27

 明くる日に、セレスティアはアーヴィング邸に滞在していた。

 別れを言う相手。レイドリックにはそう言われたが、改めて言うべき相手は弟妹くらいのものだった。

 エルリッドには、あえて説明する必要もなかった。それは、再会したあの夜からわかっていることだった。最後に排除されるべき敵は、セレスティア本人であることに彼は気付いていたはずだ。そして、その残酷な現実を粛々と受け入れていた。

 クロエには何も説明しなかった。ただ、世間話をした。

「ねえ、お姉さま。皇子様……皇帝陛下は、どんな方だったの?」

「頭がいい。必要なときは冷たくもなるが、ほとんど優しい」

「へえ。お会いしてみたいな」

「きっとクロエのことも気に入ってくれる。悪いようにはしないはず。あたしの妹なんだからね」

「うん」

 もし会うことがあったら、不用意に妃になどしないように託けておかないといけない。そう思いながら、クロエの頭を撫でる。六年前に死んだ妻を忘れられない男に育てられたクロエには、一夫多妻が当たり前な環境に適応することは難しいだろう。人見知りで社交的とは言い難い点を差し引いてもだ。

 クロエの机の上には、やたら歪んだ形の焼き物があった。最近、グレンと言う友達が「俺も土を触ったら土の声が聞こえるかな」などとほざいて陶芸を教わっているらしい。理屈はわかるが土の声は聞こえていなさそうな上に、指先は不器用なようだ。一応ちゃんと焼いているあたり、放り出さない程度には真面目なのだろうが。

「お姉さま」

「何?」

「エミルでもセレスでも、お姉さまはわたしのお姉さまよね」

「当然でしょ」

 そのまま取り留めのない会話をしてから、部屋を出ようとする。机の上のグレンの焼き物に目をやる。焼き上がったもののひとつに、花瓶らしいものがある。形は歪だが、どんな花を挿しても花が美しく映えそうだ。それは、どんなに歪でも花瓶としては成功した作品と言える。花瓶とは、花を挿して初めて完成するのだ。

「あの花瓶、いいね。花を飾ってみたくなる」

「グレンにも言っとく」

 クロエが笑った。

 この子は友達の話題で笑うことができる。

 もう、大丈夫だ。


 クロエの部屋から出ると、シリウスが待ち構えていた。

 彼は昨夜の少年を拘束した後、テイレシアに送還した。たぶん、酷い扱いはしていないだろう。

 ふたりが何の話をしたのかは、知らなかった。ただ、少年は名前を名乗ることもしなかったらしい。それ以上は興味はない。少年に関することは、レイドリックに任せておくしかなかった。

「もう行くのですか」

「行く」

「承知いたしました」

 短く答えると、シリウスは頷いた。そこで、彼が普段着ではなく旅衣装姿だと気付いた。

「付いて来る気?」

「エルリッド様に命じられましたので」

 それなら仕方がない、とは言いづらい。

 テイレシアとの関係の再構築や、軍の再編もある。こういう時に頼りになるハイリアは失踪していると報告がある。貴族の不正取り締まりはもちろん、ラディッシュ社の魔薬取引の件もまだ終わっていない処理が多くある。

 そんな時に、シリウスは抜けていい男ではなかったはずだ。

「実は青蛇師団の襲撃の件で、謹慎処分を受けました」

 さほど、驚かなかった。エルリッドが襲撃犯に気付かないはずがない。

「やったことに対して、処分が軽すぎない?」

 砦を襲撃し、無差別的に身内の兵を殺戮した。それに対して謹慎では、あまりに軽すぎる。

「それが、クレールに庇われまして」

「クレールが?」

「明確な証拠もないのに処罰をするべきではない、と。それで、軽い処分を。殿下の用事が終わるまでは出仕するなとのことです」

 セレスティアの用事と言えば、魔王として役目を終えることくらいしかない。エルリッドも、立場上言えないだけで、本当は付いていきたいほどに気になるのだろう。

 仕方がない。

「おまえは、あたしがすべてを終えるまで、確実に守り抜きなさい。万が一……いいえ、億が一にも何かがあってはならない」

「仰せのままに」

 シリウスが、どこか神妙に頷いた。

「行きましょう。勇者様を待たせたくはない」







 手荒な扱いは受けなかった。

 ただ、地下室に放り込まれただけだ。ロランはそれが、理解できなかった。仮にも一国の皇女に狼藉を働こうとした。自分は、そう言うことになっているはずだ。

 それが、抜け出そうと思えば簡単に抜け出せそうな部屋に入れられているだけだ。手足や首に枷があるわけでもないし、服装や武装も奪われていない。部屋には水がある。それだけだ。窓はないが扉も鍵が閉まっているだけだから、手持ちの短剣や針で開けられるだろう。抜け出したら爆弾が作動するとか、そんな罠でもあるのだろうか。

 体内時計では、捕まった翌朝といったところだ。

「おはよう。元気そうだな」

 男が、現れた。自分を拘束した、中年の男だ。

 手には何か持っている。食べ物の匂いだと、ロランは思った。オルフェリアでは一般的な家庭料理のようだが、テイレシアではあまり見ない食材が多い。

「腹が減っている頃だろう。毒は入れていないから、安心して腹に入れなさい」

「毒がないとか、信用すると思ってるの」

「君が簡単に信用するような甘い男だったら、レイドリック王子は君を護衛にしないだろう」

「皇女は、おじさんみたいな甘い人をどうして護衛にしてるの」

「本当は護衛なんかいらないくらいに強いのに、わたしが無理にその枠に入り込んだ」

 皮肉を言ったつもりだったが、男はそう答えた。正直な男のようだ。

「彼女の父上と、友達だった。わたしが守りたかったのは、殿下の身ではなく、友達が子供達に注いでいた愛情だろう」

「他人の愛情なんて守って、何になるの」

「何にもならない。わたし自身の自己満足だ」

 男はそう言いながら、肩を竦めた。自分で出した食事に少しだけ口をつけて、差し出す。即効性のある毒は入れていないと言う、アピールのつもりだろう。遅発性の毒だってあるのだが、仕方がないので口に入れる。好みではなかったが、口にする者のことを考えて真面目に調理したことが伝わる味だった。

「ウルフガングと言う男は、皇帝には向かない男だった」

 曰く、優しすぎたのだという。

 不正など存在しないと、信じて疑わなかった。民にも優しすぎてほとんど税を取らず、財政難に陥った。不正から目を背けずに対処していれば、まともな皇帝だっただろうから、確かに甘すぎる男は皇帝には向かない。

「ついでに、夫としても向いてない。愛した女性の数が、多すぎた」

 妻が三人に、妾を五人。知らないだけでたぶん他にもいる。それも離別を繰り返したわけではなく、同時に愛していたと言う。どんな恋愛をどれだけ繰り返そうとも何人を愛そうとも自由だ、と男は前置きしつつ、それでも限度はあると一蹴した。まったくその通りだと、ロランも思う。

「おじさん、ふたつ訊きたいんだけど」

「なんだ?」

「そんな人のどこを見て友達だと思ったの」

「人間だったからだ」

 ロランが首を傾げると、男は肩を竦めた。

「ウルフガングは、皇帝にも夫にも向いていない男だったが、誰より民を想い、子供達を深く愛した男でもあった。馬鹿な男だったとは思うが、不思議なほど憎めなくてね。友達って、そう言うものだ」

 誰よりも民を想ったと言う点は、レイドリックと似ているかもしれないとロランは思った。レイドリックは聡明な妹に比べて平凡な男だが決して暗愚ではなく、誰よりも人を想って、だからこそ王よりも勇者を選んだ。悩みは多かっただろうが、明るくて大らかで、民にもヴァイオラとは違う理由で愛されている。

「もうひとつの質問は?」

「おじさん、僕に甘すぎない? もっと手荒なことをしててもおかしくないでしょ」

「実は、皇女殿下のご希望なんだ。特に危害を加えてくれるなと」

 男の言葉に、思わずロランは顔を上げた。そう言えば、銃口を向けたとき、皇女は敵意や殺意らしいものをひとつも見せなかった。ロランを撃つ気など、本当は全くなかったのだろう。

「レイドリック王子と約束の場所とやらで合流するまで、一切皇女殿下に危害を加えないこと。それから、レイドリック王子が約束の場所で合流できるまで、王子の護衛としての任務を全うすること。この二点の条件を吞むなら、飯でも食わせて解放してやれとのことだ」

「なにそれ」

「一応言っておくと、オルフェリアのどの法律を照らし合わせても、考えられない処遇だ」

「普通はそうだよね」

 生きては帰れないつもりだったのに。その程度で済まされるなんて、予想もできていなかった。

「普通は。ただ、それで許したのは魔王だ」

「え?」

「これから筋書き通りに死ぬという役目を果たす自分のために、若者を罰する必要もないと」

「邪悪な魔王が、そんなことを」

「あの方は君が言うほど邪悪などではない。確かに善良と呼ぶには苛烈すぎるが、彼女なりに国を想って最良に導いた」

 男は首を振り、はっきりとそう答えた。

「あえて言えば、あの方を魔王にした、この世の機構が邪悪だ」

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