強襲の気配

 二人が帰路を辿る途中、ルディアは何かおかしな事を言い出す。


「……何かいるわ」

「は?」


 最初に会った時のリルならば、否定をするが、彼女が常人離れをした能力を持っていると理解している今ならば、その事を信じる他ない。


「ど、どこなんだ?」

「森の中……左!」


 その察知能力はどうやら的確なようで、彼女の言った通りの場所から何かが飛び出てくる。

 黒い影、人型であることは確かなのだが、姿がはっきりと見える前に、ソレはリルに襲いかかる……! 


「危ない!」

「うわっ!?」


 ルディアの声、それと同時にリルの視界は横へとズレる。もう少し正確に言うと、ルディアがリルの体を右手で抱え、黒い影の攻撃をかわしたのだ。


「あ、ありがとう……」

「礼を言う暇はなんかない! アンタは私の後ろに隠れてて!」


 彼女は敵をしっかりと見据えたまま叱責し、武器は持っていないものの、戦闘体制に入る。

 敵の存在、それは男の人間だった。ツノや尻尾、口から飛び出る牙もない。肌は赤くも青くもない。しかし、目の色は少し変であった。赤色の光を帯びており、鼻息が荒く、まるでケダモノのような唸り声を出していた。


「コイツ……操られてる……?」


 そう判断するのもつかの間、敵は飛びついてくる。ただ、それはルディアやソフィのスピードには及ばず、精々三ヶ月前の魔物達と同等か、それ以下だろう。

 それでも、一般人には反応できないものである。


「ふっ……!」

「アガッ!」


 大振りな右腕での攻撃、それを彼女はあっさりと掴み、一瞬の内に組み伏せる。男は暴れるものの、振りほどける気配はない。


「これは術を解くしかないわね」


 そう言うと彼女は何かを詠唱したと思いきや、掴んでいる手とは反対の手を男の頭に添えて、詠唱を始める。


「汝にかけられし術、洗脳の術、今こそ我が消し去ろう……」


 それと同時に、だんだんと彼女の手に暖かな光が宿っていく。かと思えば、男は落ち着きを取り戻したかのように、ケダモノらしさが消えていき、目の色は赤から黒へと変化していく。

 そして、その光が収まると、彼は意識を手放し、目を閉じて眠ってまう。


「大、丈夫……なのか?」

「ええ。今のところはね」


 安全を確認したリルは男の顔を覗き込む。

 男は短いツンツンの茶髪に、整った顔立ちをしており、リルと比べれば、いや比べなくとも明らかなイケメンだ。少々童顔ではあるが、充分に男らしい顔つきでもある。

 体の肉つきもしっかりとしており、リルよりも背が高めだろうか。以上から、おそらく彼とリルは同世代くらいの年齢だろう。


「こいつ、縛っておいた方がいいのか?」

「必要ないわ。魔法で操られてただけだから。それよりも一旦彼は家に連れて行きましょ。ほら、担ぐの手伝って」


 リルは少し怪しみながらも、ルディアの言う通りに男の肩を持ち上げて、彼女の背中に乗せる。


「よし、これでいいわね」


 しっかりと男が背中に乗った事を確認し、ルディアは男を軽々持ち上げ、リルとともに再び帰路を辿り、そして何の出来事もなく帰宅する。


「で、どこに寝かせるんだ?」

「使ってない部屋に三つ目のベッドがあるから、それを使うわ」


 この家には、リビングにキッチン、そしてルディアの部屋とリルの元客室がある。その他にも部屋はいくつもあり、今回はその中の空き部屋を使う事になる。


「ほら、下ろすわよ」


 その空き部屋に入り、早速二人はベッドに男を寝かせる。

 にしても、使っていない部屋と彼女は言ったが、ベッドや床に埃はほとんど溜まっていない。彼女が定期的に掃除をしているからだろうか。


「彼、服も体も結構ボロボロね」


 今ベッドで寝ている男は肌にいくつものかすり傷を負っており、服も奴隷のような物で、人として生活していたとは到底考えにくい。


「そうだな。森の中から出てくるくらいだから、そこらの動物と同じのような生活でもしていたんじゃないのか?」

「かもね。けど、操られていたのは少し気にかかるわ。

 まあ、でも今は彼が目覚めるまでの看病よ。リル、彼の服を着替えさせてあげて。貴方、服が少し大きかったでしょ? 彼ならピッタリなはずよ」

「へいへい」

「返事は、はいの一回よ。それじゃあ、私は外に出るから……」

「ううーん……」


 その時、誰かの声が聞こえる。二人はその声に聞き覚えがなく、一瞬戸惑ったが、誰の声かが次には理解する。

 男が目を覚まし、起き上がったからだ。


「(ここは……?)」

「起きたわね。しかも結構早く」

「(君は誰なんだ?)」

「聞きなれないわね……どこの言葉かしら?」


 早速会話が始まったが、二人は互いの言葉が分からず、その様子はぎこちない。どうやら、彼の言語はルディア達の使う物とはまた違う物らしい。

 だが、唯一互いの言葉を理解している者が一人だけいた。


「ルディア、こいつの言ってる事分からないのか?」


 それは記憶喪失のリルだった。


「貴方、彼の言っている事分かるの?」

「一応な」

「(お前、さとるか?)」

「へっ……?」


 突然として、知らない名前が出てきて驚くリルであったが、男は跳び起き彼の肩を掴む。


「(暁! やっぱ暁じゃないか! 今までどこに行って……いっつつ)」


 しかし、体中の傷が痛みとなり、彼の体は上手く動かす事ができず、布団から転がり落ちてしまう。


「そんなに慌てないで。自覚がないようだから言っておくけど、貴方の体、結構ボロボロなのよ」

「それ多分、こいつには理解できないぞ」

「あ、そう……ね。私も彼の言葉理解できないんだから普通はそうよね」


 とりあえず、またベッドに乗せるため、リルとルディアは彼の体を再度持ち上げて、寝かせる。


「(サンキュー)」

「ああ。どういたしまして」


 礼を返したが、リルには一つ懸念があった。

 自身の言語を彼が理解しているかどうかだ。今普通に喋っている言葉はルディアに理解できているが、そもそもそれ以外の言語というのをどうやって喋ればいいのか分からないのだ。

 つまり、彼の知識には一つの言語しかない。言葉を理解できても、口に出す知識がない。


「(どうしたんだ、暁?)」

「いや、俺はそのサトルなのかどうか……なあ、俺の言葉分かるか?」


 ここで、彼は意を決して尋ねる。一か八かではあるが、そうするしかなかった。言語の切り替えができない以上、ダメ元で試してみる。


「(は……? いやまあ、普通に分かるけどさ)」


 成功だ。そしてここに来て、今やっと彼とのコミュニケーションが取れる事が発覚した。


「アンタ、さっき私達の言葉じゃ理解できないって言ったわよね?」

「いや、俺の言葉は分かるらしい」

「嘘でしょ!?」

「本当だ。あと俺の事をサトルってずっと呼んでる」


 ルディアはその事実に疑心の目を向けるが、先ほどの様子からすれば二人の会話に齟齬があるようには見えず、とりあえずは大丈夫だろうと判断する。


「じゃあ、ちょっと通訳してくれる?」

「あ、ああ」


 そして、ここからルディアと男との初めての会話が始まる。

 本来ならばリルという通訳が通されて会話が成り立っているが、今回はそれを省略していく。


「貴方、まず名前を教えてくれない?」

「俺? 俺の名前は日高ひだか 善明よしあきだ。君は?」

「私はルディア・ルフェンよ。よろしくね、ヨシアキ」

「ああ、こちらこそよろしくルフェン」

「別にルディアで良いのよ」

「そうか? なら、ルディアで」


 順調に会話が進む。リルの通訳はスムーズに行われているようで、つまづくことも、ほとんどなかった。


「まず最初に確認しておくけど、貴方、記憶喪失じゃないわよね? 親の事とか、自分がどこにいたのとか覚えてる?」

「え? ……うん、ちゃんと記憶はある。大丈夫だ」


 男、善明は少し考え、記憶がある事を確かめる。


「じゃあ、次の質問。ヨシアキ、貴方どこにいたの?」

「その前に。ここ日本じゃないよな?」

「ニホン……聞いた事ないわね」

「本当か? 結構世界中でも知られてると思うんだけどな……」

「なあ、ルディア。その日本っていうのお前が知らないだけじゃないのか?」

「それはないわ。この世界で国と呼ばれる場所は六ヶ国しかないはずよ」


 ルディアの言う通り、この世界には国が大まかに六個あり、


「となると、彼は別世界からの迷子っていう可能性が高いわ」

「べ、別世界って……そんな所から来れるのか?」

「ありえなくはないわよ。魔法であれば、それぐらいの可能性を秘めているし、神話の神さまも別の世界から来たらしいし」


 そう言われると、リルは納得せざるを得ない。彼は魔法やこの世界について詳しいわけではないが、不可思議な体験に一日の内で何個も出会っており、否定できる材料がなかった。


「暁? 別世界とかって、何の話をしてるんだ?」

「いや、俺も何がなんだか……」

「……ねえ、そのサトルっていう名前だけど」


 ルディアが唯一聞き取れる単語、『サトル』という名前、それはどんな翻訳をしようが、固有名詞であるためこの場にいる誰もが同じ音であるため、彼女はそれについて言及する。


「それ、彼がサトルだっていう証拠はあるの?」

「あるさ。本人に聞いてみればいいじゃないか」

「あいにく、彼は記憶喪失よ」

「うそ……だろ……?」


 衝撃の事実、それは彼の目を点にさせる。

 その顔は絶望と、そして信じられないという感情で埋め尽くされており、今にも涙を流しそうであった。


「じゃ、じゃあ、俺の事も……」

「待って。その前に私の質問にちゃんと答えてちょうだい」


 友人が自分の事を覚えていない。そんな残酷な現実を突きつけられている善明だが、その彼にルディアは問い詰める。問い詰めなければならなかった。


「し、質問って……」

「彼がサトルである証拠よ。

 そうね、例えばそのサトルがいつ失踪したか。それぐらいは答えてもらわないと」


 こんな質問をしているが、彼女とて鬼ではない。彼の言うことを否定したいわけではなく、あくまでも事実確認をしたいだけだ。


「え? えっと……大体三年ぐらい前、かな?」

「なら違うわね。彼は三ヶ月前に来たばかりよ」

「そ、そんな事ない! だって、暁と俺は同い年だったし、そこにいる暁は暁とおんなじ顔だし! 

 そもそも、その二年と十ヶ月? ぐらいに何かあったかもしれないじゃないか!」


 なんだか意味不明な言葉を並べており、善明すらも理解できていないのではないかと思われるが、それくらい彼は必死なのだ。友人が友人でないと、三年来に再開した暁が幻となっていくようだったから、ルディアの言うことを否定したかった。


「……まあ、別世界間の時間のズレっていう可能性もなくはないか。

 いいわ。この話は一旦保留よ。リルが本当に暁なのか、貴方の帰る方法とかを解決できるようにしておくから」

「別に帰るなんて言ってない」

「そんなこと言って……っ!」


 会話の途中、突如としてルディアは何かに感づいたように険しい顔つきになる。冷や汗が額から流れ出し、歯をくいしばる。鬼気迫る表情とは、まさにこの顔であろう。

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