28
テイレシア南部に、港がある。
フォランと言う名前の港町で、周辺各地との交易によって栄えていた。アマツチ巫領からの漁船が、魚や海藻を積んでいた。たまに、野菜を積んで来ることもある。アマツチでは文化的な都合で肉はあまり好まれないが、パンや甘い菓子はよく本土から輸出される。
今頃、アマツチにもレイドリックが勇者になったと伝わっているはずだ。
それが伝わると、アマツチからこのフォランまで迎えの船が来る。巫覡を乗せたその船は、勇者と魔王を乗せ、シルと呼ばれる離島まで彼らを運ぶ。アマツチ巫領の一部で、禁足地でもあるシルの島に巫覡の導きなしで上陸することは、たとえテイレシア王家の人間でも許されなかった。
アマツチからは、シキが訪れるだろう。レイドリックの予想では、ヴァイオラも訪れる気がしていた。彼女はそう言う妹だ。シキのことだから、彼女を止めることはできない。自分の出立を阻止することがなければ、それでいい。
ロランが、単独でオルフェリアに向かった。セレスティア皇女を殺そうとして、失敗した。痛めつけられるどころか荷物を奪われることもなく、それどころか意外と善良な環境に拘束されて、朝食を出されて解放されたらしい。唯一、セレスティアに危害を加えるなと約束させられた。
すべて、ロランが勝手にやったことだ。
レイドリックが命じたことではない。
シルの島でないと魔王討伐の効果は薄くなる。あの島には、多くの負が集められているのだ。それを、魔王という器が集め、勇者が破壊する。
フォランの埠頭で、セレスティアが海を眺めていた。隣には、彼女が連れ歩く中年の軍人が立っている。
オルフェリアは陸続きの国だから、海そのものが珍しいのだろう。
「来たね」
セレスティアが、ゆっくりと振り返った。男も同時に振り返る。
長い銀色の髪が、潮風に揺れた。白いと言うよりは滑らかな肌の顔が、柔らかく微笑んだ。妹より小柄だが、凛とした美しさを持つ、綺麗な娘だと思った。
「すまない、待たせた」
時間を決めて待ち合わせをした友人か恋人に言うように、レイドリックは言った。
シキがまだ来ていなかったとは言え、彼女を待たせたのは事実だろう。ロランの単独行動のせいで、出立が遅れた。
「構わない」
彼女もまた、やむを得ない事情で遅刻した友人や恋人を咎めないような口調だった。
「勇者様を待たせるなんて、魔王のやることじゃないから」
「そんなことを気にするのか」
「待たせてばかりの人生だった。最後くらい、待ってみたい」
セレスティアの気持ちが、レイドリックにはまだわからなかった。彼女は、これから死ぬにしてはあまりにも晴れやかなのだ。同じくらいの年頃の彼女は、目の前に迫る死を当たり前に受け入れていた。レイドリックは、彼女の気持ちを一生理解できないような気がした。自分はまだ、怖い。
水面に、波が揺れる。
セレスティアは、ただ前を見据えていた。その横顔に、絶望はどこにもなかった。彼女はただ死にたいだけの女ではないのだと、レイドリックにははっきりとわかった。
ロランの非礼を詫びたら、何のことかわからないと一蹴された。何もなかったことになっているのだろう。従者の男が、道に迷った若い旅人を自宅の空き部屋に泊めてやっただけのことになっているらしい。
やがて、シキがヴァイオラを伴って現れた。
「ヴァイオラは連れて来るなって言っただろ」
レイドリックは呟いたが、予想通りが本音だった。ただ、彼女が落ち着いているのは、運がいい。自分が勇者になると言い出しかねないと思っていただけに、意外でもあった。
「ヴァイオラ・ソフィ・リメリナ・テイレシアと申します」
セレスティアに自己紹介する様子にも、憔悴の気配はなかった。
「海が少し荒れている。今出航するのは、危険だ」
シキが海を指差しながら呟いた。
「しばらく時間がある。何か喋らないか」
レイドリックの提案に、セレスティアが頷いた。
最後に無駄な時間を過ごすのも、悪くはない。
彼女はそんなことを思っているのだろうかと、レイドリックは思った。
「その銃は?」
「ああ。いつもの癖で、つい持って来てた」
彼女はそう呟いて、腰の拳銃を引き抜いた。どう見ても、量産型の安物だ。皇族が身を守るために持つとか、そう言うものではなさそうだ。ただ、使い込まれた拳銃は、皇女のあまり大きくない手によく馴染んでいるように見えた。
「あたしは、普通の皇女じゃないんだ」
それから、彼女は自分の人生を語って聞かせた。
暗殺されそうになり、皇女でなくただの孤児なら暗殺はされないと考えて孤児院に身を潜め、傭兵として軍に入って戦場を渡り歩いた過去だ。
レイドリックたちが彼女を知らなかったのは、死んだことにされていたからだ。様々な苦難を乗り越えて、彼女は弟の視界に入る位置まで出世することで自分が生きていることを伝え、彼の即位と同時に皇族に戻った。
どれもこれも、すべては魔王としての役目を全うするためだ。
「あたしは魔王。勇者に倒されることを、存在意義として生きていた」
セレスティアが穏やかに呟いた。
生まれたときには魔王だった彼女には、覚悟があったと言うよりも、自分の人生は勇者の手によって幕を下ろすものだと、あらかじめ決まっている未来をありのままに受け入れているだけだ。その感覚がレイドリックにないのは、当然のことだったかもしれない。
「すまない、レイドリック。しばらく付き合わせる」
その言葉で、レイドリックには強い疑念が生まれた。その上で、あえて言葉を重ねる。
「しばらくどころか、永遠に付き合ってやるよ、魔王様」
「何を言っているの」
ああ、やはり、彼女は知らないのだ。
「勇者は死ぬんだ。魔王を倒したとき、命を落とす」
セレスティアが微かに顔を上げた。その表情は明らかに困惑していた。
「魔王はすべての負を受け入れる器になる。その器を勇者が破壊する。ただ、そのときに多量の負に触れてしまうから、勇者も無事では済まない」
彼女が、一歩だけ後ずさった足音が聞こえた。シリウスが、彼女を支えるように腕を伸ばしながら、レイドリックの方を振り返る。
「それは、本当ですか」彼の声は、鋭利な刃物のようだった。
シキが、静かに頷いた。
「いかにも。それが、勇者――テイレシアの人柱の役目だ」
「それでは、まさか、十五年前」
シリウスが戸惑うように呟く。セレスティアが、シリウスの腕を払いのける。
「十五年前の勇者も、そうして死んだというの」
「俺は、そう聞いている。十五年前の勇者は、父だった。父もまた、勇者として死んだ」
「嘘でしょう」
彼女の呟きの意味が、レイドリックにはよくわからなかった。
まさか魔王を産んだオルフェリア皇族が、伝承を最後まで知らないとは想像できなかった。ただ、彼女の話を聞けば理由に納得できる。彼女は普通の皇女として生きていないから、必要な教育を受けていなくても無理はない。
魔王を倒したら勇者も死ぬ。一緒にアマツチに行ったときにロランもそれを知っていたから、セレスティアを襲撃しようとした。レイドリックに死んでほしくなかったという彼の気持ちが理解できないわけではない。もっとも、レイドリック自身もロランには死んでほしくない。
だが、何故彼女は、先代勇者のことを呟いたのか。眼の前にいる、当代の勇者のことではなく。
「何に、こだわっているんだ?」
レイドリックが思わず呟くと、シリウスがゆっくりと前を見据えた。
「十五年前の魔王は、殿下の父上。二代前の皇帝ウルフガング四世です」
「まさかとは思うが、オルフェリアでは魔王でも皇位継承権は持つのか?」
「いいえ」
レイドリックの質問の意図を正確に理解して、シリウスはきっぱりと首を振った。
「魔王は生まれた時には魔王だと決まっているので、皇太子になることはありません。ただ、ウルフガング四世は、皇帝である前に人間で、父でした」
「どういう意味だ」
「幼い娘を死なせたくなかった彼は、身代わりになったんです。つまり、十五年前の魔王は、髪の毛を銀色に染めた偽者だった」
「嘘だろ」
セレスティアとシリウスが動揺した理由を理解して、レイドリックは口をついて呟いた。シリウスが、そっと首を左右に振る。
十五年でまた勇者と魔王が現れるのは、確かに早すぎるとは思っていた。しかし、十五年前に死ぬはずだった魔王が、実は生きていたのだ。
勇者は、魔王を討った時に同時に命を落とす。もし討ったのが偽者の魔王で、ただの人間だとしたら、勇者はどうなるのか。
もし、偽者の魔王を討伐しても勇者が死ぬのならば、無駄死ににしかならない。
勇者が命を落とすことを、セレスティアに教えたことを後悔する。彼女は、死ぬのは自分だけだと信じて疑わなかったのだ。だから、魔王でいられた。
「シキは、何か知ってたか」
「いや」
シキの反応は短い。彼もまた、唇を噛んでいた。
「我々巫覡は、守るべき秘密が多い存在だ。だから、先代がわたしに重大な秘密を言わぬまま他界したとしても、それはおかしいことではない。それに、先代も知らなかった可能性はある」
ロランがなんとも言えない表情で、海を見つめていた。
「シルの島で、魔王は負を受ける器になる。シキ殿は、そう仰っていましたわ」
ヴァイオラが、唐突に呟いた。「魔王が偽者ならば、おそらく器になることはできない。勇者が死ぬのはその負に触れるからなので、器でさえない魔王を倒したところで命を落とすとは、考えにくいです。何故、そのような」
そこまで言ったところで、シリウスが腕を挙げて何かを制した。剣の柄に手を触れ、「そこにいるのはわかっている」と声をあげる。セレスティアが、素早く拳銃を掴んだ。その手慣れた動きは明らかに戦闘に慣れており、レイドリックには残酷なものに思えた。
「この方々に狼藉など加えるならば、わたしは容赦しない」
シリウスは桟橋に向かって歩き出した。セレスティアが拳銃を握って、レイドリックたちを庇うように前に立った。彼女の手元が、銃弾を装填したのがわかった。ロランが、短剣を構えた。
「わたしだ」
知らない声が聞こえてきた。どこからともなく、金髪の男が現れる。すらりとした体躯に、美しい顔立ちをしている。二十歳くらいにも、三十歳くらいにも見えた。
「エドワード」
セレスティアが、おもむろに声をあげた。
「本国に黙って姿を消して、テイレシア観光でもしていたの、ハイリア?」
彼女の声音には、微かな敵意に似た感情が見え隠れしていたが、男はそれを介した様子はなさそうだった。
「観光ではない。そもそも我が祖国は、テイレシアだ」
「どういうこと? おまえは、オルフェリアの元宰相でしょう」
「いいや」
男は首を左右に振る。「わたしは、ただの死に損ないだ」
その声と姿に、レイドリックは覚えがあった。オルフェリアの元宰相など、顔も見たことがないのに、何故か知っていた。
「エドワード・アル・ハイリア・テイレシア」
口を突いて、答えが出ていた。セレスティアが、シリウスが、こちらを振り返る。だが、それが答えだと、何故か確信していた。
いや、先ほどの話を聞いていたからかもしれない。十五年前の魔王が、偽者だったことを。その結果が、今目の前にいるこの男ではないだろうか。
「それがあなたの
僅かな沈黙が流れる。ハイリアが、口許だけで笑みを浮かべた。
「そんな長い名前は、捨てた」
その返答は、肯定を示していた。父はこんな風に笑う男ではなかったと、レイドリックは思った。五歳だった彼の朧な記憶にある父親は、むしろ笑い上戸で陽気な男だった。
「今のわたしは、十五年前の人間らしい愚か者のせいで生き延びただけの、ただの死に損ないだ」
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