第72話 議員会館迷宮


 裏迷宮、天之神が舞っていた頃。

 姉はその舞に魅了されていた。荘厳な空気と楽と美しく儚い舞。

 足運び、指の動き、蜃気楼のようにおぼろに浮きそして回る。一本一本の髪の動きにさえ心を奪われた。


 仕舞い。


 魔物細胞がその動きを記憶していく。その情報量はイザナギ様から伝授された『天沼矛あめのぬぼこ・森羅』とは比べものにならないほど多い。

 舞いたい。

 その思いに応えようと、記憶する細胞と動きをシミュレートする細胞が悲鳴を上げる。

 シャットダウンしそうな細胞のためにシミュレート速度を落とす。百分の一、千分の一、万分の一にまで落としても処理が追い付かない。

 人の動きを止め、エミュレートしていた細胞達を処理に回す。


 ああ、なんという寂しげな舞。


 移ろう四季、流れる小川、舞い散る木の葉、漂う雲、優しく照らす月。


 これぞ神のわざ。神にのみ許された舞。



 細胞がシミュレートした舞はただの模倣。それは舞の中の真髄を見極めていない動き。

 何千回も動きのトレースをしても同じ物にはならない、なり得ない。


 突然、細胞達が離れていく。少しずつ消えて行ってしまう。

 新しい主を見つけたかのように体から流れ出る。


 “あなた達が居なくなっては完成させる事が出来ない。ああ、何故”


 離れる細胞を追いかけたいがその術がない。

 消えゆく細胞を再生したいがその力がない。

 これまで共に生きてきた物、歩いてきた証、それが全て無に還ろうとしている。

 追いかけたい。力が欲しい。私は私で在りたい。



≪母様のしている事を今は手伝えないけれど、きっといつか一緒に出来るから≫


 “イサナ……うん、きっといつか……”



『後は私達が引き継ぎましょう』

『可愛い我が子、愛しい我が子、全ての敵から守りましょう』

『君に待ち受ける全ての敵を撃ち払おう』


 ワタシと三体のモノが混ざり合う。

 それは進化。全ての根源となるモノとの一体化。

 そして神化。数百億年もの記憶と記録を持ったモノとの融合。

 異世界の左半身と現世界の右半身を持つ、新化。


 ゆっくりと姉が目覚める。



 そして時間軸は戻り、議員会館総理執務室(仮)

 ローテーブルを挟みソファーに向かい合わせに伊崎と姉、イサナが座っている。

 伊崎は怪訝そうな顔つきだが、姉は無表情、そして腹黒イサナはニコニコしてかわいい女の子を演出している。


「で? その子は?」


『こんにちは! 魔王。私はイサナ! 母様の娘です!』


「魔王? 母様? 娘? なんだ、わからん。ちゃんと説明しろ」


「私の娘です。つい先日、生まれました。神です」


「はぁ!? ますますわからん!」


 いつもこの姉弟は言葉が足りん、とこぼす伊崎にイサナが割って入った。



『イサナが説明する! まず、あなたは魔王。ここまではいい?』


「いや、よくない。どうして俺が魔王なんだ。その称号はお嬢の為に作った物だろう」


『あなたは自ら人間のくさびをはずし、マナを集め魔王となった。本物の魔王。どうしてそうなったのかは異世界のことわりだからわからない。あなたは視野が広くなり、物事の理解度が深まった』


「……うむ」


『魔王として自覚すればもっと異世界の理を理解できるはず。これ以上はイサナにはわからない』


「そう、か。再会した時にお嬢とその子が人間ではない事はわかった。こんな感覚初めてだ。怖い。二人ががとてつもなく、怖いのだ。なぜだ」


『イサナは神。神の祖に近い父様と、人間では無い母様から生まれた。人間の不浄の血は一切無い。純粋な限りなく祖に近い神。だからイサナを畏れている』


「敬えばいいのか?」


『あなたの自由』


「父様、とは誰なんだ? 降臨されているのか?」


『神の御名は会えた者だけが知る。父様は高天原にいる』


「そうか、お嬢一人で育てるのか?」


 伊崎が姉の方を向いて言う。怖れてはいても心配している様子だ。

 それに姉は頷きで応えた。


「神にあるのかわからんが養育費は貰えるのか? シングルマザーは大変だろう。娘が神だと子供手当も出せん。む? 学校はどうするのだ。いや、住民登録出来るのか? そもそも日本人なのか? あ、日本じんか、ハハハ」


 最初の質問の後は、独り言のように呟いて考え込む。そして慣れない駄洒落に一人落ち込む。

 伊崎は面倒見のいい親分肌で、例えそれが神であろうと区別などしなかった。そんな様子を見てイサナは姉を見ながらニッコリと微笑む。いい魔王だね、とでも言うように。


「イサナ……様の事はわかった。で、お嬢は何なのだ?」


『イサナはイサナでいいよ!』


 そうか、とイサナを見て頷く伊崎に姉が答える。


「私は私です。他の何物でも無い、唯一無二の存在。父、たけると母、七都なつの人間の子として生まれましたが、半異半現(半分異世界、半分現世界)、伊崎総理に近い存在です」


 全ての根源のモノと融合した姉はかつて無かった存在となっている。現世界(ここで言う世界とは地球の事では無く、全宇宙を含めたこの次元)の理を知り、異世界のモノを持つ奇異な存在である。


「よくわからん。が、お嬢はお嬢。そうだな?」


「はい」


「弟もそうなのか? 今日はあいつはどうした」


『おじちゃんは人間だよ。今は薔薇の園で修行してる。何の修行だろう、うふふ』


「おじ……そうか、叔父になるのか。薔薇? 何処かで鍛錬中か」


「伊崎総理。それで日本迷宮ですが」


「おう、何故か各迷宮の事が把握出来てな。日本の鎖国宣言、知っているな?」


「知りません。しばらくスリープモード、いえ眠りについていましたので」


『魔王は全迷宮と魔物を従属させた、ってお婆ちゃんが言ってたよ。だから解るんじゃないかな』


「魔王ってすごいな。それは少しおいといて、鎖国宣言というのはだな」


 伊崎が姉に鎖国について説明する。なぜそうするのか経緯は省き二年後に発動し、同時に全土を迷宮化させる。余談としてイヴァン元大統領とニコライ、エレーナ、エカテリーナ(カーチャ)、エリザベータ(エレーナの姉、ロシア駐日大使)から日本国籍取得の申請があった事を教えた。


「そうですか、カーチャも。ふふ」


『母様、カーチャ大好きだからよかったね!』


 イサナにはカーチャの事を説明せずとも解っている。当然、社長にほんのり恋心がある事も。


「申請が通るかどうかはわからん。厳しい審査にするからな。しかし発表してから申請が万単位で来ている。今回は各地方法務局に任せられる物ではないしな、法務省に直接やらせているが四交代二十四時間体制でやっても追い付かん」


『魔物使えばいいよ!』


「んん? どういう事だ?」


『魔王なんだから魔物は無条件で言う事を聞くよ。審査業務は難しいかもしれないけど簡単な作業は任せられるんじゃないかな』


 家事、接客などいろいろな作業をプラグインで使役出来る魔物だ。魔王ならばプラグインプログラムなどなくてもおのずから手伝ってくれるのである。


「おお! 魔王でよかった! ありがとうイサナ」


 ニコッと笑うイサナ。そして小声で姉に伝える。


『魔王の方が効力強いけれど、母様もの魔物に指示出来るからね。カーチャ達を許可の方に紛れ込ませれば……うふふ』


 眼を見開き驚く姉は思わずイサナを抱きしめる。イサナは嬉しそうだ。

 姉は、薩摩鹿児島のまおう。例えそれがただの愛称だとしても、まおうであると宣言し周知しているのだ。本来の魔王に力は及ばないが、単純な指示ならば魔物を使役出来る。その魔物をイサナによって法務省へ移動させれば。

 ……イサナは詐欺とまんの神なの、か?



「これが上手く行けば作業が捗る。いい機会だ。少し本題の前に魔王に出来る事を教えてくれないか?」


『それはイサナにもわからないよ。異世界の事だもん。でも自分でなんとなくわかるんじゃないかな。神もそう言うモノだし』


「ふむ、魔物来い!」


 力を試そうと伊崎が魔物を喚ぶ。議員会館は防犯目的で迷宮化している為にそれが可能だ。

 すると一体、また一体と次々と現れ、執務室がどんどん魔物で埋まっていく。


「うお! 多すぎだ! そうか、数を指定しなかったせいか。魔物消えろ!」


『あはは! それは人間で言えば、佐藤さん集会で佐藤さんと呼びかけるような物だよ』


「なるほど、わかりやすい。何を指定するか、うむ。頭が良く魔物の事を教えられ秘書となり得る人間型の魔物、一体来い!」


 迷宮には最初からその迷宮に居着く魔物と、あらたに管理者パッドで造る魔物がいる。

 伊崎が喚んだのは後者。スーツを装備した男性型四十代ほどに見える魔物が伊崎の横に出現した。


「魔王様、お喚びにより参上致しました」


 伊崎が魔物の事を教えられる、と指定した為にこの魔物は言葉を話せる。そして秘書となり得る、との条件で魔物成分控えめである。


「まず魔王と呼ぶのはやめろ。伊崎でいい」


「はっ。伊崎様」


「魔物を喚ぶのに指定している時間が惜しい。何かないか、こう魔物セット的な」


「はっ。伊崎様が言葉にせずとも思い描くだけで結構で御座います」


「ほう、思うだけでいいのか、ふむ」


 伊崎は早速試してみるようだ。目を瞑り考え込む。

 そして先ほどの魔物とは反対側にその魔物が出現した。

 人間の女性型魔物でブルーのビキニ姿だ。


 姉とイサナがじぃーっと伊崎総理を蔑むように見る。


「俺は日々忙しいんだよ! 頭と目の保養が必要なんだよ!」


 伊崎は当然のご褒美だと言わんばかりに悪びれもせず堂々としている。


「おい、水着魔物。茶を入れて来い」


 ビキニ姿の魔物はその言葉に頷いて部屋を出て行った。言葉は話せないようだ。


「もう少し優しく言ってあげて下さい。それから名前、付けてあげた方がいいのではないでしょうか」


 伊崎のあまりの物言いに姉が言及する。


「う、うむ。そうだな。秘書魔物、お前はイチゴウだ」


「ネーミングセンス……」


『じゃあ、水着魔物はニゴウさん! あははは!』


「い、いや。そう言う意味とは……ち、違うぞ! そう言う事で喚んだのではないぞ!」


『そういう事って何だろう、ね? 母様』


 姉は伊崎をじっと睨む。その視線に耐えきれずに顔を逸らす伊崎。ホントに違うのだ、と言いながら。



「魔王様ですから、そう言うのも許されるのでしょうね! 伊崎総理、本題に入りましょう」


 姉の強い口調を聞いて引き気味になりながらも、総理としての威厳を保たんと居住まいを正す。


「お、おう。日本迷宮だが、現在五百階層ある。三百階層までは迷宮庁が中心となって作製した。しかし、よかれと思ってやったのだろうが宗川さんのプログラミングにより、迷宮が自動でメンテナンスを始めた。さらに三百階層から上を勝手に造り始めてしまった」


「はい。吉田さんから伺いました」


「ああ、今は吉田か。魔王となったせいか、各迷宮を把握出来るようになった。その迷宮を思い浮かべると自然に迷宮の状態を認識出来るのだ」


「はい」




「日本迷宮、全五百階層の中に健さんと七都さんは居ない」

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