第91話 日本迷宮三


 日本迷宮、百階層。ボス部屋。

 目の前には広い湖がある。これまでのように灯りはないので全貌はわからないが、水面下はライトの光が届かず真っ暗だ。


 これまで先行する姉弟とイサナに怪我はない。しかし自衛隊に負傷者が三名出ている。

 原因は再ポップ時間の早い落とし穴の罠によるものだ。穴の深さは五メートル、落ちた先が小部屋になっており、そこにゴースト系の魔物が待ち構えていた。

 吉田さんの設計からマップと罠の変更はなかったが、順調に進んで来たので気の緩みが出たのであろう。

 すぐに遊撃部隊が救出に向かい骨折程度で済んだが、その三名は拠点待機となった。



「水面……」


 姉が湖を見ながら呟く。水泳特訓は受けたが、未だバタ足しかできない。


「水の中は真っ暗だなぁ。魔物いるだろうな、何体いるかわかんねぇなコレ」


「右足が沈む前に左足で水を蹴って」


「それもういいから。まじすげーけど、戦えないだろ?」


 姉の水面忍者走りは五十メートルプールで実証済みだ。しかし弟の言う通り戦闘はできない。


「イサナは泳げるのか?」


『わかんない!』


「そっかー、ちょっと岸辺近くでやってみろよ」


『うん!』


 トコトコと水面に向かって歩いて行くイサナ。

 岸辺からそのまま歩いて水に入って行く。入って行く。さらに入って行く。


「泳いでねぇし!」


 しばらくしてイサナがニコニコしながら戻ってきた。


『どうだった?』


「あーうん。あれは泳ぎじゃなくて、湖底散歩?」


『そっかー、結構深かったよ。何もなかった!』


 姉はイサナの行動にヒントを得たようだ。閃いたと言うように話しかける。


「私も湖底を歩いて行けばいいのです!」


『やったー! 母様とお散歩!』


 確かにこの二人? 一人と一柱は息をする必要がない。


「どれくらい深いかわかんねぇし、倒していかねぇと自衛隊の人達が困るだろ?」


「一度イサナと偵察に行ってきます」


『行こー! 行こー!』


 行ってらっしゃーいと見送る弟は、姉とイサナが出発してすぐに着替えを始める。

 宇宙服にも転用できる博士開発の水中戦闘用スーツ三型だ。肌にぴったりと張り付き全身タイツ姿で顔の部分だけが開いている。

 ダイビングフルフェイスマスクのような物をかぶり視界と空気を確保する。マスク部分に小さな機械があり、それが水と自分が吐いた二酸化炭素から空気を精製し息が出来るようになっている。

 であるので、岸辺でマスクをかぶったら息ができなくなるぞ、弟よ。


 げほっげほっ、と咽せながらマスクを外し、博士の罠かよ! と誰もいないのにツッコミを入れる。

 そして長丁場になりそうな予感がする弟はテントを張り始めた。とはいえ、これは探サポで販売している探索者用ワンタッチテント。二十センチ四方の箱を置いて上のボタンを押すだけ。そうすると箱が展開し二人寝そべる程度のテントができる。

 箱に戻す時はテントの頂点を抑えながら下に押していく。簡単便利値段もお手頃。

 商品名『姉弟テント』

 姉弟の版権を持つ探サポの公式商品である。


 一方、姉とイサナはどんどん進んで行く。戦闘時に困るので手を繋いではいないが、時折顔を見合わせて笑い合い、散歩を楽しんでいるようだ。

 湖底は下り坂になっており底が見えない。周りもライトを向けた時にだけしか様子を窺うことができない。

 生き物はいない。植物もない。埃も舞っていない。本当に水の中に居るのかわからないくらい澄み切っている。


 しばらく進むとライトに反射する物が確認出来た。

 ハンドサインでイサナに合図し、双剣を抜きゆっくりと近づく。

 白い楕円形の物体であると確認出来る位置まで来た。姉の腰ほどまである大きさだ。

 周りを確認するように見回すと、その物体が何十、何百と置かれている。


 そしてその物体の頂点からひびが入る。その罅の筋が下へ伸びていき二つに割れた。

 中には半魚人のような魔物。人間型の顔の頬にエラがあり水色の肌を持つ。


 これは卵だ。


 すぐに姉が反応しその魔物を両断する。が、他の卵にも罅が入り始め孵化しようとしている。

 ここで数百体の魔物と戦闘になる事は避けたい。戦えないわけでは無いが水中では地上よりも動きが鈍る。

 ハンドサインで撤退の合図をし急いで引き返す。その間にも卵から次々と孵化し始めている。そして孵化が終わった魔物が姉とイサナを追い始めた。

 その動きは速い。足だけを使って水を蹴るように移動してくる。

 追い付いてきた魔物を斬る。一体一体は弱いが数が多い。取り囲まれそうになりながらも横薙ぎに一閃の斬撃を入れ続け撤退する。

 魔物の攻撃は鋭い爪での切り裂きと噛みつきのようだ。歯が全て犬歯のように尖っている。

 魔物を斬り裂きながら姉とイサナは全速力で岸辺へと戻った。



「おかえりー。どうだった?」


 岸辺では弟が簡易コンロで肉を焼きながら食事をしていた。


「あ、姉ちゃん達の分もあるよ、食う?」


 その姿にがっくりと手足を地に着け力を落とす姉だった。


「魔物、来ます。準備して」


『いっぱい来るよー!』


「あ、そう? オッケー」


 もう一個と言いながら肉を口に入れ、立ち上がって『しゅ・月胱』を抜き構える弟。

 姉とイサナも双剣を構える。


 ザザーッという音と共に数百、いやもっと増えている、数千体もの魔物が姿を現し始めた。


「多すぎね?」


「クク、地上なら何万、何億来ようとも」


 姉の口元が上がる。水中での動きづらい戦闘(それでも上級探索者よりは動ける)にフラストレーションを抱えていた姉は全身から歓喜オーラを滲み出している。


『母様嬉しそう! イサナも頑張る!』


「はぁ、ここでやるんだったら水中スーツ着るんじゃなかったよ」


 全身タイツ弟の呟きと同時に姉が駆ける。

 斬る、斬る、斬り裂く。周りは魔物だらけであるので、狙わずとも振れば切っ先が当たる。魔物の姿が目に映っていないかのように、踊り斬る。


 姉の双剣『天剣・神斬(あまのつるぎ・かみきり)』『天剣・魔斬(あまのつるぎ・まきり)』には特別な性能はない。その切れ味が落ちないように、ただひたすら頑丈に打ったと細井さんは言う。

 神斬の刀身は白く、魔斬は黒い。だがその二振りは全く同一の素材から打たれている。なぜ色の違いが出たのかと問えば「わからん。が、こんな事がたまにある」と言われた。

 その銘に付けられた神と魔、白と黒、陽と陰。姉の右半身と左半身。

 陽極まれば陰に転じ、陰極まれば陽に転ずる。それは太極図のように混ざり合い、離れ、時に互いを飲み込もうとする力。

 一振りでは駄目だ。二振り揃って初めてその力を発揮できる姉の双剣。


 その双剣が鈍く光を帯びる。

 右手に持つ神斬、それは右半身の創造主と反応する。

 左手に持つ魔斬、それは左半身のマナ心臓と響き合う。


 姉しかその切れ味を発揮しない双剣、他の者が持ってもただの鉄の塊。

 それが数千の魔物に絶望と後悔を与えていく。


「これは俺が楽できるパターンだ」


『母様、すごい』


 自分の元へ魔物が来なくなった弟とイサナが立ちすくむ。ひたすら魔物を斬り続ける姉を見る。それは神にさえ感銘を与える。


「よし、イサナー。今日はバーベキューだ! 準備するぞー」


『はーい!』


 弟は魔物を姉に任せ、水中戦闘用スーツ三型を脱いで着替え、バーベキューの準備を始める。弟はわかっている。こんな時の姉のをしたら無言の圧力が来る事を。



「ほ、ほほう? な、なかなかやりますね……」


「はっ。しかし、バロウズ様ほどではないかと」


「パパの出番はないようです。次の階層を少し掃除しておきましょう」


「はっ。半分ほどにしますか?」


「全部やると怪しまれますからね。娘の為に人知れず助力するパパ、素晴らしい。まるで娘がやっているゲームのレベル上げをそっとやってあげているようではありませんか!」


「バロウズ様。それは人間によっては嫌がるかと」



 そして姉の動きが止まる。

 数千体もの魔物の姿は何処にもない。

 ふーっ、と息を吐き双剣を腰にさし戦闘終了とした。

 姉が振り返ると楽しそうにバーベキューをしている弟とイサナがいた。


「おー、姉ちゃん。焼けてるぜー」


『母様の為に準備してたの!』


 駆け寄るイサナの頭を撫で、弟の頭も撫でた。


「なんだよ、邪魔しないでありがとうって?」


 コクリと頷く姉にイサナは大きく笑った。



 ボス部屋が開放され自衛隊が入ってきて浅見隊長が声を掛ける。


「お疲れ様であります。ここはどんなボスでしたか?」


「すげー数の魔物だった。一万くらいいたんじゃねぇかな。姉ちゃんが一人で倒したよ」


「そ、それは……すごいとしか言いようがない。拝見したかったですなぁ」


「で、ここどうやって渡るの? ボートかなんか?」


「まずは測量ですな。この湖の対岸までどのくらいあるのか調査してから立案します」


 浅見隊長が指示を出し部隊が測量の準備を始める。機材を迷宮鞄から取り出し設置し始めた。


「お、なに? これドローン?」


「そうですな。UAVドローンで空中から撮影した物を点群データとして変換し距離を計ります」


「ここ真っ暗だけどできるの?」


「ええ、UAVから照明弾を打ち上げますので大丈夫であります」


 ドローンは迷宮内では使えない無線操作であるが、短距離で同一階層、障害物なしという条件付きならば回光通信という旧時代の方式で単純な操作指示を出すことができるようになった。

 回光通信とは、例で言えば船舶同士がサーチライト前のフタを開け閉めして、光が付いたり消えたりするのを読み取る事で行う通信である。

 無線の周波数帯全てで実験を重ねているが未だ通信は確立されていない。そこで原点に戻り、回光通信で命令を送る送受信機を作成したのであった。



「UAV離陸」

「UAV離陸します」


「照明弾発射」

「照明弾発射」


 湖が光に浮かび上がる。水面は静かでさざ波さえ立っていない。鏡のように真っ直ぐに平らで、浮かんでいるUAVと照明弾の光を映し出している。


「UAV上昇」

「UAV上昇します」


「撮影開始」

「撮影開始します」


「UAV帰投」

「UAV帰投します」


 UAVが戻ってきて解析が始まる。その結果はすぐに出た。


「いやぁ、失敗です。目標物が何もありませんので点群データにできません。ははは」


 一面水面しかなく鏡のように真っ平らの状態ではデータ処理できない。その為にアナログではあるが、巻き尺を延ばしながらボートに乗って対岸まで行くという方式に変更する。

 ゴムボートを展開しエンジンを取り付け、遊撃部隊の二人と測量班の二人が乗って水面に出て行った。

 途中、一キロごとに照明弾を上げる。上がらなかったら一キロもない湖だと言う事だ。


 そして照明弾が二つ上がり、しばらくしてボートが帰って来た。


「対岸まで二キロ弱。対岸に次の階層への階段を発見しております」


 浅見隊長が姉弟に報告する。姉は二キロくらいなら水面を走れるかな? と考えているが、弟は浅見隊長に、それでどうすんの? と聞いている。


「浮橋を使います。展開に三十分ほどかかりますのでゆっくりしていてください」


 この湖は風も流れもない為に浮橋の設置が簡単だ。迷宮鞄から架橋器材を出していき水面へ送り出していく。

 途中、弟とイサナが水辺できゃっきゃっと騒いでいたり、姉が水面を走る姿を目撃されたりしたが無事、橋を架け終わり渡る。一定距離ごとに照明灯が設置してあるので落ちることはないが、弟とイサナが落とし合いをして怒られていた。


 そして百一階層に到達。

 先行して姉弟とイサナが魔物掃討をする。その間、自衛隊は拠点設営に入る。

 が、魔物が何処にもいない。静かすぎる。

 結局、魔物を一体も見つけることができずに拠点設営場所へと戻った。




「バロウズ様。やりすぎたのでは?」


「娘のゲームレベル上げを手伝おうとしてついエンディングまで行ってしまった、という感じですね」


「その例え、気に入られたのですね」

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