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 黒竜師団第七小隊は、宿舎の一角に本拠があった。

 それなりに世話になった技術部の面々に挨拶をするなり、クレールは早速そこに向かうことにした。

 技術部の者たちは、最後まで彼が情報部から送り込まれた内部スパイだとは気付かなかったようだった。仕事は真面目にしていたから、それはそうだろう。情報部にいなければ、技術を学ぶのも悪くはないと思っていたかもしれない。

 クレールの代わりに、技術部に人員を送り込むことはしないようだった。技術部で不正は行われていないと、報告は済ませている。妻子のいる技術部長は同性の若い軍人と不倫していたが、それ以外の問題のある言動や不当な金銭のやりとりなどはなかったので、ハイリアがいつでもあの男を更迭できるように握っておけるスキャンダルといったところだ。

 黒竜こくりゅう師団、白鷺しらさぎ師団、青蛇あおへび師団、赤狼せきろう師団。合わせて二万人弱。それがオルフェリア帝国が抱える、軍事力の全てだった。

 規模や役割は、それぞれの師団で異なっている。白鷺師団は少数ながら皇族を護り、青蛇師団は治安維持に徹し、赤狼師団と黒竜師団は外敵駆除が役目だ。軍にはその他に、裏方支援をする技術部や情報部が存在する。

 過日の青蛇師団襲撃の件で再編があったから、役割面にも変動があった。

 まず、青蛇師団は団長の更迭と同時に解体された。治安維持は赤狼師団が担当することになり、この中に元青蛇師団が編入した形になる。とは言え、元々外敵駆除が任務である赤狼師団の者たちには治安維持に向かない者も多く、その場合は黒竜師団に編入された。

 大きな編成の変化があった場合、それに乗じて不正な人事が発動することがしばしばあり、クレールの前線復帰もその空気に乗じたものだった。元々青蛇師団に所属していたクレールの復帰先は、同じ現場になる赤狼師団が一番妥当なはずだ。

 クレールの父親は、白鷺師団の団長にして軍の最高権力者である、将軍クェシリーズ伯爵ジョシュアだ。

 青蛇師団に入隊したのも、父親に従った結果といってよかった。平均的な成績で士官学校を卒業して、流れるように軍に入ったのだ。入隊したての頃は、それなりに志を持っていたが、彼への風当たりは厳しいものだった。クレール自身は決して劣ってはいないのに、誰もが能力や成果を無視して七光りだと謗るか、将軍の息子をおもねる。

 一年が経った頃に、何故か少尉なんて階位がついていた。そこまでの地位を得られるほどの働きは、していないはずだ。周囲からは好奇の眼差しを受けた。そして、何よりもクレール自身が自分の立ち位置を毛嫌いしていた。そんな階位よりも、欲しいものがあった。

 そんな不貞腐れるような人生を送っていた若造に目を付けたのが、ハイリアだった。

 起用された理由はわかっている。将軍の倅で、七光りでしかない貴族の軍人は、どんな地位にいてもそれなりに納得される。それでいて目立つほど強くなくて排除されるほど弱くもないクレールは、駒候補として優良物件だっただろう。声をかけられた時は、選ばれたことがただ嬉しくて、ハイリアに従う道を選んだ。燻っていたことも、見抜かれていたのだろう。

 幸か不幸か、クレールは汚れ役でしかない内部スパイに向いていた。だが、親兄弟にさえ知られてはいけない秘密でもあった。彼らが不正を働けば、もしかするとクレールが自ら対処しなくてはならないかもしれない。

 青蛇師団での任務中に、わざと負傷して前線を退き、技術部に異動した。父には落胆されたが、怪我をすることがクレールの任務であることなど気付いていないはずだ。

 怪我は治っていた。もともと大した怪我ではなかったから、時期を見て志願すれば前線に戻るのは難しくなかった。本人は全く志願していなかったから不本意だが、ハイリアがそういうことにしてしまったから、それらしく振る舞わなくてはならない。

 クレールは黒竜師団の宿舎を見上げた。

 外壁が黒塗りされた七階建ての宿舎だ。第七小隊の本拠地はその地下で、倉庫の一部だった場所だ。師団長のレナートには、あまり歓迎されていないのだろう。

 階段を降り始めた頃から、声が聞こえていた。やや低いが、明らかに女とわかる声だった。隊長は若い女だと聞いたから、隊長の声だろう。

「命のやり取りにおいて、相手が小娘だなんて関係ないでしょう?」

 語調は強い。正論ではあるが、些か苛烈なところがあるようだ。扉をそっと押し開ける。

「戦場に立てば、相手を舐めた時点で死んでいる」

 中に立っているのは、長い銀髪を揺らす小柄な娘だった。

 腰には剣が、左脚には使い込まれた形跡がある拳銃のホルスターがかけられており、手には訓練用の木製の剣がある。黒い軍服に軍帽とブーツは黒竜師団のそれとわかるが、サイズがあるのかとどうでもいい感想を抱いた。

「おまえたちが今も生きていることは、本来はあり得ないの。わかったら、舐めないで頂戴」

 彼女の周りには、倒れていたり膝をついていたりする男たちがいた。同じく黒の装いで、どれも二十五歳前後だ。剣は持っている者もいれば、手放している者もいた。

 部屋の隅の壁には、一人の中年の男が腕を組んで佇んでいた。特段大柄でもない、茶髪の男だった。腕章は中佐のもので、年齢は三十五は過ぎているだろうが、黒竜師団の装いは妙に新しいものだった。若者ばかりだと、この男も妙に目立つ存在だった。

「見たところ事務方の格好をしているが、君は?」

 中年の男に声をかけられた。

 確かにこの中で軍服を着ていないのは、クレールだけだ。彼が着ているのは、主に傷病兵や事務方の軍人が着用している、灰色のジャケットだ。

「俺は、クレール。技術部にいたが、明日付で黒竜師団の第七小隊に異動して前線復帰が決まったと聞いたんで、挨拶に」

「ああ、それでは君なのか」

 男は納得したように頷いて、近づいてきた。

「技術がわかる者が欲しいとは、言っていたんだ。ちょうど復帰希望の若い少尉がいると聞いていた」

「そりゃたぶん、俺のことだ」

「丁寧に、挨拶に来てくれてありがとう。来なかったら、こちらから挨拶に行くところだった」

「行き違えなくて何よりだ」

 親の七光りだなんだと言われ続けた影響で無愛想で口が悪いが、それなりにやる気がある若者を演じることにした。この中年男は、言葉遣いよりもやる気の有無を重んじているようだ。頭角を示す必要はないが、相手に嫌われない程度の努力は必要だろう。

「わたしはシリウスと言う。ここの副隊長、ということになっている」

「どうも」

 クレールは右手を伸ばして、差し出された手を軽く握り返した。

「何せここは新設部隊。新任の隊長は元傭兵の若き女傑。補佐役の副隊長が必要ということでね。全盛期をとっくに終えたおじさんでも若者の役に立つならと、赤狼師団から異動してきたわけだ。……まぁ、隊長は優秀だから、わたしの出る幕はあまりないかもしれない」

 赤狼師団の軍服は、赤が基調になっている別のデザインのものだ。だから制服がまだ新しいのだ。シリウスと言う名はどこかで聞いた記憶があるので、後で調べておこうとクレールは決めた。

「ところで、副隊長。この状況はいったい?」

「ああ、部下たちがこんな小娘が上官だなんて、と大声で罵ってしまって。彼女も相手を舐めたらどうなるか教えてやる、と。その結果だ」

 こいつ、見ていただけかよ。

 クレールは突っ込みを飲み込んで、「怪我人は?」と呟いて、他の兵たちを見て回った。数日あれば消えそうな痣は見えたが、治療が必要な怪我を負った者はいないと確認して、優しい奴だと笑うシリウスの近くに戻る。怪我はさせていないと、初めから分かっていたのだろう。この柔和な軍人の思考が読めない。

「技術者か。おまえはどうするの」

 女隊長は訓練用の木剣を持ったまま、愛想の悪い口調でこちらに視線をやった。深い青の瞳は、燃えるようで凍てつくような鋭い光がある。

「あたしに喧嘩を売ってみる?」

「やめとく。その構え見ただけで、俺じゃ勝てねぇってわかる」

「そう。勝てない相手を前にとりあえず退くのは、生き残れる判断だ。卑怯者なんて嗤われても、気にしないことだね。おまえは強くはなさそうだけれど、今度戦場に出るまでには鍛えてあげる。戦場のトレンドは射撃だけれど、剣が使えるのに越したことはない」

 彼女は木剣を放り投げて、こちらに近づいて来た。

「あたしのことは気軽にエミリューレ様か、隊長とでもお呼びなさい」

「了解、隊長」

「なんだ、そっちか」

 ハイリアが調査を命じた理由が、見えてきた。

 本拠地は倉庫の一角。エミリューレの実力は高いようだが、レナートからは、どう見ても冷遇されている。頭角を示す女傭兵を、適当に排除したいと言う思考が透けて見えている。軽く確認したところ、部隊の連中も内容は様々だが軍で問題を起こしたことがある奴らや傭兵上がりばかりだ。戦争が起こるならば、そう言う奴らを消す機会はいくらでもある。

 だが、それには矛盾がある。本当に冷遇されているのならば、補佐役としてシリウス中佐を赤狼師団から異動させることはできない。結果としてハイリアの付け入る隙になったとは言え、技術者の派遣要請に応じた人事まで発動したところは、必ずしも風当たりが悪いとは思えなかった。レナートの思惑通りにならない権力が、どこかで動いているのだろうか。

「シリウス、彼の制服は? 動きにくそうだし、戦場ですごく浮きそう」

「間に合わなかっただけだ。補給部に用意させる。クレール、来てくれ」

 シリウスの言葉に、クレールは頷いて後を追った。背後では動けるようになった男たちが、エミリューレに謝罪する様子が見えた。

「君が隊長を見ただけで勝てないとわかると言い切ったのも、彼らに効いたのだろうな」

 部屋を出るなり、シリウスが苦笑した。

「ところで君は、サイラスの弟か?」

「えっ?」

 意外な名前だったので、思わず声を上げてしまった。こういう時、名が出るのはだいたい父だ。

「そうだけど、何でまた」

「やはりそうか。名前を聞いた時にそうかなと思っていた。技術部に弟がいると、サイラスから聞いていたんだ。君の兄上には、うちの娘が世話になっている」

 兄のサイラスは、医者だ。

 サイラスは、周囲に軍人になるように望まれていた。技量も相応にあったはずだが、勝手に実家の離れを診療所に改修して医者になった、妙な方向に自由な男だ。医者としての評判は悪くないらしいが、父ほどの有名人ではない。

「娘は人見知りするから主治医を選ぶのは苦労したが、彼には懐いている。わたしは個人的に、君の父上よりも兄上と、親しくさせてもらっているんだ。――ああもちろん、二十年以上も軍人をしていれば、ジョシュア将軍とも交流はあるんだが」

 穏やかに笑うシリウスは、軍人らしくない。君の兄と知り合いだと言われただけなのに、何とも言えない親しみやすさを感じる。

 家柄などを意識しないこの中年の上官を、少しだけ好きになった自分に気づいた。

 今だけは、その感情を無視しておこう。

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