第124話 逃亡迷宮五


 カントミ王国。

 ローズ・ツクヨミ劇場落成式は貴族夫人方から大好評を得て終えた。

 ツクヨミ様が夜の食国へ戻られ、カントミ王国には王国騎士育成を行うためにしばらくの間、自然精霊の宿った薔薇騎士団が残る。

 また、思金神(おもいかねのかみ)の子、天表春命(あめのうわはるのみこと)が定住し文化・芸術の発信地として発展させ、そして後進を育てていく。

 定期的に行われる即売会と、何故か女性役者のいない劇(それが月光塚)が目玉となって小国ながら大国に迫る経済力を発揮する事になる。


 ツクヨミ様が何故この国を発展させようとしたのか、それはご本人にしか分からない。

 夜の食国を任された当初、この国と同じように貧しく厳しい国であったからかもしれない。

 しくも伊崎の掲げたゼディーテ文化的侵略が最も進んでいる国となっていた。



 そして逃亡者の姉弟一行は、カントミ王国からロックウッド王国へ密入国しイングリス男爵領へ訪れる。

 そこの首都にあるイングリス男爵邸。貴賓室で男爵紅茶を飲みながらヴィクター・イングリス男爵と面談していた。


「なぁ、ヴィクター。ホントに引き上げたの?」

「はい。確かにニホンのケーサツは三日前に撤収しました。いやぁ驚きましたよ。お二人を捜索中とかで急に来られ滞在許可を求めてきましたからな!」


「簡単に引き上げるとは思えません」

「陛下の仰る通りでございます。ただ、引き上げる際にもしもお二人が来られたら渡して欲しいと手紙を預かっております。ニホンの言葉でしょうか、私には読めませんが」


 姉を薩摩鹿児島国の王と思っているヴィクターは恭しげに手紙を差し出す。

 開封し流し読みをした姉は弟に渡して読ませた。


「は? もう捕縛するつもりはないからいつでも帰ってきていいって? 嘘くせー」

「罠、ですね」

『イサナが確かめてこようか?』

『それも想定内で動いているかもしれん。うむ、愛の逃避行を続けようぞ』


「引き上げたと見せて密かに見張っているかもしれません」

「そうすっと早く移動した方がいい? どこに?」

「日本がまだ交易を始めていない国ですね」


 うーん、と悩む四人を見てヴィクターはそう言えばと呟いた後、言葉を続けた。


「王都での紅茶売り込みは……それはもう苦労しまして。結局何処にも売れなかったのですが……。いや、それがよかったのでしょう。こうして陛下ご一行と懇意にしていただけるようになったのですからな!」


「ヴィクター……今、そんな話じゃねぇだろ?」

「いやいや! それがですな。ある貴族に売り込みに行った際にこう言われたのです。『貴殿の田舎茶など誰も買う物はおらんだろう。いっそ氷の民族に提供して暖めてやればよい』と」


「氷の民族? やべ、聞いただけで寒そう」

「私はとにかく何処でもいいから買って欲しかったので、その民族は何処にいらっしゃるのですかと聞いたのですが、大笑いされて『なに、ミリソリードよりずっと北にある国……という噂だ。行ってみればよかろう』と。笑われた事からこれは厄介払いだと思ったのですが、それから別の貴族と商人からも言われまして……」


「なにそれ、ぶぶ漬けみたいなもん?」

『なるほどな。氷の民族という言葉が、はよう帰れという隠語か。うむ、さすがお前様だ。伊達に何度もぶぶ漬け食っておらんな』

「食ってねぇし!」


「ミリソリードの北には何が?」

「申し訳ありません。私は存じ上げません。このような辺境ですから地理はもちろん、噂話もなかなか入ってきませんので」


 ミリソリードの大山脈、そこから先を知る者は少ない。山脈が世界の果てと信じる者も多い。それは人間には登頂できない高さの山脈が故だ。この世界では登山装備が整っていないという事もあるが、上級探索者でさえ拒む厳しい環境と、垂直に近い崖が立ちはだかる。

 山脈を回り込もうと思っても、北の海は全てを阻むかのように荒れており嵐が収まることはない。当然、帆船では進む事ができずに多くの冒険者を飲み込んだ。


「行きましょう!」

『行こー!』

「寒そうだから無理」


『お前様よ、安心せい。我が身も心も暖めてくれようぞ。うむ、我はお前様の傍に居るだけで……あたたかい』

「うるせーよ!」


「しかし陛下! ただの噂話ですぞ! 何があるかわかりません、危険です!」


 氷の民族、ミリソリードの北、ただその言葉だけで出立しようとしている一行を、ヴィクターは心から心配して止めようとしている。

 そんなヴィクターを見て姉は優しげに微笑みながら、ありがとうと答えた。


「先に何があるかわからない。だからこそ行きたいのです。迷宮と同じ。最上階で何がドロップするか……探索者ならわくわくします」

「しゃーねぇ! 姉ちゃんの顔……初めて入る迷宮を前にした時と同じだわ。とめられねぇ」

『母様、楽しそう!』

『出立だ! ヴィクターよ。紅茶の在庫を全て渡すのだ。うむ、厄介払いに使われた通り、氷の民族とやらに飲ませて見返してくれようぞ』


「ぶぶ漬け本気食いかよ!」



 それから四人は旅立ちの準備を始める。

 とはいえ、紅茶を迷宮鞄に詰め込むくらいだ。防寒装備はいらない。例え極寒の地であろうと弟以外は関係ない。

 弟もカグツチがその体に戻りさえすれば調整してくれるので心配は要らないが、目から入る情報『寒そう』と言うのが苦手だった。


「目的地までどうする? イサナとカグツチに頼む?」


『日本なら兎も角、ゼディーテでは我らへの信仰がないのでな、知っておる場所でないと飛べんぞ。もしくは目標物、例えばお前様を目標とするとかだな。うむ、お前様の居場所は常に掴んでおる。ミリ単位の誤差で会いに行けるぞ』

「こえーよ!」


『イサナもー! 母様のいる所はわかるよ!』

「イサナいい子」


 姉がイサナを抱きしめる。カグツチが羨ましそうに見て、我もという顔で弟を見るがスルーされた。


「んじゃー、海から行くならまた潜水艦?」

「いいえ、徒歩です」

「無理じゃね?」


「大丈夫。山脈上部はバロウズが切り取りましたから」

「あいつ碌な事しねぇー!」



 イングリス男爵領は大陸の南の端に位置する。

 そこからロックウッド王都――フランブ共和国――ミリソリードの順に通り、その先へと向かう。

 地球規模で換算すれば、メキシコ――アメリカ――カナダ、そしてその先だ。

 現地馬車で約三ヶ月、休息の要らない箱馬車風移動車両(動く迷宮で馬は魔物)で約一ヶ月、全速を出せば二日だ。道路事情が悪い為に実際にはもう少しかかる。ただし乗りっぱなし。

 国境を越えるときは移動記録を残さない為に、検問所を回避し密入国する事になる。

 その際に箱馬車風移動車両は迷宮鞄に収納する。

 急ぐ旅ではない。

 一行は途中休憩を入れながらミリソリードまでの旅程を二ヶ月とした。



 ミリソリード。

 ここは厳密に言えば国ではない。人々からは都市国家として認知されているが、治める代表者はおらず騎士団などの治安部隊もない。

 全て住民の自治の下に運営されている。入出国検問所がない為に誰でも自由に出入りできる。その事から国を追い出された者や犯罪者、逃亡者が数多く集まる。

 ここは連なる山脈全体が迷宮となっており、その山々をアリの巣のように掘ってひとつの都市が形成されている。

 この山脈迷宮を管理していた異世界神はバロウズが倒し、現在管理者不在であるが、魔王伊崎がここの管理権限を奪わんとこの地に向かっていた。


 姉弟一行は中に用は無い為、入出国検問所を通らず、現在登山中である。


「登山じゃねぇし! ロッククライミングだし!」


 姉は双剣を山肌に突き刺しながら登る。己の肉体のみで登り、スリング(ロープ)等の安全対策はない。

 イサナが姉に続き、ハイキングでもしているかのような気軽さで、二人おしゃべりをしながら登っていく。

 一方弟は道具を使わないフリークライミングだ。

 しゅ・月胱は長剣である為に、姉のようにピッケルが如く双剣を使うようにはいかない。

 手を伸ばしホールドできる岩を探す、いけると判断したら一気に体を腕の力で引き上げる。足場を確保し次のホールド先を探す。

 その繰り返しの為に、姉とイサナとの差は時間を追うごとに開いていた。


『お前様お前様。我を褒めよ。ほれ見よ、お前様の為に造ったぞ。うむ、これも内助の功だ』


 必死の形相で登る弟の横でカグツチが嬉しそうに話しかける。


「な、なんだこれぇええ! いいのか? これ大丈夫なのか!?」


 カグツチを見た弟が叫ぶ。

 そこには山肌を削り、人ひとりが悠々歩けそうな階段が出来上がっていた。


『我の炎で削り磨き上げた。どうだ? 嬉しかろう。うむ、お前様よ。大人の階段を上れ』

「楽できるからいいけどさぁ、これ残しておくとまずいよな? あとで元に戻せよ?」


『任せよ。登り切ったら山崩れを起こす』

「それ土砂災害だから! 危ないからな!」


 カグツチのおかげで楽になったが、数千段いや数万段の階段だ。

 人の欲とは限りない物で、弟はエスカレーターになんねぇかなと呟きながら上っていた。


 そして頂上、そこはバロウズが切り取って平らになっている。

 磨かれた鏡のように平らで空の風景を映しだしていた。


「すげぇー、ぴかぴかだ。空を歩いているみてぇ」

『お前様と空中でいとだ。うむ、う、腕を組んでもいいか?』

「お、おう」


「イサナ、手を繋ぎましょう」

『うん!』


 四人は一時、目的を忘れ笑顔で歩く。

 恋人と親子、神とそれを超える者、そして人間。それぞれ在り方は違うが想いは同じであった。


「でも、熱い! すっげー熱い! フライパンで料理されてるみてぇ!」

『太陽も映り込んでおるからな』

『叔父ちゃん(人間)は焦げちゃうね!』

『そんなお前様も見てみたい。うむ、いつもは我が恋い焦がれておるからな』

「うるせーよ! ちくしょー! ダーッシュッ!」


 弟が走り出し、カグツチが続く。

 姉とイサナは二人を見て微笑みながらゆっくりと歩く。



 そして四人は反対側へと辿り着いた。ここからは下りだ。


「下り……面倒くせぇ」

『任せよ。お前様の為だ、一肌脱ごう』


 カグツチが胸を張ってふふんとでも言いそうに、その山肌を削っていった。


『よし、行くが良い。うむ、恋の超特急だ』


 そう言ってカグツチがほれと弟の背を押した。


「は? うああああああ! ぎゃあああああ!」


「すごく長い滑り台? ですね」

『母様!』

「はい、行きましょう」


 ノリノリでカグツチが造ったソレは山頂から麓まで続く長距離滑り台。

 無駄にループやコークスクリューまである。

 姉とイサナ、カグツチは楽しそうに滑っているが、弟は……。



「ケ、ケツが熱いー! 火傷するーっ!」

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