第56話 軌道エレベータ迷宮二
大国の偵察衛星が地上から伸びてくる大型建造物を捉えた。それはまるでバベルの塔かヤコブの梯子か。
いずれ軌道エレベータ迷宮を世界へ向け発表するつもりであるので、あえて不可視化設定をしていない為に発見されたのだ。
各国の諜報機関は情報を集めようと大慌てだ。大使館から日本政府への問い合わせがひっきりなしに起きている。偵察機を飛ばす国もあるが、日本領空内である為に自衛隊機によって追い返されている状況だ。
そんな中、アメリカとロシアは沈黙していた。アメリカ大統領が来日し、総理と共にロシアへ渡り会談をした際にこの計画を伝えていたのだった。
アメリカとロシアは軌道エレベータ迷宮開設計画に一も二も無く乗っかった。未だ遅々として進まない太陽系内探索、さらには銀河系探索、またその先にさえ達することが出来るかもしれない深宇宙探索に光を見いだしたのだ。
この計画に技術協力という形で乗っかれば自国が歴史に名を残す事は間違いないと、栄光と虚栄心をくすぐったのであった。二国が即座に承認したのも、それだけ迷宮技術という物が尋常ではない技術であったからだった。
二国は密かに新国際宇宙ステーションから撤退する準備を始めている。そこに行くだけでも百億円のロケット発射コストと、ロケット総重量の十パーセントしか積むことが出来ない資材など、費用対効果が悪すぎるのだ。
再利用可能な機体もあるがそれでも数億円の発射コストがかかり、天候にも左右され、乗組員は数年の訓練を要する。
日本の軌道エレベータ迷宮ならば、探索者しか行く事は出来ないが、コストは数万円、大量の資材運搬が可能、天候に左右されず訓練は数日で終わる、と今の所良い事ずくめだ。
二国は日本に実験や研究などを委託する形となるが、やはり研究者としては自分の手で確かめたいらしく、秘密裏に今回の件を知らされた研究者達は、最上階の静止軌道フロア実験施設に入れるよう要請してきている。
日本政府としては段階的に他国の研究者達に日本国籍を与え、最上階への入宮許可を情勢を
かわいそう。
その希望を携えた軌道エレベータ迷宮は順調に領域を伸ばしている。
現在、地上から二千キロメートル。三階層まで終え、四階層の低軌道高度での監視フロアを製作中である。
丸い塔のように伸ばしてきた迷宮であるが、監視フロアはその塔の直径よりも遙かに大きくはみ出し、円形に外を一望出来るようしてある。それはストローの上にドーナツかバウムクーヘンが乗っているようだ。外部から見ればアンバランスで今にもドーナツが傾いて落ちそうであるが、そこは謎技術でカバーしてあるので問題は無い。
「よし、と。これで
まずは通信設備を製作したダン調が、姉に受話器のような送受信機を渡す。迷宮内であるので無線は使用出来ず、有線接続である。地上から通信用とネット回線用など様々なケーブルを管理者パッドで製作出現させながら昇ってきていた。
「こちら、四階層監視フロアです。通信出来るようになりました」
しばらく待つと博士からの返事が来た。
≪こちら地上ターミナル。聞こえるかな?≫
「はい。聞こえます」
≪うん、問題ないね。順調に進んでいるかな?≫
「はい。その……お忙しいのはダン調さんだけで私達は何もすることが無く……」
≪ははは、ゆっくりするといいよ。名目は護衛だからね。ああ、そうだ。無重力状態でお嬢さんの声の通り方を調べてもらおうかな。録音するだけでいいよ≫
博士の言葉を横で聞いていた弟がちょっと貸してと通信機を姉から取りあげ話す。
「大丈夫、ばっちり録画もしてるよー。しかし暇だよ、博士ぇー。なんかない? 宇宙空間にレース場作るとかさぁ」
≪あはは、それはいいねぇ。余裕が出来たら考えようか。弟くんは探サポと合同研究の新素材テストをして欲しいねぇ≫
「おおお! それがあった! さんきゅー博士」
よっしゃー! と言いながら通信機を姉に向かって放り投げ、ダン調のいる所へ走って行った。
「博士、すみません。思いついたらすぐ行動してしまうので」
≪いいよいいよ。体調は問題ないかな?≫
「はい。大丈夫です。迷宮内に居る方が調子いいのです」
それは姉の身体の特性だ。それにしても宇宙空間に入ってからはいつもより数倍溢れる力を感じている。
≪ははは! さすが探索者だねぇ。では、またいつでも連絡してきなさい。楽しんでね≫
「はい」
博士と通信を終え、拳をぎゅっと握りしめる。
……
この破壊不可属性の迷宮でも破壊出来そうな気持ちになる。
……しないけど。
「ねーね、大丈夫?」
自分の拳を見つめていた姉を心配そうに幼女魔物が声を掛けてきた。
「大丈夫、ですよ。何か飲みますか? 私、喉が渇きました」
「うん!
「マ、マニアックな物を……そんな物がここにあるのですか?」
「おじちゃんに頼むー」
そう言うと、ナンバ走りでダン調の所へ行きパッドで出してもらうよう頼んでいた。
両手にグラスを持った幼女魔物が姉の元へ戻り、はい! と一つのグラスを渡す。
「ねーねも一緒ね」
新国際宇宙ステーションでは未だにアルコール禁止であるが、一般人より身体能力が高く、いざとなればスペルで体内アルコールを分解出来る探索者は問題ないとJAXAが判断した。もちろん泥酔するほど飲んではいけない。
姉はグラスを手に取りこくりと一口味わう。
「……美味しい」
「ね! あまーい、ね!」
一気に飲み終えた幼女魔物はまたダン調の元へ走り注文する。戻ってきた時にはその手に何も持っていなかった。
「おじちゃんがいちいち面倒くさいから、ねーねに渡してあるパッドで出せって!」
管理者パッドを持つダン調とは別に姉弟にもユーザーパッドを渡してある。緊急事態用の脱出(強制退宮)などに使用する為だ。管理者権限はないので迷宮を作成したり変更したりする事は出来ないが、食料等を出すことは出来るのだ。
「わかりました。同じのが良いですか?」
「うーん、爆弾ハナタレ!
「そんな名前の物が……あ、あった」
三百六十ミリリットル瓶のそれを渡すと手酌で飲み始める。姉の元にフルーツのような香りが漂ってきた。
「おいしーい! ねーね、おつまみも出して! チーズちくわ!」
つまみは普通ね、と思いながら出してあげて自分でも爆弾ハナタレを小さめのショットグラスに注いだ。
口当たりは軽く飲みやすい。四十度を超える度数の焼酎とは思えない。これは気を付けないとすいすい飲み過ぎてすぐに酔ってしまうのだ。
「あ! にーに!」
もう一杯飲もうか迷っていると幼女魔物が声を上げ、外を指さす。そこには外で宇宙遊泳をしている弟が手を振っていた。
流線型のヘルメットにウェットスーツのような薄い宇宙服は濃いグレー。ブーツは少しごつく感じるが、グローブは薄く手作業が楽に行えそうだ。小さめのタンクを背負い、腰には数カ所のポケットの付いたベルトを巻いていた。
弟が着ている物は博士が水中でも自由に動けるようにという姉の要望に応え、開発に着手し出来上がった試作一号である。水中のみならず宇宙空間でも大丈夫と博士が太鼓判を押し持ち込んだのだった。
ただし、いきなり自身で試すのではなく、まずは人を模した魔物で試すようにと厳命を受けていたが、弟がなんくるないさーと言いながら指示を無視して出たのだった。
弟は持ち前の運動神経と勘を発揮して、宇宙服の数カ所に取り付けられた超小型推進装置を使い自在に動き回っている。初めは窓にぶつかるなどしていたがすぐに慣れたようである。
ちょっと休憩、と言ってやってきたダン調が自分で飲み物を出し一息吐く。そして弟を見て、遊んでやるかと管理者パッドを操作し始めた。
弟の前に深海魚が巨大化したような魔物がポップした。弟は一瞬驚いたがすぐにグローブに装着した黒証を操作し武器を手にする。
すばやい動きで魔物が接近してくるのを避け少し距離を取り様子を窺うと、ある一定以上の所からは近づいてこない。これは軌道エレベータ迷宮建物の周囲十メートルまでを迷宮領域と設定している為に、そこから出てこられないのだ。
つまり弟は今初めて宇宙遊泳をしているという事である。これまでは無重力状態ではあるが迷宮内で遊んでいたに過ぎない。
その事に気付いた弟はがっくりと肩を落とし、魔物を一撃で斬り捨ててから監視フロアへ戻ってきた。
「どうだ、わかったか?」
とぼとぼと戻ってきた弟にダン調が声を掛ける。
「あぁ、わかったよ!」
「迷宮内で楽しそうに回ってたな、ふははは」
「うるせー、その後ホントに(宇宙遊泳が)出来たからいいんだよ!」
「にーに、かわいい」
「こいつ斬っていい?」
「にーに、ひどーい」
その後、ダン調が監視フロアの製作を終え更に上を目指す。いよいよ最上階だ。
「ここからしばらく塔製作が続くぞ。その後は人類史上、初の静止軌道上の有人滞在施設だ」
ダン調がニヤッと笑い、行こうかと声を掛けた。
これまでに中国が月基地を作ろうとしていたが失敗。
アメリカ主導でEUと共同の有人火星探査が行われたが、到着前に連絡が途絶える。
ロシアも単独で有人火星探査に送り出し、到着はしたが着陸に失敗。
莫大な費用をかけた数々の失敗に人類は有人宇宙探査を諦めかけていた。
今、ここに日本が名乗りを上げ、有人探査への第一歩となる
人類のさらなる飛躍はダン調と姉弟にかかっているのだった。
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