エピソード14 興津恵零那は諦めない・後編

3.

 中学生の頃、何かしらの部活に入ることが強制させられていた。今思い返してもあの取り組みにはなんの大義名分があったのかはさっぱり分からない。

 僕が通っていた中学校はそれほど大きな学校ではなかったため、当然ながら部活動の数もそう多くはなかった。運動部は野球部とサッカー部、それに卓球とバレーとバドミントンくらいだったろうか。文化部は・・・わからない。確か本を読んでいる集団と絵を書いている集団がいたことはなんとなく記憶の片隅に残っている。

 運動部の中でも人気なのはまあおよそ予想の範疇だと思うが、野球部とサッカー部だった。クラスの中でもイケイケな連中や、外部のクラブに籍をおく経験者連中なんかが部員の大半を占めていた。

 そんな華やかな部活と煌びやかな生徒達とは対照的に、帰宅部を希望するも叶わず、とりあえず何かの部活に入らなければならないため仕方なく入部を余儀なくされた、言わば文字通り寄せ集めの集団が卓球部であった。

 ここで誤解や風評被害を避けるために付け加えておくが、卓球部の中にも、上を目指している者や、卓球という競技に真摯に向き合っている者もいた。そんな彼ら彼女らからしたら、僕たちのような、仕方なくやらされているだけの部員がダラダラと卓球台を占領し、謎の必殺技練習や、見様見真似のハイトスサーブでふざけ合っている光景はさぞ不愉快なもので、慨嘆せずにはいられなかったであろうと思う。

 そんな雰囲気を感じ取ってか、仕方なく入部した連中の8割は、1年生の6月までには姿を消していた。所謂幽霊部員というやつだ。残りの2割は、『嫌々やったものの、初めて見たら案外楽しかった奴』と、『嫌々やったものの、実は才能があって辞めるに辞められなかった奴』だ。

 ちなみに僕は言うまでもなく幽霊部員となった。一生懸命高みを目指し、青春の汗を流す連中と同じ空間にいることの違和感に耐えられなかった。


「ふわあぁ。なんだ、もう朝の4時か・・・」

 興津さんから勉強を教わり、部活への悩みを聞いた日から2日が経った土曜日のことだ。流石にこのままだとまずいと思い自室に籠り試験勉強していたものの、行き詰まり少し休憩をと思いゲームの電源ボタンに触れたのが間違いだった。

 気がつくととっくに4時間が経過しており、途端に悔恨の情が湧き上がってきた。


「何してんだ俺は・・・」

 同じような過ちをいったい何度繰り返してきたのだろうか。椅子にもたれてぐっと背伸びをし、凝り固まった肩と腰の筋肉をほぐす。そして気怠く重い身体を引きずりながら、ベッドへとダイブした。

 現実逃避にゲームをしながら思い出していたのは中学の頃の苦い記憶。興津さんとの会話がトリガーとなったのだろう。正直あまりいい思い出じゃない。

 昔から何か一つの事に打ち込んだり、勉強やスポーツで上を目指したりしてこなかった僕は、気が付くと何にも真剣に向き合うことができないことに気が付いた。

 努力の仕方が分からないのだから結果が出ない。結果が出ないのだから達成感がない。達成感がないのだから努力できない。

 そんな、無限にも感じられる負のスパイラルの渦中に身を置くことを自覚しながら、さりとてどうすることもできずにただ身を任せることしかできないでいた。


「・・・寝るか。」

 夜は時々こうして僕に負の感情を押し付けてくる。次の日になれば忘れているようなことや、よく休息をとった頭で考えるとそう大したことではないような問題も、夜中になるとなぜだか異様に胸が騒ぐ。そして鬱々とした感情が僕を包み込んでいく。

 つまり考え事は夜中にするべきではないのだ。今こうして思い出した過去も、自分の弱さを嘆くことも、夜が見せる一時の悪夢に過ぎないのだから。

 ベッドに横たわり、アラームを掛けようと投げ捨てておいたスマホに手をかけると、そこには見たこともない数の通知が来ていた。恐る恐るアプリを開く。相手は興津さんだった。


『榎野、起きてる?』

『この前の事で、ちょっと話したくて。電話していい?』

『寝てる?』

『おい、本当は起きてんだろ。』

『許さない。』

『起きたら連絡して。私寝るから。おやすみ。』


 メッセージをひたすらにさかのぼる。結局15件くらいのメッセージを読み終えると、すっかり眠気が吹き飛んでいた。


「やっちまった・・・やばいよこれどうする・・・」

 文章を見ればすぐにわかる。これは明らかに怒っているに違いない。どうしたものか・・・

 このまま考えていても埒が明かない。とにかくさっさと寝て、起きたら謝りの連絡を入れておこう。

 うっすらと明るくなり始めた空を眺めてからカーテンを閉め、すっかり醒めてしまった目を閉じると、いつの間にか記憶が薄れていった。

・・・


 差し込む日光に気付き瞼を開ける。ついさっき眠った気がするが、一体どれくらい経っただろうか。徐にスマホを手に取り画面を見ると、既に11時を過ぎていた。


「やべっ!寝すぎた!」

 慌ててベッドから飛び起きると、すぐに興津さんに電話を掛けることにした。怒られるのは覚悟の上だが、このまま無視するわけにもいかない。


 プルプルプルプル、プルプルプルプル・・・

 でない。


 プルプルプルプル、プルプルプルプル・・・

 スマホが手元にないのかな。しょうがない、少し時間をおいて掛け直すか。

 一度切って諦めようとしたその時だった。


「・・・はい。」

「あ、あの・・・おはようございます。」

「死ね。」

「えぇ・・・ごめん。榎野だけど・・・」

「知ってるよ。」

 明らかに不機嫌そうな興津さんが面倒そうに一蹴してくる。


「あのー、興津さん?」

「死ね。」

「生きます。」

「バカ。」

「それは否定できないです。」

「今何時だと思ってる?」

 慌てて机に置かれた時計に視線を移す。時刻は11時半を示していた。


「ええと・・・11時半くらいでしょうか。」

「そうよ。何時まで寝てんのよ。」

「いや、だってさっき寝たばっかりだったんだよ。ちょっと集中してて・・・」

「へぇ、偉いじゃん。そんな遅くまで集中して勉強してたんだ。」

 違う。勉強などしていない。なんならテスト勉強は早々に切り上げ、気づくと延々とゲームをして時間を浪費していた。

 しかし、それを素直に言う必要もないだろう。幸いにも勉強していたと思ってくれているようなので、そういうことにしておこう。


「そうなんだよ。さっきまで勉強しててさぁ。」

「ゲームの?」

「うっ。」

 一瞬心臓が跳ね、そしてすぐに全身の脈が激しく鼓動していた。


「図星ね。」

「興津さん、意地悪だよ。」

「そんなことないわよ。適当にカマかけてみたらたまたま当たっただけ。真面目に勉強してれば否定できたんだから、自分の愚かさを悔やみなさい。」

 確かにその通りなので返す言葉もない。しかしこんなやり取りをわざわざしたいがために興津さんの方から連絡をよこしてきてくれたとはどうも考えにくい。一体昨日の『話したいこと』とは何なのだろうか。


「まったく。こんな無意味なことをやっていられるほど、私は暇じゃないのよ。榎野、今日これから時間ある?」

「え?あぁ、うん。あるけど・・・」

「そ。じゃあ今から地図のデータ送るから。14時にそこで待ち合わせってことで。」

 それだけ告げて一方的に電話を切る興津さん。なんとも強引だが、同時に、もうそんなことには慣れてしまっている自分がいることに気付かされた。


「ってもうこんな時間じゃん!」

 気が付くともう12時近くになろうとしていた。約束の時間までもう時間がない。間に合わなかったら今度は何をされるか本当にわからないぞ。

 慌てて身支度をすると興津さんから送られてきた場所へと急いだ。


・・・


 駿河湾の海岸線沿いにある興津駅から歩いて20分ほどの場所に、小さな砂浜の公園がある。

『小松原公園』という名のその公園は、小さいながらもよく整備されており、海からの潮風が心地よく身体を包んでくる。地元民以外は人もそれほど多くないため、結構穴場のスポットだ。そしてそこが今日の待ち合わせ場所だった。

 急いで準備をし、電車に乗り込んで、何とかギリギリ待ち合わせの時間に間に合わせることができたのだが、そこには既に興津さんの姿があった。


「ごめん、待たせちゃったかな?」

「・・・寒い。」

「そうだよね、もう10月も終わるし・・・」

「全く、なんでこんな時期に海を待ち合わせ場所にしてんのよ。」

「興津さんが言ったんじゃん・・・」

 まったく一方的で身勝手な人だ・・・


「はい、興津さん。温かいお茶でよかったら。」

「え?何、榎野めっちゃ気が利くじゃん!」

 コートのポケットから取り出したホットのほうじ茶が入ったペットボトルを興津さんに手渡す。駅で電車から降りたとき、既に冷えるなと感じていたので途中で買っておいて正解だった。

 少しぬるくなったお茶を興津さんに手渡す。一口、二口とゆっくりお茶を飲むと、はぁ~と深く息を吐き出した。


「榎野、ありがとう。生き返ったー。」

「いえいえ、どういたしまして。」

「そうだ、榎野も飲む?ってか榎野が買ってきたんだから榎野のだもんね。」

 そう言ってキャップが開いたままのお茶を手渡してくる興津さん。え?これもらっていいの?これっていわゆる間接キスってやつじゃ・・・でも待てよ?ここでじっと考えていたら何かいやらしいことを考えていると悟られてしまいかねない。さてどうしたものか・・・


① 平静を装ってお茶をもらう

② きっぱりと断る

③ うやむやにする


 よし、モタモタしている時間はない。早く答えを出さないと。


「ありがと興津さん。もらうよ。」

 興津さんからペットボトルを受け取り、さも気にしていないようにお茶を流し込んだ。


「間接キスだね。」

ぶふぉあ!

 思わず口に含んだお茶を吹き出してしまった。


「げほっ、げっほげほっ」

「ちょっと榎野、汚いんだけど。」

「いやだって、興津さんが変なこと言うから。」

「事実じゃん。」

「まあそうだけど・・・」

 口に含んだお茶の一部がどうやら鼻腔内に入ったようで鼻の奥が少し痛い。まったく、悪い人だ。いたずらにしても質が悪い。


「それより!何か話したいこと、あったんだよね?何?」

「あーそうだね。うん。ごめんね茶化して。まあとりあえずそこに座ってよ。」

 一体何をする気なのか。よく分からないまま恐る恐る砂浜に腰を下ろすと、その目の前には興津さんが立ちはだかった。傍にはよく分からない大きな黒いケースが置かれている。一体何が入っているのか見当もつかないそのケースから取り出したのは見たことがある楽器だった。


「興津さん、それって。」

「ホルン。私のね。」

 丁寧に取り出したホルンを興津さんが目の前で構える。すぅっと息を飲み込むと、ほんの一瞬だけ時が止まったような気がした。波の音すら聞こえない全くの無音。その刹那、音の塊が僕に襲い掛かった。

 ホルンの力強くも優しい音色が海岸に響き渡る。普段こうして一つの楽器だけを目の前にして聞く機会など全くなかったので、ただ圧倒されて耳を傾けることしかできない。

 興津さんのホルンの音色をじっくりと味わう。なんとなく心の奥底からゆっくりと温かい気持ちになっていく。他の全てが排他され、ただ興津さんのホルンの音だけが耳に響いていった。


「・・・どうだった?」

「・・・」

「榎野?」

「なんか・・・すごかった。」

「何それ、もうちょっとなんか、なんかないの?」

「ごめん、僕音楽の事はよく分からなくて。でも、なんか、とにかくすごかった。圧倒されたんだけど、それは音の大きさとか迫力とか、そういうことだけじゃなくて、なんて言うんだろう。興津さんの音がすんなりと入ってきて、興津さんの音だけに集中してしまう。そんな感じだった。」

「そっか・・・そっか。」

 何やら呟きながら考え事をしているような興津さん。しばらくそのまま考え込むと、何か答えが見つかったように、ホルンをケースにしまい始めた。


「ねえ、榎野。わたし、やっぱり吹奏楽続けるよ。」

「・・・そっか。それが興津さんの答えなんだね。」

「うん。なんかムカつくけど、榎野の言った通りだったよ。」

「え?」

「いろいろ考えたんだけど、私やっぱり吹奏楽が、ホルンが好きなんだわ。このままホルンをやめて、楽器から離れていく未来を考えたたら怖くなってぞっとした。」

「・・・うん。」

「榎野の言う通り、なんか理由つけて全国目指すってこととか、部長になるってことから目を背けていたのかもしれない。でもそれじゃダメなんだよね。やっぱこのままじゃ終われないや。」

 興津さんの眼には確かな決意が宿っていた。そこに不安などないかのように。


「だからさ、その・・・ありがとうね。」

「・・・え?」

「だ・か・ら!ありがとうって言ってんの!」

 そう言うと興津さんは海の方へ走っていた。まさか興津さんからありがとうなんていわれる日が来るなんて。

 海岸線へ向かって小さくなる興津さんの背中を眺めながら、自然と口角が緩んでいくのを自覚した。


「ねえ榎野!」

「ん?何?」

「修学旅行、もうグループ決まってんの?」

「え?あぁいや、恥ずかしながらまだ何も・・・」

「へぇ、じゃあうちらと一緒に回らせてあげてもいいよ。」

「え?ほんとに?」

 修学旅行のことなど考えないようにしていた僕にとって、その提案は思いもしなかった救いの手だった。


「そ、それじゃあ、その・・・お願いします。」

「うん!そうこなくっちゃ。まずはその前に中間試験だけどねー。」

「!!。そうでした・・・」

「まあ何とかなるでしょ。」

 こして僕は興津さんたちのグループに入れてもらえることとなった。何の楽しみもなかった修学旅行も、これで少し期待を膨らませることができる。

 興津さんに感謝しながら、僕は彼女と暫く海を眺めて家路についた。

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