セレスティアの断罪

13

 大陸暦七六五年、二月末日。

 オルフェリア帝国は、隣国テイレシア王国に宣戦布告した。

 国境警備兵の砦が襲撃されたことへの報復という名目が立っているが、テイレシア側は襲撃したことを認めていない。また、オルフェリアは近隣諸国にも派兵を進めていた背景からも、報復という名目が真実であるかも甚だ疑わしかった。

 オルフェリア帝国国内は、近年でその領土や大気に大きな汚染が見られた。汚染が進んだ土地は作物がまともに育たず、人間も家畜も生きられなくなったことから、多くの人々が住む土地を奪われた。

 近年の派兵は版図を広げることで土地を得ることが目的ではないかとも噂されていたが、皇帝アナスタシア一世をはじめとする上層部は、これを否定している。

 自国への派兵を受けてテイレシア王国もまた、国境に最も近い属州メオリッドに本国の戦車部隊を集めた。

 クレールの黒衣の軍服が支給されてほどなくして、黒竜師団は国境までの道を進発した。

「この度、我が黒竜師団は国境突破という大任を、女帝陛下より仰せつかった」

 国境近くの野営地で、師団長のレナートは第七小隊を呼び出した。

「この大任を果たすべく、貴様ら第七小隊に任務をくれてやろう。どうだ、嬉しいだろう?」

 クレールはレナートという男が、あまり好きではない。

 威張り散らす割には自身では命令以外は何もしない、戦功も特にない女帝の縁戚である。同族嫌悪とは、違う気がする。

「貴様らには、憎きテイレシアの戦車部隊を引きつける任務を与える。貴様らが戦車を引き付けている間に、我ら本隊が国境を突破する手筈となっている」

 馬鹿馬鹿しい陽動のやり方だと、クレールは思った。

 生身の人間が戦車を引きつけるなど、死にに行けと言っているようなものだ。やはりレナートは、第七小隊をお払い箱にしている。

 万一にもクェシリーズ家の令息を死なせたらジョシュア将軍からの覚えはかなり悪くなるだろうが、そこを考慮した気配がないのはレナートという男の間が抜けたところでもある。謀略の類は、さほど得意ではないのだろう。出世については金に頼っている気配である。

「承知」

 エミリューレは短く答えた。そして、部下たちを振り返る。

「聞いたね。さっさと準備なさい。先行して進発する」

 礼儀も知らぬ小娘が、と、レナートは悪態をついた。


 第七小隊が進発の準備を進めるのを、他の部隊の者たちが妙なものを見る目で見ていた。

 死にに行けと言われているような作戦に眉を顰め憐れむものはいても、同じような任務を言い渡されたくないから黙っていると言うのがほとんどだろう。おそらくクレールが同じ立場でも、黙っているはずだ。

 クレールは、銃剣を手入れした。最新の武器でなく、古い型式だ。前線に復帰すると聞いて誰より喜んだ父から、譲られたものだ。息子が戦場に向かうことのどこが嬉しいのかは理解できないが、父よりもずっと入念に手入れしていた。

 兄はこちらが困るほどには心配してきて、包帯から塗り薬から湿布の類や医薬品まで詰め込まれた救急箱を丸ごと渡そうとして、そんなに持てるはずがないと兄嫁に窘められていた。気持ちは有り難いので、救急箱自体はもらうことにして、今は使えそうなものを小袋にまとめて腰のベルトに括っていた。それでも、兵士としては用心深い方だ。

 武器を手入れしていたら、シリウスが近づいてきた。

「エルム一六か。随分と渋い趣味をしているな、君は」

 銃剣のことを言っているようだ。エルム一六は、もう十五年は前の型番だ。

「親父からのお下がりだよ」

 確か、エルム式の銃剣は一八が出た頃に生産が打ち止めになっている。銃剣は見た目は悪くないが刃物としても銃器としても半端で実戦向きではないから、最近は流行らないのだ。

「なぁ。おっさん」

「なんだ?」

「勝てると思う?」

 シリウスは答えなかった。嘘でも勝てると言って欲しいものだが、長年の経験のせいで楽観視できないのだろう。

「集合時間だ。行こう」

 集合場所に向かった。

 第七小隊が、エミリューレの前に集まっていた。元々人数も多くない部隊だから、それほど所帯染みている感じはなかった。

「これから相手にするのは、テイレシアの戦車どもよ。引きつけるだけでいいと聞いているけれど、あたしは撃破するつもりでいる」

 エミリューレの言葉に、クレールは正気か、と心の中でぼやいたが、彼女はそれを見透かしたかのように言葉を続ける。

「クレール」

 シリウスがクレールに、片手で持てる大きさの機材を手渡してくる。

「これが何かわかるな」

「電波発信機」

 即答すると、シリウスが頷いた。

 技術部にいた頃に、見慣れた機材だった。高度な疎通はできないが、器用に使えば簡単な符牒で単語程度の連絡が取れる。渡されたものは、よく見ると新しい機種だ。

「君は元技術部だ。これの使い方は、この中だと君が一番うまいと思うが、どうだ?」

「一番かはわからないけど、武器よりうまく使えると思う」

 冗談でも本気でもある言葉に、シリウスは満足げに頷いた。

「上等だ」

 続けて、とばかりに彼はエミリューレを振り返る。

「戦車と言うのは、電波を使って連携を取り合う。そこで、電波発信機で妨害電波を出して撹乱して動きを止める。一旦動きが止まれば、こちらのもの。履帯キャタピラを破壊するか、外を確認しに顔を出した操縦者を狙う。これが我々の作戦よ」

 エミリューレはそこで一度言葉を切って、続けた。

「いい? 引きつけるなんて、いつまでやればいいのかわからないから馬鹿馬鹿しいし、危険なの。あたしは敵を倒して皆で生きて帰る。覚えておきなさい」

 彼女の言うことはもっともだと、クレールは思った。

 陽動は、引きつける側の犠牲のもとで成り立つ作戦だ。ただし、払わなくていい犠牲は払わない方がいい。

 だからエミリューレの言っていることは、多少の無謀に目を瞑れば正しい。

「さぁ、行きましょう。第七小隊、進発」

 エミリューレが前に進み出す。第七小隊の者たちは、それなりに彼女を慕って後を追った。

 生身の人間が戦車とやりあうなんて頭がおかしいと周りには思われるだろうし、クレールも同意だが、彼らは少なからず本気だ。戦車部隊を倒すか、レナート師団長にひと泡ふかせるか、どちらが目的かは別として。

「復帰早々、責任重大で悪いな」

 シリウスが、クレールの側について囁いた。

「彼女の言うことは、おかしいと思うか?」

「言ってることはおかしくないけど、頭はおかしいと思う。けど、あいつが言うと生き残れそうな気がしてくる」

「それでいい。今は彼女を信じて、君はその発信機を使え。重いかもしれないが、我々は君を信じている」

「了解」

 自分がハイリアの配下でなければ、心から彼女を信じることができるのだろうか。

 空気は重かったが、空は雲ひとつない晴天だった。

 最後にクレールがカナンの花亭を訪れた時も、同じように晴れていた。







 エミリューレ・ヴァレリアの出身と思われる聖ヴァレリア女子孤児院は、運営元のヴィンセント子爵家の没落によって取り潰された。

 子爵家が取り潰された要因は、後を継ぐ者がいなくなってしまったからで、これはどうやら真実らしい。それは、クレールの調べでも、正しいものだと明らかだった。貴族の中でも一般庶民に近いくらいの下級の家だが、孤児院の運営以外の事業でいくらか稼いでいたようで、不正の気配もなさそうだった。子爵家は多少の遺産を残していたが、相続人不在で差し押さえられている。今後、子爵の息子が保証人の書類を携えて現れたら、遺産は彼のものになるだろう。

 聖ヴァレリア女子孤児院はその名前の通り、女児だけが集まる孤児院である。ヴィンセント子爵は、他にも男児専用のフローディ男子孤児院と、男児も女児も集まるエスメルド孤児院も設立したが、どちらも潰されている。

「実は聖ヴァレリア女子孤児院出身の孤児は、あまり里親に引き取られないのよ」

 グラスに水を注ぎながら、サラは何気ない口調で言った。クレールの前に水が置かれる。

 サラ曰く、オルローザの黒い区域で生まれた子供は、性被害にあった経験がある子も一定数いるらしい。それで異性を怖がるから、男子だけや女子だけの孤児院というのができたのだ。家の主人が男であることが多いオルフェリアの家では、男を怖がる女児は引き取りたくても引き取れない現実がある。逆に、男児はそう言った事情があっても、まだ引き取られる見込みがそれなりにあったようだ。

 なかなか引き取られないままに成長した娘たちの多くは、聖職者になるか、自分が育った孤児院で同じような境遇の娘たちの面倒を見るようになる。普通に働きに出る者は、ほとんどいなかったらしい。

「その、里親が現れた孤児院で、里親が見つかった女の子がいたとしたら目立つかと思って、その線で調べてみてわかったわ。十年前に、貴族の家に引き取られた女の子がいた。孤児の名前は引き取られるときに変わることも多いから、その子の名前は聞き出せなかったけれど、里親はわかったわ」

 クレールは、黙って話の続きを促した。

「アーヴィング候よ」

 束の間、沈黙した。一瞬の合間に、記憶が蘇ってくる。アーヴィングという姓を、確かに聞いた記憶がある。

 シリウス・アーヴィング。かつては赤狼師団副団長だった中年の男の名を、兄がそう呼んだ。

 あれから少し調べて、シリウスが赤い狼と呼ばれる大英雄だったことは、もうとっくに突き止めている。彼の家はアーヴィング侯爵家で、家の規模はさほどでもないが皇族や貴族と関係が近くて、多くの要職者を輩出した名門の家である。現当主のシリウスは、聞くところによると先代の皇帝とも学生時代からの友人だったらしく、友人という立場をひとつも利用することなく、赤狼師団副団長の地位を手に入れていた。

 確かに、サイラスが主治医だという娘がいるとは聞いていたが、兄はエミリューレを知っている気配はなかった。だが、シリウスの娘はひとりとは限らない。

「調べる?」

「いや」

 クレールの判断は早かった。これ以上、ただの民間人であるサラを巻き込むのは、情報部の機関員としては避けておきたい。彼女の力を借りることは多いが、それは彼女の商売を任務の足がかりにしているに過ぎない。

 ここから先は、自分の仕事でいいだろう。

 それに、任務であるはずのエミリューレの正体は結局つかめていない。シリウスが孤児を引き取ったとして、それが彼女とは限らない。まだ現役でいられる年頃に、若者のためになどと笑う彼のことだから、孤児のひとりやふたりくらい引き取っていてもおかしくない。

「わざわざ調べなくていいけど、もし何か偶然知っちゃったりしたら、教えて」

 用心深く、小さな硬貨を差し出した。

 サラはそれを指先で弾きながら、お釣りが出るわよ、と肩を竦めた。

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