第10話 聖女候補には常識がない

「遅れてすみません。あの、あたし、どこに座ればいいですか?」


 あっけらかんと言うアンジェに誰もが呆然とする中、すぐに動いたのは講堂の壁際にいた、藍色の髪に眼鏡をかけたまだ若い教師だった。


「君、何をしている。殿下のお言葉の最中だぞ」


 殿下と言われて、アンジェは初めて壇上のセシル王子をしっかりと見た。

 そしてその人間離れした美貌を目にして、ぽかんと口を開ける。


 貴族ではありえない態度に、そういえばフィルがアンジェはレナリアの後に洗礼を受けたと言っていたのを思い出す。


 あの日、レナリアの後に洗礼を受けたのは、確かシェリダン侯爵領のどこかの街の町長の娘だったはずだ。


 つまり、アンジェは平民だ。

 それならばこの不作法も、仕方のない事かもしれない。


「すっ、すみません。あたし、昨日は緊張しちゃってよく寝られなくて。それで寝坊しちゃって――」

「いいから、早く席につきなさい」


 いきなり言い訳を始めるアンジェに、教師は厳しい口調で叱責する。


 アンジェはキョロキョロと辺りを見回し、空いている席を見つけて小走りに向かう。

 だがそこは平民用の長椅子ではなく、レナリアのすぐ後ろの高位貴族のために用意された席だった。


 用意されたうちの一席だけが空いているそこに、ポスンと音を立てて着席するアンジェに、レナリアは呆れるよりも驚く。

 普通はここに座って良いかどうか、まず教師に尋ねるべきではないだろうか。


 これは平民うんぬんではなく、ただ単にアンジェに常識がないだけかもしれない。

 その証拠に、長椅子に座っている生徒たちも、顔をしかめてアンジェの行動を非難している。


 こんな子が聖女になるのかしら……。


 かつてレナリアが聖女だった時、聖なる魔法を使う為には身も心も美しくならなければいけないと教えられたものだ。


 これからこの学園でそれを学ぶとしても、ここまで傍若無人だと、果たしてちゃんとした行儀作法が身につくのだろうか。


「失礼いたしました殿下。続きをお願いいたします」


 今からアンジェを違う席に連れていくよりも、そのまま式を進行しようと思ったのだろう。

 教師はセシル王子に深く礼をしてから、壁際に下がる。


 セシル王子は再び講堂内を見回すと、何事もなかったかのように話を続ける。


「……我々は、この学園生活において礼節も学ばなければならない。それは貴族だけではなく、平民の諸君にも有益となろう。これからの学園生活を、心して過ごして欲しい。以上だ」


 明らかにアンジェへの皮肉をこめて挨拶を締めくくったセシル王子は、女子の座る席の方は一瞥もせずに自分の席へ戻った。


「うわぁ。シャインの奴、ずっとこっち見てる」


 張り詰めた雰囲気の中、のんきなフィルの言葉に、レナリアは脱力しそうになる。


 というか、シャインは白い光の塊だ。

 どこに目があるのか、レナリアにはさっぱり分からない。


 それよりも、シャインはこちらを見るより契約者であるアンジェの態度をたしなめたほうが良いのではないだろうか。


「それは無理だよ。だってシャインはアンジェに興味がないもん。それに魔力が低いから、注意したとしてもアンジェにシャインの言葉は聞こえないんじゃないかな」


 興味がないのに、どうして契約したのか……。


「えーっと。成り行き?」


 聞かなければ良かった、とレナリアは思った。




 レナリアがフィルと話している間に、いつの間にか入学式は終わっていた。


 退出する際も高位貴族からの退出と決まっているのに、無視してレナリアの後に続こうとしたアンジェだったが、さすがにそれは教師が止めた。


 学園に入る前に渡された案内に書いてあったはずなのだが、アンジェはちゃんと読んでいるのだろうか。


 講堂から出ると、待っていたアンナとクラウスと共に部屋へ戻る。


 浮かない顔をしていたレナリアのひっつめ髪をほどきながら、アンナが心配そうに声をかけてきた。


「入学式で何かございましたか?」

「途中で遅刻してきた子がいたでしょう?」


 レナリアが鏡に映るアンナを見ると、ああ、と納得したような表情を浮かべた。


「リリュイの町長の娘ですね」


 リリュイといえばシェリダン侯爵家領でもはずれにある街だ。なぜわざわざ領都であるシェブールまでやってきて洗礼を受けたのだろう。


「シェブールの教会にいらっしゃるのは司祭様ですから。魔力がある場合、位の高い方に洗礼式をして頂いた方が、力のある守護精霊様をつけてくださると思われているんです」

「そうなのね」

「リリュイの町長の娘が光の精霊の加護を得たんですから、あながち間違ってはいないのかもしれませんけど。……あっ。決してお嬢様のエアリアル様がいけないという訳ではないんですよ?」


 なぜアンジェがシャインの加護を受けたか知っているレナリアが何とも言えない顔をしているのを、人気のないエアリアルの守護を受けて落ちこんでいると誤解したアンナが、慌てて弁解する。


「大丈夫、分かってるわ。私のフィルは凄いもの。皆がそれを知らなくても、私の大切な人たちが知っていてくれれば、それでいいの」


 それよりも、とレナリアは入学式でのアンジェの非常識な行動を話す。


「アンジェはシェリダン侯爵家の領民だわ。だから私が注意しないといけないのよね……?」


 アンナは後ろに控えているクラウスと目を合わせて頷く。

 やっぱりそうよね、とため息をついたレナリアの気は重い。


 目立ちたくないのに、アンジェに関わったら嫌でも目立ってしまいそう……。


 レナリアの予想は正しい。

 だがそれ以外でも目立ってしまうのだという事を、今はまだ知らない。

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