第102話 イングリス一級迷宮三
ゼディーテ、とある海上。
上空に陸地が突然現れ、ゆっくりと降下してくる。縦長の陸地で点々と島のような物が見える。
その陸の端には人々が集まり、皆が見下ろして着水を待っていた。
ザザーッ! という轟音と共に陸地が着水。
これだけ巨大な物が海に落ちてきたら相当な衝撃であるはずだが、陸地端に立つ人々にその衝撃は伝わっていない。
また、着水時に起きると予測された津波は、あらかじめ陸の形に張り巡らされていた津波防護ネットにより緩和されている。
降りてきた陸地は日本列島。
地球からこの星、ゼディーテへ伊崎の迷宮権限により移動してきた。
しばらくすると南と東にある小さな島々が本島の方へ移動してくる。
行き来しやすいよう、また防衛しやすいように本島近くまで移動させているのだ。
この星での日本は海に浮かぶ陸地。平時は迷宮アンカーで固定されており、いざとなればアンカーを抜き陸ごと移動できる。また、大陸プレート上に列島があるわけではない為に、火山を怖れる必要がなくなった。
迷宮アンカーは国交省と環境省の共同開発迷宮で、日本列島を支える迷宮として大陸プレートに刺さり固定される。海中都市研究の副産物だ。
また、迷宮アンカーは地震を感知し自動的に揺れを中和する。列島まるごと海中に沈め、海中列島とする事もできるがそれを見る機会はないだろう。多分。
日本列島から遠く離れている最初に設営した海上拠点はそのまま残っており、いまだに日本迷宮と通じている。つまり、本島と離れていても物資輸送・搬入は日本迷宮を通してできるという摩訶不思議な自体になっていた。
「総理、転移完了しました」
滝川が新総理、伊崎に報告する。
「おう、海上保安庁は?」
「予定通り巡視警戒の為、出航。海自も警戒態勢で待機。各県警がヘリにて異常がないか巡回。所轄警察署も巡回を厳としております」
「斥候を放て」
「斥候って……古。諜報部はすでに出ましたよ。待ちきれなかったようですね」
「そんなにゼディーテに興味があるのか。まぁ、気持ちはわかるか」
「陸自、海自、空自も出動要請が出ていますが、却下しておきました」
「見たかったろうに」
「ご姉弟一行から出国申請が出ていましたので許可しておきました」
「なにぃっ! くそ! 次は俺も一緒に行こうと思ってたのに!」
「総理がそんな事できるわけないじゃないですか」
「お前、“今後は誰でも総理は務まる”と言ってなかったか? 副総理がいるから大丈夫だろ」
「伊崎総理には各国へ挨拶に赴いていただきます。スケジュールは転送してあります。よかったですね、ゼディーテを見回れますよ。では、私はちょっと行ってきますのでよろしくお願いしますね」
「まてっ! こら! 何処へ行く! おい! 外へ行く気だろ、おい!」
制止も聞かず滝川はスキップでもしそうな足取りで執務室から出て行く。残された伊崎は悪態を吐きながらスケジュールを確認し、何だこの過密スケジュールは! と叫んでいた。
日本が転移し国民の半数は、俺の異世界無双物語が始まるぜと心躍らせていたが、現在は出国制限がかかっている。最初に接触したロックウッド王国とは戦争状態、他の国もまだどうなるかわからない為に、民間人が自由に出国できる日はまだまだ来そうにない。
調査研究の為に出国する有識者達は訪問できる土地が制限してあるが、諜報活動をする者と姉弟達はその限りではない。
その姉弟とイサナはフレイバーグ伯爵領で未踏破迷宮を手当たり次第に踏破していた。
フレイバーグ伯爵邸、応接室。
今日も迷宮を踏破してきた三人がソファーに座り寛いでいる。
フレイバーグ伯爵も同席し、ニコニコしながら冒険譚を聞いていた。
「でもさぁ、三級? も踏破してなかったってどういう事?」
「わざわざ島へ来て下さる探索者が少ないのです。王都から船で二日かけて来るよりも王都周辺の迷宮に入った方が効率がいいのでしょう」
「確かになぁ、移動してる二日の間に何階層か進めるもんな」
日本では特色を独自に打ち出し、管理者が集客努力をしていた。人気のある迷宮には遠くからも足を運んだ。交通網整備の違いももちろんあるだろうが、自治体でさえその地でしか見る事の出来ない迷宮、ドロップ品を用意していた。
人気の出ない迷宮は閉鎖し、またあらたな挑戦者が開設する。その繰り返しであったが、自由に迷宮を開設できないゼディーテでは地域格差が大きな問題となっていた。
「領内で生まれた子が探索者を目指すとしても、まず鍛えてくれる人がいません。独学にも限界がありますし、頭角をあらわした者は王都へ行ってしまいますね」
「日本では探索者自治会という組織が各地にあり講習会などを開いているのですが、こちらの探索組合はそういった活動はしていないのですか?」
「買い取りとパーティー斡旋だけですね。
「それでは組合は組合ではなく、ただの買い取り商人では」
「そう言われるとそうですね。探索者は何も疑問に持たず、探索者になりたかったら組合へ、というのがもう常識のように扱われてきましたが。……なるほど、自治会ですか。ニホンと交流が始まりますし、どうでしょう? 自治会を私の領地で立ち上げると言うのは」
「伊崎総理に伺ってみないとわかりません」
「確かにそうです。お伝え願えますか?」
「はい」
この事がきっかけで日本はフレイバーグ領とイングリス領に探索者自治会設置を目指して動き始める。
伊崎の目的の一つ、文化的侵略の足がかりになるはずだ。総人口に対して圧倒的に多い探索者から日本文化を伝えていけば自然に他の者達へも伝わるはずである。
また、民間人が自由に出国できるようになった際に、見慣れた自治会が街にあれば安心感があり、いざとなればそこに駆け込める場として役立つ。
探索者自治会設置は、
自治会では組合との業務がかぶらないよう、当初は買い取りとパーティー斡旋はせず、育成と探索グッズ販売、講習会、引退後の仕事斡旋などに努める。
これにより少しだけ死亡率低下に貢献できるはずだ。ただ、武器防具はまだ販売しない。
ゼディーテでは鍛冶師が打つ武器防具とドロップ品の武器防具の二種類があるが、どちらも日本には敵わない。鍛冶ではまず素材が違う。日本では迷宮素材を研究し組み合わせたり、成分抽出したりと昔から切磋琢磨している。ドロップ品は高階層の物が出回っており、低中階層ドロップがほとんどのゼディーテとは比較にならない。
ゼディーテの市場を守るためという名目で、日本製は控えるのである。
イングリス一級迷宮、百階層ボス部屋。
この迷宮ラスボスの青髪甲冑がバラバラに引き裂かれ、その破片が散らばっている。
そしてそこにバロウズとナアマの姿があり、神ルッソと対峙していた。
『やるねぇー。ここまでバラバラにしちゃうとはねぇー。しかしこんな短期間で二度も攻略されちゃうとはねぇー』
「お前がクソとかいう奴ですね?」
『あははー。挑発しても変わんないよ。ルッソだよー、君達は、ちょっと変わってるねぇー。人間じゃないのかなぁー。人外が来るの多いなぁー』
「ああ、少し前に入った娘ですね。ちなみに名詞ではなく肉親という意味の娘ですよ」
『あの子かぁー。弱かったねぇー、もうちょっとお父さんが鍛えてあげた方がいいよぉー』
「なるほど、助言ありがとうございます」
『君も弱そうだから大して鍛えてあげられないかなぁー。ボクが鍛えてあげようかぁー?』
「貴様! バロウズ様を弱いなどと!」
直情的なナアマがルッソの安い挑発に乗ってしまう。瞬速で飛び出し拳を振るうが全く当たらない。
ルッソは避けながら、この子はもっと弱いねぇーと更に煽る。
『そろそろ頭いじっちゃうねぇー、またがんばって家畜を集めてきてよ』
ルッソがナアマの頭に手を伸ばす。それを見たバロウズがナアマに、引きなさい! と叫んだ。
「素直に教えてはくれないでしょうから、少し私がなんたるかを教えてから聞きましょうか」
バロウズがそう言うと、その身体が上下左右粘液のように伸び始めルッソを包み込む。真っ黒な球体に包み込まれたルッソは、何も見えず何も聞こえない空間に押し込められた。
『魔物に近い存在かなぁー。よっと』
空間内で手を前に出すが何の感触もない。そこが狭いのかまたは果てしなく広いのか、神と自称するルッソにさえわからなかった。
『困ったなぁー、あれ? 困った? ボクが?』
もうルッソには上下左右の感覚がない。どれほどの時が経ったのか、己の手足が何処にあるのか、己が本当に存在しているのか、そんな事さえわからなくなっていく。
『そろそろ出してくれないかなぁー』
己が発する声が耳に届かない。声を出したのか、出すために口を開いたのか、目は開いているのか、己の体の制御ができているのか。
わからないわからないわからないわからない。
わからないこわいわからないおそろしいわからないだして。
何秒経ったのか、何年か、何億年なのか、突然光が溢れ包み込んでいたモノが消えていく。周りが見える。目が痛い。そこは百階層。
「さて、わかりましたか? 私とお前の違いが」
『な、な、な』
“こ、え、がでない。い、た、い、いた、い”
「声に出さずとも考えるだけでいいのですよ。もう私はお前を取り込んだのですから」
“な、に、を、し、た”
「調教、です。お前が私の質問に答えなければまた同じ事をしてあげます」
“ヒィッ”
「天界への行き方、お前達の数、答えてもらいましょうか」
“し、ら、ない”
「おや? 理解できませんか? 少し下を向いて見てください」
バロウズの言葉にルッソが下を覗き見る。
そこには手足がなかった。胴体さえなかった。自分が首だけの状態であると、
今、理解した。
“う、あ、あ、あ、あ”
「先の質問に答えなさい」
“し、ら、ない。ほ、んとうに、しら、ない”
「もう一度、調教が必要のようですね?」
“まっ、て、ほんとう、に、知らない。ボクは、ここに、落とされた、だけ”
“た、だ。ミ、リ、ソ、リードの、神が、しって、いるかも”
「ふうむ。本当に知らないようですね。ミリソリード、国でしょうか。わかりました、もう楽になってください。さようなら。ナアマ」
「はっ」
バロウズの声に反応しナアマが大きく口を開く、それは自分の頭よりも大きく開きルッソを飲み込んだ。
「んぐっ。ふぅ。バロウズ様、
「そうですね。あの娘は甘美でした。はぁ、もう食べさせてはくれないでしょうね」
「僭越ながらそれをやってしまうと、伊崎との親友関係にヒビが入るか、と」
「確かに! 助言ありがとうございます。さて、外に出て伊崎に連絡を入れますよ! 三日経ちましたしね!」
「はっ」
ミリソリード。日本が収集した情報によると山脈が連なる国である。
その情報を知らせたバロウズには伊崎から友情ポイントが二ポイント付与された。
ポイントが何に利用できるかわからない。
歓喜した伊崎がノリで言っただけである。
「バロウズ様、おそらく百ポイントで親友から心友へ昇格ではないでしょうか」
「なっ! 心の友。良い響きです。行きますよ、ナアマ!」
「はっ」
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