第5話 ホームルームはいい匂い、前編

「えへへ。今度おいしい立ち食いそばの店が出来たのね。だから一人試食会をしてきちゃったの」


 駒込サクラは、口からソバつゆのいい匂いをさせながら答えます。どうやら駅の中にある立ち食いそば屋で温かいおそばを食べて来たようです。


 ***


 山手線は通勤主体の電車で、乗り降りする人がすごく多いので、美味しい立ち食いそばのお店が駅の中にある場合が多いのです。ネットで『山手線の立ち食いソバ』で検索してみてください、思いのほか沢山のおそば屋さんが出てきますよ。


 ***


「ウーン、サクラの制服もいい匂いがするよ」


 大塚メメが駒込サクラの制服に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ仕草をしています。


「え?あ、ヤバイかも。制服にだし汁のシミが付いてる……」


 駒込サクラは制服のブラウスの裾の部分を指でなぞりながら、ほんのりと付いたシミのようなものをしきりに気にしています。


「そうか、野菜のかき揚げをどんぶりに落としたトッピング時におつゆが跳ねちゃったんだ」


 駒込サクラは本当に残念そうに、おそば屋さんでの出来事を振り返っているようです。大塚メメは、気持ちよさそうに駒込サクラの制服の匂いを嗅ぎ続けています。


 たしかに、大塚メメに言われると、田町ミカも駒込サクラから美味しそうな匂いが漂っているのがハッキリと自覚出来ました。この匂いだけで、小ぶりのお茶碗に、ご飯三杯は食べられそうです。


「それよりも、急ごう!メメ、サクラ」


 メメが言うには新橋先生は1分30秒遅れるそうですが、いつまでも階段の下で話し込んでしまったら、本当に間に合わなくなってしまいます。田町ミカは、クラスメートの大塚メメと駒込サクラを引っ張るように、ホームの一番端にある教室に向かいます。


 ガラガラ


 トビラを開けて教室に入ると、既に他のクラスメート達は自分の席に着きながらおしゃべりをしています。


「あ、おはようミカ。どうしたの今日は遅刻じゃない?」


 クラスメートで学級委員長の上野ハルが、すこし怒ったように言います。学級委員長は時間に厳しいのです。


「え?でもさ、まだ新橋先生来てないからセーフでしょ?」


 田町ミカは、必死になって上野ハルに言い訳をします。その横を、大塚メメと駒込サクラはそーっと抜けようとします。


「ほら!メメさん、サクラさん。あなた達も同罪でしょうっ!」


 上野ハルは、大塚メメと駒込サクラの襟足をむんずと捕まえて逃がしません。


 ガラガラ


 そこへ、担任の新橋先生が入ってきました。ジャスト1分30秒遅れです。


「どうしたのですか、上野ハル委員長。クラスメートを三人も捕まえて」


 教科書と授業を進めるためのノートを、教壇の上にポンポンと揃えて置きながら、新橋先生は、委員長に訪ねます。


「新橋先生、この三人は、ホームルームが始まる時間に1分も遅刻しました。ぜひ罰してください」


 まじめな委員長は、たった1分の遅刻も許してくれません。そんなにキチキチしていたら彼氏も出来ないんじゃあない?と他人事ではありますが田町ユミは心配になってしまいます。


「まあ、まあ、上野ハル委員長。今日は大目に見てあげましょう。僕も1分30秒遅刻してますからね。担任が来る前には教室に入っていたのでしょう?それならばセーフで良いですよ」


 新橋先生は、不思議そうな顔をして鼻をひくひくさせながら、優しく学級委員長に言います。


「しかたありませんね。新橋先生に免じて今日は不問と言う事にいたします。しかし、次回はありませんよ。特に田町ミカさん、あなたは私と同じく勉強も出来るのですから、クラスの模範になって頂かなければ示しがつきません。以後気を付けてくださいね」


 上野ハルは、さっきまでの怒りっぷりは何処へ行ったのか分からないくらいにこやかな顔をして、田町ミカを見詰めています。なぜか頬が赤くなって少し上気しているような気がします。


 駒込サクラが入って来てから、教室には温かいおそばのおつゆの香りが漂い始めました。


 クラスメート達も美味しそうな匂いを嗅いで、最初は不思議そうな顔をしていたのですがみんなニコニコして来ました。


 担任の新橋先生も、教室に入ってきた時から不思議そうな顔をして鼻をヒクヒクさせていましたが、最後には、自分の背広の匂いを嗅ぎ始めます。今日は新橋先生も、駅の立ち食いソバだったんですねきっと。


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