14

 右肩で銃剣を支えた。

 槍の穂先のような刃が、天に向かって突きあがる。

 クレールは持っていた革紐を使って、機材は首から提げていた。敵部隊が視認できるようになったあたりから、機材の電源を入れた。電気供給には問題ない。軽く操作してみるが、やはり使い慣れた機材だった。

 エミリューレが突撃の号令を下した。クレールは後方を走りながら、片手で機材に触れた。まだ、敵の電波は拾っていない。

「あまり固まらないで」

 拳銃を抜いた、エミリューレの大声が聞こえる。

「砲撃にやられる。散らばりなさい」

 シリウスが剣を振り回すのが見えた。既に戦車の履帯を狙い始めている。それに気付いた隊員が、注意を引きつけたり、死角から懐に飛び込み始めた。

 死ぬなよ、クレール。

 空耳だとわかっている。こんなところに、ハイリアがいるはずがない。兄でもなく父でもなく、他の誰でもなくハイリアの声が聞こえてくる自分を、クレールは笑いたくなった。

 ハイリアと出会っていなければ、こんな風に戦場に出ることはなかっただろう。しかし、ハイリアと出会っていなければ、何をしても父の名前が付きまとい続ける生活を今でも送っていただろう。つまらない人生を、少しはマシにしてくれた存在。それが、クレールにとってのハイリアという男だ。ただそれだけだったのに、今のクレールが軍にいる理由の全てが、ハイリアにあった。

 不意に誰かに突き飛ばされた。すぐそばで、敵が放った砲弾が爆発した。命拾いしたようだ。慌てて助けてくれた仲間に礼を述べたが、既にその仲間は走り去っていた。彼の名前を思い出す。後でちゃんと礼を述べないと。

 戦車の履帯が破壊された。破壊したのはシリウスだった。彼はその場を他の者に任せて、自身は飛び出した。クレールは動きを止めた戦車の物陰に隠れた。

 機材のランプが、赤く光った。敵の波長と、重なったのだ。素早く、敵の波長を相殺する計算式を浮かべた。子供の頃から計算は苦手ではない。すぐに、周波数が出た。

 発信ボタンを三度押下。目の前の戦車が、動きを止めた。天井扉が開いたのがわかった。操縦者らしい男が顔を出す。電波の調子が悪くなり、確認しようとしたのだろう。一瞬ならば大丈夫だと思ったのだろうか。

 銃剣の引鉄を引いた。一発目に男の帽子が飛んだ。慌てて頭を引っ込めようとしたが、クレールはその前にもう一度引鉄を引く。今度は、額を撃ち抜いた。男が落ちた。

 振り返ると、エミリューレと視線が合う。頷く。その片手で、次の電波を発していた。彼女の背後で戦車が動きを止める。顔を出した操縦者の額を、彼女は振り返りもせずに撃ち抜いていた。

「よくやった、クレール」

 シリウスが叫ぶ声が聞こえた。どこにいるかわからなかったが、彼がどこにいるかなどどうでもよかった。その言葉に応えるように、銃剣を掴んで走りながら、電波を操作し続けた。

 機材のランプの赤い光が消えた。事態を理解した敵が、電波の周波数を変えたのだ。シリウスは、すぐに機材を操作した。左手が指に馴染んできていた。先ほどよりも早く、ランプが赤く光る。急いでいるから複雑な波長ではなく、すぐに計算ができた。発信ボタンを五回押した。離れたところにある戦車が、動きを止めた。

 敵の砲撃を転がって避けた。すぐ背後で、轟音が聞こえた。


 いつの間にか、全ての戦車が動かなくなっていた。

 クレールは、小さく息を吐いて、機材の電源を切った。他の連中の方が動き回って敵をたくさん倒していたのに、酷く疲れてしまった。

「シリウス、状況は?」

 エミリューレがシリウスを呼ぶ声が聞こえる。シリウスの返事が聞こえる。

 戦車にたのんで少数で出撃していた敵は全滅。第七小隊は、負傷者が十名。そのうち重傷者が三名おり、即日の戦線復帰は難しそうだが、死ぬことはなさそうとのことだった。

 近くに負傷兵がいた。

 大きな怪我ではなさそうだ。既に補給部と衛生部隊を呼んでいるが、怪我が軽いからこそ手当は当て回しにされるだろう。

 クレールは膝をついて、ベルトに付けていた道具で応急処置をしてやることにした。

「何だ、そんなもん持ってきてたのか」

 負傷兵が言った。

「押し付けられちゃって。身内が過保護ってのも、参っちゃうよな」

 クレールは冗談めかして肩を竦めた。膏薬を塗って、包帯を巻く。

「使う前に死んでるだろって思ってたけど、そうでもないみたい」

「前から、思ってたが」

 負傷兵が呟いた。喋るな、などと言うような状況でもないから、そのまま先を促した。

「将軍閣下の餓鬼なんて、もっと使えねえ奴だと思ってた。怪我治してくれたり、意外といい奴だし、思ってたよりやるじゃん」

「考えてみろ。あの女隊長が、将軍の息子に気を遣うような訓練すると思う?」

「それは確かに」

 負傷兵が声を上げて笑った。釣られて、思わず笑っていた。

 背後からシリウスが自分を呼ぶ声が聞こえる。目の前の負傷兵が、行けよ、と笑った。

「じゃあ行くな。無理に動かさなければ、すぐ良くなるから」

「ああ、そうするよ。またな」

「さっきは、突き飛ばしてくれてありがとな」

 クレールはそれだけ言って立ち上がって、シリウスの方に駆け出した。また話そうぜ。負傷兵の声が、少しだけ遠のいた。

「よくやってくれた」

 開口一番、彼はそう言った。笑みを浮かべている。肩に手を伸ばそうとして、その手を引っ込めたのがわかった。肩を組むだとか、そう言うことを好まない性格だと思われているのだろう。クレールには、それが何故か寂しいものに感じられた。

「戦車相手に生身の人間が突っ込んで死者がいないとは、稀に見る大勝利と言っていいくらいだ。君がいたからこそできたものだ。あまり調子に乗られても困るが、胸を張ってもいい戦功だ」

「俺も、さっきのあいつに突き飛ばされたり、おっさんが履帯壊したりしてくれなかったら、悠長に電波いじってられなかった」

「君がやってくれると、信じていたからだ」

 当然のように、シリウスが笑う。そんな言葉を平然と言えるこの中年男が、クレールはやはり嫌いになれそうになかった。この男を知るには、はっきりと好きにならないといけないのかもしれない。

 待っているうちに、補給部と衛生部隊が駆けつけてきた。負傷兵の応急処置をし、必要な者は陣営に運ばれていった。

 戦闘に支障がない者は、レナートたちとの合流地点に向かう。

「生き残ったどころか、全滅させてきただと?」

 エミリューレからの報告を受けたレナートは、震える口調でそう呟いた。

 やはり、それがこの男の本心か。傭兵上がりで出世した小娘も、英雄と呼ばれた過去を持つ中年男も、志願して前線に戻ってきた将軍の次男とやらも、レナートにとっては邪魔な存在でしかないのだ。

「砲撃から逃げ回るよりは、戦車を破壊した方が損害が少ないと判断しました。また、戦車を残すと今後の挟撃が危惧されます。それが、なにか?」

 エミリューレの言葉遣いは普段と比べて丁寧なものだったが、その中に明らかに高圧的で不遜な態度が滲み出ていた。その物言いにレナートが一瞬狼狽えたのが見えたが、すぐにその表情を引っ込めた。

「いや、なにも。わたしが望む戦果と共に、国境を突破した貴様の判断は正しい。実に正しい。さすがは、わたしだ」

 そう言うことかと、クレールは理解する。

「と、言いますと?」

 エミリューレは声に疑問符を浮かべさせた。

「貴様ら第七小隊を戦車に当たらせたわたしの采配は、正しいのだ。即ち無傷での国境突破はわたしの功績だ。そうだろう?」

 第七小隊を戦車にぶつからせたことが功績。平然と手柄を奪うとは聞いたが、予想以上の露骨さにクレールは唖然とした。

「ええ」

 ところがエミリューレは、意外なことににこやかな笑みを浮かべてみせた。こんな表情もできるような女だったのかと、クレールは束の間驚いた。

「もちろん、黒竜師団すべての功績ですわ、閣下」

 レナートが拍子抜けしたような表情を浮かべる。気が強い彼女のことだから、反発すると思ったのだろう。クレールも心底同意した。

 すぐにその表情を取り繕ったが、続いた声は少し裏返っていた。

「そうだ、それでいい。なんだ、物分かりがいいじゃないか」

 レナートが笑みを浮かべる。そして、すぐにその表情を引き締めた。そういう切り替えは、確かに上官らしいとは思えないこともなかった。

「次の戦いのことだ」

「はい」

「我々はテイレシア王国の国境を突破した。補給を終え次第、属州メオリッドの州都アルランを襲撃することになる。移動距離にして、三日だ。その間の各地での接収はいらんが、敵がいたら制圧する」

 補給が必要なのは、第七小隊だけだ。そこまでの休息は与えられないことは、読めていた。武器を手入れをする時間くらいは欲しいものだが、どうだろう。

「アルラン攻めにおける貴様らの任務を通達する。後方支援だ」

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