第119話 海中都市迷宮二


 佐渡海峡にある海中都市迷宮。

 そこは牧田倫率いるマッドサイエンティスト達が、自らの本能に従い実験を繰り返す研究施設である。

 迷宮省も把握していない極秘施設で政府公認の無法地帯となっている。湯水のように予算を使っているが、何処からも文句は出ない。存在を知らないからだ。

 しかし、成果はきちんと出している。迷宮アンカーしかり、今では一般に広まっている魔物の容姿を管理者パッドで変える技術もこの施設の成果物だ。


 管轄は国交省と環境省となっているが、施設内にある研究四号室、通称は伊崎総理直轄となる。

 そこでの成果だけは伊崎にしか知らされない。また基本的に他の研究室では研究員が自由裁量で行っているが、この部屋だけは伊崎からの指示、命令で研究テーマが決められている。


 だが……伊崎さえも知らされていない、神さえ欺く研究がこの四部屋で行われていた。



「フフフフ。さぁ! 君の本当の姿を見せてもらうわよ!」


 四部屋内にある無機質で固く白い椅子に拘束された弟に向かって倫が叫ぶ。

 倫と弟の間は透明の迷宮壁で隔たれており、倫側には様々な機材とデータを映したディスプレイが見える。

 弟側には拘束されている椅子があり、壁と床それに天井が赤黒く、鈍く光っており、さらに弾力性を持ちうねりを伴う。何か巨大な生物の体内にでも居るような様子だ。


「リン姉、どういう事だよ! ここ何処だよ! 俺に何すんの!?」


「この施設に入る時のゲートで体をスキャンしているのよね、全員。君だけ体内が見えなかった。君は人間ではない、何者なの? いや! 何者でもいいのよ。フフフ、いいわ、いいわよ君。人間ではない何者か……素晴らしいわ! 人間でないのなら法的に何も問題はない。私の研究の糧となりなさい!」


 カグツチを取り込んだ弟は、体内が人間とは違い作り替えられていた。切られれば血が出るし、放っておけば人間のように出血多量で死ぬ。また病気にもかかる。

 解剖すれば人間の臓器が現れるが、MRIやCTなど各種スキャンでは覗くことができない。

 切ると普通の人間のように骨や内蔵が確認出来る。が、しかし謂わばカグツチという見えない膜が皮膚の下にあるという事だ。

 一方、姉とイサナとカグツチは人間を象り、スキャン類でも人間と変わらないようエミュレートする。それはまさしく神の御業なのだ。


「俺は人間だって! 離せよコレ! なんか気持ちわりぃよ、ここ!」


「フフフ、やはりそこの細胞壁を異物と感じるのね。それこそ君が人間ではない証拠よ!」


「いや誰でも気持ち悪いって! これを変じゃねぇと思うのはリン姉だけだよ!」


「私が研究者になったのは今日この日の為なのね! フフフ、人間ではない人間を模した何か。仮にアルファ人間と名付けるわ。……魔物でもないし、君は何? 目的は? 生殖は可能かしら? ああ、興味が尽きないわ!」


「人間だよ! 今の目的は伊崎兄から逃げる事! 生殖は……可能、だよ……」


「そうプログラムされているのね。大丈夫よ、この研究は伊崎総理も知らないわ。生殖はやってみないとわからないわね。魔物型でもいいかしら。ああ、ダメよ! 私は夫がいるからそんな目で見ちゃダメ!」


「見てねぇし! リン姉は……頭おかしいよな?」


「よく言われるわ! それは研究者にとって褒め言葉よ。人とは違うって事ですからね」


「はぁ、とにかく離してくれよ。ここやべぇ感じがするんだよ」


「フフフ、そうね。その細胞壁を危険と感じるのは正解よ。さすがはアルファ人間ね、危険度察知能力アリ、と。次は君の皮膚を一部もらうわね」


 そう言って倫が機械を操作する。すると弟が座っている椅子から細長いアームが出て来て、腕の皮膚を切り取った。


「あがっ! いてぇよ!」


 そして切り取った皮膚をアームが床に落とす。落ちた瞬間、床が皮膚を飲み込みうねりが激しくなる。赤黒い光が明滅を始め、床と壁、天井から弟に向かって手のような物が伸びては縮みを繰り返し始めた。


「反応あり! 今まで特定の事にしか反応を示さなかった細胞壁が! 君は本当に何者なの? いいわ、いいわぁ!」


「いてぇ……。リン姉、トイレ」


「そこで垂れ流しなさい! 糞尿にも反応があるかもしれないわ! そうね、涎と涙も出してみなさい! 血も、もっと流させた方がいいかしらね」


「マジで人体実験だし。この気持ち悪いの何なの? 見た事ある気がするんだけど」


「フフフ、それを知ったら帰れないわよ」


「帰す気あんの?」


「ないわっ!」


「はぁ……マジおかしい。博士ー! ホントなんでこんな人と結婚したの!?」


 こんな状態になっても落ち着いている弟、それは奥の手があるからだ。溜め息を吐きつつ、しょうがねぇと呟いてその御名を叫ぶ。


「カグツチィーッ!」


 ……。


「カグツチィーッ! ……あれ? 来ねぇ! はぁ? 何で!?」


 いつもは喚べば必ず来てくれるカグツチ。その呼び声に応えはなかった。


「フフフ、ここの防音は完璧。いくら恋人を呼ぼうとも聞こえないわよ」


 たとえ防音だろうとも神降ろしには関係がないのだが、それを倫は単に弟が恋人を呼んでいると勘違いをしていた。


「やべぇ、ピンチ……俺、ピーンチ!」


「大丈夫よ! 君が本当の姿を見せてくれたら解放するわ。ありとあらゆる実験を行った後にね! フフフ、何年後かしらね」


「人間だってば……。あがっ! ぎゃあああああ!」


「電気刺激では反応なし……次はそうね、指を落としてみましょうか。二十本あるから一本くらいなくても大丈夫。安心なさい」


「はぁはぁ……マジやべぇ。カ、カグ……ツチ……ィ」


 電気刺激によって先ほど切り取られた皮膚跡から血が溢れ、涎と涙が床に落ちる。

 それに反応を見せる細胞壁。大きくうねり弟を包み込むように壁、床、天井全体がせまり、弟の姿が見えなくなった。


「活性化してるわ! 実験室が細胞壁で埋まるなんて……フフフ、いい反応よ!」


 細胞壁が膨張を始める。弟のいる実験室いっぱいに埋まり、さらに広がろうと部屋全体を内側から圧力をかけていった。


「来た来たー! ついにバイオハザったわ! これで施設全体にこの細胞壁が広がり、外へと飛び出す。そして世界は終わるのね! なんて終末! これまでこの細胞壁に有効な攻撃手段はなかったわ。世界の終わり、それを私が発端にできるなんて研究者冥利につきるわね!」


 恐ろしいことを口にする倫だが、彼女の言う通り細胞壁が色の付いたドアを破り、研究施設内を浸蝕し始めた。施設内の壁や床、天井が細胞壁に侵されていく。

 倫は最後の最後まで足掻いてその様子を観察しようと四部屋から出て、上階監視部屋へと向かう。その途中に、弟を探す姉たちと出くわした。


「倫さん! 弟を見ませんでしたか?」


「見たわよ。実験中に細胞壁に飲み込まれたわ。彼はこの世界の終わりに貢献したのよ、誇りに思いなさい」


「細胞壁……? 下を飲み込んでいる、コレ……ですか?」


 姉たちのいる下の階を細胞壁が埋め始めている。その階の機材全てを飲み込んで、さらに広がろうとうごめいていた。


「そうコレよ。あなたは見た事があるはずよね、その時はどうやって消滅させたの?」


「え? 私が?」


「ええ、これは日本迷宮三百一階層を構成していた細胞壁。あなた達が三百階層を攻略し、次の階層へ行く前に自衛隊が先に三百一階層を調査したはずよ。その時のサンプルを培養したのよ」


 日本迷宮三百階層、そこには元々のラスボスであるアルファオメガがいた。それを倒した後、次の階層からは異世界である可能性が高いと思われた。三百一階層から上は迷宮が独自で作り上げていったからだ。

 その為に、姉弟よりも先に自衛隊が空気などのサンプルを取り、進めるかどうか調査していた。

 そして三百一階層から上は異世界神の体で構成されていたが、それを知るのは姉弟達と自衛隊を率いていた浅見、そして伊崎のみ。

 イサナの力により一気に五百階層まで突き破り異世界神を消滅させる。しかし、先に取っていたサンプルが消滅する事はなかった。

 それが不幸にも狂気の研究者、倫の下へと送られたのであった。


「そうすると、コレは……異世界神」


「ええっ!? ちっ、しまったぁ! そうとわかっていればもう少し研究して異世界神の復活を見る事ができたかもしれない! いいえ、いま正に復活しようとしているわね! フフフ、神を復活させた者として名を残すのね! それは邪神復活の儀式……ああ、そして世界は邪神に支配され混沌の様相を見せる。悪魔達が人間を狩り始め」


「倫さん! 弟は無事なんですか!?」


 妄想に入った倫を揺さぶりながら姉が問いただす。倫は妄想中のままだが、カグツチがそれに応えた。


『無事だ。今なら旦那様を感じられる。うむ、いま行くぞ。我とひとつになりこの窮地を救うのだ』


 そう言うと、カグツチの体が土色になりその場に倒れる。イサナがカグツチの抜けた土色人形を支え持ち、迷宮鞄へと収納した。


 細胞壁は下階を埋め付くさんとし、その勢いを止めない。通路ごとに分裂し研究室、倉庫、居住区と床や壁を己の細胞で包み込んでいく。

 警備体制のないこの研究施設は何も抵抗することができず、またその体制があったとしても人間の武器は通用しないだろう。



 弟は異世界神の細胞に包み込まれ、何とか脱出しようと足掻き続けていた。

 柔らかい細胞壁は身動きひとつ取れないという事はないが、固いゼリーの中を泳ぐように掻き分けながら進んで行く。


「生温かかくて、ぶよぶよしてて、気持ちわりぃっ! くっそーっ! リン姉絶対許さねぇ!」


『家畜がなにゆえ、我の中で遊んでおる』


「おわっ!? 誰?」


『待て……ふぅむ。そうか、我は人間によって復活したか。家畜の分際ながら褒めてやろう』


 サンプルはごく小さな欠片だった。異世界神とは知らず良かれと思った自衛隊調査員が海中都市迷宮に送り、成分分析を依頼した。

 日本迷宮に持ち込んだ調査機材では解析不明であり、その肉片のようなサンプルはこれまで見た事も聞いた事もなかった。

 そこで海中都市で研究助手をした事のある自衛隊調査員が、日本随一の研究施設であり、それを扱う人間も普通とは視点の違う者達である為に、ここならばと思いついたのであった。


 それを倫が受け取った事がこの事態の始まりである。

 小さな容器に入ったサンプルは、ありとあらゆる溶液や刺激に対し何の反応も見せなかった。しかし、何もせずとも時折反応を見せ少しずつ大きくなる様子を見せる。

 研究施設内全ての詳細な行動データと照らし合わせ、それは魚や動物の臨床実験を行っている時だと分かった。そして生物が死亡した時と同じ時刻だという事が更なる調査でわかる。

 生物が死亡した時に成長するサンプル。倫にとってはリアルなホラーだ。


 このサンプルが万が一逃げ出した時の為に、むしろ逃げ出して欲しいと思っていた倫は、観察しやすいよう壁や床を透明に変えさせ、脱出用潜水艇の配備を申請した。

 人的被害を少なくする為に、自ら望んで居座る研究者達を除き、施設から退去させた。

 これで準備は整った。次は人間に死んでもらおうかと不治の病に冒されている者や、死刑囚を寄越すよう申請を出している時に夫から来訪者の受け入れを頼まれる。


 それは願ってもない者達だった。日本迷宮を踏破した姉弟を含む一行。

 サンプルの事を知っているかもしれない、何らかの違う反応を見せるかもしれない。


 そして、サンプルが暴走してくれるかもしれない。


 その願いは叶う。今、正に暴走を始めたサンプル、異世界神細胞。

 倫が口にする世界の終焉、それは現実の物となってしまうかもしれない。



「お前、異世界神かよ! くそやべぇモノを実験してるぜ、リン姉!」


 細胞壁の中を思うように動けないながらも、少しずつ少しずつ進む弟。

 もがき続ける手に圧力がなくなった。手首から先だけ細胞壁の外へと出る。


 それを感知したカグツチが弟の体へと飛び込んで来た。


 “お前様よ。我は今までこれほど気が狂いそうになった事はない。お前様がおらぬ世界で我は生きる意味を見いだせぬ。我はもうお前様なしでは生きられぬのだ”


「それは、俺も同じだ! こいつを何とかするぞカグツチィッ!」


 “ククク、久方ぶりにお前様の愛の語らいを耳にしたぞ。うむ、愛の手帳ラブノートに記録しておこう”


「そんなのあるの!? マジやめて! それ姉ちゃん達に見せるなよ!」




 “さぁ、くぞお前様よ。うむ、二人の愛の力で此奴を倒すのだ”


「はずかしぃーっ!」

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