エピソード14 興津恵零那は諦めない・前編

1.

 10月22日 突然だがなぜ高校生になるとやたら試験ばかりやりたがるのだろうか。なんだかんだと隔月で何かしらの試験をやっている気がするが、試験というのは普段の努力の成果を試す場であり、今の自分の実力がどの程度なのかを測るためのものだと思っている。

 であれば、隔月ごとに行うことに一体どれだけの意味があるのだろうか。もっと試験そのものの回数を絞ったほうがむしろ効果的なのではないだろうか。

 そんなことを考えているのはもちろん中間テストが間近に迫っているからに他ならず、そして当然ながらこれといって勉強もしていなかったためである。

 ちなみに、僕が言う「勉強していない」は、そのまま読んで字の如く勉強していない。クラスの真ん中で固まってギャーギャー問題を出し合いながら「やべー、俺今回全然勉強してないわー笑」、「いや嘘つけよー、俺の方こそ勉強してないわー」なんて笑い合いながらいざ本番になると中の上くらいの点数を取っていく連中とは言葉の重みが違うのだ。

 ところで開き直る様で申し訳ないが、普段努力を積み重ねていない僕がなぜテストで腕試しをしなければならないのだろうか?何もやっていないのだから力量を測る必要もない。というのが僕の基本的なスタンスだ。異論は認める。


「何呆けてんのよ。随分と余裕そうじゃない。」

 放課後になってもなんとなく帰る気力が起きず、現実逃避をするように教室の椅子にもたれて天を仰いでいると、随分と年季が入った天井だけが映し出されていた視界に、一人の女の子が割り込んできた。


「うおあ?!興津さん?どうしたの?」

 短く揃えられた髪がさらりと揺れる。と同時に甘い匂いが優しく薫る。

 僕を上から覗き込んできたのは、同じクラスの興津さんだった。


「別にどうもしないけど。テスト近いのに随分余裕だなーと思って。」

 隣の机に腰掛け挑戦的な目で僕を見つめてくる。よく見るとスカートが少し捲れあがって興津さんの白い太ももが強調されていた。うん、いい。控えめに言って最高だ。


「いや、あの・・・全然余裕ではないのですけれども。寧ろ何もやってなさ過ぎて逆に清々しいというか・・・」

「そんなことよく恥ずかしげもなく言えたわね。逆に尊敬するわ。」

 呆れた様子で大袈裟にため息をつくと、興津さんは自分の席へと歩いていった。と思っていたが、鞄に荷物をまとめるとすぐにまたこちらへと戻ってきた。


「ほら、さっさと準備して。」

「え?なんで?どういう・・・」

「どういう、じゃないよ。勉強見てあげるって言ってんの。」

 それは予想もしなかった提案だった。ようするに、今日この後、興津さんが僕と一緒に勉強してくれるってことらしい。でも急になんで?てかどこで?


「おーい、榎野ー。聞いてるかー?」

 情報処理が追い付かず停止した思考のまま首を傾げていると、待ちくたびれた興津さんが声をかけてきた。どうしようか・・・


① 誘いを断り帰る

② 興津さんの提案をのむ

③ 自分の家に呼ぶ


 家に呼ぶ?!そんな・・・僕は何を考えているんだ。別に奸計かんけいを巡らせていたわけではなくてですね、いやまぁ、正確には多少考えていたけれど。そうじゃなくて!

 でもよく考えればこれはめったにない好機なのでは?そうだ。せっかくのチャンスなんだから、僕の家に誘うだけ誘ってみるのも悪くないだろう。

 よし・・・


「ねえ興津さん。」

「無理」

「えぇ・・・」

 終了。始まってもいないが僕の計画は一言で無に帰した。

 いや待て、こんなことくらいで引き下がれるか!


「あのー、興津さん?僕まだ何も言ってないんですけど。」

「そうだね。でもどうせいやらしいことでも考えていたんでしょ?」

「いやそんなこと」

「あるでしょ。」

「・・・なくは、ないというか、なんというか」

 僕の心中は見事に見透かされていた。どうやら彼女のほうが一枚も二枚も上手だったらしい。


「はぁ、呆れた。適当に鎌を掛けたつもりが図星だったなんて。榎野ってそういう人だったんだね。」

「い、いや、違うんだ!まって興津さん。本当にちが」

「ないわー。幻滅した。それに誘うにしたってスマートさに欠けるのよ。そんなんじゃまだまだ家に女の子呼ぶことを実現するのは遠い未来になりそうね。」

 一つ弁明しようとすると二つ・・・どころか五つも六つもカウンターを浴びせてくる。下心を見せた僕に対して、容赦のない攻撃が繰り返された。


「まったく、こんなくだらない問答をやってる場合じゃないでしょ。いいからさっさと準備して。今は遊んでいる暇があったら勉強でしょ。」

「その通りです。」


・・・


 結局興津さんに連れてこられたのは、学校近くに昔からあるチェーン店のファミレスだった。

 いや、知ってたよ?僕の家に行くのが断られた時点で興津さんの家って線も大分可能性が薄いなってことくらいさすがの僕でも想像に難くなかった。けれどまさか近くのファミレスで勉強とはね・・・と不服に感じていたが、刹那、別の感情が脳内に浮かんできた。

 放課後ファミレスで誰かと一緒に勉強したり他愛もない会話をしたりして過ごす。これっていかにも高校生らしい時間の過ごし方なのではなかろうか?これこそ僕が夢見ていた青春ってやつなのかもしれない。そう思うと不思議と悪い気分じゃない。

 そんな、この期に及んでどこかそわそわと浮かれている僕を尻目に、興津さんはテーブルに教科書やノートを広げ、ただ黙々と勉強に取り掛かっていた。

 しかしドリンクだけ頼んでこうしてダラダラと居座る客って、店側からしたら迷惑以外の何者でもないんじゃないか?

 ふと周りを見てみると僕らと同じようにテスト勉強をしていると思われる集団や、もはやテストなどないかのように現実逃避の雑談に明け暮れる集団等様々な連中が確認できたが、どうやら客は僕の通う高校の生徒だけのようだった。


「榎野、いいから勉強しな!」

「はい!」

 親鳥を探す雛のようにキョロキョロとしている僕に気付いた興津さんから檄が飛ぶ。流石に気持ちを切り替えて勉強するか・・・


「榎野ってさ、何の教科が苦手なの?もしかしたら教えてあげられることがあるかもしれないじゃん。」

「えっと、物理と・・・英語」

「あぁ・・・物理はあたしも駄目だわ。英語なら多分教えられるよ。」

「・・・と古典、あと数学と世界史と・・・」

「いやもう全部じゃん!」

 いかにもテンプレのような返しと、反して加減を知らないツッコミ、もとい平手打ちが僕の肋骨を襲った。

 いやネタじゃないんだよ・・・事実なんです。事実どれも得意じゃないんです。これがネタならどれほどよかったか・・・


「しょうがない。じゃあ何とかなりそうな英語からやろうか。」

「お願いします、興津先生。」

 こうして興津先生からの特別講習を2時間ほどみっちり受け、気が付くと外はすでに闇然としていた。


・・・


「ふーーーーーっと、疲れたー。今日はそろそろ終わりにしようか。このままご飯食べてく?」

「そうだね。流石にドリンクだけってのはなんか気が引けるし。」

 両手を挙げて大きく背伸びをすると、興津さんはそのまま背中を後ろに傾けた。

 さっきまでいた同じ高校の生徒達も何組かは既に帰ったようで、それと入れ替わるように学生以外のお客さんも増えてきた。

 夕飯時となったファミレスの店内は慌ただしそうにプレートやらグラスを運ぶ店員さんの姿が目立っていた。

 適当に頼んだハンバーグプレートが運ばれてくるのを待っていると、興津さんの表情が目についた。どことなく曇った表情でぼーっと外を眺めている。


「興津さん?どうかした?」

「ん?なんで?」

「いや、何となく浮かない表情に見えたから・・・」

「へぇ、榎野って案外察しがいいんだね。」

 ん?褒められたのか?貶されたのか?まあよく分からないがこういう時はポジティブにとらえるのがストレスを抱え込まないためには不可欠である。


「お褒めの言葉として受け取っておくよ。それで?なんかあったの?」

 よくよく考えてみれば、何もないのに放課後僕を誘ってくること自体不自然な話だ。そんなことに気が付いてしまうことが、すなわち僕と興津さんの今の関係性を表すことと同義で寂寥感せきりょうかんに襲われる。


「そうね・・・」

 何か言いたげなようだが、同時にそれを躊躇するように興津さんが視線を逸らす。言いづらいことなのか、それとも単に、思い悩んでいることとそれを発信する言葉とが上手く結びつかずに伝えられずにいるのかもしれない。

 しばらく考えていると、さっき注文したハンバーグプレートが運ばれてくる。著しく熱を帯びた鉄板からは、肉が焼け付く音が食欲を駆り立てるように発せられていた。


「気にしないで先食べなよ。」

 注文が揃うのを待っている僕を察してか、興津さんが声をかけてきた。


「うん。」

 待っていても逆に気を遣わせてしまうかもしれない。興津さんには悪いけど、ここは言われた通り先に食べていることにした。

 自慢ではないが、僕はあまり舌が肥えていないようで、だいたい何を食べても美味いと感じる。もちろん高級なお店のハンバーグは美味いけど、このファミレスのハンバーグだって十分に美味い。

 そんなことを言うと親父に「いい店に連れてきた甲斐がないなぁ」なんて小言を言われるけれども、何でも美味いんだからしょうがない。そして僕はそれが残念なことだとは思わない。むしろ細かい味の違いが分からないことは、ある意味ではそうそう不味いものと出くわさないこととほぼ同義なのだから、そう考えれば幸せなことなのかもしれない。

 黙々とハンバーグプレートを胃に流し込んでいると、それを正面からまじまじと凝視されていることに気が付いた。


「・・・あのー、食べづらいんですけど何か?」

「いやさ、榎野って美味しそうに食べるなーと思って。」

「え?何それどういうこと?なんか変?恥ずかしいなあ。」

「いや、変じゃないよ。寧ろご飯を美味しそうに食べる人は好印象だと思う。両方のほっぺにご飯ため込んでなんかリスみたいだね。」

「え、なにそれって褒めてるの?なんか一気に食べづらくなったんだけど。」

 正面からまじまじと見つめられながら食事をするのがこんなにも恥ずかしいとは思いもしなかった。それでもなお興津さんはこちらを凝視したままだった。


「あのさ、榎野。」

「ええ、なに?まだなんかあるの?」

「うん・・・私さ、部活やめようか悩んでる。」

「・・・え?」

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