第8話 吉田脱サラ迷宮二
姉は椅子に座り両手を膝の上におき、顔は正面を向いたままじっとしている。弟は姉の横で同じく椅子に座っているが、マイパッドで漫画を読んでいる。
今日の姉は普段着。黒い無地のTシャツに、ジーンズの短パン、茶色のショートブーツを履いており、エプロンを装備している。
一方弟は長袖の紺色パーカー、ジーンズ、スポーツシューズで二人ともスポンサーロゴ入りだ。もちろんエプロンにも。
ここは吉田脱サラ迷宮カウンター内。
吉田さんが奥さんと二人で探索者資格試験を受けに行くというので迷宮番である。迷宮管理者でありながら探索者資格を持っていない事に驚いたが、快く引き受けた。
吉田さんは、特A級探索者にこんな事を頼むのは悪いのだけれど……と低姿勢で依頼に来たが、姉としては将来迷宮を開設した時の為! と気合いを入れている。
ドロップ品査定は出来ないので応援を呼んだ。
スポンサー会社のダンジョン調律者、ダン調である。四十代男性、黒髪天然パーマで肩くらいまでの長さがあり、装備は茶系のスーツ、赤いネクタイをしている。青いシャツは上から二つボタンを外して着崩している。足元は革靴だ。少し無精髭があり、昨日は遅くまで仕事だったのか眠そうにしている。いや、寝ている。
吉田さんには悪いがこんな迷宮にいていい人物ではない。日本最大のゲームメーカーにおいて第一線で調律をし、世界有数のスポーツ用品メーカーに十億単位の年俸でヘッドハンティングされた人物なのだ。
尚、吉田さんはダン調がそんなすごい人だとは知らずに試験に向かった。
姉が誰か来てくれないかとスポンサーに電話を入れた時に、たまたまダン調が電話に出たのだ。ダン調は総務に顔を出していたところなんとなく電話を取った。普段は絶対にそんな事はしない。電話機に表示された名前が姉だったからかもしれない。
依頼料は要らない、その代わり一緒に最下層まで行ってくれという条件を出した。もちろんダン調は探索者証を持っているし、依頼された迷宮が三階層しかない事も承知の上だ。
入宮するのは吉田さんが戻ってからになるので、それまではこうして一緒にカウンターにいるという訳だ。
「い、いらっしゃいま……せ」
「おー、おばちゃんいらっしゃい! なになにどうしたの? 入るの?」
一人、探索者が来た。裏の細井さんの奥さんだ。姉は緊張して声が小さい。弟は慣れた様子で、商店街で客に声を掛けるように話しかけている。
「そうなのよー、旦那が
どうやら夫の細井さんのお使いのようだ。エプロン姿でマイバッグを手に持ち、もう片方の手には細井さん作であろう太刀を装備している。
「アー吉田さんが迷宮探索者試験受けに行くって、代わりに迷宮番。で、玉鋼? レアドロップだよ、あれ。ここそんなに出るの?」
「滅多に出ないわよー、だからおしゃべりでもしながらのんびりやるのよ。相馬さんと井上さんとね、待ち合わせなの。だからちょっとここで待たせてね」
「いいよいいよ、ゆっくりしてってよ。しかし、迷宮で井戸端会議かよ」
細井さんはカウンター前にある椅子に座り、弟と楽しそうにおしゃべりに興じている。姉は俯き出来るだけ目線を合わせないようにしていた。
そうこうしている内に相馬さんと井上さんの奥様達がやってきた。相馬さんは短剣を、井上さんは大きめのハンマーを装備している。
「細井さんごめんなさいね、待たせたわね」
「お待たせー」
奥様達が細井さんに声を掛けると、細井さんは立ち上がりその場で井戸端会議が始まった。政治の話から始まり、近所の噂話、旦那の話と次々に話題が変わり、姉の話になった途端、姉は迷惑そうにしている。
「そう言えば、お姉ちゃんはいい人いないの? 彼氏出来た?」
相馬さんが姉に向かって余計なお世話を焼く。細井さんと井上さんも、もういい歳よねぇと姉を見た。
「い、いえ……いないです」
「あらー、私が紹介してあげよっか? ほら、この先にあるコンビニやってる山尾さんとこの息子が確か同じ歳くらいだったわよね、会ってみる?」
「いい、です。彼氏いりません……」
「あら駄目よー、そろそろ彼氏の一人や二人作っとかないと! すーぐおばちゃんになるんだからー」
話が止まりそうにない奥様達に弟があきれ顔で声を掛けた。
「おばちゃん、入らなくていいの?」
「あらやだ! 旦那に怒られるわ」
三人はぎゃははと笑いながら探索者証を
姉はほっとし、深い溜め息をつく。弟はマイパッドで漫画の続きを読み始める。
しばらくすると近所の高校生、ミツル君が入ってきた。
「おー! ミツル、どうした?」
「あれ? バイト?」
「そうそう吉田さんの代わりに迷宮番」
姉弟とミツル君は仲が良い。小さい頃から一緒に遊んで育ってきた。ちなみにミツル君は相馬さんの息子である。
「ちょっと入りたくて来た」
「そっかそっか、あれ? 今度受験じゃなかったっけ?」
「うん、息抜きに迷宮」
「そっか、五百円なー。あー三階層に母ちゃんいるぞ。細井さんと井上さんが一緒」
「げぇー、息抜きにならねー。二階層でぶらぶらしとこ」
「おー、じゃーなー」
「うん、姉ちゃんもまたねー」
「バイバイ」
ミツル君は姉にも挨拶をして入宮して行った。姉は小さく手を振り応える。
その後も飲み代を稼ぎに来た人や、暇つぶしに来た人、通りがかりの初回来宮者など、結構多くの人が訪れてきていた。この迷宮はなかなか繁盛しているようである。
細井さんの奥様達が三時間ほどして出て来る。おしゃべりをしながら出てきたので、まだ遠くにいる時から分かった。
「おー、おばちゃんどうだった?」
「一個出たわよ、はぁよかったわー」
「すげー、ホントに出るんだな」
「査定頼むわね」
買い取りカウンターではダン調がまだ寝ていた。弟が体を揺さぶり起こす。
「ダン調、起きて、起きて! お客さん!」
「んー……ん? はい、いらっしゃーい」
カウンターでうつ伏せに寝ていたダン調が、あくびをしながら起きる。首をコキコキならした。
「あら、ちょっと渋い男じゃない。ずっとここに勤めるの?」
「いや、俺は今日だけ。臨時バイト」
「あら、そうなの。普段何してるの、何処に住んでるの? 結婚してるの?」
矢継ぎ早にダン調に向かって質問をする細井さん。ダン調も引き気味だ。
「おばちゃん、査定だろ? ほら出して」
またもや見かねた弟が細井さんを促す。
「あらやだわー。はい、これね」
細井さんは玉鋼と鉄鉱石をいくつかカウンターにのせた。
「へぇ、玉鋼出るんだ、いいねぇ。全部で……えっとここ何パー?」
「二十五パーセントだよ」
マージンのパーセンテージを聞いていなかったダン調が弟に聞く。ほー、安いんだなといいながら頭をかく。
「あ、これ全部持って帰るから。マージンの金額だけ教えてちょうだいね」
「あ、そう? テイクアウトね。じゃ、マージン三万円ね、よろしく」
玉鋼が一つで十万円、鉄鉱石は四つで二万円。十二万円の二十五パーセントで三万円である。買い取ってもらう際は、九万円貰える事になるが、持ち帰る場合は逆にマージン分を払う事になる。こうして迷宮経営は成り立っているのだ。
迷宮探索者証にドロップ品の取得リストが残ると同時に、金額にも換算されるので確定申告の際に使える。それでも計算が煩わしいと、探索者専門の税理士を雇う者もいる。姉弟は倹約の為に自分たちでやっている。
「はい、三万円支払い処理っと。じゃーまたねー」
相馬さんと井上さんは買い取りにして、臨時収入にほくほく顔だ。この収入は旦那には内緒に違いない。
日が暮れ始める頃、吉田さんと奥さんが帰ってきた。お疲れのようだ。
「ただいま。迷宮番ありがとね。団長さんもありがとねー」
吉田さんはダン調の本来の仕事を知らないので、どこかの組合か探索者集団の団長だと思って「団長」と呼ぶ。
「お帰りなさい。入宮者リストは迷宮管理者証で確認お願いします」
姉が報告をする。入宮者は迷宮管理者証を読み取り機にかざす事によってわかる。管理者用パッドに現在入宮している者、買い取り金額、査定額など様々な情報を把握する事が出来る。
「細井さんの奥さん、玉鋼ゲットしてたよ、すげーな。俺も狙おう」
「あー、よく来るよ。奥さんが入宮したら必ず一個は持って帰るね。運持ってるね」
「おお! すげー。で? 試験どうだった?」
「んー、多分大丈夫かな。うちの奥さんも大丈夫そう。結果待ちだね」
「よかったじゃん。さーて、んじゃ入宮するかー、ダン調行くだろ?」
「おー、行こうか」
姉弟とダン調は五百円ずつ支払い処理をして入宮して行った。
ダン調はきょろきょろと視線を動かしチェックするのに忙しい。姉弟はダン調の為に露払いをしているが、この迷宮ではエプロン姿でも余裕だ。
「ほほー、いいねぇ。なかなか考えてあるねぇ」
ダン調の琴線に触れているようだ。感心しながらどんどん先に進む。
迷宮はオートで階層を作る迷宮階層セットと、道程から罠から魔物から自分で全てセットするマニュアルがある。吉田脱サラ迷宮は全てが吉田さんのマニュアルによる物だ。
もちろんダン調の手がけるスポンサー迷宮(仮名)全二百階層もマニュアルである。
「おお!? こんな手法があるのか! いやー勉強になるわ、いいわココ」
ダン調絶賛中。姉弟は近所の吉田さんが褒められて何だか嬉しい。
迷宮は小石ひとつの配置から設定でき、拘る人が作れば中をどのようにも作り替える事が出来る。ミニチュアの城を造り上げる人もいれば、戦艦や日本地図を模して鉄道を走らせる人もいる。そこまでいけば本当に趣味の世界である。破壊の可、不可も設定できるので、巨大怪獣に都市を破壊する様子を演出したりも出来るのだ。もちろんそこまでやるのに金と時間は相当かかるが。
最下層まで降りてダン調が考え込んでいる。その様子を姉弟が不安そうに見ている。
「なぁ、ダン調どうした?」
弟が心配そうに話しかけた。
「吉田さんって何者? どこかで見た手法もあるし、初めて見る物も多い。ちょっとただ者じゃない気がするぞ」
「さぁ? 仕事何してたか……そう言えば知らねぇわ」
「三階層しかないが、ここまで凝っていると迷宮セットの十倍以上の金がかかってるはずだ」
「へぇー、それでお金使い果たしたって言ってたのか」
「お前、もうちょっと驚けよ。すげーんだぞここ」
ダン調が呆れた様子で弟を見ながら迷宮を戻り出す。姉は黙ってダン調の前を進み露払いを再開した。
迷宮受付に戻りダン調が吉田さんに迫った。
「吉田さん! あんた何者? 前の仕事なにしてたの?」
その勢いにびっくりして、照れ笑いをしながら吉田さんが言う。
「いやーハハハ。昔の事なので……今はのんびり迷宮管理者してるって事で、ハハ」
「ちっ、まぁいいや。ここ勉強になるし、また来るわ」
ダン調は不承不承ながら出て行き、姉弟はささっと買い取りを済ませ(ドロップ品はちゃんと拾っていた)、ダン調の後を追う。
外はすっかり暗くなって星の瞬きが綺麗に見える。今日は空気が澄んでいるようだ。下弦の月が三人を優しく見つめていた。
晩御飯はダン調に牛丼を奢ってもらった。
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