第19話 吉田脱サラ迷宮三


「いったん、引いて!」


「姉ちゃん下! 上は俺が!」


 ここは吉田脱サラ迷宮四階層。

 日本迷宮十階層の一部を模してある。ただし現在も同じ構成かどうかはわからない。迷宮自体が考え、構造を変化させているかもしれないからだ。


 入宮するとすぐに上からの攻撃が来た。油断はしていなかったが、避けきれなかった弟の腕をかすり、傷を作る。傷の手当てをしている暇はない。上下からの二段攻撃だ。上を弟が、下を姉が受け持ち斬り裂くが一撃では倒れない魔物。二撃、三撃と入れようやくそれぞれ一体の魔物を倒す。魔物はゴースト系の物だった。光と共に消え去っていく。


「ひぃー、まだ入ったばかりだよなぁ。きっつー」


「でも、倒せます。倒せない魔物じゃない」


「んじゃ、行こうかぁ」


 洞窟タイプの階層。周りは暗く頭に付けたLEDライトがないと真の闇だ。親切に篝火があるわけではない。道幅は狭く二人並ぶと肩に壁が当たる。


 少し進むと何の変化も予兆もない罠。突然上下左右から小さな矢が飛び出して来た。姉の腕に二本、弟は足と腕に三本命中し血を流す。水の守りさえ貫通してきた、何故? やじりに返しが付いていなかったのでそのまま引き抜く。ぐぅっとくぐもった声を上げながら抜き、血止めを塗る。

 抜いた矢を見ると真っ黒な矢で、暗闇では視認しにくい物だった。


 少し道幅が広くなった所を姉が前、弟が後ろを歩いていると突然、目の前に魔物がポップする。いや後ろにもポップしている。見た事のない三メートルはありそうな巨大な熊のような魔物。襲ってくると同時に上下から矢が降り注ぐ。魔物と罠、両方同時に対応しなければならない。

 これが十階層。これで十階層。


 巨大熊から爪の斬撃を姉がもろに受ける。手甲で止めたつもりが止めきれずにそのまま左手首の骨が折れる。弟は背中に爪痕を残されて倒れていく。



 急に目の前が明るくなった。迷宮入り口だ。吉田さんと奥さんが心配そうに駆け寄ってきた。


「救急車! 呼んで!」


 吉田さんが奥さんに叫んで、奥さんが電話を掛ける。


「大丈夫、すぐに救急車が来るから! 横になって!」


 姉弟は床に横になりとめどなく涙を流した。

 何も出来ず、何も残せず、何も得られなかった事に。


 すぐに救急車が到着し、二人は運ばれていった。



 吉田さん夫妻が付き添ってくれて医者に説明をしている。細井さんにも連絡をしたようだ。すぐに夫婦で駆けつけてくれた。


 処置を終えベッドに寝かされている姉弟。病室は一緒の部屋にしてもらった。


「あれが……あれで十階層、なんですね」


 姉が吉田さんに向かって言う。


「うん。まだまだ序盤。そして君達は入って二十メートルも進んでいない」


「そう……ですか」


「きつかったー。やべーわ、あそこ」


 弟は背中に傷があるのでうつ伏せだ。


「嫌になった?」


 吉田さんが辛そうに聞いてきた。細井さんは黙って見ている。


「手首は折れたけど、心は折れてません。……なんて」


「うおおお、姉ちゃんがギャグ言ったー! ねぇ、録音してない? ねぇ!」


 吉田さんと細井さんはほっとする。しかしここで折れてくれて断念した方が、姉弟は今後辛い思いをしなくていいとも思う。


「ははは、そうか。心は折れてないか。うん、いいね」


「武器を見た。まだまだ武器の性能を上げる必要があるな、任せろ。一撃で斬れるようにしてやる」


 吉田さんと細井さんが慰めるように言ってくれる。まだ足りない物が多すぎた。しかし現状を確認出来たのは僥倖だ。これからだ。これからまだまだ伸びていけるはずだ。


「あ、吉田さん。そう言えばさぁ、牧田さんって知ってる?」


 弟が国営迷宮の経済産業省実験施設にいる博士の名を告げた。


「え、うん。もちろん知ってるよ」


「牧田さんとお会いする機会があって、宗川さんと会ったら自分の名前を言えば教えてくれるとおしゃって……」


「そっか。牧田さんは君達のご両親のサポートをしていた人でね。……牧田さんには日本迷宮に挑戦する事を言ってあるの?」


「おー、言ったよ。俺達のサポートもしてって言ったら、怖いって」


「……うん、わかった。後は任せて」


 吉田さんは何か考え込むように、視点の定まらない目をしながら顎に手を当てていた。


 それからゆっくり休め、たまにはいい休息だ。と細井さんが言って、皆帰って行った。



「姉ちゃん……やばかったな」


「うん。でも、あらためてお父さんとお母さんはすごいなぁって思った」


「あー確かに……多分もっと上に行ってるんだろうなぁ」


「やりがいはあります、けど……」


「けど?」


「……最初のゴースト倒した時、ドロップなかったです」


「そこかよ!」



 それから細井さんが会社へも連絡してくれたようで、二日後に子息とダン調が見舞いに来た。


「やぁ、具合はどうだい? お疲れ様でしたね。……日本迷宮十階層に挑戦したとか?」


「それだよ! お前ら何で俺にも言わねぇんだ! 俺もモニターしたかったぜ!」


 子息が二人を睨みながら言って、ダン調が迫る勢いで悔しそうに発する。


「ダン調は少しお待ちください。私がまずお話をしますので」


 子息がダン調に強い口調で言って抑える。かなり怒っている様子だ。

 子息は姉弟を睨みながら坦々とした口調で事務的に言う。


「今回の事は入宮する前に、社へ報告するべき事です。たとえあなた方の契約が自由となっていても、です。探索者サポート会社を立ち上げたのは何の為でしょう? はい、弟くん」


 急に指名された弟が、俺!? とびっくりしながら言う。いまだうつ伏せだ。


「に、日本迷宮に挑戦すっから助けてくれる?」


「その通りです。わかってくださっていて嬉しいですよ。では、今回あなた達が入宮した所は?」


「よ、吉田さんの迷宮……?」


 続けて顔を向けられた弟が答える。


「違います。日本迷宮です。あなた方をバックアップする者が肝心な時にサポート出来なくて何の意味があるのですか? 社の皆さんはサラリーを貰う為だけに居るのではないのです。今回の事は皆さん悔しがっていました。まだ自分達の信頼が足りていない、と。皆さんはあなた方を信頼し、尊敬しています。それに応えてください。何より、私が一番心配したのです!」


 言葉を聞いて一言一言が心に染み二人は目が潤んできた。ただ自分達が何処まで行けるのか、どの程度の実力なのか、日本迷宮に通じるのか、それらを知りたかった。

 ちょっと行って、さっと帰ってくる、その程度の認識だったのだ。もう自分達だけの探索ではないのだ。

 以前会社へ行き挨拶した時にみんなは、本当にがっちり握手をしてくれ、一緒に頑張りましょう、バックアップは任せてくださいと瞳が真剣だった。

 甘かった、本当に考えが甘かった。手首や背中だけで済んでよかった。治る怪我でよかった。探索者生命に係わる怪我だったならば、みんなの想いを自分達が踏みにじる所だった。


「ごめん……なさい」


「ごめんなさい」


 二人は素直に頭を下げる。姉はシーツに、弟は枕に濡れた跡が残った。


「と、言う事です。皆さん許してあげてくださいね」


 子息はそう言いながら、手に持った小さなライブカメラを自分に向けそう言い放った。


「は? まさか」


「えー? ライブ中継? おーい、みんな! ごめんなさい! 反省した!」


 姉はあわてて布団に潜り、弟はなんとか首を後ろに向けながらカメラに向かって話した。


「皆さん、本当に心配してですね。お見舞いに行くと聞かないものですから、こういう形を取りました」


「さ、先に言ってください」


 姉が布団に隠れたまま言う。子息は鞄からパッドを取り出して二人に見せる。


「こう言う物もありまして……」


 そう言ってタッチして表示されたのは、社内にいる皆だった。


「双方向の方がいいと思いましてね」


≪ゆっくり休んでください≫

≪また会社に顔見せてねー≫

≪次はサポートさせてください!≫


 会社の皆が口々に二人に声をかけてくれ、姉はその一言一言に頷き返し、弟は口に出して返事をしていた。


「私の方はこれくらいでいいでしょう」


「お、じゃあ俺の番だな。どうだった!? 中の様子は? 何があった!? 罠はあったか? そのアルゴリズムは!?」


 子息に続きダン調が矢継ぎ早に質問をする。姉弟は、え? え? と言葉に詰まってどれに答えたらいいか困惑した状態だった。


「ダン調、ひとつひとつ行きましょう。困ってますよ」


 子息がフォローしてくれる。ダン調はすまんすまんと言って回答を促す。


「入宮してすぐ上下からの魔物、ゴースト系でした。ドロップはありませんでした……。それから罠があって黒い矢が刺さって、熊みたいな魔物が前後と上下から罠の矢。中は真っ暗でした」


 姉が思い出すようにゆっくりと答えていく。そのひとつひとつにダン調はうむと頷いていた。


「防御スペルは? 効かなかったのか?」


「なんか、貫通してきた。ハァ……俺のスペル編み直しだなぁ」


「む、そうか」


「あとは吉田さんに聞いてー」


「吉田さんが宗川さんだったんだな?」


「そーそー、ひどくね? こんな近くにいたって」


「そうか、宗川さんならあの三階層も納得だな。さすがだな」


「あれ? ダン調知ってんの?」


「ああ、直接お会いした事はなかったが、調律者ではトップの人だ。まさか日本迷宮を手がけていたとの噂が本当だったとはな」


 月刊「迷宮調律」で話題に出ない事はないという宗川調律者。調律界で誰もがナンバーワンをあげるなら? との質問に彼の名前をあげる。メディアに顔も正体も出さず、異世界神ではないのかとの噂もあった。


「吉田さんが私達のサポートをしてくださるとおっしゃっていました」


 姉が報告するように子息に言う。子息は頷き返事をする。


「細井さんから伺いました。宗川さんと細井さんも探サポに入社していただくよう調整中です。これから宗川さんの元へ訪問する予定です」


「おい、それは聞いてないぞ。俺も探サポ入る! そして俺も行く! 絶対に行く! 行ーくー!」


 ダン調が子息に駄々っ子のように食い下がる。もちろん一緒に行きましょう、と子息は答えダン調はほっとしていた。


「なんか、宗川じゃなくて吉田って呼んでって言ってたけど?」


「そうですか。わかりました。今後吉田さんで通します」


 退院してから二日休養後に出社してくださいね、と子息は姉のギプスを巻いた左手にそっとキスをし、弟とは握手を交わしてダン調と共に病室を出た。



 翌日、姉弟は退院し自宅へ戻る。姉は近未来日本医学で全治一週間。矢の傷はすでに回復している。弟は足にも矢を受けたので少し足を引きずるが、全治五日。二人ともリハビリは必要ではあるが、心のリハビリは完了している。

 あらたな迷宮へと挑む決意に燃えている。




「姉ちゃん! ちょっと背中掻いて!」

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