16
オルフェリア帝国宰相ハイリアの執務室は、いつも通りの殺風景さだった。
「昇進おめでとう」
情報部総督ハイリアは、いつも通り足音だけで来訪者を判別した。その視線は、いつも通りかつての白亜の都を見下ろしていた。
「まずはそう言っておこうか、クレール・クェシリーズ中尉」
大陸歴七六五年、三月半ば。
壊滅的な被害によりテイレシア王国から帰還して、クレールを待ち受けていたのは、中尉への昇進の通達だった。
戦車部隊撃破の功績を認められた結果だった。シリウスが是非と言い出し、クレールの父が賛同した。上司である黒竜師団長レナートが死んだ以上、反対する声はなかった。
技術部に異動した時にもう出世はしないものだと思っていたが、そうでもなかったらしい。ハイリアが出世させたくないと思えば、止められたはずだ。今後の仕事に支障がない程度のスキャンダルを捏造するくらいなら、簡単にできる。と言うか実際になくもない。主に女性関係が。
クレールがやったことは、上から指示された誰にでもできることを、誰よりも早くやっただけなのだ。
「とは言え、今日おまえが来たのは、出世した話ではないだろう」
「はい」
「エミリューレ・ヴァレリアか」
クレールは静かに頷いた。
「もう少し調べてからと思いましたが、状況が状況だったので」
ここまでで確認できた事実を、掻い摘んで説明する。まずは、主にサラからの情報で帝都内で調べたことをハイリアは口を挟むことなく、最後まで話を聞いていた。
「娘、か」
シリウスがエミリューレを引き取ったかもしれないと話したとき、ハイリアはそう呟いた。
「奴には死んだ妻との間に、十五かそこらの娘がいるはずだ。だが、孤児を引き取ると言うのもあの男らしい」
たぶん、シリウスにはふたりの娘がいる。ひとりがサイラスを主治医とする病弱な少女で、こちらが実子だろう。そしてもうひとりが引き取った孤児のエミリューレだ。彼らは父と娘には到底見えないが、そう見せかけているのかもしれない。シリウスの言葉から察するに、彼がエミリューレを養女として引き取っているのは間違いなさそうだった。
戦場での話に進んだ。戦車部隊を撃破して国境を破った時にレナートが手柄を奪った話はハイリアも知っていたので、軽い確認程度に済ませた。続けて、州都攻略戦で後方支援を命じられたことを話した。
「砦への抑止力か。捨て駒扱いした部隊の手柄を奪ったのは問題だが、レナートはそこまで愚鈍ではなかったと見た」
「俺もそう思います。ただ、州兵の行動はその予想を超えていました。以前から貯水を続けていた、ダムの水門を爆破したのです。水門ごと爆破したので、再び閉めて水を差し止めることはできませんでした」
一気に流れた水流は、事前に門を閉め切っていた州都を水没させた。そこで、黒竜師団は多くの兵力を失い、エミリューレは残った兵をまとめて帰還した。これ以上の侵攻は無理だった。
テイレシア王国は、戦争を終わらせたかったのかもしれない。あの国は、戦を望んではいなかった。戦争を終わらせるために、ごく僅かな犠牲で黒竜師団に打撃を与えたのだ。水没した州都で発見されたテイレシア兵の数は、戦争に備えた防衛兵としてはあまりに少なすぎたと報告が上がっている。
その後、テイレシア側からの反撃があった。彼の国のレイドリック王子は自ら軍を率いて、オルフェリア兵がいなくなった州都アルランを奪還した。その後は、国境近くまで兵を進めている。しかし、その国境を破って攻めてくる気配はない。
そして、レナートの死を巡る疑惑の話になった。捜索に加わろうとしたクレールをシリウスが止めた話をすると、ハイリアの表情が変わった。
「レナート師団長は、水没した州都で溺死した可能性が、一番高いと思います。ですが、俺はあのときのシリウスの態度がどうしても気になるんです」
「おまえが、わたしの部下だと気付いていたのだな」
「はい」
「しかし、奴はおまえに手を下さなかった」
「はい。俺は、戦闘後に殺すには、目立ちすぎているからだと思います。俺にとってもあの男は、殺すには無理がある相手でした」
任務に失敗しても、生きて情報を持ち帰る。情報部の者にとって、それが一番優先されるべきことだ。
「おまえは、この任務から外れた方がいい」ハイリアが静かに呟いた。「エミリューレとシリウスは少々惜しいが、仕方なかろう」
「不本意ですが、俺もそう思います。だからこそ、昇進なんてしない方が」
「いや、案外そうでもないぞ」
「それは」
言葉の意味を聞き返そうとして、クレールは気付いた。黒竜師団は、多くの犠牲を出してしまったのだ。
「軍の再編ですか」
「その通りだ。よく気付いたな」
その程度のことにも気付けずに、ハイリアの部下にはなれない。手駒でいいのなら、何も考えずに従えばいい。そうせずに自分で考えて答えを出せる者が、ハイリアにとっての人間で、部下だ。
「黒竜師団はかなり数を減らした上に、師団長のレナートが死んだ。どのような疑惑があろうと、それは事実だ。そして、今後のテイレシア侵攻があろうとなかろうと、軍は再編せねばならない。元青蛇師団の謹慎処分を受けていた者を戻し、配属を決めていなかった新兵を入れることで、数はある程度戻るだろう」
「その再編のどさくさに紛れて、俺はあのふたりから引き離されるんですね。そして同時に中尉になる」
「そうだ。あのふたりのことは、わたしも注視しよう」
クレールは頷いた。ただ、自分よりもちょうどよくその任務に当たれる人材を見つけることは、難しそうだ。
「あらかじめ言っておくと、編成案がまとまるまでには少々時間がかかる。短い間に二度も再編せねばならないからな」
「レナートの後任も必要になりますしね」
「それは、エミリューレ・ヴァレリアでほぼ内定している」
「本当ですか?」
「おまえの言うとおり、レナートは溺死した可能性が高い以上、今回のことは白だと判断するしかない。手柄を取られたとか冷遇されたとか、恨む理由はあるだろうがな」
確かにその通りだった。隊長格は多くが溺死している。エミリューレの実力はまだ未知数の部分もあるが、少なくとも、更迭された元青蛇師団長を起用するよりは現実的だろう。
他にあげられる候補はシリウスだが、こちらは辞退するだろうことが見えていた。彼の望みは若い指揮官を育てることにあるから、赤狼師団の時のように副師団長になってくれるかどうかというところだ。そう言う性格は以前からのものらしいから、今更師団長になってくれるとは思えなかった。ただ、一応声はかかるだろう。
「とにかく、しばらくおまえも休暇が続くことになる。何か気付いたら報告がほしいが、基本的には適当に訓練に出向く真面目さは見せつつ、普通に休暇を楽しんでもらって構わない。無理に働くと、かえって怪しい」
「了解です」
クレールは頷いた。
どこに行こうと、ハイリアのために動くことには変わらなかった。訓練場でも、遊び場でも。
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