記憶喪失の友人は

「ルディア、どうしたんだ?」

「……来たわ。私が今目的としていた人が、殺気立って」

「は? それって誰なんだ? それに殺気立ってって……」

「おい、ルディア」


 さらに、話を腰を折るように、今度はソフィが訪ねてきた。しかし、今回は普段のように荒っぽくドアを開けたりはせずに、静かに入ってきた。

 その顔からしてルディアと同じく、危険を感知したというべきか。声が普段より低く、いつものテンションが高い彼女とは思えないほどだ。

 にしても、彼女のいう目的としている人物はソフィであったのだろうか。


「お前にお客さんだ。リルも連れて外に出ろだとよ」


 いやおそらく、目的の人物はソフィの言う外の客だろう。


「……リルは置いていくわ。どうせ、ロクな事にならなさそうだし」

「そうした方がいいだろうな。そんじゃ行くぜ」

「ええ。リル、悪いけど留守番を頼むわ」

「え、え? 何が……とりあえず説明ぐらいはしてくれ!」


 流れるように会話を進めるルディアとソフィに対し、リルは何の理解もできずにいて、状況説明を求めるほかない。


「説明は後、まずは現状の問題を解決しなくちゃならないの」


 だが、それは断られ、二人は部屋の外へと出て行く。


「お、おい……! ま、待て……もう行ったか……」


 残されたのはリルと善明の二人。

 先ほどの会話もあってか気まずい雰囲気となる。友人であるかどうか、なんていう話がうやむやになった今、彼らの距離感は絶妙に難しくなっている。


「ワンワン!」


 そこへ、固い空気を和らげるようにルルが入ってくる。愛くるしく尻尾を振り、リルへと飛びつく。

 ふかふかの銀色の毛、キラキラとしたつぶらな瞳、柔らかい肉球、小さな体。どれをとっても人を癒す存在として最適であった。

 彼はルルを慣れた手つきで受け止め、頭を撫でたり、首をかいたりする。


「おお、ルル。急に入ってきて……いや、ルディアに言われてきたんだな」

「ワン!」

「かわいい犬だな」

「ああ。ルディアも犬だっていってたな。俺は狼だと思うけど」

「そうか? 犬じゃん」


 ルルという潤滑油が登場したことで、みるみる内に二人の距離は近くなっていく。それはルルの狙ったことか否か。

 そして、機を見計らったところで、善明は先ほどの話を掘り返す。


「……なあ、さと……ルル」

「別に暁で良い」

「いや、今はまだ決まった訳じゃないし、そもそも三年も会ってないんだから、顔間違えてるかもしれないしさ……。

 それよりもお前、記憶失くしたんだって?」

「ああ。三ヶ月よりも前の記憶はないんだ」

「そっか……大変だな」

「別に。食って寝る分には困ってないし、記憶は無くたって生きていけるし」

「……そういうとこ、暁に似てんるな」

「どこがだ」

「無頓着なとこだよ」

「なんだよそれ」


 さらっと悪口を言われたリルであったが、気にかけるようでもなかった。善明は懐かしい物を見る気持ちがあった。見れば見るほど、彼の中にある影とリルが重なる。


「……まあでも、確かにそうかもな」


 だが、対してリルは思うところがあった。いや、諦めていたと言った方が正しいか。無頓着、つまり何も気にしていないというところが。


「俺はもう、どうでも良いと思ってる。何にもできなかったしな……」


 心に何かを抱えている。彼が暁なのかわからないけれども、善明が唯一理解したのはそれだった。

 この三ヶ月間に何があったのか、そもそもそれ以前の記憶も彼の物と一致するかも定かではない。しかし、それでも善明の目からすれば、彼の今の顔には闇が見えてしまう。焦点が合わず虚ろな目は、深いトラウマが蘇ったかのよう。


「リル、お前……」


 一体何がリルを憂鬱にさせるのか、それを善明は聞こうとするが


「へ……?」


 直前にリルは落ちる。

 立っていた状態から地面に座り込んだ、訳ではない。彼は落ちたのだ。

 何故か。それは床に穴が空いたからだ。別に茶化した事は言っていない。事実として本当に突然、彼の足元に穴が出来た。床がすっぽりと抜けたかのように。


「うわぁぁぁ!」

「リル!」


 重力に従い、リルは驚きながらも下へと落ちる。藁にもすがる思いで伸ばす手、それを善明は掴もうとするが、体の痛みで上手く動けず、またベッドから転がり落ちてしまうだけとなる。


「いっ……!」


 落ちた。そう思った直後、リルは尻餅をつき、しっかりとした地面の上に乗る。

 尻の痛みに堪えながら、意外にも空中にいた時間が短かったことにホッとする。一瞬だけだったのでそこまで深くは落ちていないだろうとリルは脳内で考察していく。しかし、何の前触れもなく床が抜ける事は彼にとって驚愕で、一瞬ではあるが死ぬかとも考えた。


「……いやまあ、死んでも良いんだけど」


 そんな不謹慎な事を考えながらも、彼は周りを見渡そうとする。どこにいるのか確認するためだ。穴が空いたという事は床とその土台が脆かったということだろう。

 おそらくは地下室があったのか。いやしかし、リルは家主からそんな話は聞いていない。ならば一体ここはどこなのか。


「あれ……?」


 彼の眼前に広がる光景、それは予想外の展開となる。

 この三ヶ月間、見慣れた光景。朝起きて仕事をする際、必ず見かける物。多少整備された道とそれを挟むように生える木々。そして、少し横に振り向けば、ルディアと一緒に世話してきた作物が畑に植えられている。

 そう、ここは家の外だ。地下に落ちたと思っていたはずなのに、一瞬にして青空の下へと放り出されていた。


「やはりここにいましたね」


 不可思議な事で状況が読み込めない中、彼の目の前にいる女性が喋り出す。

 妖美な佇まいと、ルディアやソフィには持ち得ない大人びた色気、そして全ての人が虜になるくらいの美麗な顔、艶やかな色をした金色の髪、そしてより彼女の美しさを引き立てる黒のドレス。

 その姿に彼は見惚れていた。だが、次の言葉で現実に戻される。


「話の当人が出てきましたので、そろそろ本題に入りましょうか。

 リルーフ・ルフェン、彼は敵に回れば非常に危険な存在になります。ですから、彼を引き渡しなさい」


 今目の前にいる彼女は、自分を危険だと思っている。その言葉が深く彼に突き刺さる。

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