第129話 伊崎迷宮


 管理者のいない迷宮は徐々に廃れていく。

 小さな迷宮は二、三日中に。大きな迷宮(超級)は一ヶ月ほどで。

 星の迷宮、ゼディーテ迷宮は一年で廃れる。

 廃れるとは崩壊する、という事。

 つまり誰かが管理者となって崩壊させないようにしなければならない。

 ゼディーテ迷宮の管理者を消滅させたこの星は一年ほどで崩壊が始まる。


 今、この星の管理者は伊崎純之介内閣総理大臣である。

 姉とバロウズが管理者を消滅させた。

 そのタイミングを待っていた。

 彼らが管理者を求めることはないとわかっていた。

 不在である星の管理者をかすめ取るように乗っ取り、その手にした。


 伊崎の居る総理官邸には滝川と姉が避難させた弟とイサナがいる。

 滝川は伊崎の唱えた言葉で気付いた。

 望みが叶えられた事を。


「おめでとうございます。総理」

「おう。もうすぐこの星を把握できる。でかいだけあって情報量多すぎだな」

「諜報が楽になりますね」

「まぁな」

「他国に対してはどうされますか? やっちゃいますか?」

「いや、やらん。このままがいいはずだ。日本は日本。他国に侵攻する気も潰す気もない」


 二人の会話には気になる事が多い。弟が伊崎に向かって聞く。


「伊崎兄、どういう事?」

「今、星の管理者とその上位の存在が消えた。そして俺がこの星、ゼディーテ迷宮の管理者となった」

「ほー。魔王の力?」

『母様勝ったんだねー!』

「そうだ。これで人の魂が消え去る事はない」

「ということは伊崎兄がこの星で一番偉いって事?」

「単純に考えればそうだ。だがそれをひけらかす事はない。それを利用する事もない。人死にが少なくなるよう迷宮をいじるがな」

「つまり、伊崎兄は逃げた方がいいんじゃね?」

「は? 何故だ」

「いやー姉ちゃんがそれ聞いたらやべぇと思うけど? だって迷宮のラスボスでしょ。ラスボス倒すべし! って思うのが姉ちゃんだし。あとカーチャも魔王倒すべし、だし」

「な!」

「ははは! 総理がラスボス! ぷぷ。確かにそうです。総理、覚悟しておいた方がいいかもしれませんね」

「滝川ぁ、俺がラスボスならお前は中ボスだぞ。真っ先にやられるぞ!」

「あ、滝川さんは俺が倒す。恨みあるし」

「ええー? 恨みを買うようなことはしていませんけど」


 滝川がそう言いながらも思い当たることがあるのか、弟から一歩引き逃げだそうとしていたところに姉が瞬間移動のように現れた。


「お、姉ちゃんおかえりー」

『母様! お帰りなさい!』

「うん。ただいま」


「姉ちゃん。ここに中ボスとラスボスがいるぜー? 中ボスは俺が倒すな?」


 弟の言葉にキッと睨み付ける視線を伊崎に向ける。

 自国の総理大臣に向ける眼ではない。


「まてまて! 俺はこの星をよりよくする為に管理者になったんだ! 考えろ、いま倒したら管理者不在になるぞ!」

「あ、私は中ボスには就任しておりません。任命もされていませんし」

「よし、滝川を管理者権限で中ボスに任命!」

「総理!」


 ふぅと一息吐いて姉が「まぁ、倒しても碌な物ドロップしなさそうですしやめておきます」と言ってソファーに座った。


「お、お前……喜んで良いのか、怒るべきか……」


「姉ちゃん、カグツチの依り代持ってる?」


 うんと頷き何処からともなく中空から土人形を取り出し弟に渡す。


「は? 今、何処から出した?」

「マナの解析終わったからできるようになった」

「ほえー、便利。神様みたい。あ、神と言えば……カグツチ、依り代に降りろ」


『ふう。お前様よ。コア迷宮の魔物に取り込まれるわ。最終決戦では足手まといだとおいていかれるわ……我は情けないぞ。うむ、鍛え直しだな』

「それ結構心にクルからそっとしておいて。今後の活躍に期待してください」


『姉殿。この星の新たなる幕開けにこともうし上げる』

「よ、よきにはからえ?」


「確かに新たに始まる事ですし、改元でもしますか、総理」

「ケジメとしてはいいかもしれんが、(天皇)陛下に伺いを立ててからだな」


 その時、伊崎の体がビクリと跳ねる。

 そして冷や汗が流れ出してくる。顔が真っ青になってきた。


「まずい」

「ん? どうしたの伊崎兄?」

「いま、迷宮でひとり死んだ」

「そういう事もわかるんだ。大変そう」

「いや、それはいい。いいんだが……くそっ!」


 伊崎が姉の前に立つ。

 真剣な表情だ。姉の目をじっと見て言葉を続けた。


「俺を殺せ」

「え?」

「今すぐ、俺を殺せ」

「いえラスボス的な事はもういいです」

「そうじゃない! この星の管理者とその上位の存在を消せば人の魂は無事だと思った。……思っていた。だが、いまひとり死んでわかった。その魂は俺の糧となった。このシステムを消すことはできない。できないのだ!」

「……」

「お前、今やバロウズより力があるな? わかるぞ。俺を殺し管理者不在とした後にこの星を迷宮という檻から解き放て」

「……」

「お前ならできるだろう? というかやれ」

「……」

「俺が存在したままじゃお前達がやった事が無意味になる。これ以上人の魂を冒涜してはならん!」


「ちょちょっ! なんで伊崎兄が死ななくちゃなんないの? 管理者を誰かに譲ってそれ」

「それから? そいつを殺すのか? 誰かに罪をなすりつけその後、のうのうと生きろと?」


 弟の言葉を聞き、伊崎が激昂したように叫ぶ。


「ね、姉ちゃんは? 姉ちゃんが管理者になってなんとならないの?」

「私は迷宮の管理者にはなれません。だからあの魔物クソヤロウも見ているだけだったようです」


「じゃあ、俺がやるよッ! 伊崎兄はこれからも日本に必要だろ? 総理大臣だろ? 俺ならそんな大事な役割ねぇし!」

『お前様よ。それはできぬのだ。我とお前様で一対となっておるからな。神も管理者にはなれぬのだ』

「く、くそッ!」


 弟は怒りをぶつけるかのようにテーブルを殴り付ける。

 ダンッという音と共に二つに割れ崩れ落ちる。

 俯いたままの弟に滝川が肩に手を置き話し始めた。


「では、私しかその大役を担うことができないようです」

「滝川さん!?」

「こう見えて私は神様ではありませんし、総理でもありません。ただの人間です。忘れていらっしゃるかもしれませんが、私の職務は総理補佐官です。ならば総理の尻を拭くのは私の役目という訳です」

「言い方……」


「さて、総理。私に迷宮管理者権限を委譲してください」

「できん」

「私を大事に思ってくださるのは嬉しいのですがそうも言っていられないのでは?」

「いやお前の命などどうでもいいが、人間にこの星の管理者はできん。情報量が多すぎると言っただろう? 人に扱えるモノではない」

「こ、困りましたね。しかし要は管理者がいない状態になればいいのでしょう? その後、迷宮というシステムを無くすのですよね? 総理が管理者を降り空席にすればよろしいのでは?」


「ああ。俺が簒奪する前は空席だった。その時にやってれいばよかったのだ。だが管理者になれば人の魂を吸い上げる事を止められると思っていたのだ。そしてこの星の迷宮管理者というのは特殊らしくてな。ゼディーテで信仰を得る為に自ら管理者を降りる事はできないようだ」


 星の迷宮、ゼディーテ迷宮の前管理者はカエフ。

 ゼディーテで圧倒的多数の信仰を得るカエフ教の神という扱いだった。

 神が勝手に管理者をやめ、人々の信仰をなくすという事は秩序が乱れ始める。

 争いを始め、戦争で人が死に、一時的に多くの魂を得る事はできるが、人口減少に歯止めが掛からなくなる。

 それを危惧してゼディーテ迷宮の管理者は自ら降りることはできないシステムとなっていた。


「伊崎兄ぃ……」

「さぁ! 殺ってくれ! 日本の為、この星の為だ! 人の為に命を全うできるならば内閣総理大臣としてこんなに名誉な事はないっ!」



 姉はソファーからゆっくりと立ち上がる。

 その瞳は伊崎の瞳を捕らえたままだ。

 伊崎の言った事は今の姉にはわかる。それが正しいという事も。

 弟とイサナも立ち上がり伊崎に体を向ける。

 滝川は伊崎の後ろに立ち、俯いて「お疲れ様でした」と呟く。


 そして皆が深く深く頭を下げる。

 う、うぐ……うぅ。

 弟の瞳からは涙が、口からは声を抑えきれない叫びが漏れる。


「厄介なことを頼んですまんな。今までありがとう。お前達姉弟がいなければこれまでの計画は……いや違うな。お前達がいてくれたおかげで楽しかった。もちろんイサナもな」


 うあああん! イサキー!


 イサナの叫びが執務室内に響き渡る。


「第百五十三代内閣総理大臣伊崎純之介。日本国、いやゼディーテの為にこの身を捧げるッ!」


 バシュッ!


 姉の双剣『魔斬』が袈裟斬りに放たれ、笑い顔の伊崎がゆっくりと倒れていく。

 弟とイサナはその姿を見ていられなかった。目を瞑って早く終われと、あわよくば姉の斬撃が逸れて生きていてくれれば、と願った。

 滝川が伊崎の亡骸を抱きかかえるように支える。

 姉はしっかりと瞳に焼き付けた。

 ここで終わっていい人物ではなかった。

 誰よりも『日本人』だった。


 その誇り高き心も、潔さも。




 伊崎内閣総理大臣が突然の『病』に倒れ、帰らぬ人となったことが発表された。

 二期連続で総理大臣を務め、強硬姿勢を崩さぬ外交で他国を黙らせ、鎖国の後に異世界へと日本国土ごと転移させ歴代最高支持率を保った。

 国葬となった葬式には多くの参列者が訪れた。

 そうっと隠れて玉串奉奠をする天之神とアマテラス様の御姿もあった。

 いつもは奉奠される側だが。




 数ヶ月後。


「はぁー相変わらずだしココ」

「楽しい」

『母様! 次は人差し指だけで攻略競争ね!』

「あ、俺はパース。二人で行って」



「なぁなぁ、吉田さん。いい加減、もう少し歯ごたえのある迷宮にしてよ」

「あはは、イサナちゃんは楽しんでるよ?」

「イサナは姉ちゃんと一緒なら何処でも楽しいんだよ」

「まぁ、いいじゃない。歯ごたえが欲しかったら他にあるでしょ」

「日本迷宮かぁ。もうあそこもなぁ」

「君達は強くなりすぎだよ。一般の探索者はまだ日本迷宮あそこ攻略できないんだから」

「なんか面白いとこない?」

「うーん、ああダン調からデータ貰ったんだった」

「お、なになに?」


 吉田さんが管理者パッドをポチポチと操作する。

 すると弟の目の前に一体の魔物が現れた。


「にーに! ひさしぶりぃ! とりあえず焼酎ね!」

「またお前かよ! 吉田さんチェンジ!」


「そうそう、ダン調がデータ改ざんしてこの子出したら君の従者になる設定だって」



「まじかー! カグツチィーッ!」

『お前様よ。側室を持つのはちと早いぞ。うむ、お前様の趣味に合っておる幼児体だがな』



「ちげぇーっ!」



 おわり

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姉弟迷宮(きょうだいめいきゅう) うつわ心太 @utsuwa

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