第73話 薔薇は美しく散る迷宮


 議員会館、総理執務室(仮)

 伊崎が姉に日本迷宮の中に両親はいない、と告げた。

 姉は目を見張り、それから俯いて涙を落とし始めた。


「まて、泣くな。まだ早い、聞け。迷宮の記録というか記憶もわかるのだ。お二人は亡くなってなどいない。踏破している」


「踏破? 五百……」


「そうだ、五百階層を踏破している」


「すごい……すごい、すごいです! でも今何処に……日本の何処かに!?」


「いや、帰路の記憶はない。最上階に到達した後、異世界へ向かったと思う」


「異世界?」


「そうだ、そこが異世界の入り口だ。そして日本の未来を決める入り口でもある」


 姉は長考に入る。

 二人は生きている、しかし戻らずに異世界へ向かった。最上階に到達した時、更にその先が在るとわかれば両親のことだ。前に進むのは間違いない。

 おそらく自分が到達したとしても同じように前へ進むだろう。その先には何があるのか、何が待っているのか、異世界の半身を持つ自分にどんな影響があるのか、識りたい。


 イサナはじっと姉を待つ。考えを巡らす姉の顔を見るのがイサナは好きだ。


 そこにお茶を淹れて来た水着魔物が戻ってきた。お盆に急須と全員分の湯飲みがある。


『ニゴウさん、お帰りー!』


「まてまて、ニゴウではない。その名前はまずいだろう」


『ええー? じゃあ、なに?』


「ブ、ブルーだ」


『ブルーの水着だからブルー? ハァ』


「な、なんだ。呼びやすくわかりやすい、いいじゃないか!」


 イサナは呆れた目で伊崎を見る。言い訳をするように言う伊崎には内閣総理大臣としての威厳がかけらも見られなかった。


「伊崎様。わざわざ魔物にお茶を頼まずとも迷宮内では出すことが出来ます」


 イチゴウがそっと伊崎に告げる。

 ここは迷宮。管理者パッドで様々な物を出現させる事が出来る。

 そして伊崎はその迷宮を従属させている魔王である為、コストをかけずに出すことが出来る。


「お、そうか、そうなのか。いや、しかしこれは様式美と言ってな。やはり魔物とはいえ美女が淹れてくれた方がいいな、うむ」


「失礼致しました」


『水着だともっといいんだよね?』


「イサナはアレだな。突っ込みは弟くんに似ているが、もっと厳しい感じだな。いや違う。この感じは、ああ! 七都さんだ。そうだ七都さんにそっくりだ。優しいし、よくフォローしてくれるが、遠慮が無い。かと言って嫌がられるかと思えば、何故か皆に好かれる」


『お婆ちゃんかぁ。会いたいな』


「絶対、七都さんはイサナを気に入るだろう。もう離さないくらい可愛がりそうだ」


「お母さん……」


 母の名が出た途端に姉が反応し瞳が潤んでくる。しかし今はその両親の後を追う話をしたい。日本迷宮入宮許可は現在、伊崎総理のストップがかかっている。それを解除して貰えるのか、姉は意を決して尋ねる。


「伊崎総理。日本迷宮への入宮許可を出してください! お願いします!」


 ソファーから立ち頭を下げる。これで許可が出なかったら話し合いを力づくで……。


「おう、いいぞ。そこが本題だ。日本迷宮入宮を許可する」


「……ありがとう、ございます」


 少し拍子抜けではあるが、とにかく許可は出た。今すぐにでも入宮したいが、弟の鍛錬を待ち、博士や会社のサポートが必要になる。これから駆け回らなければ、と気合いを入れる姉である。


『イサナも行きまーす!』


「お、おう。神に探索者証って発行出来るのか? うーむ、国籍は日本になるだろうし」


『勝手に入れるけど、どうせなら母様と同じように入りたい!』

 ※姉がいればそこに降臨できる。島でも同じ扱い。


「すると出生届からか、ゼロ歳になるのか? ゼロ歳で探索者証取得は最年少記録だな」


 伊崎は人間の秘書官を呼び、知り合いの医師に出生届の用意を依頼するよう伝え、迷宮庁に探索者証発行を準備させろと指示する。秘書官がそれは公文書偽造にあたるのでは、と諫めるが伊崎が魔法の呪文を唱える。


「超法規的措置!」


 後に判明するが本来、神は探索者証の登録が出来ない。探索者証は各個人固有のマナを判別して登録する。マナを持たない神は探索者証を持つ事が出来ない。

 だがイサナは姉の構成を僅かながら引き継ぐ。微量ではあるがマナを持っている為、探索者証の取得が出来たのである。



「それでな、日本政府として頼みがある」

「はい」


「日本迷宮を何としてでも踏破してくれ。それを政府で全面的にバックアップする」

「はい」


「条件がある」

「はい」


「踏破は二年後以降だ。つまり、今から入宮したとしても二年経ってから最上階へ入って欲しい。二年後以降ならば何年経っても構わん。百年もかかると困るがな」


「何故、でしょうか」


「今は言えん。が、それが入宮許可とバックアップする条件だ」


『日本全土迷宮化に関係ありー?』


「まぁ、そうだ。ただそこまでだ。そこまでしか言えん」


「わかりました」


 それから大まかな話し合いをしていく。日本迷宮入宮となると相当な準備が必要となる。伊崎と姉だけの話し合いでは決めかねることが多い。ただ伊崎とイサナの正体、健と七都が踏破した事を弟以外には伏せることとした。

 政府全面バックアップを約束した伊崎は、迷宮庁で専用の部署を立ち上げ、博士と探索者サポート会社などを含めた会合を持つ事にする。


 そして一回目の会合。


 その場にカーチャが腕を組みイサナを睨み立つ姿があった。




 夜の食国よるのおすくに

 イザナギ様から夜を統治せよと命ぜられツクヨミ様がやってきた当初、そこは暗く夜しか訪れない国。

 穢れを嫌い美しい物を好むツクヨミ様は、まず全土を月の光で照らし様々な花で埋め尽くした。神力を使い月明かりで育つよう品種改良する事も忘れない。

 夜の住人に、ボロ小屋だった住まいを立派なやしろに立て直させ、月鏡を使って全土に目を配り統治に精を出していた。

 弟のスサノオ様とは違い真面目に精一杯働く姿にイザナギ様、イザナミ様は非常に満足していた。


 ある時、夜の住人である若い下男が、葦原中国(あしはらのなかつくに)へお使いに行った際に入手した『薔薇は美しく散る漫画』を目にする。

 その世界観に心を打たれ、さらに元々素養はあったのだが同じく下男が入手していた『ウインド&ツリーの詩の漫画』にドハマリしてしまう。

 それからは夜の食国を楽園エデンと改名し(未承認)、埋め尽くしていた花を薔薇で統一、やしろを宮殿風に建て替え、世話係を美男子で固めた。


 こうしてツクヨミ様の暴走が始まった。



 そんな薔薇の園、もとい夜の食国で鍛錬中の弟は……。


「コレ、着なきゃダメなの? どうしても?」


『月夜見のわざは生半可な覚悟では修得出来ませんよ。美しく、華麗で、魅せる動きが御業を発動させる条件のひとつです。さぁ、着替えてください』


 ツクヨミ様はそうおっしゃるが、ここの世話係が用意した服を不服そうに見ている弟。うそくせーと言いながらも今着ている服を脱ぎ始める。


『ハァハァ、フゥ!』

「ハァハァ」


 何故かツクヨミ様と世話係が息苦しそうにしている。

 これは危険! と察知し、用意された服を掴んでトイレへ駆け込み、そこで着替え始めた。尚、このトイレは弟の為だけに用意された。騎士はトイレに行かない、というのがツクヨミ様のポリシーで、この宮殿には弟が来るまでトイレは無かった。


 初めての衣装に戸惑いながらも装備し、出て来る。

 その姿はゆったりとした前開きの白いシャツから胸筋が覗き、足にぴったりとフィットした白いズボン、黒革のブーツ。そして金の刺繍が入った紺色の上着はまるで中世の騎士だ。


『ア、アンドレ』

「ふぉぉ、アンドレ様」


 ツクヨミ様と一緒に興奮しているこの世話係が、漫画を持ち込んだ全ての元凶だ。


「オスカ……ツクヨミ様、次はこの服をご用意致しました!」


 世話係が新たな服をどこからともなく持って来て見せる。神の御名を呼び間違えるなど普段は何と呼んでいるのか。


『素晴らしい! これは革命軍のアンドレ……なんという事だ。さぁ、アンドレ、次はこの服を着るのです』


「アンドレじゃねぇし! って、アンドレって誰だよ。いいから鍛錬始めてくれよ」


『すでに始まっているのです。次はここで着替えてください』

「さぁさぁ!」


 服を手に持ち迫り来る二人。いや、無理! マジ無理と必死に断る弟に、仕方ありませんこれは明日ですね、と引き下がっていく。


「毎日こんな格好かよ……」



 ツクヨミ様と弟、そして何故か世話係も一緒に宮殿から中庭へ移動する。

 中庭は噴水を中心とし、やはり薔薇の花壇で囲まれていた。


『月夜見は基本的に防御の御業。まずは自分の間合いを知る事が重要となります』


 先ほどとは打って変わってまと(失礼)な空気のツクヨミ様に、弟はなるほどと頷きながら心に刻んでいく。


『では、実戦で覚えていく形にしましょう。刻が迫っているようです。ピエール、あれを』


「はい。アンドレ様。これをおつけください」


 世話係はピエールと言う名のようだ。

 念の為もう一度特筆するが、ここは夜の食国。日本の神々がおわす場所の一つである。


 アンドレじゃねぇって、と言いながらもピエールから受け取った物を見る。それは鼻先から上だけを覆う金色のベネチアンマスク。最近、茶髪から黒髪にした弟によく映えそうだ。

 ただし、そのマスクの目は塞がれている。


「これ、見えねぇよ? 塞いであるし」


『そうです。まずは何も見えない状態で間合いを掴むのです』


「いや、無理じゃね? 何かの達人でもねぇし」


『何を言うのです! アンドレは盲目になりながらも戦い続けたのですよ! 無理ではありません!』

「アンドレ様ぁー!」


 だから誰だよ! と突っ込む弟にツクヨミ様は金色のぐしをかき上げ真面目な表情を見せる。



『本当にこれは真面な鍛錬です。神に誓いますよ』


 そう言って、十字を切り手を握り込むツクヨミ様。


「ソレいいの? アメ婆ちゃんに怒られそう」


 いいのです! と言い切るツクヨミ様ではあるが、天之神様ら神々はすでにツクヨミ様の奇行を諦めている。

 そしてどうやら本当にこれが鍛錬の始まりのようだ。そのマスクを付け、佇む。


『気配を読むのです。何かが触れそうになったら避けるように』


 何も見えず、ただ噴水の音だけが耳に入る。何かが手に触れる。次は腰、肩、背中。

 同時にきゃっきゃっとはしゃぐ声が聞こえる。


「オス……ツクヨミ様。これはさわり放題、デスネ!」

『しーっ! 静かに堪能しなさい』


 心の中で舌打ちする弟だが、これも鍛錬だと我慢し気配を読むことに集中する。

 元々、風神シナツヒコ様が御力をお貸しくださるほどの才能を持つ弟だ。この鍛錬は迷宮内の魔物の気配を感じ、攻撃を仕掛ける事に近い。

 シナツヒコ様の御力は弟自身の力を引き上げてもくださり、その御力をお借りしなくともある程度の気配は読めるようになっていた。


「ツクヨミ様! おさわり出来なくなってきました!」

『ちょっと想定外ですね。もう少し騙くらかし……鍛錬が必要かと思っていましたが』


 弟の鍛錬は続く。はやくここを出たいという強い思いが、鍛錬による御業の修得に拍車をかける。


『いいでしょう。明日は予定を変更してこの衣装を着てやります』


 赤ら顔のピエールから渡された服は、布面積の少ない黒いブーメランパンツ。


『薔薇の蔓に絡まれ身動き出来ないアンドレ……ハァハァ』

「ツクヨミ様、しかもほぼ全裸デスヨ! これはもう本にするしか!」




「この世に神はいないのかよ……」

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