第89話 日本迷宮


 五月十八日昼過ぎ、全国民の願いを込め……られてはいないが(周知されていない為)、姉弟がこの日に日本迷宮へ入宮する。


 この日に入宮させる事を決めたのは験担ぎを大切にする伊崎だ。

 五月でメイ、迷宮のメイ。月は丸い、球体でキュウ。十八でトウハ、メイキュウトウハで、迷宮踏破である。


「つまんねぇダジャレー」


 何故その日にしたのかを伊崎が得意げに話すと弟が呆れたように言う。

 そこへイサナが、神視点で言うとねーとの言葉に続けて言った。


『そういうの大事みたい!』


「そうか! やはりそうだよな!」


 ほっとしたように伊崎がイサナに向かって笑いかける。


「じゃあ入宮時間はで午後一時三十七分なー」


 弟が伊崎とイサナを見ながら言い、午前だと眠いからなぁと続ける。


『やったぁー! イサナの時間! 叔父ちゃん大好き!』


 そう言って弟に抱きつく。弟は何かに耐えるように言葉を絞り出す。


「ぐっ。あ、あぶねぇ。魅了にかかるところだった。絶対騙されねぇ」


『……ちっ』


 一方姉は、思い立ったが吉日では!? 今すぐ入りましょうと立ち上がるが、弟に手刀で膝カックンをされてソファーに沈む。

 この日は入宮日が決まっただけの何でもない日であった。



 姉弟には政府から報酬として前金で億単位の額が支払われる。政府から探サポにも支払われ、会社から吉田さんと細井さんに特別賞与を出すと話をしたが、頑として受け取らなかった。

 姉弟はそのお金で島購入親子ローンを完済する。

 完済二日後、住宅ローンを完済した時に訪れた弁護士がやってきた。


「げっ。また親子ローンとか言うんじゃねぇよな!?」


「親子ローン完済時にこれをお二人に渡すようご両親から預かっておりました」


 弁護士がそう言って渡したのはメモリーカード。中にメッセージが入っているという。弟が、出たぁ! と叫んで触ろうともしないカードを姉がテレビにセットし再生した。


 そこにニコニコと笑いながら正面を向いている母親と真顔の父親の姿が映る。

 前回と同じ服なので二本撮りのようだ。


『おうっ、親子ローン完済よくやった。俺が迷宮から戻っていなかったらこれを渡してくれと言ってあるから、俺達はおそらく死んだんだな。もう俺達を待つな。借金完済で探索者としての腕も上がっただろう。相当頑張らないと返せない額だからな。これからはお前達はお前達の道を行け。何処でも行けるはずだ。お前達二人ならば何でも出来る。自由に生きろ』


「もう自由に生きてんだけどー?」


 ローンの話がでない事にほっとした様子の弟がテレビに向かってツッコミを入れる。

 そして母の七都が健を押しのけるように画面中央に映った。


『もう! 話が長い! 私にもしゃべらせてよう! 馬鹿息子はそんなこと言わなくても自由に生きてるわよ。はぁーい、元気? 二人とも良い人は出来たかなぁ? もう結婚して私はお婆ちゃんだったりしてー?』


「結婚してねぇけど、もうお婆ちゃんだよ。なぁ、イサナ?」


『お爺ちゃんとお婆ちゃん……母様と叔父ちゃんに似てるー!』


 イサナが食い入るようにテレビ画面を見ている。両親と兄弟の見比べもして楽しそうだ。


『困った事があったら泣き虫純ちゃん……なんて名前だっけ? あ、伊崎! 伊崎純之介ちゃんを頼りなさいねー。きっと力になってくれるわ。今は総理大臣だけどもう不信任案? 出されて辞めさせられちゃってるかもねー。いい人よ』


「まだなぜか現役だよ! ホントあれで総理大臣なんだからなぁ」


 弟が失礼なツッコミを入れ、画面は再び健が中心となる。


『あとはコレを持って来た弁護士に聞け。費用は前払いしてあるから再度請求が来たら怪しめよ、ははは! じゃあな!』


『元気でねー。島の管理頼むわよー。天之神様に怒られちゃうぞー』


「いつも俺だけ怒られてるよ!」


 そこでメッセージは終わる。真っ黒になった画面をしばらく眺めていた姉弟とイサナは弁護士に向き直る。


「ありがとう、ございました」


「ローンなくてよかった」


「ははは、それではいろいろと手続きがあります。まず、これはご両親の強い要望であることを心に留めておいてください。いいですか?」


 弁護士は姉弟達の顔を確認するようにひとりひとりしっかり見ていく。

 姉は頷きで了承し、弟はわかったと一言、イサナは手を挙げ、はーいと返事をした。


「ご自宅と島の名義ですが、ご姉弟の共同名義にというご希望です。よろしいですか?」


 二人は頷く。イサナはここでは関係ないことであるのでじっと次の言葉を待っていた。


「ご自宅は売却しても構わないそうです。しかし島は絶対に売却するなという強い要望、と言いますか命令だと言えと言付かっています」


「家も島も売りません」


「だな」


「では次に、落ち着いて聞いていただきたいのですが……迷宮失踪宣告をするようにとの事です」


 近親者が失踪してから七年たつと失踪宣告を裁判所に提出し、死亡したと見なす事ができる。迷宮内での場合は、迷宮法により二年間行方がわからないと迷宮失踪宣告を出すことができるのである。

 つまり迷宮に入って二年以上帰って来ない場合、死亡したと見なし葬儀を行う事が出来るという事だ。


「死んでいません!」


「そうだよ、生きてるよ」


「お気持ちはわかるのですが、申し上げた通りご本人様の強い要望です。もう数年戻られていないのです。受け入れましょう」


 両親が日本迷宮を踏破し生きている事をこの弁護士は知らない、知らせてはいけない。そのジレンマにどうしたらよいかわからずにいた。


『宣告をして、もし生きて戻ってきたらどうなるのー?』


 姉弟が何も言えない状況の中、イサナが弁護士に聞く。


「失踪宣告の取り消しが行われます」


 姉が弁護士に向かって、申し訳ありませんがとの言葉に続けて言う。


「少し、時間をください」


「はい。私はいつでも構いませんので連絡をください。事務的にお話をしていますが、私はご両親に大変お世話になりました。こうして生きてをしていられるのもご両親のおかげです。ですので迷宮失踪宣告を出すというのは非常に悔しい思いでいっぱいです。ご両親の強い要望という事でお伝えしましたが、私はまだお二人が生きていると信じています」


 弁護士はそう言って一礼し帰って行った。



 翌日、早速母の言葉通り伊崎を頼る。失踪宣告について相談するためだ。

 忙しい中、時間を割いて総理官邸応接室で面談に応じてくれた。


「ちわっす、泣き虫純ちゃん!」


「おまっ! それどこで!」


「母ちゃんの動画メッセージ。何かあったら泣き虫純ちゃんを頼れってさ-」


「そう、か。七都さん……こいつにだけは教えて欲しくなかった」


「あと、不信任案出されて総理辞めさせられてるだろうなーって言ってた」


「まだやってるよ! 会ったら文句言ってやる」


 三人とイサナでしばらく両親の話で盛り上がった後、先日訪れた弁護士が言っていた事について相談する。


「なるほどな。出した方がお前らの為だな。実際、踏破したのを知っているのはここにいる者だけだ。踏破してその先、おそらく異世界に行っているのだろうが、そこで生きているのかどうかわからん」


「生きています!」


「わかっている。きっと生きている、俺もそう思う。しかし、確認が取れないというのが現実だ。確認が取れない、つまり生きているかどうかわからないという場合の制度が迷宮失踪宣告だ。取りあえず出しとけ。生きて戻ってきたら取り消しは出来る」


 伊崎のアドバイスを貰った姉弟は渋々迷宮失踪宣告を出す。

 現在では弁護士立ち会いの下、オンラインで処理されすぐに受理、財産の相続もその場で行い名義変更を完了した。


 その二日後。


「俺と姉ちゃん宛に税務署から書類が来てんだけどー?」


「開けますね」


「何? どうした?」


 姉の顔がみるみる変化していく。そしてがっくりと肩を落とし、手に持っていた書類を落とす。

 弟が拾い上げその書類を読む。


「えーっと、相続……税? ナニコレ! 高くね!?」


 家と島を丸ごと所有したのだ。二人には相当な金額の相続税が待っていた。


「……億円。こ、国営行きましょう! しばらく籠もれば……」


「姉ちゃん日本迷宮入るの、明日だぜ」


「泣き虫純ちゃんの、ばかぁーっ!」


 迷宮失踪宣告を出していないと贈与となり、そちらの方が税金が高い。

 姉よ。伊崎のせいではないぞ。



 翌日、五月十八日午後。日本迷宮入宮式。

 日本迷宮前に入宮者達が結集している。

 姉弟とイサナ。自衛隊数百名。探サポ会社の皆(吉田さんと細井さんとダン調含む)、伊崎内閣総理大臣、滝川、博士、迷宮庁長官、そしてバロウズとナアマはこっそりついていくため陰から見守る。


 相続税は、自動更新の単年契約であった会社と複数年契約をして年俸で払った。数年分の固定資産税も預けてある。

 複数年契約には条件がひとつ追加された。それはエレーナから日本迷宮最上階に会社のロゴプレートを埋めてきなさい、という物だ。必ず最上階まで行きなさい、と言う激励の言葉である事を姉弟はわかっていた。



「こういう時、演説って決まり事なの?」


「しっ」


 整列した関係者の前に号令台が置かれマイクが設置してある。そこへ伊崎が登り皆を見回していた。


「行く本人がこんなのいらねぇって言ってんのにやるんだからなぁ」


「様式美でありますよ。弟殿」


 文句を言っている弟に浅見隊長が優しく声を掛ける。全ての部隊の指揮を執る浅見隊長の様子は普段通りだ。むしろリラックスしているように見える。


「なんか普通? だね。遠足にでも行く感じ?」


「はは、三十階層までは経路、拠点ともに確保しておりますので。しかしこれじゃいけませんな、身を引き締めていきましょう。……気を、つけーっ!」


 浅見隊長の号令がこだまする。ザッという音と共に自衛隊員が姿勢を正す。


「休め!」


 伊崎が頷いて確認し、話し始めた。


「死ぬな! 行って、帰って来い!」


 短い言葉に力を込める。その言葉が全てだ。死なず、最上階そして異世界へ行って、帰って来る。長々と言う必要は無い。もうすでに全員が何をすべきかわかっている。

 伊崎が敬礼をし、自衛隊員が答礼をして入宮式は終わる。


「ほんじゃー行くかぁ」


『ピッ、ピッ、ピッ、ピーン! 午後一時三十七分。イサナの時間をお知らせしまーす』


 イサナの言葉と共に全員が見守る中、姉が迷宮へ一歩踏み入れる。

 弟とイサナが続き、日本迷宮攻略が始まった。



 三十階層までは時折再ポップしている魔物を倒し順調に進む。この迷宮の魔物はとんでもなく強いが再ポップ時間は長い。しかしゲームのように下層階は弱い魔物で徐々に強くなっていく、という甘い設定ではなく一階層から入宮者を殺しにかかる。

 そういうで造られた迷宮だ。


 日本迷宮は異世界神へ魂を捧げる生贄の迷宮である。


 探索者が強くなればなるほど、上級探索者になるほどその魂は美味い、らしい。

 他の迷宮で鍛えた探索者を日本迷宮へ送り、魂を捧げるというのが異世界神が強要したシステムだ。

 細かい指定のある制約の中でその穴をつき、吉田さんは出来るだけ人死にのないよう設計したがそれでも帰ってくる者はいなかった。

 政府としては一定数の強い魂を捧げるという制約の下、異世界への入り口があると言う最上階踏破を心から願って万感の思いを込め送り出す。


 “決して生贄ではない。頼むぞ!”

 “今回こそ、今回こそ踏破してくれ!”


 歴代内閣総理大臣は心を痛めながら、入宮には必ず立ち合った。自分が殺す事になるかもしれない探索者に願いを込めて、すまんと詫びを入れながら。


 伊崎も同じ思いを何度も経験している。この人ならば! と毎回願う。

 特に姉弟の両親、健と七都を送り出すときにはその思いが強かった。

 この二人が踏破できなければ誰もできない、と思うほどに信じていた。

 そして二人は数年経っても帰って来なかった。伊崎の異世界神に対する憎しみはより募っていった。


 魔王となり健と七都が踏破していることを知った時には、その場で踊り出したいくらいに喜んだ。……滝川の目があったので自重したが。

 そして伊崎の目から見ても両親の力を超えている姉弟、その二人を見送る。



 二人が入宮した時、深く深く頭を下げ「頼む」とひと言呟いた。

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