第121話 カントミ王国迷宮
カントミ王国。
そこはロックウッド王国とフランブ共和国に面した北国。
現王はパスカル・カントミ。四十代であるがその顔と体にはかなりの疲労が窺える。
王妃のティナは若い頃から働きづめで、三十代であるのにその様相は五十代かと思えるほどの老いを感じる。
一人息子のエリックは十六歳、銀髪碧眼美少年。剣を持つより農具を持つ時間の方が長い。毎日、国の為、国民の為にと農作業に精を出す。
この国の冬は厳しく夏は日照時間が短い。そのせいで作物が育たず、食糧は他国からの輸入と商人に頼っている。また畜産用の餌も確保できない為に、これと言った産業のない貧しい国であった。
貴族達は先々代の頃にこの地を捨て他国へ移住していき、現在この国に貴族家は存在しない。
王都人口は三万人。他に町と村が点在するが、合わせても全人口は五万人に満たない。
それでも他国と同数で同級の迷宮がある。低級迷宮しか踏破されておらず、三級から上の迷宮は放置状態となっている。もし上級迷宮が踏破されたとしてもドロップ品を自国で買い取る金銭がない為、他国を潤す結果となってしまうだろう。
城壁もない衛兵さえも立っていない王城前に姿を現した二十数名の集団。
全員が見目麗しく、胸元に赤い薔薇模様の入った甲冑を身につけた少年達だ。
統率がとれており、その立ち姿は美しく貧しい街並みにそぐわない。
先頭に立つのは黒い王子。
全体が黒で統一された服装で、襟元にジャボ(ひらひらの段々飾り)があり、袖口もひらひら飾りのついたラッフルカフス、ストレートのズボンに金飾りの入った黒ブーツ、そして金の刺繍が所々に入ったテールコートを上から羽織っている。
顔は整った美形青年で、碧眼の瞳に髪は肩まである金のストレート髪を後ろで一括りにしている。腰には細身のサーベルを帯剣して、飾り紐が揺れている。
そしてその黒い王子の背で赤い薔薇の花びらを散らす従者風の者もいた。
通りかかった人々は皆が足を止め、その集団に目を奪われている。そこだけスポットライトが当たっているかのように華やかだ。
「ツクヨミ様。先触れが戻って参りました。王太子は農作業で不在ですが、王と王妃がお会いになるそうです」
『ゼディーテで一番の美少年と噂される王太子に会えないのは残念ですが、その機会はいずれ来る事でしょう。では、行きましょう』
「はい!」
黒い王子は
一行は城内へと向かう。飾りは何もなく必要最低限の物しか置かれていない。
通された謁見の間も同じであるが、訪問者が少ない為か玉座へと向かう赤い絨毯を使用人があわてて敷いていた。
玉座にはくたびれた様子の王と立ったまま寄り添う王妃。入城してきた一行を見て、その容姿と着飾る服に引き気味だ。
ツクヨミ様は立ったままで、薔薇騎士団は片膝をつき頭を垂れる。そしてツクヨミ様の横に跪いたピエールが声を発する。
「陛下、拝謁いただき誠にありがとう御座います。こちらは三千年以上の歴史を持つ名家、ヤオヨロズ家のツクヨミ様でいらっしゃいます。ヤオヨロズ家は
ピエールの言葉に、うむと頷くツクヨミ様。そんな名家で大国の国主だとは思っていなかった王が驚きながらも答える。
「よくおいでになったヤオヨロズ家のツクヨミ王。わしはこのカントミ王国の王、パスカル・カントミ。横におるのは妃のティナだ。して、訪問の目的はなんじゃろうか」
パスカル王の紹介で王妃が軽く頷く。小国とは言え迎える側の代表だ。カーテシーなどの最敬礼はしない。
「はい。王太子に会いに……いえ、この国を発展させるご提案をしに参りました」
「発展……とは? 悪いがこの国は何をやってもうまくいかないのじゃ。新しいことを始めるにも資金がない。迷宮も放置しておる状態じゃからの」
『パスカル王。私にお任せなさい。資金の心配は無用。
「そうは言われるがの。初めてお目にかかる方じゃ、民に何かあってからでは遅いからの」
『なるほど確かにまだお互い信用しきれない部分があります。小国ながら慎重な王で安心しました。五日……五日見ていてください。私の薔薇騎士団がこの国の迷宮を踏破してきましょう。そして戦利品は全て献上いたします』
「それはありがたいが、の。そんな事をしてツクヨミ王に何の益があるのじゃ」
『王都に土地をいただきたい』
「土地だけは余っとるからいいがの。そこで何をするおつもりじゃ?」
『美と芸術、文化の為に! これは私の私欲、いえ使命! 神の使命なのです!』
「はぁー使徒様であられる、と?」
「いいえ、パスカル王。口を挟み申し訳ありませんが、ツクヨミ様は神! なのです!」
「ツクヨミ王、この従者は大丈夫かの?」
『ふふふ、本当の事ですから。まぁ今は気にしなくていいでしょう。では、五日後またお目にかかりましょう』
「薔薇騎士団の十名を残し、城と街の修繕と警備にあたらせます。どうか御許可を」
「そりゃあ、ありがたいがの。誠に申し訳ないが修繕の予算もなくての」
「結構です。すべてヤオヨロズ家が持ちます」
「心苦しいの。せめて滞在は城で持て成させてもらおうかの。豪華な物は出せないがの」
「結構です。薔薇騎士団は寝食の必要がありませんので」
その言葉を最後に一行は城から出て行く。
薔薇騎士団はツクヨミ様が造られた人形に
当然、人間よりも戦闘力があり、精霊の特性から建物の修繕などはお手の物である。
『
ツクヨミ様の命にお辞儀をして散って行く薔薇騎士団。神が人間の営みに手を出すことは滅多にないが、ここは日本ではなく地球でもない。それを良いことにまるで自分の国であるかのように
「では、ツクヨミ様。私はいつもの作業に入らせていただきます」
『ピエール、首尾よく頼みますよ』
「はい!」
五日後、カントミ王国に所属する数少ない兵士五名が、他国から食糧などを運び王都へ戻ってきた。
季節は夏であるが、厳しい冬の備蓄用食糧確保の為、休む暇なく往復している。
今回輸入してきた食糧を備蓄庫に納めた後、またすぐに出立しなければならない。
隣国のフランブ王国は共和国制へと変わり、議会の承認なしでは食糧を出庫する事ができないと断られてしまった。また同じく隣国のロックウッド王国は王が代替わりし、その祝いと祭りで食糧を放出してしまい思うほど仕入れられなかった。
それでも再度向かわなければこの冬、飢え死ぬ者が多く出てしまう。次はミリソリードまで足を伸ばすかと兵士長が考えていた所、王都を目にする。
青々と茂る麦、緑広がる広大な畑と花畑。そこに流れ込む小川のせせらぎ。そしてボロボロだった民家は美しく立ち並び、道まで整備され白い石畳が敷かれている。さらに中央に見える城の変わりように目を見張る。その城の白く輝く壁には薔薇模様……。
人々に笑顔が戻り足取りが軽く、活気があるように見える。
なんということでしょう。
あの暗くどんよりとした雰囲気の王都が生まれ変わっているではないか。
「こ、これは王都……だよな? いつの間にか死んで天国に来たんじゃないよな?」
「兵士長! 確かに王都であります。見覚えがある家がちらほらと」
「先触れを出せ。……できれば王か王太子に謁見したいとお伝えしろ」
「はっ!」
これまでなかった城の外壁を目に、薔薇のアーチを通って兵士長は城へと入る。
謁見の間では王太子が玉座の下で待っていた。
みすぼらしかった謁見の間だったが床は白く、大きな薔薇模様が描かれ、柱にも薔薇飾りがあり、そこを照らすシャンデリアも薔薇の形に変わっていた。
笑顔で待つ王太子に兵士長がその変貌ぶりに目を見張る。
白いゆったりとしたドレスシャツには襟元にリボン、袖口にはフリルがあり、ストレートの黒いズボンの側線に金色の刺繍が入っている。皮の黒いブーツを履き、腰にはいつも鎌を携えていたが今は白い鞘に入った剣を帯剣していた。
「エリック殿下、ただいま戻りました」
「ご苦労。お前達の労をねぎらい今宵は晩餐を用意しよう。食べて飲んでゆっくりと休むがよい」
「はっ。ありがたき」
エリックの前で跪き礼を述べるが、その威厳を備えた態度の変化に驚く。言われなければ農民と見紛う成りと話し方であったが、今はどうだ。
これぞ王太子。これこそが次代の王、と付き従う者が誇れる有様だ。
「殿下、王都と城の変わりようはどうされたのでしょう?」
「ヤオヨロズ家の協力によるものだ。
「ヤオヨロズ……聞いた事がありませんが、どこの者でしょうか」
「ニホンという地域にある。ロックウッドから船で七日かかるとおっしゃっていた」
「それは遠い所からわざわざ……」
「フランブの圧政解放にも尽力されたそうだぞ」
そいつのせいかー! そいつのせいで食糧が手に入らなかったのかー! と叫びたい気持ちを抑えエリックに話しかける。
「この見返りは何を求めていらっしゃるのでしょうか?」
「王都の土地だけでよい、と。素晴らしいお方だぞ。まさに神の所業とも言える取り組みであった。見たか! 外の農地と用水路を! そして城と外壁、民の家までも補修してくださった。農地に茂る作物は厳しい冬も越せる物らしいぞ。これで我が国は飢える事なく過ごせるのだ」
「なんと! それが本当ならばご訪問くださったツクヨミ王は、我が国にとってまさに神でありますな! しかし、この城は見事。他国に劣らぬ美しさです」
「うむ。城などどうでもよかったのだ。民さえ飢える事なく、凍えることなく冬を越せればな。だが、民が誇りを持てる城でなくては心が豊かにならぬと申されてな」
「確かに。我ら兵士も誇りを持って仕事に励むことができます」
「さぁ、お前も下がってゆっくり安心して体を休めるがよい。もう他国へ顔色を窺いながら食糧を融通してもらわずともよい」
「はっ。下がらせていただきます」
兵士長は立ち上がり最敬礼のお辞儀をして下がっていく。まるで別の国へ来たような感覚だ。城も王都も、王太子でさえ変わられた。
これほどの事を土地だけでよいとは……。兵士長は王族を守る任務にも就く故、完全には信用できずにいた。
「ツクヨミ様。フランブ共和国の貴族ご婦人方から新刊の催促と、何処から聞きつけたのかすでに公演の予約が入っております」
『締め切りに間に合わないのならば
「うふふ、
『ちらちらとこちらを見ては誘って欲しそうでしたからいい機会でしょう』
天表春命(あめのうわはるのみこと)
思金神(おもいかねのかみ)の子で学問、技芸、
『ロックウッドの王が二十代の王太子に代替わりしたと情報を得ました。ピエール、そこのご婦人方を取り込むついでに偵察してきなさい』
「大変嬉しい神命、ありがとうございます。うふふ、二十代。守備範囲内、ぐふ」
ツクヨミ様は王国内の町と村にも薔薇騎士団を派遣し、農業と暮らしの改革を施す。貧しいと芸術に向ける情熱が湧かないというのが信条だ。
国を丸ごと奸計に嵌めるおつもりであった。
そして王都で建設していた劇場が完成し、ローズ・ツクヨミ劇場と名付け国へ寄贈。
攫ってきた月光の君(弟)と朧月の君(アレクセイ)を主役に抜擢し、こけら落としが行われようとしていた。
カントミ王国国立ローズ・ツクヨミ劇場
月光塚本公演、脚本・ピエール、演出・ツクヨミ様
公演名『アナザー・カントミ』
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