15

 テイレシア王国属州メオリッド、郊外。

 三日間歩いた末、山の麓に、門に囲まれた州都アルランは見えた。アルランの門は人工河の終着点となっている。この河は、州都の東西を囲むように控える山の頂から流れ落ちている。

 後方支援。それが、黒竜師団第七小隊の任務だった。

 クレールは、遠くなってきた州都の門を一度だけ振り返る。今のところ彼らは、州都から河沿いに山を登っていた。山と言うよりは、斜面が急な丘と言う感じだ。

 人工河がどこから続いているのかは、まだわからなかった。まだ、河には人の手が加えられた形跡がある。途中から、滝のような音が聞こえてきた。

「なぁ、おっさん」

 歩きながら声をかけると、シリウスが振り返った。「どうした?」

「俺たち、何で山登ってんだ? ここでやる後方支援って何?」

「ここの山頂には、ダムがあって、水門を管理する兵の砦があるらしい」

 誰かが聞く問いだったと想定していたのか、シリウスは冷静に答えてくれた。他の兵たちも気になっているのか、誰も口を挟まずに無言で先を促す気配がある。

「この地方は、非常に雨が多い時期と少なすぎる時期を繰り返すから、ダムで貯水管理している。水の管理は人の命に関わると言うことで、山頂に砦まで建てて水門を厳重に管理しているんだ」

「だけど、この人数で砦を攻め落とすなんて、無理じゃないか?」

 クレールは素直に疑問を口にした。少数の第七小隊で砦を襲撃するのは無理がある。もしかしたら、戦車を相手にした方が有利かもしれない。

「我々の仕事は楔になることだ。本隊が州都を攻めようとしている背後を、挟撃するのを防ぐこと。それだけだ」

「それが後方支援、ってことか」

 シリウスが頷いた。筋が通らないこともないが、挟撃するには距離がありすぎる。随分と干されたものだ。殺せなければ干せばいいとは、露骨だ。

 だが、エミリューレは何も言わない。戦車を殲滅させようとした時とは違って、砦を殲滅させようとは言いださない。

 三日前に見たエミリューレの笑顔は、何も考えていない笑みだとは思えなかった。師団長に阿って出世するような女ではないし、もちろん師団長の言いなりで出世を逃すような女でもないだろう。短い期間でクレールが知ったエミリューレとは、そう言う女だった。

 不意に敵影が見えた。七名だった。なるべく音を立てたくないから、付近に到着するまでは銃を使うな。そう言われていたので、剣を持つ者が直ちに斬り倒す。こちらの犠牲は、まったくない。かすり傷ひとつ負わなかった。驚くほど手応えのない敵兵だった。クレールは、銃剣を軽く構えただけで終わった。

「斥候部隊か」

 倒れた敵の様子を見ながら、シリウスが呟いた。装備も軽い。確かに斥候で間違いなさそうだ。

「麓の州都は、既に攻略戦が始まっている」

 シリウスが、麓を見下ろして呟いた。門に囲まれた街のあちこちで、煙が上がっていた。見ていると、ここまで硝煙の燻る匂いが漂ってくるような気がした。

 先ほどの斥候も、挟撃に踏み切る時機を見計らっていたと見てよさそうだ。内心ちょっと舐めていたが、レナートの判断は、意外なほど的確だった。あっさり倒せてしまうほど弱い敵でも、背後から攻められると油断できない。

「もう少し登るぞ。我々の存在が、抑止力となる程度の位置にな」

 シリウスの指示に従って、クレールはもう少し山道を登ることになった。滝の音がだんだん大きくなる。ダムの水流だろうか。

 山頂と同時に、砦の姿が見えた。巨大なダムが砦のそばに見えるが、その規模や水量はわからなかった。いくつもの錠で、水門を厳重かつ緻密に管理しているようだった。

 砦は小さい。せいぜい、五十名くらいの規模だろう。七名も斥候を出せたのが、奇跡と言っていい。本当にこのダムの管理だけが、任務になっているようだ。

 周囲を見回していて、気付いた。水門はほとんど閉じられている。ダムから水はほとんど流れていないのだ。なのに、何故滝のような音が聞こえるのか。

「嫌な予感がする」

 クレールは思わず呟いた。予感と言いながら、何故か半ば確信していた。

「砦の敵、急いで全滅させた方がいいかも」

「どうしてだ?」

 シリウスの問いに答えようとした時、ダムの物見櫓に指揮官らしき兵が現れた。

「黒煙だ」

 指揮官の声は、悲壮に満ちた叫びだった。「アルランが、陥落ちた」

 中にいたテイレシア兵が、一斉に外に出た。数は五十名はいるだろう。初めから挟撃対策の動きを見透かしていたのか、迷うことなく第七小隊に襲ってくる。

「迎撃」

 エミリューレが銃を抜いて叫んだ。

「銃は、使ってもいい」

 クレールはすぐに銃剣を構えた。目の前の敵を撃った。刃を翻して反撃を躱すと、そのまま首筋に突き刺した。軽く薙ぎながら抜いた瞬間に、敵兵が首から血を吹き上げた。不快な感触が手に残る。

 銃剣の刃は小さく、ここまで威力を出すことは難しい。それを、執念深く磨き上げたと言っていい。確かに父親から受け取ったクラシカルな武器だが、実戦で使いこなすのは自分だ。存分に使ってやることこそが、道具の存在意義ではないか。自分自身が道具だと言うのならば、存分に使われてやるまでだ。

「道連れにしてやる」

 敵兵がそう言ったが、クレールは意味を考えずにそいつを撃った。ふと、物見櫓の指揮官らしい兵が視界に入る。その兵は見たことがある何かを持っている。

 それが何かに気付いてクレールが銃剣を構えたが、遅かった。

 物見櫓から、何かが落下した。

「伏せろ」

 クレールは大声で叫んだ。「爆弾投げやがった」

 爆発音。爆風で物見櫓が破壊され、敵の指揮官の足場が崩れ落ちた。そのまま指揮官は、ダムに落ちていった。クレールは顔を上げながら、辺りを見回す。爆弾がこちらに投下された気配はない。

 滝のような、轟音が聞こえる。先ほどよりもずっと大きい。だが、その理由を確認する余裕はなく、ただ襲いかかる敵を撃った。視界の端で、シリウスが剣を振り回していた。

 どうにか敵は退けた。死体がいくつも散らばっていた。味方のものも混ざっている。戦車部隊を倒したあとに会話した男が、死んでいた。クレールは自分でも敵を殺しているのに、その光景から眼を背けるように顔を上げた。滝のような轟音が続く。シリウスが犠牲者と負傷者の人数を数えていた。

 クレールは、ダムの背後に滝があることに気付いた。

 ……嫌な予感で済めば、どれほど良かったか。

「死者が四名。負傷者は十五名で、うち七名が重傷」

 シリウスがエミリューレに報告していた。その犠牲者の数が、多かったのか少なかったのかわからない。

「隊長、おっさん」

 クレールはふたりの間に割り込むように声を掛けた。ふたりが振り返る。黙って山の麓にある州都の方角を指さした。

 州都が、水没していた。

 はじめ、水門はすべて閉ざされていた。なのにずっと滝のような音が聞こえていて、それがクレールはずっと気になっていた。

 その滝の音は、ダムに向かって流れ落ちる滝の音だった。その滝の水源は、もしかしたらもっと巨大なダムのようなものなのかもしれないが、今は調べる必要がなかった。ともかく目の前にあるダムは外に放流されることもなく、大量の水が貯水されていたのだ。おそらく、この瞬間のために。

 敵の指揮官が、爆弾を投げ入れた。それで、水門が爆破された。すべての水が轟音を響かせながら何の制御もなく流れ出て、州都に流れていく。壁に囲まれた州都は、さながらダムのようだった。

 黒竜師団の本隊は第七小隊や補給部などの支援部隊を残して、ひとり残らず州都アルランに入った。

 それを待って、街の門はすべて閉ざされた。州都が陥落したら、即座に水没させる作戦が実行されたのだ。黒竜師団の本隊は、州都に攻め込んだのではなく、州都に閉じ込められたのだ。

 誰が勝者で、誰が敗者なのかわからない戦だった。

「本隊の戦闘が終わるのが早すぎると思ったんだ」

 事態を理解したシリウスが呟いた。表情は、わからなかった。「普通ならば、門を抜けるのにさえ時間がかかるはずだ。はじめから、必要最低限の兵しか配置してなかったのかもしれない」

 もしかしたら爆弾を投げ入れて州都にとどめを刺したあの兵は、ただの砦の指揮官ではなく、メオリッド州の上層部の者かもしれない。だが、それを知る術はどこにもなかった。

「麓に降りよう」

 エミリューレが言った。彼女は、驚くほど冷静だった。

「怪我人の治療をしないといけないし、生存者も見つけたら保護する」


 負傷兵の応急処置が終わって、クレールは生存者の捜索に加わることにした。

 とは言っても、見つけられる可能性はほとんど皆無に等しかった。敵も味方も構わず保護しろとエミリューレは指示したが、本陣に運び込まれるのは死体ばかりだった。

 州都の門のそばに、シリウスが佇んでいた。

「ああ、クレールか。来てもらって悪いが、もう撤収するところだ」

「そうなの?」

「壁を登って確認しても、生存者は見つかりそうにない。今残っている兵をまとめて、本国に帰還するしかない」

 こんなところを奇襲などされようものならば、たまったものではないだろう。いるかもしれない生存者には、恨まれるどころでは済まないのだが、こちらも残存勢力から判断するに、撤退を余儀なくされている状態だ。

「隊長は」

「壁の上だ。わたしは戻ってくるのを待ってから、本陣に合流する」

「師団長は」

「見つかっていない」

 いつもと違う気配を感じた。

 横を素通りさせてくれることは、なさそうだ。

「その先で、あんたの娘は何を探してる」

 シリウスは、黙ったまま剣の柄を握った。それが、答えのようだ。

「師団長の遺体か」

 答えが見えてしまった問いを、クレールはあえて言い放つ。

「そろそろ口を閉じた方がいいぞ、ハイリアの犬」

 その囁くような答えは、肯定を意味していた。

 どこで、気付いたのだろう。今、この瞬間というわけではなさそうだ。

 ただ、直ちに殺されることはないだろう。自分を殺してしまうと厄介なはずだ。ただでさえ将軍の息子などと言う目立つ存在で、第七小隊の誰もがクレールは二度の戦闘を生き延びたことを知っている。

 ならばやるべきことは、生きて、この情報をハイリアの元に持ち帰ることだ。

「そういうことなら、本陣に戻るよ」

「話がわかる犬でよかったよ」

「俺が知りたいのは、ご主人様の年齢だけだ」

「それはわたしも知りたいな。もしわかったら教えてくれ」

 クレールはシリウスの冗談に肩を竦めて返し、本陣に向かって引き返した。







 壁の上を歩きながら見下ろす水没した街は、奇妙な光景だった。

 果物屋で売っていたと思われる果物。最近まで誰かが着用していたと思われる衣服。水に浮いているだけなので物理に従っているのに、物理を無視して空に浮いているかのようにも見える。

 地面にあるはずのものが、浮いていた。浮いていたり沈んでいたりする死体の中から、捜し物を確認する。

 ふと、視界の奥に壁に掴まって這い上がろうとしている男がいることを確認した。

 見つけた。

 レナート・ミグルージュ。

 女帝の親戚だとかでその地位を手に入れ、師団全員の功績と言う大義名分で、部下の手柄を平然と横取りする師団長。

「思ったよりもしぶとい。探しておいて、正解だった」

 思わず、口元に笑みが浮かんだ。彼女は呟いて、レナートのそばに近寄る。

「貴様は、第七小隊の」

 彼女に気付いたレナートが、安堵したように甲高い声で呟いた。

「ああ、よかった。さあ、早くわたしを引き上げて」

「お黙りなさい、無礼者」

 彼女は、彼の命令を最後まで聞かずに短く吐き捨てた。それから、笑みを浮かべる。

「あたしは、貴様を殺すためにここにいるの」

「な、なんだと。何を言っている。今すぐ撤回して引き上げてくれれば、聞かなかったことに」

「貴様は死ねと言っているの。憐みはしないが、はなむけはくれてやる」

 彼女は、腰から剣を抜いた。

 装飾が施された柄。灰に濁る刀身。鮮血のような赤い石が、光る。その宝剣とわかる刀身を、レナートに向ける。

 その胸倉を、掴む。

「刮目せよ、我が姿。傾聴せよ、我が名。そして、畏怖せよ、真実に」

 彼女は若い娘とは思えないほどの力で、レナートの身体を引き上げた。

 銀色の髪が、陽に当たって煌めく。青い瞳が、冷酷に光る。

「セレスティア・ルーデンベルグ・アルベルタイン」

 言い放った瞬間、レナートの表情が恐怖に歪んだ。もう、声さえ出ないようだ。宝剣の刃が、束の間閃いて、胸にゆっくりと沈んでいく。

「大罪人の末路と思え」

 刃が抜かれる。胸倉から手を離すと同時に、腹を蹴飛ばした。レナートの身体は再び水没した街に沈んでいった。

 浮いてこなかった。

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