第二章 異次元の魔術師

守り人と周りの人

 吹雪の異変から三ヶ月後、朝方の時刻。

 風は少し涼しくなったものの、太陽の光は暖かく、以前と比べても特に気候の変化はなかった。特例であった異常気象の吹雪はなく、木々は生い茂ったままで、春日和といった表現が一番だろう。


「いち……に……いち……に……」


 そんな中で、リルーフ・ルフェンは森の道を歩いていた。整備はそこそこされているものの、小石がたまに紛れ込んでいたりしており、普通に歩く分には問題ないが、彼は普通には歩いていなかった。


「こんな山盛りの野菜を売らないと、生活できないって……農作業って大変だろ……」


 キャベツやら、トマトやら、ジャガイモやら。とにかく大量の野菜を背中に背負い、右手と左手も、その野菜を包んだ風呂敷に掴み、運んでいた。


「そりゃあ大変よ。普通なら馬を使うんだから」


 そしてもう一人、リルの他に同じように荷物を持って歩いている人物、ルディア・ルフェンがいた。

 いや、同じように、というのは語弊があるだろう。彼女はリルよりも多く荷物を背負い、かつ安定した歩き方をしている。


「だったら、馬を飼ってくれよ〜……」

「買うにも育てるにもお金が必要じゃない。それにこっちの方がトレーニングになるし」

「俺はそのトレーニング、必要ないんだが!」


 リルのツッコミも虚しく、無かったかのようにルディアは先へと進む。


「くっそ〜……待ってくれよ!」


 それに置いていかれまいと、リルもペースを上げる。


「いち……に……さん……し……」


 数字を声に出しながら、一歩を出す度に慎重に歩く。

 少しでも体制を崩せば、重心が全て持っていかれるからだ。


「見え……て……きた……!」


 しかしその重労働も、もう終わりを迎えようとしている。目的地である村が見えてきたからだ。

 これらの大量の野菜は、全てリルとルディアが丹精込めて作った農作物だ。つまり、この三ヶ月の努力の結晶である。

 それをどうするか。市場へと売りに出すのだ。まあ、直接売るわけではないのだが。


「はぁはぁ……つ、ついた!」


 そんなこんなで、二人はある家の前まで野菜を運び切る。

 森を抜けて一番に見える二階建ての家、リルが事前に聞いた話ではそれが村長の家らしい。たしかに他と比べても大きく、ルディアの平屋とは違うものだ。


「とりあえず、一旦下ろしましょ。ほら、背中の荷物、持ってあげるから……」

「だから言ってるだろ!」


 その辺に荷物を下ろそうと、ルディアがリルの背中の荷物に手をかけた瞬間、家の中から怒号が聞こえてくる。


「な、なんだ?」


 その外まで響いてくるような大きな声に、何かあったのではないかと、ドアを少し開いて中を覗き込む。そこには二人の人物がいた。

 一人はヒゲを生やした強面で茶髪の中年男性。もう一人は髪の毛が抜けた頭と白ヒゲが特徴的な老人であった。

 二人は何やら言い争いをしているらしく、その内容までは分からないが、対立していることぐらいは理解できる。


「もういい、親父!」


 中年男性は痺れを切らしたのか、話を打ち切りドアへと向かう。このままいけば、外の二人と鉢合わせになるだろう。


「ま、まずい!」


 別にまずくも何もないし、隠れる必要はないが、聞き耳を立てていた事に罪悪感を感じているのか、リルはルディアの背に身を隠す。


「くそっ!」


 中年男性は思いっきりドアを開けたかと思うと、今度は力一杯たたくように閉める。


「あぁん?」


 そして、ルディアの存在に気付き、不機嫌な表情で睨む。対して彼女はその眼光に怯む事なく、見つめ返す。

 男の異様な敵意と嫌悪、それを受けてなお、彼女はなんて事ないように表情を変えない。そして、


「おはようございます、トッドさん」


 爽やかな笑顔で挨拶を交わそうとする。あくまでも友好的な態度を心がけて。

 だが、男はそんなルディアを見ても嫌悪が薄まることも隠す事もなく、目をそらす。


「ケッ、スカした奴だ」


 そう言い残して、男は去っていく。そのやり取りがどういう訳があったのか、リルには全く理解できない。

 彼は脳内にある記憶を探り、確か村長とは仲が良いはずだと確認する。ならば、村の人とは仲が良いと思い込んでいたのだが、どうやら全員が全員ではないらしい。


「……なあ、ルディア。今のは?」


 リルは男が見えなくなった事を確認して、おそるおそる彼女に事情を聞いてみる。


「さあ?」

「さあって……」


 彼女自身にも理由が分からないのか、それともとぼけるつもりだろうか。


「別に良いんだけどね、嫌われても。やる事は変わらないんだし」

「それは……」


 それは寂しくはないのか。

 そう言おうとして彼は口をつぐむ。彼女には彼女なりの訳がある。事情も知らない他人が口を挟む余地はない。しかも、やる事は変わらないと彼女は言った。ならば、何を言っても変える事は無いのだろう。


「さあ、ぼさっとしてないで村長さんに会いにいくわよ」

「お、おう……」


 それでも未だ釈然としないリルであったが、ルディアの言う通り、村長への用を済ませる。

 家の中に入ると、先ほどの老人がうなだれており、ため息をついていた。何をそんなに憂鬱げになっているかは、おそらく男が関係しているのだろう。


「おじいちゃん、いる?」


 そしてその老人、村長にルディアは声をかける。


「うん? おおう、ルディアちゃんか。久し振りじゃのう」

「つい昨日も会ったでしょ」

「はて、そうじゃったかのう」


 このやり取り、正に祖父と孫娘そのものである。言っておくが、二人は肉親では無い。血の繋がりもない他人だ。


「村長さん、こんにちは」

「なんじゃ、今日はリルくんも一緒かえ」

「まあ、荷物持ちとして」


 対して、こちらは当たり障りの無い会話である。

 厳密に言えば、村長が距離を縮めようとして、リルがそれに馴染めず、逆に距離を置こうとしてると言った感じか。


「まあまあ、ゆっくりしてくれ。ワシはお茶でも出すとするかのう」


 客が来たと言う事で、お茶を出すために腰を真っ直ぐキビキビとした動きで台所へと向かおうとする村長。しかし、ルディアはそれを引き止める。


「いいのよ、おじいちゃん。今日は野菜を届けに来ただけなんだから」

「じゃったら、余計に構わんじゃろ。収穫した後の仕事はなーんもないわい」

「それでも農作業以外にもやらなくちゃならない事はあるの」

「そうじゃったか……なら仕方がないのう」


 村長は明らかに落ち込んだ声を漏らしながら、頭をがっくしとさせる。

 にしてもこの老人、シワの深さや頭、ヒゲから見て、かなりの年齢のはずだが、腰は曲がっておらず、しゃっきりと伸びている。それを見て、リルはルディアからのある話を思い出す。


 ——この村は農村でほとんどの人が畑を持っている。


 であれば、この人もそうだろう。と言う事は、この肉体も日々の肉体労働のおかげか。


「ところで、ルディアちゃん」


 うなだれた頭を再度持ち上げ、村長は話を変えてくる。


「さっき、トッドが出て行ったんじゃが……会ってはおらぬか?」


 トッド、それは先ほどの中年男性だ。さらにそのトッドは親父と叫んでいた。村長とは親子なのだろう。


「……会ってないわ。多分、すれ違ったんだと思う」


 彼女はあくまでも嘘をついた。

 村長がわざわざ聞いたのは、おそらく彼女達の関係を憂いての事だ。ルディアが何か言われていないか、心配だったからだろう。


「そうか、それならいいんじゃ」


 なにかのため息を漏らすかのように、安心する村長。しかし、その肩の荷は降りていないようにも見える。


「ルディアちゃん、実はのう……」

「じいちゃん……?」


 村長が何かを話そうとすると、家の奥から子供がひょっこり出てくる。

 その子はどうやら可愛らしい男の子のようで、ルディアよりも一回り小さかった。そして、幼い顔と栗色の長めの髪が相まってどこか中性的な雰囲気を醸し出す。


「お、おおう。ティディか」

「じいちゃん、その呼び方はやめてって言ってるじゃん」


 リルはそのティディという少年とはまだ会ったことはない。しかし様子を見るからに、その二人がどうやら血の繋がった本当の祖父と孫だと推測する。

 だが、まだ確証はないので一応小声でルディアに聞いてみると、


「なあ、あの二人って……」

「ええ、あの子が村長のお孫さんよ。そして、トッドさんの子どもなの」


 本当にそうであった。


「そうじゃったのう。ではのティデルト、じいちゃんはルディアお姉ちゃんと大事な話をしなくてはならん。じゃからの……」


 大事な話、それはリルにとっては何のことやらさっぱりだ。

 しかし、自分自身の事ではないかと、少し不安になるのだが、


「いいのよ」


 ルディアは村長の手を止める。


「もう分かってるの」


 その部分は耳打ちするような小声で口を動かしたが、リルはそれを聞き取る事も、そもそも何かを言っている事すら分からなかった。

 結局、今この場で彼がルディア達の問題を知る事はなかった。ただ目にしたのは彼女がティディの頭を撫でることだけだ。


「おはよう、ティディ。今日も元気?」

「うん、僕は元気だよ! ルディアお姉ちゃん!」


 ティディと呼ばれるのは良いのかとリルは心の中で突っ込むが、本人も嬉しそうだし、言うのは野暮だと判断して口をつぐむ。

 にしても、ティディと呼ばれる子は随分とルディアに懐いている。頭を撫でられるたびに、ブンブンと尻尾を振っているようにも見えるほど。


「えへへ……」


 なんとも幸せそうな顔ではあるが、リルの存在を視認したとたん、ティディの表情は一変する。

 ルディアの服を掴み、リルから隠れるかのように彼女の陰に隠れる。しかも、その顔は敵意丸出しで、眉をひそめ、まるで縄張りに新人が入ってきたネコのように、不機嫌になる。


「どうしたの、ティディ?」

「むー……」


 頰を膨らませ、しきりにリルをじっと睨みつける。何が気にくわないのか、どうやらリルを嫌っているようだ。


「あー……こりゃあ、嫌われたか?」


 その自覚をやっと持ったリルは『やれやれ』と言わんばかりに後頭部を掻き毟る。


「むぅ、こりゃ珍しいのう。ティディが他人を嫌うとはのう」

「リル、貴方何かしたの?」

「そんな事はしてねぇよ。するわけない」


 とは言っても、ティディが不機嫌な事には変わりはない。


「……しゃあねぇ。ルディア、俺は先に帰るぞ。どうせここにいたって、何もしないしな」


 ならば、邪魔者は速やかに立ち去ろう。そう思ったリルは家から出ようとする。


「あ、待って。私もすぐ行くから。

 ティディ、ごめんね。今日はまだ用事があるから」

「お姉ちゃん、帰っちゃうの……?」

「うん、でもまた今度遊びに来るから。それまで良い子にしててね?」

「うん、わかった!」


 なんとも、子供の扱いが上手い人であろう。彼女は割と子ども好きなのだろうか。


「おじいちゃん、外に野菜置いてあるからね」

「いつも、ありがとのう。ほい、いつもの代金じゃ」


 村長は事前に用意していたとされる小袋を取り出し、ルディアに渡す。


「うん、こっちこそありがとう……って金貨五枚多いわよ」


 受け取ったや否や、彼女は中身を見ていないはずなのに、余剰分があると判断する。なんの比較もなく重さだけで、分かったのだろうか。

 しかし、村長はその指摘には驚かず、ルディアの手をしっかり両手で握る。


「良いんじゃよ。リルくんもきて生活が大変じゃろ? これはその分のお金じゃ。

 本当ならもうちょっと増やしたかったんじゃが、それ以上増やすと、どうせ受け取らんと思ってな」

「おじいちゃん……」


 その余剰分の金貨は間違いではない。老人なりの優しさであった。


「本来なら、のお前さんにはいくら支払っても足りんぐらいなのじゃが……」

「それはいつも良いって言ってるでしょ。……あんまり良く思わない人もいるし」


 またルディアは最後の言葉を小声にする。もちろんリルにもティディにも聞かれる事はなかったのだが。


「じゃあ、そろそろ行くわね。金貨五枚、ありがたく使わせてもらうわ」

「うむ、じゃあの、ルディアちゃん、リルくん」

「それじゃあ、失礼します」

「バイバイ! ルディアお姉ちゃん!」


 ティディは思い切って手を振り、ルディアだけに挨拶したが、リルに対しては睨みつけるだけであった。


「……ホントに貴方、何をしたのよ」

「ホントに知らないんだって!」

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