第120話 海中都市迷宮三


『ふぅむ。なるほど、貴様に我が消滅させられたか。家畜如きが……この、家畜如きがぁぁあああああ!』


 己が消滅させられた記憶を、サンプルとして残った異世界神細胞は記録していた。

 たとえ直接対峙せずとも、自ら神と名乗る者である。それは細胞同士の繋がりにより伝達されていた。

 姉弟達と戦い、その時に採取したその者らの血肉も。

 倫が切り取った弟の皮膚、そして滴り落ちる血から憎悪が蘇る。その憎悪は留まることを知らず暴走し始めた。



 海中都市迷宮。下階はほぼ異世界神細胞で埋め尽くされた。研究者達は上階へ移動し、逃げ出すこともなく透明な床から下の様子を記録し始めている。

 さすがは倫の率いる研究施設。研究者達も倫と等しく……おかしい。


「消滅、させなくては……」


 カグツチが向かった事を見て、弟は無事だとわかった姉が呟く。

 それに倫がすばやく反応した。


「ダメよ! 消滅なんてさせないわ! これは私が育てたの、私の子供同然。みすみす我が子が殺されるのを見ている親なんていないわ! それにこれが異世界神ならば、世界で初めて神の子を持つ親! そう私は聖母マリアより尊いのよ!」


 初めてではない。残念ながら姉がそうだ。明かすことはしないが。

 その時、無機質で事務的な声が施設内に鳴り響く。


≪緊急アラート発令、緊急アラート発令。これより海中都市迷宮は浮上を開始します。≫


 その言葉の終了と同時に施設が浮上し始めた。周りの景色が変わっていく。海面に近づくにつれ外に明るみが増していく。


「誰よ、アラート押したのは! これじゃ総理に知られちゃうじゃない!」


 倫が研究者達に向かって叫ぶが、皆が押していないと首を振る。これは危機回避の為のオートアラートだ。伊崎の命により設計段階から組み込まれていた。

 このアラートが発動すると施設が浮上し、海上保安庁と海上自衛隊、そして伊崎に連絡が届くことになっている。


「イサナ、行きましょう」

『うん!』


 姉がイサナに声を掛け、下階へと向かう。倫が何やら叫んでいるが無視して進む。

 下階への階段、そこまで異世界神細胞が迫って来ていた。それを斬り裂くが、みるみる傷が治っていく。これは日本迷宮五百階層にいた異世界神も同じ治癒能力を持っていた。

 それでも弟とカグツチを助ける為に双剣を振り続ける。



 一方、弟とカグツチ。二人は未だ四部屋の中にいた。

 朱刃厘衛・月胱を振り続けるが、やはり傷が治っていく。以前は神々にも傷を与えるカグツチの炎の剣さえ効かなかった。


「これもしかして俺、終了? 姉ちゃんいねえと二人舞もできねぇ」


 “お前様と共にここで永劫の時を過ごすのも悪くない。うむ、これが本当のの愛だな”


「うるせーよ! メシもねぇし、トイレもねぇ! 漏れそうだよ!」


 “我は気にせぬ。ここでするが良い。うむ、立ちションはいい経験であった”


「……それに、このままじゃお前に触れられねぇだろ?」


 “我は今! お前様の愛を感じた! うむ、らぶらぶぱわー全開だ!”


「全開になってもどうしようもねぇ。やっかいな異世界神だぜ」


 “行くぞお前様よ! 我の剣を持ち悪を滅するのだ! うむ、へんしんだ!”


「変身と掛けてんの? お前の剣でも効かなかっただろ?」


 “前とは違う。イザナギに赦され、全ての力が解放された。それまでの我は謂わばサナギ。お前様の愛を以て蝶へと羽化したのだ。うむ、全てを焼き尽くす愛の炎を見せてくれよう”


「なんか恥ずかしいけど試してみるかぁ! ラブラブパワァーッ全開! 来い、カグツチィーッ!」


 愛の叫びと同時に、その手に炎の剣が出現する。


 その剣に帯びる炎は紅に染まり、右に左にと揺らめく。

 熱く朱く燃ゆる刀身に触れるのは旦那様しか赦さない。

 切っ先から噴き出す愛の力ラブパワーは二人の証。邪魔者を全て燃やし尽くす。


 剣から噴き出した炎が弟の体を包む。カグツチにしかその体を預けるのを拒絶するようだ。


「炎の鎧!? 熱くないけど、想いが熱いぃぃいい!」


 炎の剣を横薙ぎに振る。剣先から炎が追随し異世界神細胞を消し去っていく。

 傷口は再生することなく消滅していった。


『ぬう? あり得ん、家畜が我を滅するか!』


「お前にはわからないだろ? この力の源が何なのか!」


『力の源、だと?』


「それは、愛! ラブラブパワーだぁあああああ!」


 剣を振る、振る、斬り裂く、燃やし尽くす。愛の力を以て、気恥ずかしさをも打ち消すように異世界神細胞を滅していく。

 歯を食いしばり想いの丈を剣に乗せ、一切のモノを初めから存在していなかったかのように霧散させていく。


 ラブラブパワーは留まることを知らず全てを燃やし尽くし、海中都市迷宮を覆っていた破壊不可属性のドームさえも消し去った。

 緊急アラートが出て浮上していたから良かったものの、もし海中のままであったならば海水が流れ込んできていただろう。


 全ての異世界神細胞を消滅させ、下階部分も消えていく。そして支えをなくした上階が沈むように落ちてきた。

 弟は剣を上に掲げ、天井を消滅させて難を逃れる。

 ふぅ、と一息吐いて正面を見ると姉とイサナが駆け寄ってくるのが見える。その後ろでは倫と研究者達が驚愕の顔で弟を見ていた。


「無事で良かった」

『おじちゃん!』


 姉は弟の前で立ち止まり安堵する。イサナは腰に抱きつき頭をぐりぐりと押しつけていた。


「あー、疲れた。姉ちゃん、カグツチの依り代知らねぇ?」


『イサナが持ってる! 出すね!』


 迷宮鞄から土色の人形を出し、カグツチがそこに降りる。肌が生気を帯びていき俯いていた顔が上がって、ニコリと笑った。


「ここにいるとまずくね? 施設を破壊しちまったし、リン姉の追求もこえぇ」


「そうですね。アラートのせいで伊崎総理にも連絡が行ったようですし、逃げた方が」



「逃がさないわよっ! 君、何なの!? やはり人間ではないわね? 解剖させなさい!」


 直ぐさま走ってきた倫が弟を見て叫ぶように言う。

 遠目には海上保安庁の巡視船とヘリコプターが近づいて来ているのが見える。


「やべぇ、伊崎兄に絶対怒られる。姉ちゃん!」


「鹿児島へ!」


 姉の言葉と同時にイサナとカグツチの御力を借りて飛ぶ。突然いなくなった四人を探すように、周りを何度も見回す倫の姿が残されていた。


 鹿児島県庁に飛んだ四人は再度飛ぶ。

 倫が姉の言葉を聞いていた事から、鹿児島へ行ったのはすぐにばれるはず。そこでもう一度飛んで攪乱させる作戦だ。

 事実、この後すぐに伊崎が倫を追求して四人の行方を聞き出し、鹿児島県警に捜索要請を出した。

 県警はまおう様がいらしていると必死に捜索し、各派出所の手配掲示板と街中に顔写真が貼られ、県内全てのディスプレイに姉弟捜索中と強制送信放送が配信された。



 一方、鹿児島から再度飛んだ四人。

 そこは総理官邸……の隣にある天照大御神神社迷宮。

 人間では伊崎と姉弟しか入宮できない迷宮だ。以前、姉がアマテラス様降臨の為に急遽建立した神社迷宮である。管理者の姉は到着後すぐに伊崎が入宮できないようにする。

 管理者証控えを伊崎が持っている為、単なる時間稼ぎでしかないが、その短い時間で別の場所へ逃げるもくみである。

 隣の総理官邸では姉弟捜索本部で伊崎が怒鳴り声を上げているはず。灯台もと暗しとはこの事だ。


「ここならしばらくばれねぇ……はず」


「いつまでもここにいるわけには行きません」


 伊崎は毎月一日に朔日参ついたちまいりをする。それは官邸隣に天照大御神神社迷宮が建立されてから欠かした事はない。

 この場にアマテラス様が降臨されたのをその目で見て、話をする機会を与えられ、もとから在った信仰心が益々深まり、朔日参りを神事としている。

 次のついたちまであと八日。その間は安全だが、その前に行く先を考えなければならない。


 姉弟はせっかくだからと神社にお参りをし、イサナとカグツチはその様子を横から見ていた。

 お参りを終えた神社が光り始め、姉弟の前にアマテラス様が降臨される。にこにこと楽しげなお顔だ。


『母上よ。何やら面白い事になっておるのう。たかあまはらから皆が興味津々に見ておるぞ』


「アマテラス様……お久しぶりです。御尊顔を拝謁でき恐悦至極に存じます」

「アーちゃんおひさー」


『むぅ、アマテラスか。初めて会うな?』

『アマテラスお姉ちゃん!』


『そう畏まらずともよい。叔父上とイサナも久方ぶりじゃ。そして……お前は、父上に赦されたのじゃな。姉上になるのか……カグツチよ』


『イザナギに赦され、今は旦那様に愛されておる。うむ、よろしく頼むぞ妹よ』


『ほほほ、叔父上よ。姉上を頼むぞ。カグツチ愛の手帳とやらがえすえぬえす配信されておる。皆が更新を楽しみにしておるでな』


「は? 皆って神様全柱!? はずかしぃーっ!」


『恥ずるものではない。そうじゃな妾は“俺の方が早く死ぬだろうけど、その短い一生をお前に捧げる”という言葉に千年ぶりかのう、涙が溢れてきおったわ。今は思金(おもいかね)がぽえむ集として本にまとめておる最中じゃ』


 思金神(おもいかねのかみ)、知恵と学問の神様。造化三神第二神タカムスビ様の子である。


「うひゃぁあああ! やめて、マジやめて! 死んじゃう! カグツチ勝手な事すんなー!」


『アマテラスよ、旦那様がしそうだ。その辺でやめておいてくれ。うむ、ポエム集ができたら我に一冊頼むぞ』


『イサナもー!』

「それでは、私も」


「ちょ、著作権侵害だー!」


『ほほほ、神に著作権はないのじゃ。出版前から予約だけでみりおんせらーが決まっておる。なにせ読者はよろずじゃからのう』


「売るの!? 俺、印税暮らし!?」


『印税はカグツチ行きじゃのう。そういう契約じゃ』


「いつの間に契約を!?」


『旦那様と愛の巣を築かねばな。先立つものが必要だ。うむ、たかあまはら一等地にビルを建てようぞ。テナントも募集するぞ』


「俺の住所は高天原!? というか高天原ってビル建ってるの!?」


『高天原は日の本と共に発展しておるからのう。日の本が衰退すれば高天原も廃れる。日の本と高天原は謂わば表と裏、表裏一体じゃ』


「思わず印税って言っちゃったけど、神様ってどうやってお金稼いでんの?」


『賽銭、玉串料、初穂料その他いろいろじゃ。人の金ではあるがそれを高天原発行の金券に換算し、物価指数は日の本に合わせておる。神達にはそれぞれ祀ってある神社があるのは知っておるのう? 祀られれば祀られるほど神力が強く、金持ちになるのじゃ』


「はぁ、何か現実的というか神様らしくないというか……それじゃ神様にも裕福な神と貧乏な神がいるの?」


『ある程度は格差があるのう。妾は日の本で一番祀られておるから大富豪じゃ。じゃがそれは天之神御祖が調整してくれておる。裕福な神から徴収し配っておられるのじゃ』


「神様の世界も世知辛いなぁ。あれ? それじゃイサナとカグツチもそれあるの?」


『当然じゃ。高天原銀行にちゃんと振り込まれておるのじゃ』


『イサナはお金持ちー!』

『我もだな。イザナギ直系だからな、配付金が多いのだ。うむ、生まれて一度も使っておらぬ。高天原でしか使えんがな』


「俺って逆玉!?」


『逆玉に間違いはないのう。もっと上を目指すならば天之神おやを射止めると超逆玉じゃ』


「アメ婆ちゃんは無理。あのクソババアは容赦がねぇ」


『ほほほ、叔父上も御祖様に対して容赦ないがのう。御祖様が唯一、心を許しておる人間はお主ら姉弟じゃ。……して、これからどうするつもりじゃ?』


「何処へ行こうかと考えている所です」


 アマテラス様の問いに姉が答える。弟はカグツチから天之神と不倫しておるのかと問い詰められていた。


『なるほどのう。それでは妾の願いをひとつ聞いてはくれぬか』


「はい。何なりと」


『うむ、妾の愚弟を探し出し、連れ戻してきてくれ』


 愚弟と聞いた弟が嫌な顔をしながらその言葉に反応した。


「ええっと、スサノオ様?」


『いや、月読じゃ。国を放って異界、ぜでぃーてと言うたのう。そこで遊びほうけておる』


「畏まりました。何処においでかご存じですか?」


『わからぬ。やつの事じゃ、見目麗しい者らをはべらせているに違いない』


「ツクヨミ様か……絶対、碌でもないことしてるよ」




 その、碌でもない事をしているツクヨミ様。


「ツクヨミ様。この国の王をたぶらかし……いえ、説得して国立劇場がやっと完成しましたね」


『ふふ、これで美と芸術の国として発展していくでしょう』


「革命の次は国の復興。さすがツクヨミ様です!」


『さぁ、忙しくなりますよ! ピエール、月光の君と朧月の君を攫って……いえ、お連れしなさい!』


「はい! 直ちに出立します」



 ツクヨミ様を探し出すのは困難だと思っていた姉弟だが、意外と早く再会できそうである。

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