26
大陸歴七六五年、七月。
再会を約束して、勇者と魔王は別れた。
「別れを言いたい相手のひとりくらい、いるだろう」
テイレシアのレイドリック王子は、そんなことを言って笑った。
「それ以前に、休戦協定が無事に締結されたことを、報告しないといけない相手がいるでしょう」
至極冷静にセレスティアが切り返し、彼は吹き出した。
「仰るとおり」
金髪の綺麗な顔立ちをした王子と、身のこなしから察するに、暗殺者としての養育を受けている従者の少年を見送り、セレスティアは「帰ろう」と呟いて踵を返した。シリウスは、後を追うように付いていく。
国境に張っていた自国軍の指揮官に、休戦が決まったのでテイレシア軍を無駄に刺激したりはするなと伝えた。彼らには追って指示がある。戦争があろうとなかろうと、国境の警備自体は国防として必要なものだ。
「案ずることはない、シリウス」
セレスティアは、帝都への帰路につきながら呟いた。その物言いは、やはり高貴な生まれのそれだとシリウスに気付かせる。彼女の実母である、エレオノーレに似ている。
「おまえが言いたいことはわかっている。おまえが知りたいことも、わかっている。本来皇族以外には口外しないものなのだけれど、おまえには特別に伝えてもいい。誰にも言わないのならばね」
彼女はそう言って、不意に立ち止まる。
「あたしの髪の色を見て、おまえはこう思わない? 珍しい色だと。或いは、エルリッドにはまるで似ていないと」
銀色の髪。確かに珍しい色だ。そしてその色は、彼女の弟だけでなく、両親であるエレオノーレとウルフガングにも似ていない。それなのに髪の毛の色以外は、似ているところがいくつもある。瞳の色は父や弟と同じで、顔立ちは母に似ている。武芸の才覚は、父に似ている気がしたが、今となってはそれ以上だ。
「この髪の色を持つ子は、生まれながらに魔王になることが決まっている。だから、本当は髪の毛の色を染める決まりなの。」
「歴代の魔王は、髪を染めて、魔王であることを隠していたと?」
「その通り。魔王は、これまでの歴史で有り余るほどの偏見を持たれているからね」
彼女は、徐に腰の宝剣を抜いた。
あしらわれている石が血のように赤い。エルリッドの剣は、海のように深い青だった。
「髪の毛の色がどうあれ、魔王が魔王であると区別をつける。それが、この宝剣だ。銀色の髪の子には赤い石が、そうでない子には青い石が贈られた。普段は抜かない剣だから、あまりその違いには気付かれにくい。それが、あたしとエルリッドの違い」
「魔王の宝剣……」
「そう。銀色の髪を持って生まれ、赤い石を贈られたオルフェリア皇族は、魔王なんだ」
「それが、あなたなのですね、殿下」
「そう」
セレスティアは短く答えた。後ろからでも、彼女が口許に笑みを浮かべているのがわかった。
「あたしは、魔王として生まれた」
セレスティアが剣を鞘に納めて歩き出す。シリウスは、後から続いた。
「あたしは、魔王だ。勇者に討たれることが、役割だ。それだけが、存在意義だ。役割を果たすためだけに、生きてきた」
役割を果たすまで死んではいけないから、暗殺未遂以降は孤児のふりをした。皇女を狙った暗殺ならば、皇女でなくなれば身を守れると考えたのだ。
魔王だからこそ、エルリッドの前に再び現れた。エルリッドは、ずっとセレスティアが生きていると信じていた。彼女こそが世界を救う魔王だと、彼は信じていた。彼女は自分こそがエルリッドの姉で魔王であることを、堂々と髪色を見せることで弟に伝えた。それこそが、髪色を一度も染めなかった理由だった。
軍人として戦い、レナートを殺してアナスタシアを廃位させたのは、この国が少しでもよくなってから討たれようと思ったからだ。そうしたら、次の魔王が現れるのはもう少し先になるはずだ。
一方で、オルフェリアの皇女が魔王としてテイレシアの王子に討たれたとなれば、戦争責任はある程度果たせるだろう。諸悪の根源は、邪悪な魔王にあるのだと言えばいい。テイレシアでは宗教的な事情もあって魔王は完全なる悪とみなされているから、魔王が女帝を唆したと誰もが信じるはずだ。有り余るほどの偏見があるのは、かえって都合がいい。
「それで、良いのですか」
シリウスは絞り出すように呟いた。「まるで、死ぬために生まれてきたみたいだ」
「死ぬために生まれてきた奴を生かしたくて、選択を誤った奴がいる」
「どういう意味ですか?」
「……ウルフガング四世は、生まれたばかりの娘が、魔王だと気付いた」
思わず足を止めた自分に、シリウスは気付いた。セレスティアが、振り返ってくる。その表情に懺悔さえ許されないような罪を、ようやく告白したような潔い安堵が見えた。
「父の死の真相に、気付いたね、シリウス」
「まさか」
「そう。十五年前、父はあたしの身代わりに魔王になろうとした」
時のテイレシア王子が勇者に選ばれたと聞かされた時、セレスティアはまだ六歳だった。
幼い少女を犠牲にするのは、少女の父親として度し難いものがあった。いや、ひとりの人間として、実の娘でなくても度し難いかもしれない。
そして、ウルフガング四世は、自らが魔王になって代わりに死ねばいいのではないかと考え、先代の勇者に討たれた。
シリウスも父だ。娘がいる。だから、彼女を死なせたくなかったウルフガングの気持ちは痛いほどにわかる。
だが、都合よく魔王になれるはずがなかった。
「父は魔王じゃない。もしかしたら、少しは効果があったかもしれないけれど、そんなことで崩壊が止まる世界ではない。この国で言えば、事故を装った暗殺が何度も起きて、アナスタシアが女帝になって、むしろ状況は悪化した」
セレスティアが再び前を向いて、歩き始める。
「わかるでしょう。良いも悪いもないの。これ以上、魔王のために誰かが死んではいけないの」
*
城に戻ってテイレシアとの休戦決定の報告をすると、セレスティアはエルリッドと食事に向かった。
養女とはいえ、彼女にはアーヴィング侯の娘として、それなりの作法は叩き込んでいた。食事の席でも失礼なことはしないはずだ。
時折、彼女は自室の窓から城を抜け出して、クロエに会いに行っていたりする。誰もそれを止めようとしない。突然復活して皇族に戻った皇女は、腫れ物のような扱いを受けていたのだ。本人がその扱いを気にしなかった理由に、シリウスはやっと納得できた。皇族どころか、この世界から離れる時が近いからだ。
外にいても、話し声が微かに聞こえる。
皇帝になったエルリッドに、早く世継ぎを望む声が多いようだ。まだ少年である彼に婚姻を求めることは時代に合わない気もするが、後継者がいないのも事実であった。セレスティアには、皇位継承権が与えられていない。
「先日、晩餐会があったんだ」
不意に、隣にいたクレールが呟いた。
「陛下に、少しでも女性に興味を持ってもらうために、だそうだ。運が良ければ未来の皇妃様と出会えるかもってことで、
「結果はどうだった?」
シリウスが興味本位で聞き返すと、クレールは辟易した表情になった。
「曰く、『全員美しすぎて、全員娶りたい。選ばせるな』。逆ギレする陛下は初めて見た」
クレールの口真似はよく似ていたが、似ていたからこそシリウスは頭を抱えてしまった。想像できてしまうし、何よりそこに重なる記憶がある。
「遺伝だ」
「は?」
「エルリッド様のお父上は、若くして死ぬまでに三人の皇妃を娶って、五人の愛妾を迎えたんだ。わたしが知らなかっただけで、他にもいたかもしれん」
「えっ、マジで」
「マジだ」
クレールが本気で驚いたので、シリウスはあえて神妙に頷いた。今の若者の多くは、ウルフガングの女癖を知らない。知っていて得することもないだろうが。
「皇妃が三人いたのは知ってたけど、愛妾までは知らなかった」
「ひとりの女性を愛せない性質も、複数の女性を同時に愛する嗜好も、否定はしない。ただし物事には限度がある」
「世間体もな」
「まったくだ。似ないでほしいところを遺伝したものだ」
「まぁ、あの分だと時代遅れな声、良くも悪くもすぐに消えるだろ」
クレールは結婚する気がないらしい。だから、結婚を迫るなど時代遅れだとよく理解している。年齢はエルリッドより歳上だが、彼も似たようなことは言われているのだろう。生まれた家や立場が違えば時代遅れがそうではなくなるなど、筋の合わない理屈だ。
「ところで、クレール」
「ん?」
「最近、君のご主人が行方不明だと言う噂は、本当か?」
クレールは話題を変えられても動じずに頷いた。
「五日前からだ。いつ行っても執務室は無人だよ。部屋にいた形跡もないから、ちょっと飯食いに行ってるって感じでもないし。その聞き方だと、おっさんも行方に心当たりはなさそうだな」
「ああ。不在の間に遠隔で指示を受けることはあるのか?」
「口頭以外での指示はしない方だ」
シリウスは一瞬だけ思考を巡らせる。嘘を言ってはいなさそうだ。ハイリアからそれなりに信頼されていそうなクレールが、遠隔で指示を受けないのならば、他の手の者も同様だと思う方が妥当だ。
「それでは、半日ほど前からならば、君の同僚ではないと言うことだな」
「そうなる」
クレールは、シリウスの言葉と質問の意味を正確に汲み取って頷いた。
レイドリック王子との会談の帰路につく途中だった。シリウス自身に、尾行される理由はいくらでも思いつく。セレスティアを匿い、青蛇師団を襲撃した疑惑もあり、アナスタシアの失脚を決定づけさせた。国の大英雄などという称号はどうでもいいが、今ではただの危険人物でしかない。もちろん、セレスティアへの尾行も考えられる。
一番考えられたのがハイリアの手の者だったが、違うようだ。
「おっさん、気付いてたのか」
クレールが呟いた。
今の彼はハイリアの手の者としてではなく、エルリッドの護衛官として動いている。誰を標的にしていようと、警戒するのは当然だった。書類を受け取れば危険物が仕込まれていないか確認する程度に、彼は冷静かつ慎重な忠臣で居続けている。もっとも、エルリッドはクレールの正体に気付いた上で利用している節もあるのだが。
「君の正体に気付くよりは簡単だ」
「絶対違うと思う」
その反応に、苦笑する。緊張感がない奴だなとクレールが嘆息した。確かに笑える状況ではない。
クレールは尾行などはしなかった。容姿も些か目立つし、おそらく苦手なのだろう。隠密行動よりも、信用を集めることで情報を得るのを得意とする。だから、油断していた。セレスティアは今でも彼の正体に気付いていないだろう。彼女にとってのクレールは弟を任せられる男で、それはつまり信頼できる男ということだ。
「それで」
クレールが何かを言いかけた時に、扉が開かれた。
どうするのか。おそらくクレールはそう問おうとした。相手の狙いがエルリッドになくても、万一のことはあるから一応の利害は一致する。ただし、対処は実際に狙われている可能性が高い立場のシリウスに仰ぐのが正しいと判断したのだろう。
食事が終わったのだろう。エルリッドとセレスティアが同時に部屋から出てきた。あまり似ていないと思ったが、並んでいると、確かに姉弟に見える。髪の毛の色は違うが、瞳は同じだ。
「部屋に戻る、クレール」
「承知しました、陛下」
部屋に戻ろうと歩き出すエルリッドの背後を守るように追うクレールが、一度シリウスを振り返る。彼はそのままエルリッドを護衛する方が正しい。シリウスは、頷いた。あとはこちらで対処する。伝わったのか、彼らの姿は暗がりの中に消えた。
セレスティアが歩き出した。廊下は既に暗い。シリウスの右手に、円柱の形をした
角灯が、少年の姿を照らした。黒髪の、小柄な少年。左手の指の間に、ペンのように小さな短剣を挟んでいるが、右手にも短剣があるようだ。
「やはり、君だったか」
国境で会った、レイドリック王子の従者だ。
やはり、暗殺者の身のこなしをしている。暗殺者として養育されて得た能力を活かして、王子の護衛をしているのだろう。
テイレシアの要人は、不用意に警戒されないことを念頭に置いて護衛を選ぶ。刃を見せたがらないのだ。だから、この少年のような強くなさそうに見える者が従者にされる。
一方で、オルフェリアでは皇族自身も戦闘技術を学び、外に出るときは軍服姿の護衛を連れ、襲われないようにする。両国の在り方は、真逆だ。どちらが間違っていることもないだろう。
「殺してやる、邪悪な魔王め」
「おやめなさい。今、殺されるわけにはいかないの」
セレスティアが、少年に向けて銃口を向けていた。
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