第68話 伊崎魔王と迷宮


 日本、総理官邸。

 伊崎総理が各国の国連脱退表明を耳にして悪態を吐いていた。


「ああ、クソッ! 俺の代になっていろんな事が起きすぎる! これはあの姉弟のせいだ。絶対そうに決まっている!」


 その通りである。

 怒りを抑えず当たり散らしている総理の元に、申し訳なさげに秘書官が近づき話しかける。


「そ、総理。国連事務総長からお電話が入っております」


「ちっ、やはり来たか。繋げ!」



≪伊崎首相、ご無沙汰ですな≫


「はい。お久しぶりです」


≪聞きましたかな?≫


「イギリスなどの脱退の件ですね」


≪意志は硬いようですな。説得を試みましたが、話を聞いて貰えません≫


「そうですか」


≪日本はどう、ですかな?≫


「どう、とは?」


≪追従するのか、という意味ですな≫


「そのような事、検討した事さえありません。ご安心を」


≪そうですか、ありがたいことです。しかし、困りましたな。脱退を表明している国々が皆、口を揃えて日本が国連を牛耳っており、もはや国連ではなく日本連合だ、などと言われておりましてな≫


「馬鹿な事を、そんな事あり得ないでしょう」


≪まぁ、多大な分担金を出していただいている日本の意見を優先している事は確かですからな。しかし今回の事態は非常に困りますなぁ、このままでは運営に支障がでますしなぁ≫


 今や世界で一人勝ちの日本。孤立を避けるためにここ十数年、どの機関へもかなり多くの資金を拠出していた。

 それは他国が出す拠出金より圧倒的に多く、各機関はその資金ありきの運営に慣れてしまっていた。日本が拠出金を減らす、もしくは出さないとなると運営が立ち行かなくなり、最悪は組織解体にまで追い込まれてしまう。

 その事から日本の意見は最優先で受け入れているのであった。

 当然、日本に敵対心を持つ国は面白くない。いくつかの国は機関脱退をしていったが、その度に抜けた分の資金を負担して、更に日本の声を優先せざるを得なくなっていった。


「それで? 抜けた分の負担ですか?」


≪負担という言い方は正しくないですな。加盟国において各国の経済力からの算出ですから、もしイギリスなどが脱退した場合には加盟国の分担金が少しずつ上がるという話ですよ≫


「同じ事ではないですか。日本は構いませんよ。何なら減った分は全て日本で持ちましょう」


 伊崎総理は苛立っていた。イギリスなどが脱退した後の平和維持活動の話ではなく、まず金の話をしてきたからだ。


「しかし、事務総長。常任理事国を含む脱退表明ですが、それが実現された場合、国連を維持する意味があるのでしょうか」


≪は? いま何と?≫


「国連憲章を今一度読み返すべきです。これほどの国々が抜けるとなると、国連の存在意義が問われるという事ですよ」


≪このような事態になったのも日本が原因ではないですかな!≫


 事務総長が若造に諭されたとばかりに激昂する。事務総長も日本に媚びへつらうのに疑問を感じていたのだ。

 現在の国連は体面だけ取り繕い中身はスカスカの状態だ。紛争が起こると国連軍が鎮圧に入るのだが、その軍のほとんどが日本の自衛隊で構成されている。

 そのおかげで国連軍が来ると圧倒的武力の差で鎮圧されるのは目に見えている。

 行くぞ? と牽制するだけで紛争が収まることが多い。


 日本の自衛隊は今や核兵器よりも強力な抑止力となっていた。


 その事もあり資金面も武力面も日本を頼らざるを得ない国連は、日本連合と揶揄されているのであった。


「確かに、我が国が原因の面もあるでしょう。しかしこのままでは本当に日本連合になってしまいます。どうかもう一度イギリス各国の説得をお願いします。日本は日本連合もしくは世界警察になる事を望んではいません」


≪先ほどは失礼しました。わかりました、電話では埒が開かないので直接出向きましょう。では、首相。またお目にかかれる日を楽しみしています≫


「はい、失礼致します」


 電話を切った後、一度舌打ちをしてから外務大臣と外務事務次官を呼び出すよう手配する。


「どいつもこいつも金を出せ、人を出せ、食料提供だ技術供与だ迷宮だのと!!」


 立ち上がって怒りに任せ机を殴りつける。机にこぶし大の穴が開き、ミシミシと音を立てながら二つに割れていった。


「鹿児島独立の件もだ! クソッ! アレのせいで各県が祭りでも始まるかのようにそわそわしてやがる! そのせいで一手遅れたぞコノヤロウ」


 伊崎総理は本当の意味での日本独立を画策していた。今では形骸化し維持費を負担し続けているアメリカ軍完全撤退の下準備をしており、その他にも経済と外交的にも準備を進めていた。

 また、編入を望む各国の対応と日本を敵視する国への外交にも追われて非常に忙しい毎日を送っていた。

 そこへ鹿児島独立という話が持ち上がり、その他の県でも検討に入ったという情報に振り回され、探索者自治会からの突き上げを喰らい、総理執務室で寝泊まりするほどとなっていた。


「総理、お呼びになったとか」


「失礼致します」


 執務室に外務大臣と外務事務次官が入室してくる。割れた机を一目見てまたか、という目をしていた。


「国連事務総長から金を出せと電話があったぞ」


「はぁ、やはり来ましたか。出すのは構わないんですがな、これ以上となると国連に加盟する意味はあるんですかなぁ」


 外務大臣が呆れ顔で応える。どうやら伊崎総理と同じ意見のようだ。外務事務次官の滝川は二人のやり取りをじっと見て控えている。


「俺もそう言ってやったわ。事務総長は直接乗り込むそうだ。まぁ、返事はノーだろうがな」


「これはもう……やっちゃいますか、総理」


「やっちゃうか」


「あはははは!」


「ははははは!」


 二人して吹っ切れたように笑い声を上げる。滝川はやれやれと溜め息を吐く。


「俺は歴代最悪の総理大臣と言われるかもしれんな」


「ははは、それこそ先日承認した、魔王ですかな。そう言われるでしょうな」


「ははは、魔王か。それもヨシ。では邦人保護を始めてくれ、この部屋を出た瞬間から発動だ。発表は邦人保護の目処がつき次第だ」


「畏まりました魔王様」


「はははは!」


「では、失礼致します」


「おう、滝川は残れ」


 笑いながら外務大臣が退出していく。その顔は晴れやかだった。


「滝川、迷宮庁とバロウズの動きはどうだ?」


「中国を動かしたのはバロウズです。そして配下のナアマが他国を使ってロシアへ報復攻撃を始めようとしています。国連脱退はその為でしょう。迷宮庁はまだ動きがありません。しかし、自治会が動き始めました」


「お前が二重ダブルスパイというのはバレていないのか?」


「いやぁ、もう最初からバレてると思います。それ前提で動いていますがそろそろ限界でしょうか」


「なら、もう接触を控えろ。で、バロウズの正体はわかったのか」


「それがさっぱり。生まれも育ちもイタリアで敬虔なクリスチャンであったのですが、首席枢機卿に選ばれた時から人が変わったようだと言う事くらいです」


「本当に人が変わったのかもしれんな」


「はははは」


 その言葉に笑った滝川だが、真剣な顔の総理に空気を読み違えたかと少し焦る。


「今、あの姉弟はどこにいる」


「わかりません」


「はぁ?」


「いや本当にわからないのです。迷宮に籠もりたいと言っていたらしいので、何処かの迷宮にいると思うのですが、迷宮庁の探索者管理室でも追えませんでした」


「記録に残らない迷宮でもあるのか?」


「聞いた事がありません。迷宮に入っていないのでは、と言うしか」


「それはない。お嬢は絶対に何処かの迷宮に入っている。チェックを怠るな」


「はい」


「よし、もういいぞ。ああ、自治会の件は報告書として出せ」


「わかりました。失礼します」


 外務事務次官滝川の元にナアマと言う人物から接触があったのが数年前。それは迷宮庁長官を通して紹介されたのであった。

 面会した時、ナアマが動作と話術を使って洗脳を仕掛けて来たのはすぐにわかった。

 かかっていない振りをしながら実は洗脳されているという振りの本当はかかっていない、という高度な演技力(わけがわからない)で乗り切ったが、ある程度の要求を聞きながら何故接触してきたのかを探っていた。

 そこへあの姉弟の誘拐事件である。その手引きをしたのは滝川であるが、いつでも救出できる準備は整えていた。しかしバチカン市国が絡んでいるとまでは把握できておらず、ましてや首席枢機卿が黒幕だとは思ってもいなかった。

 そこであらたに出て来たバロウズという人物を調査していたが、先方から情報を引き出すのが難しくなってきていた。もう自分は必要がなくなったのだろうと判断し、手を引く決断をした所であった。


 伊崎総理が姉弟に向けて、怪しい人物と組織について話した際に敢えて滝川の名を出したのも、何処にバロウズの手の者が潜んでいるかわからなかった為である。



 一ヶ月後、総理の元へ訪れた滝川から報告が入る。


「総理。ご姉弟の居場所がわかりました。現在、あの姉弟の島に滞在しています」


「なにぃ!? 今まで何処に居た?」


「それはわかっておりません」


「わかった。俺から直接連絡を入れる」


 そして何度電話をしても出なかった弟からの電話がようやく入った。



≪伊崎兄? なんか用?≫


「お、お、おまえぇーっ! 何か用じゃねぇ! どれだけ探したと! 今まで何処に居た! いや二人とも無事なのか!?」


≪いや、いま島にいるからさー、港じゃないと電話出来ないし≫


 島全体が迷宮となっている為に電波が入らない。そしてたまたまメールチェックの為に迷宮から外れている港に来た。その時に何十件もの不在着信とメールに折り返し電話をかけてきた弟だった。


「で、このひとつき何処に居た?」


≪迷宮入ってた≫


「居場所を迷宮庁で把握出来なかったんだが?」


≪え? そうなの? ああ! そっかそっか、あそこは何か特別みたい。よくわかんねぇ≫


「ちっ。それで、二人とも無事なのか?」


≪うーん、俺は何ともないんだけど、姉ちゃんが≫


「どうした!?」


≪左手と右足が無くなった≫


「はぁ!?」


≪いや、大丈夫だから、多分≫


「大丈夫じゃねぇだろ! くそ! すぐに迎えを出す。病院の手配をしておくから帰って来い!」


≪いやこの島じゃねぇとダメみたい。だからもうちょっと待ってよ。あ、なんか呼んでるからまた!≫


「ちょ、おい! もしもし! もしもし!」


 伊崎総理は、くそっと悪態を吐きながら投げつけるように受話器を置く。島へ医師団を派遣したいが、迷宮化しているために島の管理者の許可がないと入れない。

 迷宮庁で管理している予備の管理者証は、迷宮庁にいるスパイの動向が掴めないのと姉弟の居場所を知られたくない為に使えない。


 今は待つしか無いのであった。


 伊崎総理から怒りのオーラが立ち上る。ここまで感情を露わにするのは生まれて初めての事だ。


「あいつらっ! 戻ってきたら監禁おしおきだ!」



 迷宮化している総理官邸内のマナが伊崎に集まってくる。その過剰なマナは心と身体の変化をもたらす。

 数十年にもわたって図々しいほどの金の無心、無理難題を押しつける各国と多くの団体、その事によって一向に進まない計画。そして極めつけに姉弟の失踪と姉の負傷。

 もう我慢の限界であった。我慢させる世界が憎らしい。我慢する自分が憎い。


 そして、もう我慢などしてやるかと自分からくさびをぶち壊す。



 ここに伊崎魔王が誕生する。

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