第67話 裏迷宮五


 引き続き裏迷宮最上階百階層。

 くふふと笑いながら天之神が玉座からのそりと立ち上がる。

 島で弟にスカートめくりをされたからか、それとも戦闘をするためか今日の天之神は白いホットパンツを装備していた。

 白いスポーツシューズに黒いニーソックスを着用し、上部装備はタイフロントの青いシャツ。ホットパンツとの間に見せるヘソ出しがポイントのようだ。


『いつもは無手じゃがのう。お前の成長具合を確かめる為、特別に同じ条件でやってやろうぞ』


 姉の方にゆっくりと歩きながら両の手の平を握り込む。その手が光ったかと思えば、両手に双剣が現れた。


「おお? アメ婆ちゃんそれ手品?」


『阿呆。究極神じゃ、これくらい出来るわ』


「自分で究極とか言うのって恥ずかしくないの?」


『人間、ならのう。妾にはそう言える力があるのじゃ』


 天之神の言葉にツクヨミ様はぶんぶんと首を縦に振り、カミムスヒ様は確かにねーと肯定する。


 一方姉は双剣を抜き構えている。今にも縮歩で近づき、斬撃を繰り出したい気持ちを抑え込み、今から始まる戦闘シミュレーションに集中していた。

 自分より絶対的に上位の存在。全力を出し切っても受け止めてくれる妙な安心感。そしてそれを一撃でも届かせる、という願いに近い決意と覚悟。

 その、恋情とも言える思いにマナ心臓と魔物細胞が応えて行く。


 脈打つ心臓が全身に濃厚なマナを行き渡らせる。魔物細胞達は歓喜に震え赤く染まっていく。身体がほのかに光り始め、溢れ出したマナがうっすらと霧のように体内から噴き出してきた。



 赤く染まった瞳には獲物しか映っていない。

 髪は逆立ち紅蓮の炎を沸き立たせ、一切のモノを焼き尽くす。

 すでに着衣は炎に消滅し、噴きだしたマナに包まれ何者の一撃も通すことはない。

 手に持つ双剣には焔が纏い、意志を持ったかのように揺れ動く。


 そして口は裂け紅いマナを垂れ流し、喜びに醜く笑い歪めていた。



『待ちきれんようじゃな。お前の“全力”受け止めてやろう』


「ここまでの姉ちゃん初めて見たわ。すっげー気合い入ってるな」


『いやいや、月光の君よ。気合い入ってるで済む状態かい? 人間捨ててるようだよ』


『母様は人間じゃないしねー!』


『どちらかと言えば、あたしらと対角の存在に近いかもねぇ』



 モノが一歩近づく度に姉を纏うマナが濃く噴きだしてくる。

 もう周りの雑音は耳に入ってこない。目の前のモノにだけ集中し斬り裂く事のみ考える。


 間合いに入ってきた!

 両手が同時に動く。いや動くという表現では追い付かない。動きが見えず始点から終点へ瞬間移動したかの如く、刹那の時をもかけずに振るわれていた。

 人間の目で追うのは無理だが、神の目で視るとそれは美しい舞となっていた。


 舞曲神技『細井双剣・森羅』


 “全力”の姉と舞曲神技の組み合わせだ。攻撃を弾く音が遅れて聞こえてくる。

 その音は激しい戦闘曲であり、子守歌でもある。


 天之神は攻撃を弾き捌いていた。避けられない、のだ。

 日本最高位、至高究極神、別天津神ことあまつかみ第一神、そして日本最初の神、始原の神である天之御中主神あめのみなかぬしのかみ

 その力を持ってしても避けることは叶わない、と判断したのであった。


 姉の舞曲は続く続く、続く。一手たりとも力の抜けた斬撃はない。底知れぬエネルギーの供給と、疲れを知らぬ身体と、何千億手先までもシミュレートする魔物細胞とが組み合わさり、ほんの少しずつ天之神を後退させる。


 “ここまで、とはな。スサノオは超えるか、イザナギにはちと足らぬか”


『あららー? アメちゃんが下がってるよ、びっくりだねー』


おや様が……』


『母様がんばれー!』


「ねぇ、長くなりそうだしコーラとか出せない?」


『人間、君はのんきだねー。あたし達には驚愕の事態なのにさー』


 そう言いつつも椅子とテーブルと、それぞれに飲み物を出してあげるカミムスヒ様。

 優しい。


「ま、何がどうなってんのか俺には見えないしね。待つしかねぇよ」


『ふふ、よしよし。強がっているのも人間の良いところだという事にしてあげよー。グラスを持つ手が震えてるしー』


 闇御津羽神くらみつはのかみに回復してもらって復活した弟が、これはむーちゃん喚んだ疲れ! と言いながら姉の方を見る。

 直接見ることは出来ないが、それでも音の来る方を頼りに顔を向け祈りを込めていた。



 流れてくる舞曲が変わった。これは歓喜の曲だ。

 姉は全身で喜びを表現している。口元を歪めながら、その口からマナを垂れ流しながら、全身全霊を受け止めてくれるモノに感謝しながら。


 天之神は異常なほど濃いマナに躊躇していた。姉の構造はわかっていたがここまでのマナを造り出せるのか、これほど濃いマナが存在出来るのか……。

 くびきが解かれたあの頃、自らマナを取り込み解析したが、このようなモノではないはずである。

 究極神と言ったがわからん事があるとはな、と自嘲する。


『じゃが全柱が注目している中、余裕で勝たねばなるまい』



 天之神が前に出る。

 次は妾の番であるぞ、と姉の目を見る。姉は体術をも駆使して挑んでいるが、天之神は双剣のみで捌く。

 双剣を振るう度に姉が纏っているマナを削っていく。

 姉の右回し蹴りが光の尾を残しながら空気を裂き向かってくる。それを回し受けで止めた後、反対の手に持った剣で切り裂く。


 その瞬間は弟にも見えた。姉の右足、膝から先が斬り裂かれ切断されるのを。

 そして斬り裂かれ身体から離れた右足は消滅していく。


「姉、ちゃん!」


 姉の追撃はそれでも止まらない。しかしまた、左腕が斬り裂かれるのを見てしまう。

 思わず席を立ち椅子が転がる。助けに入ろうと右足に力を入れた瞬間、カミムスヒ様に肩を押さえられ止められる。


『人間が行っても何もできないよ。むしろ邪魔になるだけ』


 その目は優しく諫めるような慈母の目をしていた。


『人間や神ならあたしが治癒出来るんだけど、あのは……無理かな』


 カミムスヒ様の呟きに顔を向ける。弟のその瞳は少し潤んでいた。



 右足と左手を失った姉は、それでも一撃を入れる事に魔物細胞をより活性化させ考える。 今出来る事、この状態で成せる事、それだけに集中する。

 斬られた部分から血は出ていない。もはや“血を出す”というエミュレートをする余裕など無い。人間の様を真似るという処理スレッドは無い。


『痛み、怖れを感じないモノというのはやっかいじゃのう。心理的攻撃は効かぬからのう。これ以上来るならば、妾がかんなぎと言えど消滅させるしかあるまい』


「アメ婆ちゃん! 試練だろ! これはただの試練だろ! 頼むからやめてくれよ! 頼むよ! ……頼む」


『母様!!』


 弟とイサナの叫びも姉には届かない。音さえも遮断して立ち向かっているのだ。


『クソガキめ、姉よりやっかいな事を。しかし頼まれてしまってはのう。ふふふ、心から願い、奉られて断っては神にあるまじき行為じゃのう』


 天之神は嬉しそうに、笑った。


 天之神に後光が差す。その手から双剣が消え、一振りの神剣が現れる。三種の神器の天叢雲剣ではない。その神剣は天之神だけが持ち、人間には伝わっていない。

 誰からもその銘を付けられる事なく、付ける必要もない為にただ『天之御中主之剣あめのみなかぬしのつるぎ』と神々の間で呼ばれる。


『仕舞いじゃ。心に焼き付けよ』


 天之神の周りに荘厳な気配が流れる。あしがスッとその気配に乗る。

 それに合わせてしょうひちりきの音が聞こえて来た。

 いつの間にか、じん装束の神産巣日神かみむすひのかみともう一柱の神が天之神の後ろに控え奏でていた。

 天之神も装束を変え、舞い始める。


 その舞に目をやらぬ者は存在せぬ。

 その舞に魅了されぬ者の存在を赦さぬ。

 それは仕舞い。終わりの舞。

 何者も動きを止め、混ざり合い、全てはひとつなのだという事を知る。

 全ての起源を知らしめさせられる。


 姉も例外では無い。

 動きが止まり、思考が止まり、また思考が始まる。

 そして舞に魅了される。


 赤く染まった瞳に舞が映り、ゆっくりと染まりが消える。

 逆立った紅蓮の髪は下り、黒一色になっていく。

 包んでいたマナは消え去り、もう身体を纏う物は無い。

 右手に持った刀をその場に落とし、その刀が動き出すことは無くなる。

 醜く歪んでいた口は、無邪気を取り戻し舞の動きに合わせて歓喜を口にする。



 天之神の動きがゆっくりと時間をかけ、止まる。

 楽の音も合わせて小さくなっていく。


 仕舞い。



 パチパチパチパチ!


 わぁー! という喜び声に皆が再起動する。イサナの拍手と思わず出た声だ。


『涙が止まらない、よー!』


「な、なんだ今の……すげーと言うか、何て言えば良いのか、ああもう! 俺じゃ言葉にできねぇ!」


『ふふふ、人間。無理に言葉にしなくともいいのだよー!』


『そうだぞ人間。私のしょうの音に魅了されたのだからな』


『いや、あたしのひちりきでしょー!』


「てか、一柱いつの間にか増えてるけど、誰?」


『私は高御産巣日たかみむすび。造化三神が第二神、である』


「ほえー、ゾーカ三神が揃ったの? むーちゃんより偉いんだ?」


『あたしの方が偉いんだぞ!』


『何を言うカミムスヒよ。第二神の方が偉いに決まっているだろう』


「はぁ、それはどっちでもいいや。んで、第二神様は……男? 女?」


 天之神の仕舞いと同時に降りて来られたのは高御産巣日神たかみむすびのかみであられた。

 中性的な顔立ちで男性神とも女性神とも区別が付かず、見た目ではわからない。


『それは人間次第、と言っておこう。どちらでもいいのだよ』


「はぁ……ま、いいや! で、さっきの何?」


『ちゃんと見ておったか、クソガキ。妾の舞を』


「うん、ちょっと表現する言葉が出ない。うーん、あああ! なんかもどかしい! とにかくすげー! そりゃあもうすげー! アメ婆ちゃんすげーわ!」


『うむ、よいよい。お前の心でわかるわ』


「姉ちゃんは?」


『そこで横たわっておる。気が抜けたというか、今は内に籠もっている状態じゃな。自分では立てもせんじゃろう、おぶってやれ』


 弟が姉に近づく。地面に横たわり放心しているような表情だ。目は開いているが何も見えていないように感じる。何も纏っておらず裸だ。


「姉ちゃん、姉ちゃん! おーい!」


 ペチペチと頬を叩くが反応が無い。しょうがねぇ、と言いつつ姉を背負って天之神の元に行く。


「これ、どうしちゃったの? 治る? 手と足はこのまま?」


『妾らではどうする事もできん。島の聖域へ連れて行くしかないのう』


「島かぁ。内緒でここに来ちゃったしな、移動が面倒だなぁ」


 弟がチラチラと天之神を見ながら言う。


『クソガキめ。仕様が無い、妾が連れて行ってやる』


 天之神は最初からそのつもりではあったが、弟を理由にして島へ連れて行くことを了承してくださった。他の者はその茶番に苦笑いだ。


「とりあえず裏迷宮踏破っと! これでまたひとつ探索者証に踏破記録が載せられるぜ」


『載らんぞ』


「は? なんで? さっきのは無効? てか、負け扱い?」


『いや、ここは妾ら神々が造ったモノだからのう。人間の迷宮とは違う。魔物もマナも無いじゃろう?』


「は? どういう事?」


『人間の言う迷宮は、異世界の技術を使って造り上げるモノじゃ。ここは妾らが土を盛り上げ中に階層を造り固めたモノじゃからのう』


「はぁー……そうなんだ。手作りだったのか、それじゃただの洞窟と同じかよ」


『まぁ、そうじゃな。じゃが、ここまで来れた褒美はそのうちやるとしよう』


「いつ? 何月何日? ちゃんと決めて!」


『神の約束じゃ、クソガキが生きている間にはやるわい』


「ちっ。約束破んなよ!」


『お前は……ちょっとは言葉の方でも敬え』


『あははは! ホントにこの人間は面白いねー!』


『そんな月光の君が眩しい』



 それから天之神に連れられ、とは言っても一瞬での移動であるが、姉弟とイサナは島へ向かった。



 裏迷宮を探索している中、世界は動いていた。

 イギリス、中国、EUの各国が国連脱退を表明していたのである。

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