第20話 市営迷宮二


 姉のギプスは取れたが、本来の動きとは微妙に違う。どうしても左手首を庇うようになってしまった。それでも迷宮に立つ。黒いアンダーシャツにスパッツ。黒竜ガンマの胸当て、短パン、手甲。手甲は修復に時間がかかった。防具の裏側にダブルリッチのマントを加工して貼り付けた。巨大熊の爪撃に引き裂かれ、マントとしては使えなくなったので再利用だ。武器は細井双剣。握りを確認するように柄の具合を何度も握り直している。


 弟は時々姉に背中を掻いてもらうが体の動きは本調子だ。黒いアンダーシャツにスパッツ。亡者の服の胸部、背中、肘、膝にダブルリッチのマントの端切れをアップリケのように貼り付けてある。武器は細井さんと武器スポンサーの合作、銘をシックスティーンキング、太刀だ。



 ここは市営迷宮。

 以前横柄な職員のせいで出禁になった迷宮だ。下に降りていくタイプの全五十階層。

 本来入宮するには当日抽選のスクラッチに当選する必要があるが、国からの圧力とロシアマネーに屈して特例として入宮出来るようになった。

 贈賄ではない。

 市が進めている探索者特区に市の誘致要請で、探サポ社屋を立地させるという手柄を取らせ、更に日本迷宮申請受付の要さんからも、わかっているね? と連絡を入れて貰ったのだ。

 探索者特区には、探索者用品の研究開発企業、産学官連携の研究実験施設などがある。



 三日前に出社した時にさかのぼる。


「皆さん、ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


「すみませんでした!」


 姉弟が社員達の前に立ち頭を下げる。皆笑い顔で迎え入れてくれた。


「退院おめでとうー」

「これからも一緒に頑張ろうな!」

「迷宮男女見たよー」


 暖かい言葉をかけてくれた社員達にあらためて頭を下げ、最後に言葉をかけてくれた人には姉が一睨みし社長室に入った。


「退院おめでとうございます。早速ですが、いくつか報告と問題があります」


「はい」


「まず、吉田さんと細井さんの入社が決まりました。奥様方もです。出社の必要は無く在宅勤務という形になります」


「なんでおばちゃん達もー?」


「話を詰めていきますと奥様方も有識者であるとわかり、ご協力頂くことにしました」


「ナニソレ、ユーシキシャって」


「今後お二人をサポートするに当たって追々わかるでしょう。それと……親会社が持っている迷宮とそれに係わる人材、ダン調さんも含めてうちの管轄になります。ダン調さんは迷宮管理室が職場になります」


 迷宮を無償譲渡は迷宮法で禁じられているので親会社からのリースという形を取ったのである。人材は出向社員となっている。


「お、今度遊びに行ってもいい?」


「そこは言葉を選んで頂いて、業務確認の為に出張してもいいか、と聞いて下さい」


「はーい」



「会社管轄……つまりあの迷宮に入り……放題?」


 途端、姉の目が輝きだした。今にも走って出て行きそうだ。


「入り放題ではあります。しかし残念ながら、あの迷宮に入っても業務扱いになりますのでドロップ品は全て会社の物となります」


「ええ!?」


「えー? それってサクシュって奴?」


「違います。社員が会社所有の迷宮で給与外の所得を得る事を迷宮法で禁じています。これまではグループ企業でグレーゾーンではありますが、ぎりぎり許される範囲だったのです」


 ちっと舌打ちをし姉はソファーに背中を預け、足を組んだ。


「これは資金調達の為です。これから莫大な資金が必要となります。利益が見込める物を持っておかないと計画が頓挫してしまいますので」


「俺らが稼いでくるよ、他の迷宮入ってドロップ品を取ってくりゃいいんだろ?」


「それはそれで困った事になります。契約上、ドロップ品は全てお二人が有するとしています。先ほどの提案を実行すると契約の変更が必要となり、今後お二人のドロップ品は全て会社所有になりかねません」


「なんか難しいんだな。俺らも借金返済あるからなー」


「さて次が問題なのです。日本迷宮の件です」


 姉弟が子息の言葉に真剣な顔になる。姉は前に乗り出してきた。


「あなた方の日本迷宮入宮申請が受理されました」


「おおう!」


「はい!」


「まだ申請書類を受け付けた、というだけです。そこで早速問題が発生しました。密かに要さん(申請受理の要の人)から連絡があり、このままで絶対に通らない、と」


「なぜですか!」


「なんでー!」


「要さんが事前調査した所、市営迷宮で出入り禁止になっている記録が見つかりました。民間はともかく公営迷宮で出入り禁止というのは審査に響きます」


「あれはあそこの職員が悪いんだよ!」


「今はそれは問題ではありません。実際に出入り禁止になっているという事実が問題なのです。それを解除してもらう必要があります」


「どうすれば……」


「一度だけ、その市営迷宮の入宮許可を取りました。入宮して四十八時間以内に踏破してください。そこで絶対的な力を見せつけ文句の出ないようにしましょう。それで解除の確約を取り付けてあります」


 市営迷宮五十階層の制限時間は通常七十二時間。それでも上級探索者が踏破できるか出来ないかギリギリの時間。それを二十四時間も短縮せよと言っている。

 一階層に一時間掛けてしまっては踏破できない。そこに睡眠時間は入っていない。眠らずに進み続けないと指定した時間での踏破は無理だ。

 絶対に眠ってはいけない四十八時間、二人は最後まで立っていられるのか。



 ◇

 市営迷宮入宮から五時間、七階層。

 上層階は問題ない、順調に進んでいる。弟があらたなスペルを試行錯誤しながら編み上げている。入院中に考え構成したスペルを実践で試すのだ。

 スペルを試すのは迷宮内でしか出来ない。外では構成を考え自分に合った言葉を選ぶのみだ。


『風さん風さんどうかお願い……』

「これは何かちげぇ、恥ずかしい!」


『風が呼ぶ、水が鳴く……』

「ひゃあ! これもちげぇ」


 赤面しながらも魔物を斬っていく。姉は無表情。人がスペルを構成している時に反応すると、羞恥心が沸きいい物が出来ないかもしれない。



 入宮してから七時間、十階層。

 ボス部屋前で休憩を取る。魔物が寄ってくるが他の通路ほどでは無い。


「二十分、休憩をとりましょう」


「おっけー」


 姉は迷宮鞄から結界装置を取り出し設置する。以前より開発が進み改良されているらしい。社員になってこういった開発機器のテスト依頼に遠慮が無くなった。


“迷宮行くならこれ使ってレポートよろしく”

“今から入宮してテストしてきてください”

“こ、この下着を三日着て、洗わずに持ち帰ってください”


 明らかにおかしい依頼もあるが、下着以外は快くテストしている。自分達の為であるが、他の探索者達もより安全で快適になるかもしれないからだ。


 十分間は体をほぐしゆっくりと柔軟体操をして筋を伸ばしていく。残りはその場で座ってリラックス。

 中級探索者三人が通り過ぎていく、ボス部屋に入るのだろう。十分以内に倒して欲しいと姉は願う。中へ入っていくのを確認して、ボス部屋の扉前に移動しそこに座る。失敗した。初めからここで待っていればよかったのだ。

 ボス部屋前での待ちはたまにある。この市営迷宮では二十階層から市の職員が受付をしている。そこでも待ち状態になるかもしれない。少し焦りが出てきた。


「姉ちゃん、焦ってる? なるようにしかならないさ、なんくるないさ?」


 姉の様子を見て弟がおどけて声を掛けた。少し焦りが緩む。


 三十分ほど経って扉の鍵が解除された。中級探索者は先へ進んだようだ。いつでも行けるようにとテスト機器は収納し立ち上がって用意をしていた。

 すぐに扉を開き進み始める。



 入宮してから三十時間、三十一階層。

 少しずつ高額ドロップ品が落ち始める階層だが、拾っている時間は無い。姉の事を心配そうに弟が見るが、平気そうだ。……いや手甲に歯形がある。耐えているのだ。防御力の上がっている手甲に歯形を残すほどか。


 道幅は広く、三人が両手を広げて並んでも少し余るくらいだ。この市営迷宮のは道幅の広さとバリアフリーだ。車椅子探索者に考慮するのと同時に、いざとなれば装甲救急車がそのまま入宮して来られる。

 階層と階層と繋ぐ階段には車椅子用リフトもあるが、探索者の乗っている車椅子のほとんどが階段昇降に対応している。装甲救急車が通る際に階段は管理者操作によりスロープへと変化する。

 尚、一般探索者がトラックやリアカーなどの車輪付き運搬器具を持ち込む事は禁止されている。


 二人の前方で上級探索者三人が魔物を狩っている。こういう時には気を使わなければならない。ゆっくり声を掛けながら近づかなければ魔物の横殴り、最悪の場合はPKと勘違いされ攻撃されるのだ。


「通りまーす!」


「横、通るよー二人だよー」


 二人が武器を納め声を掛けながら近づく。一人の男性がこちらに気付いた。手で止まれ、と制止の合図をする。魔物を倒しきりドロップ品を拾った後こちらを向いた。

 三人とも男性で四十代くらいのようだ。


「なんだ?」


「横を通り抜けるだけです」


「お前ら級は?」


「特Aです」


「駄目だ! 俺らが先に進む」


「なんでだよー、ちょっと通るだけじゃんか」


「特Aが先に行くと魔物が残らん。ここは再ポップが長いからな、待てん」


 この探索者の言う事もわかる。他の探索者が前にいると自分達に魔物が来ない、特に自分らより上級の者だとそれが顕著に表れる。散歩に来たようなものになってしまう。


「他の道行けばいいじゃんかよー」


「この道が下に降りるのに一番速い。他は遠すぎる。俺達は四十階層に行くんだ」


「四十階層まで後ろ着いてけって言うのかよ、無茶苦茶だ」


「迷宮では先にいる探索者に敬意を払う。知っているな? お前らが他の道へ回れ」


 暗黙のルールだ。この探索者達は難癖をつけているわけではない。姉弟が無理を通そうとしているのだ。


「わかりました。申し訳ありませんでした。他の道へ回ります。ナイスドロップを」


「ああ、ナイスドロップを」


 三人の探索者と挨拶を交わし、来た道を戻る。大幅に時間を取られる。

 当然、下層に行くほど魔物が強くなる。一撃で倒せる相手ではあるが、避けたり仲間を呼んだりする。時には罠を利用するなど、考えた行動をしてくるのだ。

 焦る焦る、頭で描く動きに体がついてこない。


 もっと速く、もっと正確に、技のキレを、斬りやすい体勢を……。


 姉の動きが洗練されていく。もう左手首は庇っていない。そんな余裕は無い。


 刃物になろう。一本の、触れるだけで切れる刃物になろう。



「ね、姉ちゃん……なんかこえぇ……」


 弟の呟きは耳に入ってこない。魔物が発する音しか聞こえない。右腕を上げようとする音が。一歩踏み込んで切る。この一歩が足りなかった。この一歩を踏み出す事が出来た。



 入宮してから四十四時間、四十一階層。

 残り九階層を四時間で駆け抜けなければならない。かなり遠回りな道だった。十階層上がるのに十四時間掛かっている。ここからは最短を進むが厳しい。いや上級探索者でも無理な行軍だ。

 最小限の休息は取ったが、動きっぱなしで疲労が顔に出ている。弟はすでに限界だ。


「ねえ、ちゃん。もうちょいだぜ。行こうぜ」


「うん、で行きます」


「頼むわぁ……俺は限界」



『お願い』


 姉がスペルを詠む。足元から背から天井から、何かが駆け抜けて行った。



 結果、二人は四十八時間の十三分前で踏破した。

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