第88話 世界大戦と迷宮


 伊崎がバロウズに異世界を文化的侵略すると宣言した日から数日。

 日本は武力侵攻を受けようとしていた。


 鎖国宣言直後、その宣言をまともに受け取った国は数カ国のみで、他の国々は「そうは言っても数カ国とは国交するのだろう?」と言うような捉え方をしていた。

 しかし外国籍来日者の強制送還、全ての国からの入国拒否と貿易停止、日本企業と各国大使館の撤退が相次いで実施され、信じなかった国々もこれは本気だと慌てだす。

 懇意にしている企業や議員などを通してへ矢のような問い合わせと宣言撤廃要請、それが叶わないのであれば我が国だけでも国交継続をと求める声が日に日に増していく。

 他国からのみならず当然のように国内企業、非営利団体、各自治体からも政府へ抗議行動が起きる。

 それでも日本政府は沈黙を保つ。

 一政党くらい鎖国反対を訴える党が出てもおかしくはないのだが、決して割れることの無い一枚岩となってその日に向けて行動を開始していた。


 やがて国内の抗議行動は徐々に治まることになる。それは世界最大の非営利団体『探索者自治会』が鎖国賛成の立場を表明し、現政府への支持を訴えたからである。

 現在、国民の七割もの人が探索者証を所持している。全土迷宮化に向け成人者がほぼ全員取得しており、その内の八割が自治会に加入しているのである。

 民主主義日本にとって数は戦力と同じだ。例え企業トップが反対と訴えても、従業員の八割が自治会に従い、賛成と言えばその答えを覆えさざるを得ない。

 これも迷宮の落とし穴か、探索者自治会は各企業の組合よりも力を持ってしまったのだ。


 国内では治まりつつある抗議活動だが、国外ではそうはいかない。

 嘆願、要請がやがて怒りへと変化し、世界大戦勃発の様相を見せてきた。

 何処かしらか漏れた日本全土迷宮化計画の前に、迷宮化していない都市を攻撃し占領しようとする国々が立ち上がったのだった。



「おい、バロウズ。お前、イギリスを扇動してたよな?」


 ホットラインで自治会会長室へと連絡を入れた伊崎が、脅すような低い声で問いかける。


≪ええ、それが?≫


「イギリス連邦を先頭にEU、中国らが宣戦布告してきたんだが?」


≪なるほど。フェイズ・ワン中止と言い渡すのを忘れていましたね≫


「おまえぇーっ! このクソ忙しい時に戦争なんかやってる暇ねぇんだ! なんとかしろ!」


≪まぁ、敗戦はわかっているのですが、その敗戦からの復興がフェイズ・ツーなのですよ、もうどうでもいいのですけれど≫


「よくねぇよっ! 人ごとのように言うんじゃねぇ!」


≪実際、人間がやる事など全てごとですけれどね≫


「戦争止めて来い!」


≪お前も元人間ならばわかるでしょう? 行き場の無い感情を人間が何処に向けるかなぞ。動き出したら止まりませんよ。そして日本以外の国でひとつの国として機能させる動きを水面下でやっているはずです。私の部下達は優秀ですから≫


「なっ! 待て……お前は日本を孤立させようとしていたのか?」


≪そうです。さらにフェイズ・スリーも動いていますよ≫


「そのスリーは何だ」


≪地球上全ての氷を溶かします≫


「あ、あほかっ! そんな事したら!」


≪ええ、海面が六十メートルほど上がりますね≫


「何がしたいんだ、お前は!」


≪日本を孤立させ、さらに海面上昇により日本人は内地へと追いやられる。そして人口過密となった日本は新天地、異世界への道を選択せざるを得ない。道が開けば私が乗り込んで破壊する、と完璧な作戦です≫


「そううまく行くかよ!」


≪それが駄目ならファイナル・フェイズですが?≫


「それは?」


≪地球を消す≫


「……ちっ。スケールが大きすぎて消した後どうなるかわからん」


≪そうでしょう? 私の作戦はスケールがでかい、つまり私は大きい。偉いのですよ≫


「……そうだな。フェイズ・ツーで行こう、それが日本が居なくなった地球にとっていいかもしれん」


≪ほほう? 私の作戦の素晴らしさがわかりましたか。さすがは友……人、です≫


「そこで照れるな。世界がひとつの国としてまとまるのは有史以来の夢だ。やり方はどうあれ誰もが夢見て、夢破れて来た。創造主サマが動いてくれるのならば余裕で出来るのだろう?」


≪当然です。なにしろ私の世界ですからね。人間を誘導するなど造作もないことです≫


 創造主サマを誘導するなど造作もない伊崎である。


「よし、じゃあ頼んだぞ。結集している軍隊は一度なぎ払わんとその作戦も進まない、か。今後の連絡は滝川とやってくれ。俺は俺で動く」


≪では、私の方はナアマを置いていきます≫



 作戦の中止を本当に忘れていたかどうかは定かでは無いが、実際問題としてその作戦は生きている。今もバロウズ配下の五十数名が世界中に散り遂行しようとしている。

 その五十数名は全員A級以上の傭兵探索者だ。以前、不思議の姉の迷宮で姉を取り囲んだ者達である。

 たった五十数名で世界が動くとは思えないが、鎖国宣言がその作戦に煽られ他国はその甘言、誘惑、脅迫に乗らざるを得なくなるほど先にある国家衰退が見えていた。


 バロウズと電話会談をしたその日、伊崎は早速動いた。

 防衛大臣に国土防衛と、集結している他国艦隊をできるだけ人的被害の出ないよう、しかし艦艇は二度と使えないよう排除する作戦立案を指示した。

 そして夜には元ロシア大統領イヴァンと会う約束を取り付ける。


「こんばんはイヴァン。迷宮はどうですか、入ってますか?」


「おう! 毎日入ってたらミツルに怒られてな! 迷宮内でマナを吸収するのだろう? それの固定に体を休ませる必要があるとは知らなかったぞ。今は三日入って二日休むサイクルだ。国営はあれ以来抽選が当たらん。だがいろいろな迷宮があって楽しいな!」


 伊崎が問いかけると、待ってましたとばかりに興奮気味にイヴァンが話し始める。


「そうですか、是非また一緒に行きましょう」


「楽しみにしているぞ! 今は忙しい身だろうからな、余裕が出来たらいつでも連絡してくれ」


「ええ、その忙しい事に関してお話があります」


「なんだ? 俺ができる事なら言ってくれ。力になるぞ」


「イヴァン、あなたは今もロシア政府に影響力があると思います。連絡を取っていただいてある根回しをしていただきたい」


「なんだ?」


 イヴァンは政治の話とわかると途端に真顔になる。十年近く世界一の国土を持つロシアを引っ張ってきた人物だ。現役を退いてまだそう日が経っていないのもあって、未だ大統領としての顔は健在だ。


「鎖国を行った後の世界平和の為です。イギリス連邦と同調してそこに加わるよう働きかけて欲しいのです」


「……お前、それはロシアという名を捨てろと言っているのだぞ。捨てた俺が言うべきではないが、祖国を愛する気持ちは変わらん。ましてや現国民が簡単に名を捨てられるものか!」


「鎖国後、正直言って他国はどうなろうとも構いません。その覚悟の上での鎖国宣言ですから。しかし、出来うるならば世界は平和であって欲しい。のうのうと日本だけが迷宮の恵みを享受して繁栄し続ける中、外では戦争が起きているなど気持ちのよいものではありません」


「戦争の気配があるのか?」


「はい。イギリス連邦、EU、中国から宣戦布告を受けました。当然我が国は跳ね返します。しかしその後が問題なのです。ある筋から入手した情報によると、イギリス連邦は敗戦を見越して動いています。敗戦後、世界をひとつにする為に」


「そう、か。それで日本に対抗するためにイギリス連邦が侵略戦争を起こすと言うのだな?」


「おそらくは。平和的に併合する国もあると思いますが、ロシアは……」


「立ち向かう、な」


「ロシアと同調しイギリス連邦に対抗する国は少ないでしょう。今、日本以外の国で一番力を持っているのはイギリス連邦ですし」


「おい、元ロシア大統領を前にはっきり言うじゃないか」


「こんな事でご機嫌取りなどしても意味がありませんので。イヴァン、ロシアが戦火に焼かれてもいいのですか?」


「わかった。イサキがロシアの心配をしてくれているのはよくわかった」


「では、ロシア政府への」


「俺はロシアへ、祖国へ戻るぞイサキ。我がロシアは向かってくる敵に背を向けん!」


「イヴァン!」


「俺はここ数ヶ月生まれて初めて自分の事を優先し楽しんだ。ああ、充分楽しませて貰った。手を尽くしてくれたイサキらには悪いが、やはり俺にはロシアを捨てられん。今の話を聞き、居ても立っても居られん! 祖国の危機に俺がいなくてどうする。イギリス連邦が世界をひとつにしようと言うのなら、ロシアがそれを阻止する!」


「イヴァン!」


「負け戦になると言うのだろう? だがな、今のロシアは大昔のような驕りはない。あの姉弟との模擬戦以降ロシア軍改革が始まった。それを見て大丈夫だと思ったから俺は日本へ来たのだ。しかし! しかしだ、世界中を敵に回し戦うなど……男の浪漫だろう?」


「イヴァン! 浪漫で国民を死なすのですか! それはあなたの我が儘だ! 国民と共に死ぬ道では無く、生き残る道を探すべきだ!」


「それは小国の考えだよ、イサキ。大国は負けるわけにはいかんのだ。大国は屈してはならんのだ。この思考はイサキが未だ小国を演じている日本の総理である限りわからん」


「それでも! 負けてロシアという国が無くなるよりはましでしょう! 併合したとしてもロシアの地が、その国民が、祖国がなくなるわけではない!」


「それが小国の考え方だと言っているのだ。いい加減その考え方は捨てろ。もはや日本は小国ではないのだぞ。アメリカも俺と同じ考えを持つはずだ。大国には大国の責任があるのだ。世界統一など夢のまた夢だ。ここでイサキが立って、日本が世界を統一すると宣言したならば数年後には達成できよう。それだけ力の差が歴然としているからだ。ロシアも超大国日本には屈してもよい。魅せられたからな。だがな、もしイギリス連邦がロシアとアメリカに勝ち、世界を統一できたとしても数年後には分裂しているぞ。ロシアの血を抑えきれるはずがないからな」


 話を続けるごとにイヴァンの顔が現役の顔に戻ってきた。もはやこの話し合いは首脳会談のようになってきている。


「……」


「イサキ、日本が立て。日本が世界をまとめろ。それが一番平和的に治まる唯一の方法だ」


「……それは、できません」


「なんだ? 出来ない理由がありそうだな? 俺にも言えない事か?」


「言えません」


 日本が世界統一をする。その考えがなかった訳ではない。

 だがこれ以上、異世界神に人間の魂を渡すわけにはいかない。毎年ただでさえ七千万人もの人が死亡している世界だ。全世界を統一し日本の領土とした場合、世界は迷宮を求めるだろう。その迷宮に入って死亡する人が何億人になるのか予測が付かない。

 それは異世界神を喜ばせるだけだ。


 国内では迷宮での死亡率を上げないよう武器防具技術の提供、初級者向け講習会の拡充、そして魔王として魔物にできるだけ殺すなという指示を出している。

 実は死亡率は更に下げられる。マナの研究によりそれが医療技術にも応用できる物がある。しかしそれは総理権限において未だ民間への技術提供はしていない。

 それも全て未来のためだ。

 異世界神にこちらの計画を悟られないよう一定の死亡者数を保ち、断腸の思いをしながらも死者の魂を送り出す。

 そしてその耐え忍ぶ思いは伊崎魔王としての能力覚醒を促しているのであった。



「そうか……ならば俺はやはりロシアへ戻る。すまんな、そしてありがとうイサキ。心から礼を言う」


「死ぬのがわかっていて!」


「イサキ! もういい、もう何も言うな。俺が死んでも魂はロシアの地へ眠る。未来永劫ロシアと共にその行く末を見守れる。さらば愛する友よ。残していく家族を頼む」


 その言葉を最後にイヴァンは席を立つ。振り返ること無く歩くその姿は戦士の後ろ姿だ。

 残ったイサキは何も出来ない己を呪う。



「うおおオオオーッ! 俺は! 俺は異世界神お前らを絶対に許さない! 殺す、殺す! 絶対に、だ!」



 イギリス連邦主導で始まった戦争は自衛隊によって退けられ一日と持たず終結する。

 しかしそれは世界大戦への序曲。

 イギリス連邦はフェイズ・ワンでは投入しなかった傭兵探索者をフェイズ・ツーで投入し侵略戦争を起こす。

 バロウズが込めた弾を人間が撃つ。それはもう止まらない。


 未だ空席だったロシア大統領の座にイヴァンが再び就任し、アメリカと連合を組み対抗する。

 大国の意地、プライドを賭けて。



 ……そして世界は統一される。

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