第118話 海中都市迷宮


 佐渡島と日本列島の間にある佐渡海峡。そこに海中都市迷宮がある。

 海の中で光り輝く迷宮はさながら竜宮城だ。

 都市と名付けられているが、ここは国交省と環境省の共同研究施設であり、場合によっては他の省庁からの研究課題を受け付ける。

 一般探索者は立ち入り禁止、迷宮省にも知らされていない極秘施設だ。

 という事はつまり、迷宮法の制約を受けない政府公認の自由裁量むほうちたい迷宮である。

 ここの責任者は牧田 倫(四十六歳)女性。国営迷宮経産省研究施設責任者の牧田教授の配偶者であり、二十歳の年の差夫婦だ。



 居住区画に二人部屋を割り当てられた姉弟達が朝を迎える。部屋は広いとは言えないビジネスホテルのツイン部屋なみだ。

 入る前はやはり壁が透明で丸見えだったが、入室すると色がつき始めプライベート空間が確保される。カーテンのない窓がひとつあり、その向こうには暗い海が広がっていた。


 ベッドが二つあるのだが、姉はイサナと同じベッドで寝ていた。

 しっかりと抱きしめられているイサナ。離さないよう眠る姉を、目が覚めたイサナが嬉しそうに微笑む。


「母様、朝だよー。起きてーおはよー」


 トントンと優しく背中をノックしながら言葉をかけるが、起きる気配はない。

 もうちょっとだけこの感覚を味わおうとそのぬくもりに目を閉じた。


 一方、弟とカグツチも二人部屋を割り当てられていた。

 ベッドが二つあるのだが、弟はカグツチと同じベッドで寝ていた。

 しっかりと縛られている弟。離れないよう眠るカグツチを、脱出しようと眠れなかった弟が憎々しげに睨む。


「カグツチ、もう朝だし。いい加減ほどいてくれ、逃げないから」


 ゲシゲシと足で蹴りを入れ言葉をかけるが、起きる気配はない。

 もうちょっとでも抵抗しようと蹴り続けた。



 四人は起き出してロビーに集まり、朝食とコーヒーを味わいながら談話を楽しむ。


「カグツチ、縛るのはやめろよ。眠れなかったし!」

「そんな趣味が……」

『おじちゃん……変態?』


「ちげぇし!」


『お前様が独り寝をしようとするからだ。うむ、昨晩の緊縛で何かに目覚めんかったか?』


「目覚めねぇし! 寝るときは一人がいいの!」


『ミクスでは同衾したというのに、なんとしたことだ。うむ、あの愛の語らいは忘れられぬ』


「おまっ! そういうこと言うなよ!」


 姉とイサナがジト目で見ていると、一人の女性が近づいてくる。倫だ。


「おはよう。ゆっくり休めた? 今日は施設を案内するわね」


「おはようございます」

『おはよー!』

『旦那様の体温を感じながら起きる朝は格別であった。うむ、良きかな良きかな』

「うるせーよ。リン姉はよーッス」



 じゃ、行くわよという倫の言葉に四人は席を立ち、後を付いていく。朝食の片付けは女性型魔物がしてくれる。研究者はとかく時間を惜しみがちで効率重視だ。自分で朝食を用意し、後片付けをする時間など勿体ないのである。


「はい、まずは倉庫。居住区画に一番近いここからね。普段ここに入る事はないけれど、クライマックスはここの機械を使って一発逆転ね」


「何の話だよ!」


「ほら、化け物に追い詰められた最後の一人。そこで彼女は倉庫にあるアームを動かして退治する。でも、安心しちゃダメ。ほっとしているとまだ死んでなかった化け物に後ろから襲われるからね」


「またホラーかよ! ねぇよ、そんな事!」


『母様、怖い』

「大丈夫、イサナは私が守る」


「イサナの方がこえーし! 姉ちゃんも死亡フラグ立てんじゃねぇよ」


 さて、次に行くわよと倫が歩き出す。時折掃除をしている魔物を見かける。迷宮内では掃除の必要はないのだが……。


「リン姉、なんで掃除させてんの? いらないよね?」


「フフフ、こうやって掃除をしている者が真っ先に襲われるのよ!」


「アー……その為だけに、ね?」



 一行は次の区画へ向けて進んでいくが、どこもかしこも壁は透明で、見上げると上階を歩く女性のスカートを覗けそうだ。


「やっぱ透明だと落ち着かねぇ」


「最初はちゃんと色つきの壁だったのよ。でも、それだと未知の生物が徘徊してたら発見できないでしょう? 私が変えさせたわ」


「趣味全開かよ! それでいいのか伊崎兄!」


 倫の足が止まり、説明を始める。トレーニングジムのような設備があるが、コンピュータやそれに接続されている機器が多く見られる。普通のジムではなさそうだ。


「ここは運動区画。人間も使えるけれど、未知の生物の運動能力調査ができるわ。ありとあらゆる測定機材を持ち込んであるのよ」


「そっちがメインかよ! もう突っ込み疲れるわ、この姉ちゃん」


「でも甘く見てると、その生物が測定器をはずして暴れ始め、研究員達を投げ飛ばしてしまう……あわてて抑制剤を打つけれど逆効果、そして巨大化してこの施設を破壊し始めるから注意が必要よ」

「……」


「あら? どうしたの? 君の突っ込みは気に入ってきた所なのに」

「……」


「何かに寄生されて変異の兆しかしら? これは調査が必要ね。人体実験用ラボに行きましょう」

「そんなラボもあんのかよ! こえぇよ!」


「フフフ、よしよし。そんな場所は、ない……わよ?」


「ある。この姉ちゃんなら密かに作ってる。やべぇ」



 次は研究区画。ここは通路から眺めるだけで中には入れてくれなかった。とは言え、なにをやっているのかは丸見えだ。巨大な魚を解剖している様子、ウミガメに餌付けしている研究員、人間を解剖し調べている光景が見受けられる。


「人間!? リ、リン姉? これ、まじやべぇ奴じゃ?」


「フフフ。見てしまったからには帰せないわね。そう! 進化した人類を造り出す事がこの研究施設の本当の目的! バイオハザっても悔いはないわ!」


「やべぇっ! 姉ちゃん逃げよう! これは洒落じゃすまねぇ」


「……ま、それは冗談で彼は現地人、元々死体だったのよ。それを回収してきてもらったわけ。地球人との違いを調査している所よ」


「ホントに冗談かわからねぇ」


「それは……倫理的に大丈夫なのですか?」


 姉が不安そうに問う。弟は博士ー! と叫び続け、イサナとカグツチは平気そうだ。神々には基本的に全てのモノに区別はない。魚の解剖がよくて人間がダメなど神にとってはおかしな話である。


「日本の法律は現地人には適用されないわ。それに遺族を探し出して了承を得ている。それなりのお金も渡してある。調査が終わったら、傷ひとつない体にしてお返しする。何がいけないのかしら? 私の名前の倫は倫理の倫ではないわ、破倫の倫よ! フフフフ!」


 倫理、人として守るべき道、道徳、モラル。

 破倫、人の守るべき道に背くこと。

  ――大辞林より抜粋


「ホラーとマッドの最悪の組み合わせだ、コレ」



「さて、これで案内は終わり。ロビーに戻りましょう」


「あれ? なぁリン姉、この奥のドアだけ色があるんだけど? 中が見えねぇ」


「そこを開けてしまったら本当に帰せなくなるわよ? フフフ。さ、戻りましょう」


 倫の怪しい笑いに顔を引きつらせ、弱々しく返事をして一行はロビーに戻る。

 あのドアは一体何だったのか。人間の解剖は見せられたが、それ以上の事があるのか。今はまだわからない。


 ロビーに戻り一息吐く。倫は研究の続きをするとその場を離れ、これからここで何をするかと四人で相談し始めた。


「なんかここやべぇんだけど? リン姉が一番やべぇ」


「でも、他に行くところがありません」


『イサナは母様と一緒なら何処でもいいよー!』


『我は旦那様と一緒なら何処でもいいぞー!』


「うるせーよ! ……ま、しばらくはここにいるかぁ」


「かと言って、する事がありません」


『母様、海底散歩しよー?』


「見つかったらリン姉に捕まって解剖されるぞ?」


『母様バリア使うもん!』


「それまだ存在してたのか。とにかく海底散歩はやめとけ。俺は部屋で寝る、ねみぃ」


 カグツチが後を追おうとするが、一人で寝るからと追い返される。

 ふぁあ、とあくびをひとつ。ベッドに入りすぐに弟は眠りについた。


 “一人の時に襲われる確率が九十パーセントを超えるのよ? 気を付けなさい”



 残された三人は海中都市迷宮内の探索に出掛けた。研究区画以外は何処でも入っていいわよ、という倫の言葉にいろいろな所を見て回る。

 倉庫区画の隣には脱出用潜水艇が二艇あった。倫の言う通り三人乗りのようだ。そして同じ場所に潜水服が数着おかれてあり、下部ハッチから海中へ出られるようになっている。

 潜水服は自動的に減圧症を防ぐ最新の物であるが、弟以外これを着る機会はないだろう。


 上階にはプールがあった。しかしこのプール大きい。縦百メートルはあろうかと思えるほどだ。ちょうど近くを通った男性研究者に尋ねる。


「ここはプール……だけど、プールじゃないよ。所長(倫)が、“海水浴をしてたら巨大サメに襲われる図”というのを再現したらしくてね。実際、中に巨大サメ魔物がいるから入っちゃダメだよ」


 そう言って、先を急いで行った。

 魔物と聞き姉の目が光るが、水中か……と一気にその勢いがしぼむ。


『ふうむ。どんな魔物か見てみよう。うむ、百聞は一見にしかず』


 カグツチがプールサイドに立ったまま、手をかざす。手の平を上に向け握り込むようにすると、水面がざわつき盛り上がってくる。ゆっくりと大きな物体が上がってきて水が流れ落ちる。そして巨大サメ魔物が全容を表した。サメ魔物は抵抗できずに、まるで全身拘束されているようだ。


『ほう、大きいな。口が我の二倍はありそうだ』

『おっきーい!』


 これ、倒してもいいのかな? と姉が双剣を出しそうになる。

 見られたことに満足したのか、カグツチはサメ魔物を解放し、うむと頷いた。


 それから施設を一周して満足した三人はそれぞれの部屋に戻る。

 姉とイサナが楽しげに話をしているところにカグツチが飛び込んで来た。



『旦那様がおらん! 我の感知にもかからんのだ。お前様何処へ行ったのだー!』




「カ、カグ……ツチ……ィ」

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