Episode2. 蒼白の焔

 薄暗い森の中に不釣り合いなぺたぺたと素足の音が耳に入る。

 カイルは前を裸足で歩く少女のわだちを踏んで、その後をついて行った。

「・・・・・・そういえば、まだキミの名前聞いてなかったね」

 カイルが声を掛けると、少女は肩にかかる深紅の長い髪を払う。

「・・・・・・先ずは自分から名乗るのが礼儀でなくて?」

 泉の中で「皆まで言う必要はないわ」と自己紹介をさえぎったのはどこのどいつだ。

「私の名はカイル・ラストロット・・・・・・それでキミの名前は?」

 歩みを止め、少女はくるりとターン決めると、つやっとした唇に人差し指をそっと当てる。

「教えてあーげないっ!」

 少女はそう言うと、再び前を向いて歩き出した。

「は?」

 カイルは悠々と前を歩く少女の肩口を掴む。座標を固定された少女は、出しかかった右足を地面に下ろし、振り向いた。

「なによぅ」

 その表情は文句たれたれといった感じだ。

「名前くらい教えてくれても良いだろ」

「名前くらい知らなくてもいいでしょう?」

 少女の返答に、カイルはため息をつく。

「分かった、もう聞かないよ」

「あら、随分と諦めが早いのね。殊勝しゅしょうな心掛けだわ」

「まぁな」

「・・・・・・私の名前なんて、すぐに分かる日が来るもの」

 つぶやかれた少女の言葉は、形となることはなかった。

「それにしても、よく着替えをのぞかなかったわね。・・・・・・大抵の人は皆、欲望に勝てず、すぐに振り向いてしまうのに」

「私がそんな変態に見えるのか?」

「ド変態もいいところよ。いち、にー、三周回ってもド変態ね」

 この少女、可愛い顔して結構けっこう酷いこと言うな。

「参考までに聞かせてもらうが、もし私が覗いてたら、キミはどうしていた?」

 カイルの問いに少女は足を止める。それから彼女は右手を伸ばし、何か呪文のようなものぼそっと呟くと、何もなかったはずの空間から突如として、黒く色づいた大鎌が顕現けんげんした。

 大鎌は少女の手に渡ると、蒼白いほのおを宿す。

 少女は右手で器用に大鎌をくるくると廻し、蒼い火花を散らす。

 そして、次の瞬間。

 その刃をカイルの首に充がった。

 カイルは緊張から全身の汗腺が開き、ぶわっと汗がにじみ出る。

 微かに触れる焔がカイルの首をじりじりと焼いた。

「この首がぽんっと飛んでたわ」

 少女はにこりと微笑みかけ、ぱちりとウインクをきめる。

 彼女のウインクを合図に、カイルの首に充てがわれた大鎌は光の粒子りゅうしとなって消えていった。

「し、死ぬかと思った」

 力が抜けて、カイルは尻もちをつく。

「腰抜かしたの?情けないわね」

 少女はそう言い残し、先に歩き出してしまった。

 カイルは蒼白い焔で焼ける落ち葉に目を向ける。

 こんなもの初めて見たぞ。

「亜空間から神代の武器を取り出すとか・・・・・・やっぱり、女神じゃないか」




 それから数刻すうこくも経たずして、小さな広場にたどり着いた。

 ここだけは何故か木々が一切生えておらず、カラフルにいろどられた花々だけが咲き乱れている。

 広場には大きな崖があり、そこには大きな穴があいていた。

「ここは・・・・・・?」

 カイルが尋ねると、少女は花園を突き抜けて崖穴の中へ入って行った。

 少女は傍にその辺の岩に腰を下ろし、ちょんちょんと手招きをする。カイルは少女の向かいにある岩に座った。

「ここが私の今の棲家すみかなの、結構良いところでしょ!」

 少女はそう言って、一箇所に集めた木の枝や落ち葉等に手をかざす。

 すると、積み上げられた枝は、一瞬にして蒼白い焔を灯し、豪火ごうかの如く燃え始めた。

「あたたかい」

 カイルは焚き火に両手を伸ばし、冷えきった体を温める。

「濡れた服は脱いでおいた方が良いわよ」

「それもそうだな・・・・・・よっ」

 裾を掴み、肌にはりついた服を一気に脱いだ。

 びしょびしょに濡れた服を干そうと立ち上がる。すると、顔を両手でおおった少女の姿が目に入った。

「・・・・・・何してんの?」

 少女は、指の隙間すきまからちらっと瞳を覗かせる。

「レディの前で服を脱ぐなんて卑猥ひわいだわ・・・・・・このド変態ッ!」

 そう言った彼女は赤く染まった顔をそむけ、カイルに向けて指をさす。しかし、顔を背けてしまっている為、指先はあらぬ方に向いていた。

「脱げって言ったのはキミじゃないか」

「それでもよっ!!」

 ・・・・・・そんな理不尽な。

 少女のめちゃくちゃな暴論にカイルは溜め息を吐き、ひとまず火元の近くにある岩に服を干した。

 それから少女の傍まで寄る。

「・・・・・・なによぉ」

 少女はうれいをびた蒼い眼差しで近寄って来るカイルを見据えた。

「キミの服、貸してくれないかな」

 カイルの頼みに、少女は自ら着ているワンピースのすそを摘んだ。

「・・・・・・この服しかないのだけれど」

「じゃあ、それで」

「私に脱げと・・・・・・」

「駄目かな?」

 カイルがそう言った瞬間、爆風と共にカイルの髪を何かが掠め、背後にあった崖穴がけあなの壁がぜた。

 振り返ると、先程さきほど見た黒い大鎌おおがまが壁にき刺さっていた。崖壁には蒼白い焔が蜘蛛の巣の如くほとばしり、岩肌を高温で赤く焼いている。

「・・・・・・・・・・・・冗談です」

「そう」

 カイルは冷や汗を浮かべ、元いた位置に戻るとお行儀よく座った。

 すると、何故か少女はカイルの顔を凝視ぎょうしし始めた。だが、カイルの目は少女の目と合うことはなく、虚空こくうを見つめているようにすら思える。

「なんだよ。さっきからじっと見て」

「いえ・・・・・・その髪型、似合ってると思って」

「髪型ぁ?」

 カイルは右手でそっと頭を確認する。

 そこに本来あるはずだった髪の毛はなく、代わりにチリチリとなった荒野が広がっていた。

 先程、かすめた少女の焔がカイルの髪を焼いたのである。

「なんじゃこりゃああああああああ!!!」

 今日まで丁寧につちかってきたカイルのふさふさヘアーは見る影もなくなり、頭皮が荒れ果ててしまった少年は絶望に打ちひしがれて膝をつく。

「そんなに残念がる必要はないわ、とってもお似合ってるもの」

「このゲス女神め、お前だけは絶対にぶっ殺・・・・・・」

「何か言ったかしら?」

 そう口にした少女の手には投げたはずの黒い大鎌がった。

 カイルは蒼白く光を灯す大鎌を目にし、全身からぶわっと汗がき出した。

「・・・・・・いえ、何も言ってないです」

「よろしい」

 彼女がそう言うと、大鎌は光の粒となって消えた。

 コイツ、やっぱり怖ぇー!きっと結婚したら旦那だんなを尻にくタイプの女だ。

「アナタ、いま失礼なこと考えなかった?」

 ―――ギクッ!?

 カイルの肩が小さく上がった。恐る恐る顔を上げると、不気味なくらいまでの可愛いらしい笑顔を浮かべた少女がこちらを見据みすえていた。

 エッ、女神って人の心まで読めちゃうの?いや、待て、だとすれば・・・・・・この首はとうに飛んでいるはずじゃないのか。

「いや、そんなことは・・・・・・」

「エッ、女神って人の心まだ読めちゃうの?いや、待て、だとすれば・・・・・・この首はとうに飛んでいるはずじゃないのか」

 目の前の彼女はとおるような声音こわねで、カイルが思っていたことを一言一句、たがわずに述べてみせる。

「・・・・・・・・・・・・」

 全てを見透かされていたことを知ったカイルは、空いた口がふさがらなかった。

 そんなカイルを見て、少女はふっと口角をつりあげる。

「安心して良いわよ、この程度で怒ったりしないもの。・・・・・・だって私、優しいから」

 本当に優しい人なら、初対面の人の頭皮を丸焦まるこげにしないはずなんだけどなあ。あ、コイツ人じゃなくて女神だったわ。

 カイルは岩から立ち上がると、地面に横になった。肌に触れる地表は冷たく、血の気が引かれる。

「あら、もう寝るの?」

「あまり期限がないもんでな、明朝には旅立つ」

「そう」

 少女は瞳をせると、急にしおらしくなった。

 ―――もしかして、さびしいのか?

「なぁ・・・・・・」

 カイルが口を開きかけた時、一枚の布切れが顔にかぶさった。

「寝るなら、ちゃんと温まって寝なさい」

 顔にかかった布切れを取り、少女の顔を見やる。

 外を向いた少女の頬は、焚き火に照らされて蒼く染まっていた。

「おやすみ」

 そう言うとと、カイルはまぶたを閉じる。だが、その日は眠りにつくことができなかった。










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