第7話 閉鎖迷宮


 今日の姉は気合いが入っている。入りすぎて今にも暴れ出しそうだ。

 防具はいつもの自前の物。武器は百貨店迷宮で使用していたナウソードとグッドミツ。弟もクレセントムーンだ。細井双剣(二人の家の裏に住んでいる細井さんが造った剣)も予備で持って来ている。

 姉の視線は落ち着かない。周りに多くの上級探索者達がいて同じ目的だからである。



 ここは閉鎖迷宮。

 民間迷宮であったが経営が上手く行かずに閉鎖された迷宮である。国への申請と資格審査、試験に通りお金さえあれば迷宮を開設できるが、今回の迷宮のように赤字経営で閉鎖されてしまう迷宮がある。

 元の開設者がきちんと手続きを取り、閉鎖処理をすれば迷宮は消え去り残る事はないが、その処理を怠り夜逃げなどして放置してしまうと閉鎖迷宮としていつまでも残ってしまうのである。


 迷宮管理者が三ヶ月間何らかの変更や継続処理をしないと、迷宮が探索者を受け入れる事をしなくなり誰も入れなくなる。中では魔物がポップし続け、許容範囲を超えると迷宮外に出て来る事がある。そうなると迷宮武器は外では使用できないので自衛隊が出てくる事になるが、自衛隊装備は魔物に効きづらく倒すのに苦労する。また周りに民家がある事が多いので、威力が大きい装備は使えない。


 そこで定期的に税務署が各迷宮を、税務調査を兼ねて廻っているのだ。

 今回の閉鎖迷宮は下に降りていくタイプの全十層。とあるスイミングスクールが社運を賭け全財産を注ぎ込んだが、賭けに負けてしまったようだ。

 税務署がそこを接収し、差し押さえ物件として競売に掛ける事になった。税務署は少しでも滞納されていた税金を取り返したいらしい。


 この競売参加資格に難点があった。またすぐに閉鎖されるようでは税務署も困る。なのでA級探索者以上で、最下層まで踏破できる者、と条件を付けた。つまり最下層まで踏破して初めて競売参加資格を得られるのである。もちろん迷宮開設の為の資格審査が国から入る。


 税務署は設立時に登録された控えの管理者証を使い、閉鎖迷宮を管理下に置く。迷宮設立時に必ず税務署に控えの管理者証を預ける事になっているのだ。その管理者証の取り扱いは国家機密レベルの管理体制がある。職員一人の申請では絶対に手に入れる事が出来ない。


 姉弟はここを得て、左うちわ生活を夢見ている。全十層の迷宮など個人では持つ事が難しい。億単位あるいは数十億単位の金がかかるのだ。それが競売ともなると十分の一からそれ以下になる。迷宮競売は他の競売と比べて敷居が高いのもあり、価格が低くなるケースが多いのである。


「なぁなぁ、姉ちゃん。どんな迷宮にする? 俺はアスレチック迷宮がいいなぁ」


「奇抜なのは駄目です。結局普通の迷宮が一番長生きです」


 弟は趣味に走り、姉は堅実派だ。一攫千金病は完治したようだ。いやこの競売に臨もうとしているから完治は遠いか。それにしても、もう手に入る事を前提に話している二人であった。

 ……二人だけではなかった。周りの探索者達もどんな迷宮にしようか頭に描いている。迷宮探索者とはそういう人種だ。


「ボスはやっぱ竜だよな! ラスボスは姉ちゃんな」


 もう誰も踏破できない気がするぞ、弟よ。



 税務署職員が探索者達の前に立ち説明を始めた。


『皆さん。今回の物件はお手元の資料にあります通り閉鎖迷宮です。競売条件がありますのでよく読んでご参加下さい』


 姉は素直に再度資料に目を通す。物件よし、負債なし(競売金で滞納税金は相殺)、不法占拠なし、参加資格よし、問題なし。


『前管理者が下層階を丸ごとプールにしております。水着の用意はよろしいですか? まぁ、防具で泳げる方はその限りではありません』


「……プール? ……水着?」


 姉は慌てて資料を見返す。……ある、ちゃんと書いてある。どうやら姉はそこから目を逸らしていたようだ。


「姉ちゃん、終わった……」


 弟がこりゃ無理だ、と言うような目で姉を見る。姉の顔から汗がだらだらと落ちてきている。


「う、浮き輪……取りに帰ります。ダッシュです」


『では、受付順に入ってもらいます。三十分おきに入る事になりますので、次の方は準備をしておいてください』


 二人は気合いを入れて臨んで来た為、受付は一番に済ませた。つまり最初に入宮しなければならない。


 職員にさぁ入ってくださいと急かされ二人は中へ入っていく。


 上層階は特に問題は無い。がっくりと肩を落としよろよろと歩く姉に代わり、弟が魔物を斬り捨てていく。ドロップはない。職員が迷宮設定でドロップ無しにしている。


 そして下層階手前のセーフティーゾーン。

 うなだれる姉とどうしようかねぇと悩む弟が座り込んでいた。


「姉ちゃん、これを機会に泳ぎを覚えようぜ! 俺が教えるから」


「……」


「ね、姉ちゃん、これを機会に泳ぎを覚えようぜ! 俺が教えるから」


「……走ります」


「は?」


「水の上を、片足が沈む前に次の一歩を踏み出し、次々と進めば走れると言う理論があります」


「いやそれ駄目な理論だから。よい子は真似しちゃ駄目な系だから」


「行けそうな気がします」


「気だけだって」


 よし、と気合いを入れた姉は下層階へ向かった。弟はやれやれ、と周りを見渡し水に浮きそうな物を探している。

 そろそろ二番目に出発した探索者が追い付いてきそうな時間だ。早い者勝ちではなく、とにかく踏破すれば競売参加資格を得られるのだが、探索者として抜かれると負けな気がするし、後から入る者達も前の組を抜こうという心づもりで来ているだろう。


 弟が姉に追い付くと、下層階の大プールの前で姉が装備を脱ぎ始めていた。防具をはずし双剣もはずして、黒のアンダーシャツとスパッツ、そして裸足になった。


「少しでも軽くしようと思って」


 姉は悲しく笑いながら弟に告げる。


 行きます! と普段より大きい声で叫び姉が走り出す。

 一歩、二歩、三歩、四五六七……


「おお、結構進むものだなぁ」


 弟は感心しながら見ている。姉の脚力は尋常ではない。水を蹴り飛ぶように走っている。


 が、足首まで水に沈むようになった。そして蹴る度にスネ、膝と沈みやがて姉の姿が見えなくなる。


「うわ! やべー!」


 弟が急いで飛び込み救助に向かう。弟は泳ぎは堪能だ。美しいフォームでのクロールですぐに追い付く。姉を水面まで引き上げるが、姉はパニックに陥りうまく岸まで運べない。バタバタと暴れる姉に苦労しながら力業でなんとか元いた岸まで運んだ。


「はぁはぁはぁ……ぐあーきつかった」


「がぼがぼがぼ」


 ほっとする弟と水を吐き出している姉。そんな姉弟を横目に二番目に出発した探索者達が追い付き、装備を付けたまま泳いで行ってしまった。


「こりゃー厳しいな」


「つ、次の作戦です」


「まだ何かあるのかよ」


「とある大昔の聖人は海を割ってその底を歩いて渡ったという話です」


「そりゃただの言い伝えだろ? てか、そんな能力ねぇし」


「何事も物理で解決出来ると聞いた事があります」


 姉がスッと立ち上がり、双剣を手にする。岸辺へ行き双剣を構える。そのまま微動だにしない。力を溜め込んでいるようだ。ぐっと唇を噛み締め双剣を振り下ろした。

 その風圧に水面が裂け水底が見える、と同時に姉が走り出す。走る、水底を姉が走る。だが、三メートルほど進んだ所で裂けた水が戻って来た。


 がぼがぼがぼ……姉が沈む。


 また弟が救助に入って岸まで引き上げた。三メートル裂いただけでも大した物である。

 姉を介抱していると三番目、四番目に出発した探索者達が通り過ぎていった。


「つ、つ、次の作戦です」


「もういいよ、あきらめようぜ。地道にがんばろうや」


 優しく弟が声を掛け姉を慰めるように頭を撫でる。姉の目から涙がこぼれ落ちる。水面みなもがキラキラと輝いて姉弟を照らしている。



「……スイミングスクールに通います」




 姉よ、そのスイミングスクールは倒産したのだ。

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