危懼に汚れた女神の真名

水瀬 綾人

Episode1. 森の少女

 陽光が届かぬ程の薄暗く、深い森の中。

 地面を踏みしめる度に足元で木の枝が折れ、鳥のさえずりや小風にあおられた樹々がこすれ合う音が周囲をおおう。

 それとはまた別に、カイル・ラストロットのお腹が空腹を訴えるようにぐぅーと音を鳴らした。

「・・・・・・お腹すいて死にそう」

 予言者よげんしゃの弟子であるカイルは予言の伝達の使いを頼まれ、メルリア村を目指していた。

 承った予言というのは、メルリアが地図から消えるというものだった。

 タイムリミットは二週間。

 焦っていたカイルは、道中、馬車を乗り継いでも七日はかかる道のりを突っ切るべく、近くの森を突森に足を踏み入れた。それが彼に災難をもたらした。

 森に入るなり大蛇タイラント・スネークに遭遇したり、誤って火焔熊ファイア・ベアの巣穴に落ちて丸焦げにされたりと散々な目に遭った。

 それからも幾度いくどとなく災難に遭い、森中を縦横無尽じゅうおうむじんに駆け巡ったせいで、現在では自分が何処どこにいるか全くわからなくなってしまった。所謂迷子である。

「期限までに村に着けるかな」

 ぐぅーとまたお腹が鳴った。正直、さっきからお腹が鳴りっぱなしで頭がどうにかなりそうだ。それにここ暫くは水すらも口にしていない。

 お師匠様から携帯用の食料をいくつかいただいてはいたのだが、それも全て食べてしまった。

 育ち盛りだから仕方がないのではある。しかし、自身の過失を責めずにはいられなかった。

 水や食料を探しつつ、更に森の奥へと足を進める。すると、唄声のようなものがかすかに聴こえてきた。

「誰かいるのか?」

 カイルはその唄声うたごえに誘われるかのように道かられて、右側の茂みをかき分けて進んで行く。

 唄声の在り処に近づく程、森に霧がかかり始めた。この森に入って霧がかかったのは今が初めてであった。

 やがて茂みを抜けると、眼前には大きな泉が広がっていた。

 しかし、カイルの目がかれたのは泉ではない。

 泉の中央、真珠の様な白い裸体を惜しみなくさらし、麗らかな深紅色の長い髪を垂れ流した一人の少女だ。

 彼女は泉の中央にたたずみ、透明感のある声で唄を口ずさんでいる。

 カイルはそんな彼女の後ろ姿に見惚れ、ぼんやりと立っていたが、理性が戻ってくると邪念を払うかのように首をぶんぶんと振り、所持していたびんで泉の水をみ始めた。

 どうしてこんな森の中に少女がたった一人でいるのだろうか。

 不可解な点は幾つかあるが、水浴びをのぞいたことはバレたくなかったので、カイルはこっそりと水だけ確保してこの場を去ることにした。

 斜面となっている足場に手をつき、瓶を持つ手を限界まで泉に伸ばすが、ぎりぎり届かない。

「あと少しなのに」

 カイルはどうしたものかとわずかな時間考えた末、すぐ手元にある細長い葉っぱをつなの代わりにすることにした。

 細長い葉を左手で掴み、瓶を持った手を泉に伸ばす。すると、瓶の口が水に触れた。

 やった、届いた!

 カイルが口元を綻ばせたその瞬間、ぶちっと何かが引きちぎれる様な音が聞こえた。

「えっ?・・・・・・ちょ、ちょっと待た!?」

 大きな水しぶきを上げて、カイルは引っ張られるように泉に落ちた。

 ぼこぼこと水の中で空気がれる音が体を包み込む。

 カイルは水底に手をつくと、外気を求めて水面から勢いよく顔を出した。

「ぶはっ!?・・・・・・あー、びっくりした」

 落ちた時はもう駄目かと思ったけど、浅瀬あさせで本当に助かった。

 カイルの髪先からぽつりと水滴が垂れ落ち、水面に波紋が広がる。

 全身ずぶ濡れになってしまった。幸いにも、荷物は岸辺に置きっぱなしだった為、地図等の紙類を濡らさずに済んだ。

「そこにいるのは誰?」

 先程までの耳を溶かすような心地よい唄声とは打って変わり、鋭く突き放すような声音がカイルの耳を刺す。

「ひぃっ!?」

 カイルが恐る恐る声の方へ振り返ると、自身の裸体を抱く様にして此方に背中を向け、体を水で浸している少女の姿があった。

 深紅色の髪をした少女は半身のまま、蒼い瞳でカイルを見据える。その瞳はまるで親の仇でも見ているかのようだった。

「えっと、私は・・・・・・」

 ひとまず敵ではないこと説明すべくカイルが口を開くと、少女がてのひらでそれ制した。

「皆まで言う必要はないわ。わたし、アナタのこと知ってるのよ」

 これは一体どういうことだろうか。

 カイルが目の前の少女を見たのは今が初めてのはずだ。いや、もしかしたらカイルが憶えていないだけで、実はこの少女と既に何処かで出逢っていた可能性もなくはない。

「失礼ですが、以前にどこかで・・・」

「アナタ、『へんたい』って云うのよね」

「・・・・・・・・・は?」

 綺麗な顔をして、この少女はいったい何を言い出すんだ?

「わたし、知ってるんだから。人間の中には異性の裸を覗いてコーフンする『へんたい』がいるって。他の女神から聞いた話だから間違いないわ」

 少女は言うや否やカイルからささっと距離を取った。

 確かに白く滑らかなくびれやお尻に何も感じるものはなかったといえば嘘になるが、それだけで変態扱いされては困ってしまう。それにどちらかといえば、女の子が外で素っ裸になって唄を歌っている方がよっぽど変態だとカイルは思った。

 しかし、それ以上にカイルには一つ気に掛ることがあった。

「他の女神・・・・・・ということは、貴女様は女神様でいらっしゃるのですか?」

 相手に不快な思いを抱かせぬよう、なるべく丁寧な言葉遣いを心掛ける。

「・・・・・・・・・・・・」

 だが、なかなか返答が来ない。

 しばらくの沈黙の後、終いには少女がふいっと顔を逸らした。

「・・・・・・そんなわけないじゃない」

「なんだその間は?」

 あからさま過ぎる少女の嘘にカイルは思わず、素の声が漏れてしまった。

「それでどうしてアナタはこんな所にいるのよ」

 俺の問いには目もくれず、少女は話を進めた。

「あ・・・・・・こいつ、話をはぐらかしやがった」

 この女神?相手に丁寧な言葉遣いなど不要とばかりにカイルの口調はどんどん砕けたものになっていく。

うるさいわね、私が聞いてるのよ!」

 ワガママ少女に根負けし、カイルは素直にこれまでの経緯けいいを話すことにした。

「実は私、予言者の使いの者でし・・・・・・はぁー、はくしゅ!」

 カイルが盛大にくしゃみをすると、少女が一変した。

「いけない、風邪を引いてしまうわ」

 先程まではどこか棘のある面持おももちであったのに対し、今の彼女は弱々しく丸みを帯びているようにすら感じる。

 もしやこの少女、本当は凄く良い人なのではないのか。

 少女は着いてきてと言わんばかりに、泉の反対側を目指して歩き出した。

 カイルは草原の上に置きっぱなしだった荷物を手に取り、荷物が水で濡れないように頭の上に乗せると、そのまま少女の後を追った。

 先程いた場所から反対側に位置する泉のほとりにたどり着いた。

 すると、少女はちらりとカイルを一瞥いちべつする。

「着替えてくるから、そこで目をつぶって後ろを向いてなさい」

「分かった」

 カイルは少女の指示に従い、目をつむると、泉の中央に顔を向けた。

「良い?絶対にこっちむいちゃ駄目よ。駄目なんだからね!」

 少女はこれでもかという程に念押しをすると、カイルのすぐ背後で飛沫しぶきが音を立てた。少女が泉から出たのだろう。

 その間にカイルは、彼女の念押しがちまたによく聞く『フリ』ではないかと思考を巡らせていた。

 微かに衣擦きぬずれた音が耳を澄まさずとも耳に届く。

 もし振り返ったら、生まれたままの姿で羞恥にゆがんだ少女の顔を見れる。

 このような状況におちいった時、大体の男は欲望に負けて振り返ってしまうのだろう。

 しかし、彼女はさっき風邪を引きそうになっていた自分を本気で心配してくれた。

 それを思うと、カイルの頭で彼女の着替えを覗こうなどという野暮な考えは自然と霧散むさんした。

「もう目を開けて良いわよ」

 ゆっくりと瞳を開き、後ろに振り返る。

 少女は透かし彫りの真っ黒な袖のないスリットワンピースを着ていた。肩口から伸びる細い腕。スカートの切り込みからは白い太ももがチラついて艶やかさを演出している。綺麗な深紅色の後ろ髪は青いリボンで束ねられていた。

「・・・・・・・・・・・・」

「なによ、黙っちゃって・・・・・・もしかしてれ直した?」

 図星をつかれ、みるみる顔の温度が上昇していく。

「そ、そんなわけないだろうっ!」

 少女は満足そうな笑みを浮かべると、きびすをかえして森の奥へと歩き出した。

 カイルは顔の火照りを冷ますことができぬまま、その少女の後ろをついて行った。

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