12
オルフェリアの一般企業の親書を携えて来たのは、二人組の若い男だった。
親書には、その企業が立ち上げる新しい事業の概要と、二人組をシキに会わせたいという内容が書かれていた。
オルフェリア帝国では、禁止されている魔薬と言う薬物の不正取引が横行していた。心身ともに様々な苦痛から解放される効果があり、快楽すら得られることから、かつては医学的な薬効があるとも言われていた。しかし、摂取した者は周囲の人間に危害を加え、栽培すれば土壌は荒れ、製粉の過程で微かに舞った粉塵を吸い込んだだけの者にも健康被害が出ると言う。
それで危険だとして禁止されているのだが、その高い効能を知っていると、高い金を払ってでも買いたがる。その稼ぎに眼をつけて、人を騙して栽培や製造をさせて、人を騙して高値で売りつける者もいる。陽の当たるところで商売ができないから、裏で不正が横行するのだ。
そんな、オルフェリアの現状が切々と綴られていた。
事業は、魔薬で荒れた大地を再生させ、健康被害に苦しむ者を救うものだ。そのために、アマツチにいる「毒使いのイブキ」の力を借りたいのだという。シキに会いたいとするのはそのためだろう。
毒使いのイブキとは、その名の通り、あらゆる毒の知識に精通し、毒を使いこなす者のことだ。しかし、その能力を悪用されないように、イブキが誰であるかなどの情報は一切公表しておらず、その存在は半ば都市伝説と化している。本土の人間はその存在を聞いたことすらないだろうから、この親書を書いた者はかなりの情報通と言っていい。
毒をもって毒を制す、と言うところか。
若い使者たちにイブキを引き合わせるべきかどうか、シキはまだ判断がつかない。ただ、面会を望む者には誰であれ例外なくそれを許可するのが、巫覡になってからのシキのやり方だ。五年の間に、何人の人に出会っただろう。百人を超えたあたりから、数えるのをやめてしまった。
もう間も無く時間になる。シキは、マキリを伴って面会用の広間に向かった。普段通り、既に二人組は到着しているようだった。中に一歩入るなり、片方がもう片方の頭を下げるように手で促したのがわかった。
「頭をあげて」
シキは、まず最初にそれを言った。
「タケハヤ=シキ。このアマツチの地の、巫覡であります」
二人組の男が顔を上げる。片方は二十歳くらいで、もう片方はまだ十五歳かそこらの少年だった。
「俺は、グレン」
先に声をあげたのは、少年だった。言葉遣いは知らなさそうだが、声音には多少の緊張も見られた。隣の男が、手を振る。再び少年が口を開いた。
「こっちが、アーサー。アーサーは、声が出せないから、俺が手話通訳を担当してます」
「承知した。手話はそこまで得手ではないので、手話通訳を伴なう心遣いに感謝しよう。時々止めてもらっても構わぬ故、よろしく頼む」
ふたりが、頷いた。使者が口が聞けないと言うのも、実に珍しいことだった。だが、それはつまり、彼が使者でなくてはいけないとする理由があると言うことだ。他の誰でも良いのならば、口が聞ける者を使うはずだ。
「早速、親書の内容から話してもいいだろうか」
不慣れな姿勢は好きなように崩していいと告げてから切り出せば、アーサーが、静かに頷く。グレンの反応は薄かった。この少年は、親書の内容をどこまで理解しているのだろうか。
――魔薬被害からの救済。これが我々の目的です。トラヴィス商会では、金とは人の命そのものだとの理念を持っております。
「人の命」
――誰かの命を傷つけて得る金は、目先の利益にしかならない。魔薬で得る金とは、つまりそういうものです。常に、新たな誰かを犠牲にしないと、魔薬で生計を立てる者自身が生きられない。
――それに大地が汚染されている以上、オルフェリア帝国が……いえ、この世界が、滅びるでしょう。
「世界が。それほど大きな話だろうか」
シキは、アーサーを見据える。アーサーは動じることなく、その言葉を手話で返した。手話に対するグレンの反応は速い。幼い頃から一緒にいるなどで自然と身についたか、訓練をしているのだろう。
――帝国がテイレシア王国に兵を進めているのは、魔薬の汚染によって人が住む大地が減ってきたからです。ですが、テイレシアの領土を手に入れたところで、魔薬の汚染が広がるだけでしょう。テイレシアが駄目ならば、他の国を狙うだけ。その先にある未来は……
「滅び、か」
思わず、眉間の間に指をやって項垂れた。
この若者の話は、そこまで飛躍していないように思えた。仮に勝利し、テイレシアに魔薬の汚染が広がれば、再び他国の領土を得るために戦争を始めるだろう。戦争で領土を得ようとする行為も、目先の利益しか考えていないからだと思えば、筋が通る。
滅びゆく世界の救済。これこそが、彼らの目的だ。
アーサーが言葉を続けたのが、グレンの声を通じて伝わる。
――個人的なことを言えば、僕は魔薬を、憎んでいます。
――僕は魔薬の粉塵を吸い込んで、声を失いました。それで得たものも多かったですが、失ったものも多かった。今更失ったものを取り戻せるとは思いませんが、魔薬を撲滅できる世の中にならないと、未来が訪れる気がしないんです。
この青年が使者に選ばれたのも、そういう思惑があるのだろう。魔薬への憎しみが、彼の原動力なのだ。絶望や喪失感から這い上がるのに、憎しみとは時として希望より効果がある。
「毒使いのイブキについては、どこまで知っている?」
――あらゆる毒の扱いに長けた、知られざる一族という程度に。
そうだろう、とシキは思う。むしろアマツチでも、それ以上を知るのは一握り程度の者だけだ。巫覡当人と側近でさえ、現当主と次期当主のことしか知らないことがほとんどだ。
「失礼いたします」
ナダの声だった。聞き慣れた少女の声は、いつもよりも涼しさを感じさせる。襖が開き、袴を着た少女がゆっくりと広間に入る。
「失礼を承知で、お話は聞かせていただきました」
彼女を外で待機させていたのは、シキ自身だった。
「ナダ様」待機させていたのは伝えていたが、勝手に入ってくるとは想像していなかったのか、マキリが少し驚いたのがわかった。
「まさか、よろしいのですか」
「些か腑に落ちないですが、仕方がない。シキ様も、あたしが力を振るうことを、望まれているようですから」
一言も言った記憶がないのだが、確かにシキはこの事業に協力したいとは思っていた。イブキの力でオルフェリアが救えるならば、戦争をする理由がなくなる。それは、テイレシアだって望むことのはずだ。
大地のために祈りを捧げる巫覡として、それは何ひとつ間違った選択ではない。
「あたしは、イブキ=アコ。即ち、あなた方が求めた毒使いとは、あたしのことと言って過言でない」
当代のナダの本名は、アコ。
一昨年の収穫祭で出会った彼女は、巫覡に毒を盛られた時の対策として各地の村人に紛れるように配置されていた、イブキ家の者のひとりだった。
何も知らずに見初めて、ナダにしたいと思って探させて、イブキ家の四女だと知った時には驚いたものだ。イブキの中には、巫覡さえその姿を知らない者が一定数おり、四女のアコはその中のひとりだった。彼女がイブキの人間であることを知る者も、ごく少数しかいない。
今、ナダとなった彼女をアコと呼ぶのは、ふたりきりになった時のシキくらいだろう。
「あっ」
不意にグレンが声を上げた。嗜めるように、アーサーが横を向く。
「夕方、見かけた」
今度は、アーサーが手を動かして嗜める。ちょっと黙っていろとでも言われたのか、グレンが唇を尖らせる。その子供らしさを感じさせる光景に、シキは少しだけ笑った。知り合いかと尋ねると、ナダが少し肩を竦める。
「アーサーの声って、毒で治してやれるの?」
グレンの言葉は率直だった。この少年はこの少年なりに、話の内容を理解していたのだろう。アーサーは間違いなく魔薬被害者で、確かに救済されるべき人間のひとりである。
「毒使いのイブキの使命は、あらゆる毒に精通し、知識と研究を積み重ね、人を助けることにあります。アマツチには魔薬なるものはないですが、魔薬が毒ならば毒消しは必ずある。だから、希望はあるとだけ言っておきましょう」
「すげえや。毒使いってただの怖い奴らじゃないんだ。アーサー、よかったな。俺がいなくても喋れるようになるかもって」
アーサーもさすがに聞いていたはずだが、あえて自分の言葉に置き換えるグレンの言動に思わず苦笑した。
この少年にとって、世界のことなんてどうでもいいのだろう。視界の外にも世界があることが、まだよくわかっていなさそうだ。だから、目の前の友を救いたいとだけ願える。それが世界を救うに比べて見劣りするなんて、誰にも決められないはずだ。
アーサーが何か手話を返す。グレンはそれを訳す前に言葉を返す。
「アーサー、俺の世界には、友達がいるんだよ。放っといたままで、救える世界じゃねぇんだよ」
何とも純粋な少年だ。こんな輝いていた頃が、自分にもあっただろうかと、シキはふと眩しい気分になる。
「あたしには、ナダとしてでもイブキとしてでもなく、ただの小娘として、救いたい友がいます」
ナダが口を挟む。リーシャのことかと、シキは思った。
「あたしも、今は友を救いたいだけの、ただの小娘でありたい」
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