第65話 裏迷宮三


 裏迷宮、六十八階層。

 一階層でラスボス格のイザナギ様、イザナミ様に認められ突破することが出来た姉弟に他の神々は敵ではない。難なくこの階層まで昇ってきた。

 中には戦いもせずに、茶でも飲んでけぇとお茶の相手をしたり、一面田んぼ階層で田植えの手伝いをしたり、パズル的な階層では姉とイサナの作戦力ずくで進んできたのであった。



 そして姉弟とイサナは、神々の中で最も相対あいたいしたくない神を目の前にしていた。

 荒ぶる益荒男『建速須佐之男命たけはやすさのおのみこと』、スサノオ様である。


 六十八階層に入った瞬間、剣戟が来た。

 咄嗟に姉が双剣で弾き返し距離を取る。先を見るとそこにはニヤリと口元を歪めた神が立っていた。


『俺の天羽々斬剣あめのはばきりのつるぎを弾くとは、な。ククク、楽しませてくれそうだ、な?』


「何か聞いた事あるようなつるぎだなぁ」


「スサノオ様が八岐大蛇やまたのおろち退治に用いたつるぎ、です」


「じゃ、こいつスサノオ様?」


『微妙に失礼なしゃべり方だが、いいだろう。俺はスサノオ! 天之御中主アメばばぁを倒して神の頂点に立つ男だ!』


「こいつが頂点に立つと大変そうだなぁ。その剣どうしたの? パクった?」


『パクるか! 俺のだよ! 普段は使わんが今日は特別だ。イザナギおやじを倒した輩が昇って来ると聞いたから、な?』


「倒してはないけど……それすごい物なんだろ?」


『ククク……クククク……ふはははは! そうだ、すごいのだ! 恐れおののけ! 俺にひれし赦しを請え!』


「面倒そうな神様だなぁ……」


 スサノオ様と弟の話に耳を澄ましながら、隙あらば斬りかかろうとしている姉であるが、ふざけているよう(スサノオ様は本気)でも斬り込む隙がない。

 それどころか頭の中で描くシミュレーションでは、スサノオ様が言葉を発している途中でもごく自然に、自分が斬られる未来しか見えない。

 双剣を持つ手の平にじわりと汗をかく。落ち着くように深く息を吸う。

 そんな様子の姉をじっとみていたイサナが大丈夫、と言うように右手に手を添えてニコッと笑いかけた。



『ククク、このつるぎと俺の右腕に宿りし邪神が覚醒した時、高天原は俺の物となる』


「神が邪神宿しちゃダメだろ……」


『フハハ! 俺が八岐大蛇やまたのおろちを退治したと思うたか! 否! 彼奴きゃつは俺が取り込んだのだ! その際に邪神と成り、右腕に宿りし者となった! いつの日か高天原をモノにする日の為に、な!』


「それ、櫛名田比売命奥さんに怒られない? 奥さんを喰おうとしてた奴だろ」


『……内緒にしておけ』


「あ、奥さんは怖いんだ。あと怖いの誰?」


『……アマテラス姉ちゃんとアメばばぁ』


「確かに、アメ婆ちゃん怒らすと怖いよなぁ。冗談は通じるけどたまにあれ? ここ? ここが逆鱗? みたいなのあるしなぁ」


『そう! そうだ! あのばばぁ、さっきまで笑っておったのにいきなり怒り出すからな! 更年期障害とボケを煩っているとしか思えん!』


「パンツ見たくらいで本気蹴りするし、挑発にも弱いし」


『パンツは見ちゃいかんだろ……ばばぁのパンツ見たいか?』


「ちょっとしたイタズラだよ。もっと広い心で構えて欲しいよ、乙女かよ」


『まぁ、処女だしな』


「ええっ!? そうなの? でも神様の祖だよね? たくさん産んだんでしょ?」


『造った、のだな。日の本の神々は処女が多いんだぞ。何処ぞのマリアとか言う一人しかおらん処女懐妊どころじゃねぇぞ?』


「そうなのかぁ、ちょっと詳しく教えてよ。あ、茶くらい出してくんない?」


『お前、態度でかすぎだぞ。なんだ? その度胸。物怖じしない奴だな』


「ま、いいじゃないの。ちゃんと心では敬ってるしさ」


『それはわかっておる、が……後ろの女などいつ俺に斬りかかってくれようかと見計らっていると言うのに、な?』


「くっ……!」


 確かに斬りかかるタイミングを見ていた姉は、スサノオ様の言葉に見透かされたようで思わず双剣を繰り出してしまった。

 それは野球でピッチャーの配球が読み切れずに、空振りさせられてしまったバッターのようだ。


 キンッ!


 そんなただ大振りの、技などない斬撃などC級探索者でさえ弾き返す。

 かかったな? というようなあざけ笑いをしながらスサノオ様は弾き、姉に向かって右足を前に出し剣戟を繰り出した。


 ただの挑発……言葉……そんな物にかかってしまった姉は猛省する。

 魔物細胞活性化で浄の時も空けず局面を打開する技を繰り出す。


 舞曲神技『天沼矛あめのぬぼこ・森羅』


 ……イザナギ様のほこではないのでここは新たに姉の技として、

 舞曲神技『細井双剣・森羅』と言うべきか。


 キンッキンッ!


 両手に持つ剣で力を分散し、奏でるように弾いた。そしてそれはそのまま次の攻撃へと移る。


『森羅かよ! クソ親父め、こんな小娘に伝授したのか!』


 その舞はスサノオ様であろうとも自分のペースを狂わされ、舞の一部として取り込まれてしまう。そしてそれは大きな隙を作る事になる。


『ちっ。な、なかなかやりおる。しかしなぁ……その技に俺の右腕が疼いておるわ、ククク』


 一歩引いたスサノオ様が右腕を押さえつけ上目遣いに睨みながら言う。

 ここで邪神が解き放たれるというのか!


黄泉よみよりいでし混沌を喰らう右腕を俺に使わせるなよ? 死ぬぞ?』


 姉が一歩前に出て舞を続ける。実は姉には余裕など無い。そんな物を見せたら一瞬で斬られる。実力差がありすぎる。イザナギ様のように指導されているのではない。スサノオ様は死合をしている。

 何も考えず、何も聞かず、ただ一心不乱に舞を続けている……そんな訳でスサノオ様の言葉は耳に入っていない。


『小娘……それでも尚、向かって来るか、ククク。それでは仕様が無い。ああ、仕様が無い』


 ここで必殺技だという顔をして右手を上に掲げ叫んだ。


『……俺の右腕に宿りしモノよ、俺の魂を糧にその姿を現せ! 天叢雲剣あめのむらくものつるぎ!』


 スサノオ様の右腕から神剣『天叢雲剣』がゆっくりと顕現してくる。それは八岐大蛇の体内から出て来た剣。天羽々斬剣あめのはばきりのつるぎを欠けさせてしまうほどのわざものである。

 しかし、天照大御神に献上したはずであるが……。


『ククク……小娘と同じ双剣で(命を)ち斬ってやろう』


 スサノオ様は左手に天羽々斬剣を、右手に天叢雲剣を持ち、あらためて姉と対峙する。悪い笑顔だ。

 両手に神剣なんてずるい。


 スサノオ様の剣戟に技などない。ただ力の限り振り下ろすだけ。それは暴力的な勢いで何者の介入をも許さない。天照大御神の籠もった天岩戸でさえ粉々に破壊しそうな超物理特化の攻撃だ。神剣が泣いている。

 その剣戟が姉に迫る。先に天羽々斬剣が、追いかけるように天叢雲剣が姉の身体を分断せんと上から振り下ろされた。


 ガッ! ガガンッ!


 姉は回避不可と判断し、双剣をクロスさせて十字受けでその剣戟の力を逃がしながら止めた。


『神剣を受け止めるとは、な。小娘、よくぞ止めた。……しかし人間が造った物だろう、双剣それ。フハハ! その者、神剣鍛冶として認めてやろう』


 スサノオ様が心から楽しげに笑いながら言う。

 神の言葉だ。今後、細井さんが打つ剣は全て神剣として扱われる。出来も格も上がった剣に何も知らない細井さんは驚くことだろう。


『そして小娘。お前は神のわざを止められる人間、略してかみわざと名乗るが良い。生きて出られたならば、な?』


「変な称号だー。いらねぇー、センスねぇ」


 姉は弟の言葉にうんうんと頷き、次の攻撃に備える。

 スサノオ様が、かっこいいのに! と言いながら神剣を構える。腰に両手を添えるような構えだ。初めて見る構えにどのような攻撃が来るか予測が付かない。


『構え、というモノを取る事は滅多にないのだが、な。珍しいモノを見せてくれたから、な。俺も見せてやろう、その名も』


 スサノオ様の言葉を遮り、イサナが姉とスサノオ様の間に躍り出る。

 そして、スサノオ様の顔を見上げながらニッコリ笑いかけながら言った。



『お兄ちゃん!』


『お……お、お兄……ちゃん?』


 スサノオ様の力が抜ける。イサナを見て、姉を見る。姉は、頭を縦に振り肯定する。


『お兄ちゃん!』


 スサノオ様は末っ子。つまり、兄と呼ばれたことが無い。ましてや美少女にお兄ちゃん、と呼ばれる日が来ようとは思ってもいなかったのだ。


『お前は俺の妹なの、か?』


『そうだよ、お兄ちゃん!』


『おにい……』


 何かを噛み締めているようだ。口をぎゅっと結び、上を向いて言葉を呟いている。


『お兄ちゃん、母様と喧嘩しないで!』


『母様……? 小娘、が?』


『うん!』


『すると……俺の……ママ?』


 スサノオ様は末っ子で弟妹欲しがりな上に、マザコンだ。

 変な属性やられにかかってしまった。手に持っていた神剣をその場に落とす。

 そしてよろよろと力なく姉に向かって歩いて行き、正面に立った。


『ママ……』


「いや、これはない。ないわー。ママはない。イサナでも母様なのに、ママとか」


 弟の呆れ声は耳に届かない。


 イサナが姉に向かってニヤリと笑って合図をする。スサノオ様の性癖(失礼)を解っていたのだ。

 姉はうんと頷いて、スサノオ様に向かって両手を広げた。おいで、とでも言うように。


 そこに吸い込まれるようにスサノオ様が収まる。姉は手を閉じてスサノオ様を包み込み、背中を優しくトントンと叩いた。


「姉ちゃんの事を、神を籠絡おとす女、略してしんろうと呼ぼう」


『おじちゃんセンスないね!』


「お、おじ……」


 がっくりと四肢を地面に落とす……まだイサナに叔父と呼ばれる事に慣れていない弟だった。


「スサノオ様……そろそろ(もういいですか?)」


『ママ……と呼んで』


「す、須佐様……」


『須佐』


「……須佐、そろそろ先に進みたいのですが」


『もう行くの? 俺も一緒に……』


「いいえ、これは私達への試練なのです。ものすごく強い須佐がついてきたら試練になりません」


『ええー? そんなに俺、強いかなぁ? えー? そっかなぁ、えへへ、そっかぁ』


「騙されてる、騙されてるよ!」


『ちょろいね!』


『それならこの神剣を持って行くといいよ! 役に立つよ!』


 スサノオ様はそう言って、天叢雲剣を姉に渡そうとする。


 その時、六十八階層内が光で満ちあふれ一面真っ白になった。眩しくて目を開けていられない。

 この迷宮に入って二度目の光の輝きだ。姉弟に嫌な予感が走る。



『ほほう? 愚弟よ。その剣は妾に献上したはずではなかったのかえ?』


『あ? ああ!? アマテラス姉ちゃん!』


 光が収まって目の前に降臨されたのは天照大御神。現在、高天原を統治するそれはもう偉い神様である。そしてスサノオ様の姉でもあり、子供を預けて育てて貰っているので頭が上がらない。


『で、愚弟よ。妾に献上した剣は何なのじゃ?』


『あ、あれは……』


『はよう申せ!』


『ひっ! あれは影打ち……で』


 刀剣を打つ鍛冶師は神剣を奉納する時にふたり、ないしはりの刀を打ち、出来の良い方を真打ちとして奉納する。残りの刀は影打ちとして密かに保管する。

 そしてスサノオ様がアマテラス様に献上したのは影打ち。実は八岐大蛇からは二振りの天叢雲剣が出ていたのであった。


『姉をたばかるとはな? 再調教が必要じゃな? 娘よ、いや妾の母上にあたるのか。母上よ、愚弟を連れて行ってもよろしいか?』


 後光差す圧倒的存在感の美人お姉様にされ、呆然としていた姉が再起動し、どうぞと言葉を絞り出す。


『すまんのう、母上。また今度挨拶に寄らせて貰うぞ。妹のイサナ、と申したか。そちもの、御神酒でも酌み交わしながら話そうぞ』


『うん! お姉ちゃん! またね!』


 ぶんぶんと頭を縦に振る姉と、平常通りのイサナを見て満足そうにアマテラス様は頷き、スサノオ様の首根っこ(比喩ではない)を掴んで消えていった。もちろん、神剣も一緒に。


「どこの家庭も姉ちゃんには弱いのな……」


 弟がしみじみと実感こもった口調で言う。その言葉は姉には届いておらず、何かを呟いていた。



「天照大御神が降臨される……。か、神棚をもっと大きくしなきゃ。いいえ、お迎えする神社を建てなきゃ……」


 姉にとって天之御中主神は祭神、天照大御神はとても偉大で大好きな憧れの神様だ。




 しかし姉よ。そのアマテラス様は今やお前の娘なのだぞ。

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