第82話 お見合い迷宮


 今日の姉は髪を結い上げ着物姿でいつもと違いしずしずと歩いている。

 初詣迷宮で着ていた藤と牡丹が刺繍された振り袖だ。イザナギ様との間に子供イサナが出来たが結婚はしていないのでセーフである。

 初めは小さな歩幅でしか歩けない着物に慣れずにいたが、この歩法は舞につながる! と気付いた時から、おしとやかに歩く姿は百合のようである。

 姉としては武術の一環であるが、周りから見れば着慣れている感満載で、男性はもちろん女性でさえも振り返り見とれるほどだ。


 一方、弟とイサナは同行していない。以上。



 ここはお見合い迷宮。

 日本庭園、高級レストラン、婚活パーティー会場など各種お見合いに特化しており、階層毎にその佇まいが異なる。

 魔物も仲居風、支配人風、司会者風と用途毎にその姿と話し方が変わる。

 迷宮であるので利用者は全員探索者だ。探索者は男女の出会いの場が極端に少ない。

 迷宮内では出会いどころか出会い頭に攻撃される場合がある。

 探索パーティーを組む為の募集は主に自治会を通してのものだが、その斡旋は各人の能力によるものとなり、上級探索者になるほど斡旋数が少なく、運良くパーティーを組めてもドロップ品分配の為にドライに接する事がほとんどである。


 そのような背景から開設された迷宮がこのお見合い迷宮である。

 姉は入宮手続きをし一階層へ案内の仲居魔物と共に下りる。広い階層の中はいくつかの区画に別れ、それぞれに日本庭園と趣のある日本家屋が建っていた。

 庭園を眺め侘び寂びを感じる姉……ではない。今は舞の為のステップ習得に夢中だ。


 建物に入り畳敷きの三十畳はある部屋に通された。

 障子が開放されて庭園がよく見える。小川の流れる音と優しい風に揺れる木々、時折やってくる鳥魔物の泣き声だけが響き、時間がゆっくり流れているかのような感覚になる。


「お待たせしました」


 すでに待っている人物、社長に声を掛けるとニコッと笑いながら、いいえそれほど待っておりませんよと返事がきた。


 お見合いの相手は姉弟が出向社員として所属する、探索サポート会社の社長。ロシア系美男子で銀髪緑眼、お金持ち、語学堪能、探索者として登録はしてあるがC級に留まり、積極的に踏破・ドロップ目的としての入宮はしていない。

 父親のニコライは元スポーツ用品メーカーCEOで、母親のエレーナは姉弟のマネージャーを務める。妹にエカテリーナ(愛称カーチャ)がおり、母エレーナの兄が元ロシア大統領イヴァンという婚活者にとって超優良物件だ。


 何故このような事になっているかと言えば、エレーナと弟の企み故である。

 日本迷宮へ入宮したら、もしかしたら命を落とすかもしれない、異世界へ踏み込んだら戻れないかもしれない、そしてもう二度と会えないかもしれないのだ。

 だというのに、一向に進展がない二人に周りはじれったい思いを我慢出来なかった。と言うより我慢する人物はいない。

 お互いに恋心があるのはわかっているが、騙し討ちで二人を会わせてもまた進展せずという状況は見えているので、ここは素直に今後の事を二人できちんと話してきなさい、と強く言い渡しこの場をセッティングしたのである。


 姉が社長の対面に正座し正面を見る。社長もその美しい緑色の瞳で姉を見つめる。

 着物姿に見蕩れているようだ。こんなにおしとやかに見える姉は初めて見る。初詣迷宮の時も着物であったが、その時はたすきを掛け膝から下を折り曲げ帯に突っ込み、ミニスカート状態で走れるようにしており、しとやかさとはほど遠かった。

 一拍おき社長が話し始める。


「アレクセイ・ロマノフです」


 それだけ言って頭を下げる。どうやら日本式お見合いをなぞる気のようだ。

 姉も答え、再び顔を見合わせる。

 社長、アレクセイは長く姉弟を仕事としてサポートしてきたがその気持ちは決してビジネスライクな物では無い。

 初めて二人が戦う姿を見た時にすでに心は奪われていた。一目惚れならぬ一戦惚れだ。

 美しい動きに、隙の無い連係に、その速さに、ドロップ品を眺める笑顔に、自分もその場に立ちたいと思ったが叶わなかった。

 そのようにありたいと強く願い、少しでも近くにいたいと想う憧憬から、いつの間にか姉に対して思慕が募っていった。


 一方、姉にとってアレクセイは自分達を宣伝材料にするスポンサー会社の子息であり、それ以上ではなかった。会社のロゴを背負って入宮し、出たくもないイベントに出席する。その対価として契約料を貰う、というあっさりとした考え方だった。

 しかし、探索サポート会社を設立した頃からその気持ちに変化が現れ始める。

 日本迷宮十階層を模した吉田脱サラ迷宮四階層で敗北し手首骨折、弟もひどい怪我を負い入院、その時本気で怒る様子と生きて戻ってきた安堵がアレクセイの瞳に滲み出ていた。

 その瞳に惹かれた。

 じわりと心を小指でくすぐるような感覚がその日から少しずつ大きくなっていった。


「趣味は……迷宮ですね、はは」


 アレクセイが自問自答し笑う。

 その笑顔が刺さる。痛くて見たくなくて……見ていたい。


「普段は何を……入宮ですね、はは」


 面白くなかったかと言いたげにアレクセイが顔を逸らす。

 照れた顔が可愛い。不得意な冗談も私の為、と思えば嬉しい。


「何かお聞きになりたいことはありますか?」


 社交の場でなら話題に事欠かせることのないアレクセイだが、仕事とは関係無しに特別な感情を持った相手と二人きりだと話が浮かんでこないようだ。

 しかしその質問はお見合いでは最悪だぞ、アレクセイ。


 姉は特に何も考えていなかったが咄嗟に思いついた事を言う。


「い、一番好きな迷宮は、何処ですか?」


 その質問もどうかと思う。


「はい。うちの会社の迷宮ですね。あの出来は素晴らしい。さすがはダン調さんです。初級から上級まで皆が満足して帰って行きます。私も入宮しましたが、低階層ではチュートリアルのような作りで少し上に行くと低階層で学んだことを実践出来る。本当に素晴らしい。おかげで評判が良くダンコミではずっと人気一番を保っています」


 姉弟が評価査定したスポンサー迷宮だ。登っていくタイプの全二百階層。ラスボスの黒竜ベータには恨みしかないが、弟はいい迷宮だと言っていた。

 しかしアレクセイ、その答え方は取材に来た記者向けではないか?


「そ、そうですか」


 なるほどと一言続けるが、姉には黒竜ベータ憎ししか印象に残っていない。

 日本迷宮へ入る前にリベンジしなければと心のトゥドゥリストに載せた。


「あなたが好きな迷宮は?」


「好きなのは島の聖域迷宮です。手応えが、いえ話にならないほど歯が立たなくて好きなのは裏迷宮、です」


「ああ、あなたの島に一度行ってみたいですね。御招待いただけませんか?」


 家に招待しろと言っているのと同じであるが二人は気付いていない。


「はい。……そのうち。聖域迷宮は男子禁制ですので入れませんけれど」


「なるほど、島の文化ですね。ところで裏迷宮というのは? 聞いた事がありませんが。あなたに歯が立たないと言わせる迷宮は気になりますね」


「A級になったらお教えします。低級は知っても多分入れてくれません」


「そう、ですか。楽しみが出来ました。その時はお願いします」


 話が途切れ、途端に静かになる。

 この静けさを気まずいなと思うか、いい雰囲気だなと思うかで相性がわかる。多分。


「失礼します」


 外から声が聞こえ戸が開く。仲居魔物がツツッと入ってきて、お庭の用意が出来ておりますと話す。

 庭の用意などしなくともそこに庭があるのだが、良い頃合いになるとこうして庭へと誘導し散策してもらおうという心遣いだ。互いの緊張をほぐす意味でもある。


「少し歩きましょう」


 アレクセイが立ち上がり、手を差し伸べる。姉はその手を取り二人で庭へ下りる。

 下りても手はそのままにゆっくりと歩き始めた。


 やはり姉はじっとしているより、少しでも動いた方が身も心も楽で、好きなようだ。

 しかし繋いでいる手は左手だ。利き手は預けない。姉に利き手はないが、右側はこれまで今は居ない魔物細胞が構成していて、意識せずとも右手を大事にしており預けたくはなかったのである。


「ああ、鳥がいますね。ほら、そこ」


 庭園の木に二羽の鳥がとまって奏でるように鳴いている。よくみると木も庭石も、水場さえ二個セットだ。カップルを表しているのだろう、少しあざとい。


「……ドロップ品なんだろう」


 姉の呟きに驚いたようにアレクセイが顔を見る。


「た、倒しちゃダメですからね! ホントやめましょうね」


「……はい」


 そんな事はもちろんわかってますよと言いたげに返事をする姉だが、鳥を見る目は探索者の目だ。途中で拾った小石を指弾で当てようとしていたが手に握り込んで隠した。


「ははは、本当に迷宮がお好きですね。私はそんなあなたに惹かれました」


「……」


 突然の告白に戸惑う姉。俯き、アレクセイの顔を見ることが出来ない。


「結婚を前提にお付き合いいただけませんか?」


「こ、子供が! 私には子供がいます」


「はい。もちろんイサナちゃん込みで話をしています」


「イサナの父が許すか……」


「まだ聞いた事はありませんでしたが、イサナちゃんの父親はどなたですか?」


 イサナを紹介したときに娘だとは言ってあるが、本当の娘である事とその父親の事は話をしていない。ただ預かって育てると言っただけだ。戸籍上にも父親のことは書かれておらず、養子となっている。


「そ、それは……」


「言いにくいことですか。しかし先ほどの返事次第で、一度はお会いしなければならないと思います。あらためて、私とお付き合いいただけませんか?」


「は、はい」


「よかった。ありがとうございます、ほっとしました」


 後日、イサナの父親と会うアレクセイは腰を抜かすほど驚くことになる。

 クリスチャンであるが他の神を否定しているわけではなく、日本史に興味を持ち日本神系譜の知識がある。そんな彼だが、まさか本当にあられるとは思ってもいなかったのだ。


 ボージェ、モイ。

(ロシア語、オーマイゴッドと同意)




 その頃の弟とイサナ。


『母様、うまくいってるかな!』


「お互い好きなのは間違いねぇんだけど、兄ちゃんがちゃんと言えるかだなぁ」


『もし結婚したらカーチャが叔母さん。あははは! カーチャ叔母さん!』


「晴れて俺はカーチャの兄ちゃんに戻れるわけだ」


『でも……』


 イサナが言い淀んで言葉を溜める。



『エレーナお婆ちゃん』


「お前、絶対言うなよ! ぶっとばされっぞ!」

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