エピソード15 行くまで億劫だが、なんだかんだ楽しい修学旅行・一日目 ①

1.

 11月10日 朝の5時に目を覚ますと外はまだ薄闇に覆われていた。カーテンを開けると肌寒い冷気がガラス越しに伝わってくる。窓を開け辺りを見渡すが、まだ明けきらぬ街並みは何とか建物の形が視認できるほどだった。2~3ヵ月くらい前であればとっくに払暁の輝きが窓から差し込んでいたのに。

 日の出が遅くなってきたことに、間近に迫る冬を感じながら僕は朝早くから身支度を急いでいた。


「おう、おはよう。」

「・・・おはよう。」

 顔を洗って足早にリビングへ行くと、まだ眠そうに眼をこする親父がコーヒーを飲みながら早めの朝食をとっていた。出勤の時間にはまだちょっと早い。

 テーブルにはサラダやスクランブルエッグが並べられている。母さんが作ったのだ。だとすれば一体何時に起きていたのだろう。必然的に僕や親父よりも早く起きていたことになる。


「準備は済んだのか。」

「うん。」

「そうか。じゃあお前の飯が済んだら行くか。」

 急いで食パンをトースターに入れ、早めの朝食を摂る。うちは千珠葉も含め皆、朝はパン派であるためこうしてモーニングセットのようなメニューになることが多い。ところが、どんな環境にもマイノリティというのは必ず存在するわけで、すなわち親父だけが朝は米派だった。

 しかし親父は文句を漏らすこともなく、毎朝ベーコンやスクランブルエッグ、それからポテトサラダなんかをおかずに白米を食べている。合わないことはないだろうが、本当はもっと和食らしいメニューが食べたいんじゃないだろうか。けれどいちいち文句を言わないのは、母さんを気遣っての事なのか、単に一蹴されるのを恐れての事かは分からないが。

 母さんが作ってくれた料理をありがたく胃袋に流し込み、流れ作業のように歯磨きと洗顔を済ますと、キャリーバッグいっぱいに詰め込んだ荷物を父親の車に詰め込んだ。


「兄さん、もうそろそろ出る?」

「ん?なんだ千珠葉か。珍しいな、こんな朝早くから。」

 千珠葉が眠そうに眼を擦りながら二階の自室から降りてきた。僕より朝が弱い千珠葉がこんな早朝に起きてくるのは大分珍しい出来事だ。


「だってそろそろ出発の時間でしょ?いよいよ今日だね。おみやげ、分かってるよね。」

 子どもが親におねだりする時のような上目遣いで僕を見つめてくる。千珠葉はいつもそうだ。何かお願い事をする時だけこうして甘えた眼つきですり寄ってくるのだ。

 こいつ将来絶対ろくな大人の女性にならないな。そんなことを考えながら、それでも千珠葉の『お願い』には逆らえないのであった。


「旅の心配よりお土産の心配かよ・・・分かったよ。忘れないようにするから。」

「いや、絶対ね。じゃあ、行ってらっしゃい。」

 こうして、まだ夜も明けきらぬうちに家を出る。親父の車に荷物を積み込み、普段なら学校へと向かうところだが今日は違った。

 平日の早朝から通い慣れた道とは別の道を親父とドライブする。と言っても学校をサボって遊びに行こうとしているわけではない。


「おい、祥真。着いたぞ。起きろ。」

「ん?ふわぁあ・・・すまないな親父。ありがとう。じゃあ行ってくるわ。」

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。何かイベントの前には寝られなくなるとか子供かよと我ながら自嘲してしまう。

 後部座席に積んだトランクケースを取り出しドアを閉める。親父に送ってもらい着いたのは静岡駅。静岡の中心部として首都圏と名古屋を結ぶ重要な役割を担っている。勿論朝っぱらからわざわざ駅に来たのは新幹線に乗るためな訳で。

 まだ通勤ラッシュの時間には早いが、駅にはすでにスーツを着た大人達があちらこちらと忙しなく動き回っていた。こんな早い時間から働いている人がこんなにもいるのかと思うと頭が下がる。

 その中に、同じ高校の制服を着た生徒がいくつか集団になっているのを見つけた。なんとなく居場所を探すように辺りをきょろきょろと見渡していると、こちらに気付いた女子高生が前方から手を振って駆けよってきた。


「よっ、早いじゃん。昨日はちゃんと寝られた?」

「あ、興津さん。おはよう。いや、あんまり寝られなくてさ・・・今送ってきてもらう道中でちょっと寝ちゃってたよ。まあ新幹線で寝ていくからいいや。」

 そう言いながら興津さんに目をやると、明らかにいつもと違うことに気が付いた。なんというか、そう、ばっちりオシャレをしていた。普段はショートヘアに薄いメイクくらいのなのだが、今日は髪もセットされていて、右耳の方の髪だけ編み込まれている。メイクも濃い目で、薄っすらリップも塗られていた。はっきり言ってめちゃくちゃにかわいい。


「そうだな。京都まで少なくとも2時間はある。ゆっくり眠っていくといい。」

「うん、ありがと・・・・・ん?」

 咄嗟に振り返るとそこにはもう一人の女子高生が仁王立ちしていた。


「え?海堂?なんで?」

「榎野・・・だったな。同じ班だ。今日からよろしく頼む。」

 ん?どういうこと?一回状況を整理しようか?どうして僕と興津さんの班に吹奏楽部の海堂海音かいどうあまねが一緒にいるんだ?


「あれ?言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ!」

「海音と私は親友だからねー。」

「うむ。」

 テヘッ♪っと小さく舌を出しウインクしながら興津さんが悪戯に笑う。可愛いなおい。いやいやそんなんじゃ騙されないぞ。危うく九割くらい騙されかけたが。

 詳しい事情を聞こうと興津さんに詰め寄ると、背後から更に声がした。


「そうだそうだ!祥真がいるなんて、聞いてないぞ!」

「・・・は?」

 もう思考が追い付かない。そこにいたのは同じクラスで、学年でもトップクラスのイケメンなのに何故か仲のいい宮島大吾みやじまだいごだった。何やらニヤニヤとこちらを嘲弄するような顔で見てくるが、こいつのこの口ぶりからして、結末は容易に想像できる。


「おっす!お察しの通り俺も一緒だ。よろしく頼むぜ。」

「あれ?言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ!」

 ついさっき行った問答を繰り返す。一組4~5人という話は聞いていたので、当然僕と興津さん以外にもクラスメイトがいることは分かっていたことだが、まさか残りの二人が(僕の中で)隣に並んで歩きたくないランキング一位のクソイケメンと、ほとんど話したことのない、というかこの前の維織ちゃんの一件があって初めて話したクラスの女子(苦手なタイプ)とは思いもしなかった。


「盛り上がっているところ申し訳ないが、そろそろ集合の時間だぞ!」

 いつの間にか集合場所の改札口に移動していた海堂がこちらに向かって手を掲げている。


「あ、待ってよ海音!ほら、榎野!宮島君!いこ!」

「おう!ほら、祥真も行こうぜ!もたもたしてると置いてかれちまうぞ!」

「あ、おい。待ってくれよ!おいてかないで!」

 こうして謎の寄せ集め集団と化したこの班と共に、3泊4日の修学旅行が始まった。向かうは京都・大阪・奈良。青春の一大イベントともいえる修学旅行は、これから一体どうなることやら・・・


・・・


 東京と新大阪までを結ぶN700系こだまに乗り込む。正直新幹線の違いなど僕にはわからないが、どうやら最近フルモデルチェンジを受けN700Sという車両に変わっているらしいことを、夕飯時に親父が延々と熱く語っていたのをなんとなく覚えている。

 2列シートの窓側に座ると、その隣には興津さんが・・・座るわけもなく当然のように大吾が腰を下ろした。

 等間隔のリズムを刻みながら2時間と少しかけて京都までたどり着くこだまは、停車駅も多いことからひかりよりも少しだけ遅い。

 荷物を整理し、リクライニングを少し倒したところで、待ち構えていたかのような睡魔に襲われすぐさま意識が薄れていった。

 

 次に気が付いたのは、その心地よい揺れを感じなくなった辺りの事だった。ふと眼を覚ますと駅で車両が停車している。


「ん・・・どこだ?大吾、もう着いたのか?」

 微睡まどろみの中で状況を確認するように周囲を見渡す。ヘッドホンをしながらスマホでデュエルをしている大吾からは何の返答もない。見慣れない駅だがここが京都なのだろうか。


「おはよう、榎野。ここは岐阜羽島ぎふはしまって駅らしいからまだだよ。乗り換えアプリ見る限り、次の次かな?もう少し寝てていいよ。着いたら教えてあげるから。」

 通路を挟んだ3列シートの通路側に座っている興津さんが優しく微笑む。その隣には海堂が座っているが、腕を組んで目を閉じたまま動かない。どうやら眠っているようだ。


「そっか・・・じゃあもう少し寝ておこうかな。近くなったら教えてね。」

「その前にその口元から零れかけている涎を拭ったらどうなんだ。」

「えっ?!」

 てっきり眠っているかと思っていた海堂が、目を閉じたまま呟いた。

 てか涎垂れてんのかよ!恥ずかしすぎるわ!

 慌てて口元に手をやり痕跡を確認する。


「ふふふ、冗談だ。適当に言ってみただけだよ。」

 目を閉じたまま口角だけを上げ、にやりと笑う海堂。こいつ冗談とか言えるのかよ・・・

 海堂の嘘なのか本当なのかよく分からない謎の冗談にまんまと乗せられ口元を擦った手を収めようとすると今度は隣の大吾がにやりと笑った。


「本当はちょっと出てたぞ。さっきこっそり拭いてやったんだから感謝してくれよ。」

 小声で、僕だけにぎりぎり聞こえる声で囁く大吾。


「おまえヘッドホンしてんだろ!聞こえてたのかよ!」

 不意打ちに背筋が凍る。そのまま大吾にしか聞こえないくらいの小声で続けた。


「おう。だってヘッドホンしてるけど何も聞いてないからな。こうしてると余計な話に付き合わされなくて済むだろ。」

「なんか・・・スパイみたいだな。」

「・・・かっこいいだろ?」

「あーはいはい。」

 そんな他愛もないやりとりをしているうちに、車内には何度か耳にしたことのあるチャイムが流れた。


「ご乗車ありがとうございましたぁ。まもなく京都、京都です。降り口はぁ、左側です。」

「お、やっと着いたか。」

 徐々に落ちてくる新幹線の速度が、停車する目的地に近づいていることを教えてくれる。流れゆく景色が徐々に目で捉えられるようになり、やがて止まった静止画になった。


「お、どうやら着いたみたいだな。」

「んーーーっ、なんだか肩凝っちゃったね。」

「おい恵零那、おじさんみたいだぞ。」

「あーはいはい、えらいすんませんでした。」

まだどこも回っていないのに謎の関西弁でおどける興津さん。どうやら既にテンションが上がっているらしい。

しかしそれは興津さんに限った話ではない。海堂も、大吾も、それにあんなに億劫に思っていた僕でさえ、いざ京都の地に足を踏み入れると自身が高揚していることに気が付いた。


 って、結局二度寝できなかったじゃん!

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