリーは、レナリアがナイフに魔力を流した瞬間、いつも以上に真っ赤に光輝く魔力が現れ、それがナイフにぴったりと重なった状態で魔石に向かって流れていくのを見た。


 マリー自身は黄色く見える魔力を、かろうじて一本の細い線にして魔石に流しこむのがやっとだ。


 今までに見た一番濃い色は、マリーの領地が干ばつで大変だった時に当主である父が使った水寄せの魔法だ。


 湖の水をよみがえらせるための魔法を使った時に、ウンディーネの加護を持つ父の武骨な指先から、綺麗なオレンジ色の光の粒子が噴水の水のように勢いよく流れ落ちた。


 するとゴツゴツとした岩肌が見え始めていた湖がみるみるうちに水量を増やし、やがてたっぷりと水を溜め湖面を銀色に輝かせた。


 それを見た時、父が自分の父ではなく、まるで干ばつに苦しむ領民を助けるために神様が遣わせてくれた、奇跡を起こす尊い使徒であるかのように思えたのだ。


 実際は全ての水を魔法で出したわけではなく、ウンディーネがその地にいる精霊たちに働きかけてくれたらしいのだが、それでも幼いマリーは父のように立派な水魔法使いになりたいと願った。


 残念ながらマリーはウンディーネではなくエアリアルの加護しか得られなかったが、一番弱い青ではなく、黄色い魔力を持っていることに安堵していた。


 マリーと同じく魔力の強さを色で見ることができる父は、学園で学ぶようになればやがてオレンジ色の魔力になれるだろうと言ってくれたから、少しは自信が持てた。


 だが学園には見たこともない魔力の持ち主がいた。

 それがレナリア・シェリダンだ。


 レナリアの魔力は赤く美しく、つい目を奪われてしまう。

 だからナイフに魔力を通す時もそっと見つめてしまっていたのだが……。


 あれほど強大な魔力を、あんなにも繊細に操作できる人がいるなんて。


 その規格外の存在に、憧れつつもおそれてしまうのだ。


 それに貴族であれば、たとえ守護精霊がエアリアルだとしてもあれほどの魔力を誇示しないなどあり得ない。


 あり得ないはずなのだが、なぜかレナリアは逆に隠そうと苦心しているように思える。


 今だってそうだ。

 魔石に水を出す魔法紋を彫ろうとして、例え偶然であろうと、お湯が出る魔法紋を彫ったのだからそれを自慢するのが普通だ。


 なのになぜかエアリアルのいたずらのせいにしている。

 本当に不思議だ。


 そんなマリーの心情に気がつかないレナリアは、マリーが手にした魔石に、ちゃんと魔法紋が彫られていることに気がついた。


「それよりもポール先生。マリーさんも魔法紋を彫り終わったみたいですよ」


 名前を呼ばれたマリーはビクリと体を跳ねさせ、あわあわと手元の魔石に視線を落とす。


「ああ。本当だ。マリーさんもすぐにできたんだね。どれどれ……。うん。ちゃんと成功している。このクラスは優秀だなぁ。先が楽しみだよ」


 マリーの魔石を持って水が出たのを確認したポール先生は、にこにこと教室を見回す。


 そして、まだナイフに魔力を流せていないラルフが、唇をかんで下を向いているのに気がついた。貴族としてのプライドが傷ついているのだろう。


「皆もそのうち出来るようになるから心配しなくていいからね。早くできるようになることよりも、一歩ずつ確実にできるようになることこそが、大切なんだよ」


 それからポール先生は、茶目っ気たっぷりにウィンクをした。


「レナリアさんのエアリアルも、いたずらをしなくなる日がくるといいね」

「ええ。本当に」


 レナリアは、まだ「がんばったのにー」と文句を言っているサラマンダーを見て、二度目のため息をついた。

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