第90話 日本迷宮二


 日本迷宮三十階層。第三拠点。

 スクラッチで五万円当たった時のように軽やかな足取りのイサナと、警戒しながら進む姉弟。そしてそれに続く自衛隊が第三拠点に到着。

 この迷宮にセーフティーゾーンは存在しないので、常に警戒が必要だ。

 拠点では防衛隊が巡回し、たまに襲ってくる魔物を数名で取り囲み倒している。


「はぁ、すげーココ。風呂もあるんだってよー」


「牧田教授グループ開発の、マナを燃料とした動力機関でお湯を沸かしております。どうぞゆっくり入浴してください」


 拠点防衛隊の人が弟の言葉に応えてくれ、入浴を勧めてくれた。


 喜んだ姉とイサナが我先にと風呂へ向かう。

 監視の付いていない風呂は久しぶりだ。ロマノフ邸の宴の件で伊崎に怒られて以来、全てに監視がついていたからだ。もちろん姉の監視には女性が付いたが、トイレにいつ行っているのかという謎を今も抱えたままである。


 その拠点の風呂は男女別で、大人数を捌くために五十人は入れる大浴場となっていた。

 シャワーが三十基、浴槽が二つ。普段はシャワーのみで浴槽に入れるのは週に一度、という決まりだ。

 今回は本隊到着と言う事で浴槽につかれるように手配してくれていた。


 体を洗い、イサナの髪と背中を洗ってあげ浴槽に浸かる。一緒に到着した隊員達も共にに入浴だ。


『ぷはぁー! 気持ちいいね、母様!』


「はい」


 イサナの喜びようにニコッと笑って答える。


『うむ。風呂はいいのう。檜だともっといいのじゃがのう』


 姉の隣から突然聞こえる声に顔を向ける。


『アメお婆様!』


「天之神様。いらしていたのですね」


 姿を現したのは天之神。一緒に浴槽に浸かり堪能している。


『様子見じゃ。この先、気を抜くでないぞ。ちと見て来たが神であろうと何であろうと魔物は襲って来おる。ここは魔王の命令も効かぬようじゃな』


「はい」


『イサナが頑張るから!』


『うむ。イサナがおれば安心じゃ、いい子じゃ』


 まずは生きる、それをゆめゆめ忘れるでないぞ、と言い残し姿を消して行かれた。


 直後、隣の男風呂で「アメ婆ちゃん! こっち来んじゃねぇよ!」と弟の叫ぶ声が上がった。



 日本迷宮、三十一階層。

 拠点でゆっくりと休息がとれ体調は万全、気力ハイオク満タン。

 ここからは先行拠点設営部隊もまだ入ったことがない階層だ。

 ここからが本番。階層は洞窟タイプで上下左右、土で出来ている。幅は三人並ぶのがようやくだ。当然ながら親切に灯りが付いている事などない。


 警戒しながら先行する姉弟とイサナに突然魔物が襲いかかる。


 それは地面。

 地面の全てが一体の魔物だった。それが包み込むように前後からせり上がってくる。横は壁で逃げ場が無い。

 しかもその両壁さえも魔物。天井も一体の魔物。四体の魔物が同時に襲って来たのだった。


「イサナは下! 私は左右!」


「んじゃ、俺は上なー」


 イサナの太刀『魂之叫美たましいのさけびちゃん』が閃光を放つように振られる。それは縦に一回転し、せり上がってきた前後の壁と下の地面を同時に斬り裂いた。


「イサナー。俺の分まで斬るんじゃねぇよ」


 したので天井の魔物も斬り裂いたのであった。それに文句を付ける弟。


『てへっ!』


「無理。俺にはソレ通じねぇ」


『ちっ』


「伏せて!」


 姉の言葉に弟とイサナはすぐ地に伏せる。

 双剣を持ち横に腕を伸ばしその場で一周する姉。イサナの縦回転と姉の横回転で、魔物は獲物に触れること無く倒れていった。ドロップ品はない。


「イサナと姉ちゃんがずっと回転しながら進めばいいんじゃね?」


 弟の阿呆な提案にパチンと後頭部を叩きながら、先に進みましょうと姉が促し進んで行く。



「なるほど。私が縦回転していきますので、ナアマ」


「はっ。横回転で斬り裂いていきます」


 弟の案を受け入れる隠れたパーティーがここにいた。



 姉弟とイサナの歩みは留まることを知らず続く。両親も通った道だと思えば力の入りようが違う。その一歩が確実に両親に近づいているのだ。

 魔物達の攻撃は苛烈。それに罠も加わる。

 気の抜けない迷宮に、これまでならばすでに疲弊しているであろう弟にその様子は見られない。月光塚の特訓……ではなく、ツクヨミ様との鍛錬と、根之堅州國でのカグツチ様との出会いによって弟は成長を遂げていた。


「カグツチィーッ!」


 弟が叫ぶと左手に炎の剣カグツチが出現する。神の御業を持ってしても癒やすことが出来ない傷を与える剣。その前に立ち塞がれる魔物は存在しなかった。


『叔父ちゃん、双剣お揃いだね!』


 ニコリと笑いながらイサナが魂之叫美ちゃんを見せながら言う。


「イサナ、あれは双剣ではありません。太刀だから二刀流というべきでしょう」


「そうだぜ、かっこいいだろ?」


『くふふ、叔父ちゃんにお似合い。両刀使い』


 言葉の後にハートが付きそうな物言いで、からかうようにイサナが言った。


「お前、いま別の意味で言っただろ! 違うからな!」


 “ほう? お前様はどちらもいけるクチであったか。うむ、我は構わんぞ”


「ぜってぇーちげーっ!」


 弟の心からの叫びが日本迷宮四十九階層に響いていた。


 カグツチ様が殺された経緯はイサナも識っている。ただそれはイサナが生まれた時に理が流れ込んできて識っただけの過去のもの済んだ事であるので、カグツチ様に対していらぬ偏見と忌避感はない。

 イサナのモノ見知りしない性格と怖い物知らずの無鉄砲さで、すぐに二柱は仲良しになり、たまに弟の隠し事をカグツチ様から聞き笑い合う場面が見られた。

 姉は、カグツチ様が弟の中に居る時には直接話す事が出来ないので、剣となった時に話す程度だ。

 その剣を弟から借り振っていると“旦那様より具合よく力を発揮できる。これは心離れであるか。うむ、離縁も念頭におかねば”と呟いていた。



 そして五十階層。ここから先、五十階層ごとにボス部屋がある、らしい。(伊崎調べ)

 階層に踏み入れると入り口が閉じられただの壁となった。ボスを倒すまで出られないようだ。


 肩に付けているサーチライト並みに明るい小型ライトを回し照らす。その部屋は広く天井が高い。

 目の前に何か巨大なモノがいる。

 ライトに反射した目が黄色く輝く。姿は竜。翼があり四つ足で地に足を着けこちらを睨むように見ている。

 それが二体。黒竜ダブルゼータだ。ホントの事だ。


 グルルル、と唸るように息を吐き首をもたげる。

 その口から火炎が漏れたかと思うと、凄まじい勢いで吐き出してきた。

 二体同時のドラゴンブレス。同じ動作で息が合っている。

 ブレスだけに。


「カグツチィーッ!」


 弟の左手に現れた炎の剣がそのブレスを吸収していく。


 “ぬるい。ぬるい炎であるな。旦那様のような熱き心でしか我を溶かす事はできんぞ。うむ、これは愛か”


「おまっ! 恥ずかしいこと言うんじゃねぇ!」


 剣になっているのでその言葉は姉にも聞こえている。その目はジト目だ。


『叔父ちゃん、攻撃の時に出すなと教わったんじゃないのー? 意味もなく奥さんの名前呼びたい新婚さん?』


「ちげーよ! コイツ神様だから呼ぶんじゃなくてお喚びするの! わかってて言ってるだろ!」


 “ククク、はにーむーんは何処に行こうかの。うむ、その前にイザナギに挨拶じゃな”


「嫌な事思い出させるんじゃねぇ! それより、行け! カグツチ!」


 “嫁使いの荒い旦那様だ。うむ、仕方ない。これから舅と姑に会わねば成らぬからな。ここを通らねばな”


 カグツチ様が吸収したドラゴンブレスを返す。さらなる炎をプラスして。


 グガアアアアアアアアッ!


 炎を攻撃技とするわりに炎に弱いようだ。カグツチ様の焼けぬモノはない炎のせいか。二体とも体が焼かれ溶け始める。


 “竜よ、得心がいったか? 旦那様の愛は熱いであろう?”


「なるべくカグツチ喚ばないようにしよ……」


 グスグスと溶けていく黒竜ダブルゼータ。消え去った後には何も残されていなかった。

 そして階層の前後が開き先に進めるようになる。

 しばらくそこで待つと自衛隊が追い付いてきた。隊長の浅見さんが声を掛ける。


「ここはやはりボス部屋でしたか。再ポップされると面倒ですので、拠点は次の五十一階層に設営しましょう」


 浅見隊長の後ろでは部隊が通信用ケーブルを引き始めている。階層の壁に沿わせその上から特殊樹脂で固める。壁の色と同じになるよう偽装し一目ではそこにケーブルがあるとはわからないようにした。


 戦略研究班が弟にどのように倒したのか聞き取りをしている中、姉が伊崎に報告を入れる。


「今、五十階層です。順調、だと思います」


≪おう、途中経過は浅見に聞いている。皆、無事か? 体調の変化などないか?≫


「はい。大丈夫、です」


≪今の所、吉田さんが設計したままの作りだな。この辺りは手を加えていないようだ≫


「はい。マップ通りに進められています」


≪生きる事を優先にな。生きていればやり直しは出来る。気負うなよ≫


「はい」


≪しかしそこのボスは黒竜が二体だったらしいな。健さんのニヤける顔が目に浮かぶぞ。強そうな魔物相手だと笑うからな、あの人≫


「ふふふ、そうですね」


≪そんな事も考えながら上れば楽しいだろう? 頼むぞ、引くときは引け。押せるときは一気に行け≫


「ふふ、父の言葉、ですね。わかりました」


≪おう、それではまたな。連絡を待つ≫


 伊崎が和まそうとしてくれた言葉にもう一度笑う。先の黒竜を父がどのように倒しただろうか、と想像しながら。




「バロウズ様。どうやら拠点設営は次の階層のようです」


「ふむ。それまで入浴はお預けですね。なんという物を日本人は文化として残してしまったのでしょうか」



 拠点ごとにこっそり風呂に入り、その虜となったバロウズとナアマは迷彩服を着て、自衛隊に紛れ込んでいた。

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