第11話 聖女候補とは話が合わない

 入学式の翌日から授業が始まる。


 レナリアはアンナに支度をしてもらって女子寮を出た。


 レナリアのいる貴賓室がある女子寮から教室へは、下位貴族と平民の為の、別棟にある女子寮の中庭を通る必要がある。

 だが高位貴族がそこを通る時には、寮に住む者は既に教室についてないといけない規則だったから、レナリアたちはゆっくりと中庭を通ることができた。


 木々の間から差しこむ光が、まるで繊細なレースのようにきらめいている。

 すうっと息を吸うと、朝の清浄な空気を感じる。


 木の枝にとまった瑠璃色の鳥は、澄んだ声でピルルと朝の訪れを告げていた。


 学園都市の周りには森が多く、こうした野鳥が見られるのも風物詩の一つだ。


「きゃあ、また遅刻しちゃう!」


 そこへ朝のゆったりとした空気を壊す甲高い声が聞こえた。


 レナリアにはその声に聞き覚えがある。

 アンジェだ。


 中庭の向こうから走ってくるアンジェは、そのままレナリアを追い抜こうとする。


 護衛のクラウドはさっとレナリアの体を後ろに隠し、剣に手をかけた。

 アンナも立ち止まって警戒する。


 そのまま何事もなく通り過ぎるはずだったが、なぜかアンジェはレナリアの目の前でつまずいて転びそうになった。


「きゃっ」


 さすがに目の前の女の子が転びそうになったら、クラウスも仕方なくアンジェを助け――なかった。


 あれ? と思ってレナリアが見上げると、クラウスは冷たい目をしたままアンジェを見下ろしている。


「いった~い」


 膝をすりむいたのか、アンジェが膝を立てて怪我の具合を見る。

 学園の制服のスカートはそれほど短くはないが、その姿勢だと太もものあたりまで見えてしまっている。


 淑女としてはあり得ない姿だ。


「あの……大丈夫ですの?」


 レナリアが声をかけると、アンジェはその顔をじっと見つめた。

 だがアンナのしてくれた変装が完璧だったからか、一緒に洗礼を受けたレナリアだという事に気づいている様子はない。


 アンジェは無言のまま、レナリアに手を差し出す。


 だがレナリアは首を傾げるだけだ。


「……?」

「もうっ。分からないの? 立ち上がりたいから、手を貸してって言ってるの」


 何も言われていないのに、分かるも分からないもない。

 昨日の入学式の事といい、アンジェはやっぱり常識を知らない少女のようだ。


 仕方なく手を差し伸べようとすると、アンナがそれを制した。


「この学園は貴族の方々が多いのですから、そのように不作法だと問題になりますよ」


 そう言って、レナリアの代わりにアンジェへ手を貸す。

 立ち上がったアンジェは子供のように頬をふくらませていた。


「はあ? なにそれ。この学園では身分は関係ないんでしょ」

「そういう事にはなっていますけれど、ね」


 含みをもたせるアンナに、アンジェは腰に手を当てて言い放つ。


「あたしはそんなのに負けないわ! だってあたしの方が正しいもの。いつだって正しいものが勝つのに決まってるのよ」


 まるで子供のような主張に、アンナは思わずため息をついた。


 物事はそう単純ではない。

 確かにこの学園は平等を謳ってはいるが、それは建前だ。


 たとえば現在学園に在籍している王太子や第二王子に無礼を働いたとしたら、罪を問われることはないにしても、貴族の世界からは問題があるとしてつまはじきにされてしまうだろう。


 魔法を学ぶという事については平等だが、かといって王族に敬意を表さない者が許容されるはずもない。


 しかもそれが平民であれば尚更だ。


「それにね、あたしは聖女になるの」

「まだ、候補に挙がっただけでは?」


 冷静に返すアンナに、アンジェは不満そうな顔をする。

 だがすぐに小馬鹿にしたような表情を浮かべた。


「特別に教えてあげるけど、あたしの守護精霊は今までの聖女の守護精霊よりもずっと力が強いから、実はもう聖女になるのが決まってるのよ」


 アンジェは得意げに、胸の前で腕を組む。


「それに聖女になれば王子様と結婚できるの。あなたたちが貴族だって威張っていても、そのうちあたしの方が偉くなるんだからね!」


 言いたいだけ言って満足したのか、アンジェはツンと胸を反らして中庭から出て行った。


 まるで嵐のようだったと思いながら、レナリアはその背中を見送る。


 寮の外では男子生徒がアンジェを迎えに来ていたようだ。


「あれは……。教会に所縁のある生徒ですね」

「クラウス、分かるの?」

「大きなロザリオをかけていました」


 目の良いクラウスはこの距離でも見えたのだろう。


「今この学園にいる教会関係者は、教皇様の甥のロイド様くらいではないかしら」


 レナリアは入学するにあたり、警戒して教会と関係がある在校生をチェックしておいたのだが、注意すべきなのはロイドくらいしかいなかった。 


 幸いレナリアの一学年上だから、直接関わる事はない。


「教会があの子の面倒を見てくれるのなら、それに越した事はないわね」


 レナリアは、アンジェが何か問題を起こしても、教会の監督責任の不行き届きのせいにすればいいと思った。


 それにレナリアのクラスは、高位貴族だけが学ぶクラスだ。アンジェと一緒になる事はないだろう。

 セシル王子もいるのが難点だが、近づかなければ問題ない。


 うん。なんとか目立たずに過ごせそう。

 よきよき。


 教室に向かうレナリアの足取りは、少しだけ軽いものになった。 

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