24
七六五年、七月。
皇子エルリッドがエルリッド・エルゲンベルグ・ウルフガング五世としてオルフェリア皇帝に即位してから、しばらくは慌ただしい日々が過ぎていった。
失脚したハイリア宰相の後任を決め、ラディッシュ社は改めて取り締まられた。先代の女帝アナスタシアは実家の魔薬取引に関与していないことが明らかになったが、ウルフガング四世の皇妃たちの暗殺やセレスティア皇女の殺害未遂の首謀者であるとして罪に問われた。また、ラディッシュ社を不正に走らせた遠因と言える、税を横領していた貴族は、順番に処分されることも決まっていた。
軍も、改めて再編されることになった。ただ、クレールの役割は変わらないことが決まっている。皇子の護衛から、皇帝の護衛に変わっただけだ。
再編が決まったのは、黒竜師団の団長がセレスティア皇女その人だと明らかになったことが一因する。副団長のシリウスは、皇女を匿いながら、生きていることさえ誰にも明かさなかった。皇女は暗殺されそうになっていたと言う事実はあれど、本来は許されないことである。彼も、これまで通りの立場ではいられなくなるかも知れない。
テイレシアとの戦争は、続いた。
テイレシア王国のレイドリック王子は、自ら軍を率いて、メオリッド州を奪還した。オルフェリア側も占領を維持できるほどの人数を置いて帰らなかったから、奪還するのは当然の展開だった。
今は国境付近に両国軍が展開されていて、何度か争いながら膠着を続けていた。
新皇帝エルリッドは、休戦を決定した。
*
ハイリアがオルローザの街を歩いていても、誰も気にしなかった。
もともと変装は得意な方だ。普段は美男子の格好をしているが、今は老婦人の格好をしていた。こんな時間が取れたのは、皮肉にも宰相を辞してからだった。宰相の頃は執務室の窓から見下ろすだけだった街並みを、今は歩いている。
あれだけ動き回っていた、セレスティアの動きはなかった。今思うとこれまでも動いていたのはシリウスで、セレスティア自身は隊長として戦っていただけに過ぎなかった。アナスタシアの前で、彼女は初めて皇女としての顔を見せ、シリウスは彼女のたったひとりの臣下となった。
一時期は治安が悪化していた街も、エルリッドの即位で活気付き、今は安定していた。ハイリアがまだ情報部総督の地位を持つのは、不正の粛清をはじめとした情報収集に利用するためだとわかっていた。クレールの正体にも気付いている気配があり、その上でそばに置いているように思えた。あの若い皇帝は、謀略の類いができる少年だ。
街で、三人組の大道芸人が人形劇を開いていた。人形を操る者がひとりと、あとふたりが物語の筋書きを歌で表現する。
大陸に伝わる、伝承の物語のようだった。世界を破滅させようとする魔王を勇者が倒し、滅びかけた世界が息を吹き返す。隣国テイレシアでは半ば宗教的に勇者が祀られており、以降何度も危機に陥った世界のために、勇者は魔王と戦い続ける。
大陸の誰もが知っている伝承だった。テイレシアでは、この伝承が元で生まれたとされる宗教が信仰を集めている。
人形劇の演出は巧く、誰もが知っている物語なのに惹かれてしまう魅力があった。次々と姿を変える勇者が倒す魔王とは、人の邪な心そのものだと言う、教育的な解釈らしい。解釈は地域によって異なっているから、様々な地域から大道芸人の類が訪れる帝都ではどれも受け入れられる。
中には、魔王は自分を殺した相手を次の魔王にする呪いをかけており、勇者が魔王を倒すと次の魔王に勇者が指定されると言う物語もあった。どこぞの吟遊詩人が歌っていたその歌が、ハイリアはなんとなく嫌いではなかった。ただ、その一度しか聴いたことがないことを、ふと思い出した。歌とリュート以外の演出はなく、内容の都合もあって冒険活劇としての盛り上がりに欠けた物語だったが、綺麗な歌声に残酷な描写が何故かよく映えたのを覚えている。
オルローザの白い区域を抜けて、少しずつ灰色が入ってくる。エルリッドがこの街の色を同じように揃えてくれると、民の多くは信じている。
街の一角にある店に入った。
サラという女店主が経営する、カナンの花亭と言う有り触れた酒場だった。客は隅の席にひと組いるだけだった。もう少し時間が経てば、増えるだろう。
「好きな席に座って」
サラは、そのあたりでは評判の美人だった。
彼女がこの街でも屈指の情報屋であることを、ハイリアも知っていた。情報部の人間が彼女から情報を買うことは、黙認している。ハイリアが情報部の部下に要求するのは、正確な情報の持ち帰りだ。金で買った情報でも、正確ならばそれでいい。
「今日も誘いには乗らないわよ」
カウンターの前に座ると、サラは穏やかに微笑みながらそう言った。
何度か、情報部で使われてみないか誘ったことがある。元々彼女が情報を売っていた相手はほとんどが情報部で使っている間者だから、給料をハイリアが支払うようになるだけだ。もちろん、望むならば引き続きカナンの花亭を経営すればいい。普通の民間人を使ってもいいと思ったのは、彼女が初めてだ。それくらいに、優秀な女だった。
だが、サラは目の前にいる老婦人の姿をした人物がハイリアだとわかった上で冷静に断ってくる。それ以上無理を言えないのは、彼女の情報網の裏でどのくらいの人間と繋がっているかわからないからだ。それに、ハイリアが若い女に化けようと少年に化けようと毎回見破ることができるのは、サラしかいない。それは頼れる能力だが、敵に回したくない能力だ。
「今日は、買い物に来ている」
ハイリアは、懐から金貨を差し出した。サラが料理の手を一瞬だけ止めた。さすがに情報ひとつには、高すぎる前金だ。もちろん、ハイリアも相場を知らないわけではない。
「これで、買えないことはなかろう」
「在庫にあればね」
「それはそうだな」
「何をお求め?」
「ちょっとした人捜しだ」
サラは料理を続けながら、話に耳を傾ける。スープが出てきた。野菜をよく煮込んだものだ。使っている野菜は、日々市場に行って値段や気分で手に入れて決めているらしいから、いつ行っても味が違う。
「名前は知らん。性別は男。年齢も知らんが、まあたぶんまだ若いだろう。黒髪の、吟遊詩人。リュートを弾いて歌う」
「他に情報は」
彼女の声は少し呆れ気味だった。そのような吟遊詩人、探せばいくらでもいる。
「珍しい歌だった。後にも先にもその男しかそれを歌ってない」
「どういう歌か、教えて」
「大陸の伝承の歌だ。魔王を殺した者が次の魔王になるように呪われるので、勇者は先代の勇者を殺す羽目になり、だから戦いは何度も繰り返されるのだという解釈だ。聴いたのは四年ほど前だったが、この街だ」
サラはしばらく何も言わなかった。
先ほど出されたスープを飲むことにした。彼女は、味付けも、選んだ野菜やその日の気分で決めているから、同じ味のものに再び出会えるかは彼女自身も知らない。どこで手に入れたのか、異国のスパイスの風味がした。仮にも戦時中だから、異国の品はどれも高騰しがちだ。
「確証はないけれど、ヴィンセント子爵のご令息かも」
「なんだと?」
複数の孤児院を経営していた子爵家だ。子爵夫妻が死んだとき、息子が旅に出たきり行方不明だったことから家が取り潰された。珍しくも不正などを働いていた気配がひとつもない貴族だったから、旅をしていた息子が戻ってきて当主として名乗り出れば直ちに再興できる状態だった。
「結構前に、ヴィンセント子爵の令息を探していた人がいたの。どこからか、わたしのことを聞きつけてこの店に来た。ご令息は趣味で旅に出ると路銀を歌で稼いでたらしくって、参考の情報として教えてくれた歌詞がそんな内容だったわ。図らずも魔王になってしまった男に恋をした、女勇者の悲恋の歌よ。彼が自分で作った物語なんですって」
「探していた人というのは」
「若いお嬢さんだったわ。二十歳前くらいかしら。それ以上は知らないわ。この辺りの子じゃ、なさそうな格好をしていたわ」
「そうか」
ヴィンセント子爵の息子を探していた女が何者なのかはわからない。ただ、ハイリアと違って特定の歌を歌っていた吟遊詩人ではなく、事情があって本人を探していたのだろう。ただ、その女の行方も今は追えそうにない。
「いただいた金額には見合わない情報だったわね。引っ込めるなら今よ」
「生憎、それ以上細かい硬貨を持ってない。釣りもいらん。部下が迷惑をかけているから、その迷惑料のようなものだ」
「そこまで言うなら、頂くわ。なにか食べていきなさいな」
サラが肩を竦めてから、メニューを突きつける。肉料理と野菜料理のどちらかを選べと言うことだろう。オルフェリアは陸続きの国のため、魚介類は手に入りにくいのだ。ハイリアは野菜料理を指さした。若い頃から、肉はあまり好きではなかった。
「まあ、あなたの部下らしいお客は、みんな金払いもいいし店に迷惑もかけないような上客ばかりだから、迷惑はしてないのだけれどね」
「……釣り銭代わりに聞かせろ。いつの間に、わたしの部下を特定できたんだ?」
サラが苦笑して、調理を開始した。
「お金じゃ言えない秘密もあるものよ」
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