第9話 国営迷宮


 今日の姉は気合いが入っている。入りすぎて今にも暴れ出しそうだ。

 防具は新素材アンダーシャツの上にいつもの自前防具。アンダーシャツは五着用意した。防具の予備も二セット持って来ている。武器スポンサーから提供された武器を三セットに、細井双剣を使う許可をスポンサーから無理矢理もぎ取った。

 一方弟も気合いを入れている。姉と同じようにいくつかの予備装備を迷宮鞄(大)に入れて持って来ている。迷宮鞄(中)も持って来た。

 姉は以前の経験から鞄にひっそりと水着と浮き輪を常備させている。



 ここは国営迷宮。

 国営迷宮に入る為には入宮申請を出し、一ヶ月先の入宮を抽選で決めるのだ。もちろん姉は毎日入宮申請を出し続けている。

 それが当たった。姉は歓喜。しばらくその当選メールを眺め、瞳を潤ませたかと思うと不思議な踊りを延々と踊っていた。

 その後、各スポンサーへ、しばらく旅に出ます(迷宮にこもる意味)と通知。スポンサー達もこれ幸いと、いろいろと実験的な機器や用具を二人に渡し、快く送り出してくれた。細井さんは三振りの刀を無言で渡してくれた。


「姉ちゃん、目標は?」


「鞄がいっぱいになるまで帰りません」


「お、おう」


 国営迷宮は下へ降りていくタイプの全二百階層。下層階にいくほど高額ドロップ品を期待できる。退宮の時間制限はない。実は二人はこの全二百階層を踏破した事がない。二百階層に行き着くまでに鞄がいっぱいになるのだ。姉は鞄がいっぱいになると進もうとしなくなる。そこから先ドロップ品が出たとして、それを諦めるのも、鞄の中身を捨てるのも心が引き裂かれるくらい辛いからだ。

 しかし今回は迷宮鞄(中)に迷宮鞄(大)の二段構え。これは弥が上にも姉の大きな胸が高鳴る事だろう。



 入宮して一日目のキャンプを張る。順調だ。上層階のドロップ品には目もくれずに突き進んで今は二十階層。姉たちの後ろからは、初級探索者達が着いてきてドロップ品を拾っていたが、そのハイペースにまだ彼らはここまで来られていない。がんばれ初級探索者よ、そのドロップ品のひとつひとつが明日の上級探索者への道なのだ。


 この二十階層にはセーフティーゾーンが設けてある。企業迷宮のようにメーカーの宣伝看板や宣伝物は置いていないが、政府からの広報掲示板や救護施設がある。陸上自衛隊の待機施設もあり緊急時に備えている。


 政府は密かに迷宮を、大規模災害が発生した時の避難場所にしようと研究を進めている。迷宮内に都市を造る計画もあり、作物や畜産などの実験施設もある。この計画はまだ諸外国には通達しておらず秘密裏に進めている。

 またBSL四の研究施設もこの国営迷宮のどこかの階層にあり、研究を進めているという噂だ。(BSL、バイオセーフティーレベル四はエボラや天然痘などの非常に危険なウイルスなどの研究が出来る施設)


 そんな危険もはらんだ迷宮だが、探索者達には関係がない。いや、あった。膨大な迷宮改装費用、研究費用の財源を確保する為、国営迷宮のマージンが五十パーセントから五十五パーセントに増税された。一万円の買い取りならば手持ち四千五百円。税金五千五百円となる。探索者達から反発があったが、ドロップ率上げるから! との言葉に黙った。

 尚、何パーセント上げるのかは公表されていない。小数点以下のパーセントの可能性もある。政府にしてみれば、ドロップ率を上げればその分、税金収入が増えるのでウハウハである。

 騙されてるぞ探索者達よ。



 姉弟は上層階層のドロップ品を夢見て眠りにつく。眠りにつく前にスポンサーから託された実験機器をテントの前に置く。スペル詠唱を参考に結界装置を組み上げた。テントに侵入しようとすると結界に阻まれる、かもしれない。まだまだ実験段階であるのであてには出来ない。二人は何かが近づくと気がつくので今のところ機能しなくても大丈夫だ。



 朝……この迷宮では太陽の設定をしていないので明るいままだが、二人は目を覚ます。 今日も体調ばっちり、もりもりとバランス栄養食を口にする。水は弟のスペル頼りだ。セーフティーゾーンで水を提供するエリアもあるが、この階層にはない。

 下層階に行くと浄水装置と共に置いてある。上層階は探索者が多い為、水の供給が追い付かないのだ。下層階は上級探索者しか到達できない為、水が少なくて済むし、政府は高額ドロップ品を持ち帰る上級探索者の優遇措置の一環として行っている。水を運搬するアルバイトを、探索ついでに受ける上級探索者もいる。


「君達、見たところ中級探索者かな? 僕に雇われないかな」


 二人がテントを片付けている所に三十代くらいの男性が声を掛けてきた。男性の後ろには三十代から四十代の男性が三人いる。

 二人は聞こえないふりをして片付けを続ける。


「君達、見たところ中級探索者かな? 僕に雇われないかな」


 さらに声を掛けてきたが、多分ろくな事ではない。片付けを続ける。


「僕はホテルグループオーナーでね。迷宮設立をしようと思ってるんだ。端的に言えばうちの契約探索者にならないかって事なんだけど」


 契約探索者、お抱え探索者とも言う。

 企業迷宮は探索者を呼び込むだけではない、迷宮研究や実験なども行い、ドロップ品の収集をメインに活動している企業もある。フリー探索者頼みだと思ったように集まらない事が多い。そこで企業は契約探索者として雇う事がある。スポンサーとは少し違う。契約探索者は月給もしくは年俸制で、ドロップ品は全て企業に渡す。企業の所有している迷宮か指定した迷宮しか入宮出来ない、という契約がほとんどである。


「お断りします」


 姉が即座に斬り捨てる。はっきり言わないと駄目な相手だと感じた。


「いや、まずは条件を聞いて欲しいかな」


「スポンサーが付いています。お断りします」


「ああ、そのロゴね。若いのにいい探索者なんだね。そのメーカーは知り合いだから僕から話をしておくよ」


 この場合の「知り合い」はどのレベルか判断が付かない。社長と懇意なのか、会社への納品担当者と仕事上だけなのか、知り合いにもいろいろある。


「なぁ? 断るって言ってるけど? 聞こえてる?」


 弟がその男性にイライラしながら話しかける。一刻も早く出発したいのだ。


「だから条件を聞けば納得すると思うよ。いい条件出すよ」


「どんな条件でも、オ・コ・ト・ワ・リ、オーケー?」


「君達ねぇ、探索者としてそんな態度じゃ世の中生きていけないよ? ちゃんと人の話を聞こうね」


「あんたが人の話を聞いていないんだが?」


「僕は条件を言う、君達はそれを聞いて判断する。それだけだよ」


「だからーどんな条件でもお断りっつってんだろ?」


 イライラが顔にまで表れた弟に、控えていた男性三人が弟の前に立つ。


「おい、話を聞くだけだろうが。ちっとは上のモンへのリスペクトってやつがねぇのか?」


「まぁまぁ、ここは迷宮だしね、探索者としては級が上の方が偉いんだよ。この三人はA級探索者だよ? 言う事聞いた方がいいと思うなぁ」


 用心棒のような探索者が弟に迫り、それをホテルグループのオーナーだという男が止める。


「級が上の方が偉いって聞いた事ねぇわ」


「あーそうだね、君達は見たところC級、うーんよくてB級って所か、なら仕方ないかな。今後こういう事の為に覚えておいた方がいいよ」


「あーはい。今後の参考にします。ありがとうございました」


「なんだその態度は!」


 A級探索者と言われた男が弟に殴りかかってきた。弟は避けるが別の男が後ろに回っており羽交い締めにされる。避けられた男は逆上し殴りつける。弟は二人から抑えつけられて動けない。


「やめてください! 殴るなんて!」


 姉が止めに入るが聞く耳を持たない。さらに弟は殴り続けられている。


「ほらね、こういう事も起きるんだよ。上級探索者の言う事はちゃんと聞かないとね」


 ホテルのオーナーという男が姉をたしなめるように言う。

 騒ぎを聞きつけた自衛隊隊員二人が駆けつけ、殴り続けていた男を止める。


「何をしている! ここは喧嘩をする場ではない! やめんか!」


「ハハハ、ちょっと教育をしていたのですよ。なんでもありません」


 弟が解放され、姉がすぐに駆け寄って手当を始める。

 外ではすぐに暴行などの罪で連れて行かれるが、ここではそんな事はない。

 姉弟とホテルオーナー達は引き離され、それぞれ事情を聞かれるがただそれだけ。仲良くしなさい、それくらいで終わるのだ。しかし自衛隊隊員の話ではあのホテルオーナーはよくこのような問題を起こしていると言う。

 よく問題を起こすという事はそれだけ抽選に当たっているという事なのだが、何にでも抜け道はある物だ。

 自衛隊隊員からなだめられて解放されるが、弟のイライラは全開だ。姉も怒り心頭である。


「君達、わかったかな? これからは気を付けなさい」


 ホテルオーナーがまた寄ってきて諭すように話す。


「もう、いいわ。勝手にしろ」


 弟は呆れて姉に頷いて合図をし、同時に走り出す。その後ろを四人が追いかけてきた。走りながら弟はスペルを詠み強化していく。

 魔物を斬り捨てながら走る。二人の方がわずかに速いようだ。少しずつ差が開いてくる。



 かなり無理をして進み五十階層のセーフティーゾーン。ほぼ丸一日走り続けた。


「姉ちゃん、あいつらまだ来ると思う?」


「三人はA級と言っていたから、百階層くらいまでは様子見た方がいいですね」


「はぁーなんか面倒なのに目を付けられたなぁ」


「法的に対処するにしても外へ出ないと何も出来ません」


「そうなんだよなぁー、めんどくせー」


 迷宮内では全て自己責任。盗難にあっても、たとえ殺されたとしてもそれを立証出来なければ罪に問えない。仲間が殺されたとしてそれが魔物によるものなのか、人が殺したのか判別が難しい。返り血を浴びたが、助けに入ったのだと言われればそれまでであるし、血がついた装備を迷宮に捨てておけば飲み込まれて消えてしまう。

 逆に言えば姉弟が反撃に出たとしても相手の自己責任になるのだが、その一線は越えたくない二人だった。ただちょっとしたイタズラはたまにする。


「ここから裏ルートです」


「わかった。じゃー睡眠は短めだな」


 国営迷宮は階層を降りるのにいくつかのルートがある。探索者達がよく使うルートは魔物ポップがほどよく狩りやすい広さがあるが、次の階層に降りるまでの距離が長い。

 裏ルートと呼ばれている物は、異常に魔物ポップが多い、再ポップが速い、道も狭い。さらに魔物部屋と呼ばれる魔物が超密集している場所があり、A級探索者でもそのルートを選ぶ事はまずない。しかし距離は短い。二人にとってはたくさん魔物が居た方がその分、ドロップに期待できるのでそちらの方がいいだろう。


 四時間の睡眠を取り、姉は鞄からアンダーシャツを取り出して引き裂き始めた。それを裏ルートに入る道筋に一枚。裏ルートに入ってしばらくしてもう一枚落とす。

 もしまだ着いてきているならばそれを見つけ追ってくるはずだ。あとはもう自己責任。

 ホテルオーナーという男は装備もつけていなかったし、強そうにも見えなかった。A級探索者でも、裏ルートで一人の人間を守りながら進むのは困難を極めるだろう。




 姉は黒いオーラを纏いながら口元を醜く歪め笑っていた。

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