エピソード13.5 作戦会議③

 

 夕飯を食った後にすぐ横になると牛になるとかなんとか言うが、そんな摩訶不思議なミューテーションが起こる前に僕はすっかり逆食、すなわち逆流性食道炎になっていた。

 簡単に説明すると、食後に食べたものと胃液とが胃内を逆流し、食道を介してこみあげてくる感じがあって、要するに胸焼けのムカムカした状態がしばらく続くのだ。

 おかげで育ち盛り・食べ盛りの高校生の子の身体は、そこらの運動部のようなバルク用のハイカロリーな食事には耐えられず、脂の乗った上質な肉やクリームたっぷりのケーキは全く受け付けなくなってしまった。  

 専ら魚と野菜といった精進料理のような夕食が最近のお気に入りと言えよう。ほんと和食万歳。日本人に生まれてよかったよ僕は。

 しかし、夕飯を食べ終えた19時から20時の間というのはなぜこれほどまでに強力な睡魔に襲われるのだろうか?それも毎夜毎夜のことなのだ。

 そんな睡魔に誘われこのまま横になりたい気持ちと、その眠りから目覚めたときに苛まれる例えようのない胃部不快感との葛藤に一人明け暮れていると、目の前には呆れた顔でこちらを凝視する千珠葉の姿があった。


「なんか、おっさんくさ。」

 冷めきった千珠葉から送られる視線は、到底実兄に対して向けられるようなそれではなく、言うなれば・・・そう、偶然自室の片隅でうごめく虫を見つけてしまった時のものによく似ていた。って僕は虫と同レベルと思われてんのかよ!


「は?何がだよ」

「いやご飯食べてすぐソファに寝転がって白目向きかけてるのを見せつけられたらそんなことも言いたくなるでしょ。」

「・・・白目、向きかけてた?マジで?」

「マジもマジ。なんなら8割方は逝きかけてたよ。」

 より一層辟易としたような表情を浮かべる千珠葉。どうやら冗談ではなさそうだ。

 台所の方から何かを取り出し僕の隣に座り込むと、途端に首筋から背中にかけて痛みにほど近いような強烈な冷気がぶつかった。


「うおぁ?!お前、何するんだよ!」

 その正体はアイスだった。ホワイトサワー味でフローズンタイプのこのアイスは僕のお気に入りである。プラスチックのキャップの部分から2本に分けてシェアできるのがこのアイスのポイントだ。

 食べ口の部分にタブがある。指をひっかけ引っ張ると、見事に上部がとれフローズンスムージーが顔を出す。が、ここですぐ食いつくのは素人の食べ方だ。

 口の開いたチューブ型の容器に入ったアイスは放置し、少し溶けて柔らかくなったら食べごろだ。それまではさっき引っ張って取った上部に少し残ったアイスを頂くのが俺流の食べ方だ。

 おい、今貧乏くさいって言ったやつ出てこい。

いつか好きな女の子とこういうのをシェアしながらイチャイチャしてみたい、というそれこそホワイトサワー味のように甘酸っぱい想いをこのアイスに馳せていたことは胸の中にしまっておこう。

 千珠葉はそのシェアできるアイスを一本自分で咥えながら、いつの間にかちぎったもう一本の方をこそこそと僕の首筋につけて遊んでは、悪戯な笑みを浮かべていた。


「ほら、あげるよ。これ兄さん好きでしょ?まったく、少しは目が覚めた?」

「うん、ありがとう。って、これ昨日僕が買ってきて冷凍庫に入れていたやつじゃないか。何で当然自分のものであるかのような扱いなんだよ。」

 そう。これは明日、つまり今日の風呂上りに食べようと思い楽しみにとっておいた正真正銘僕が買ったアイスだ。

 それを千珠葉は、まるでどこかのガキ大将の如く自分の手中に収め、あまつさえしょうがないから僕にも一本くれてやるといった様子で尊大な態度で見事な上から目線をきめていた。


「まあ、細かいことは良いじゃない。それよりさ、維織ちゃんの事、その、ありがとうね。」

 見事なまでに話題をすり替えられた。まあいいや。そのうち何か適当に理由をつけてお返しをさせてやる。

 それにしても維織ちゃんの事?どういうことだ?千珠葉と珠璃亞は彼女がいじめられていたことを知らされていなかったはずだ。

しかしそれ以外で感謝されるようなことをした覚えも特にはない。一体どういうことだ・・・


「いじめられていたこと、全部本人から教えてもらったよ。兄さんや大吾さん、富士宮会長に助けられたこと。一人でどうにかしようと私達には黙っていたこと。全部教えてもらったよ。」

「そっか。まあ僕は何もしてないんだけどな。正直富士宮先輩や大吾がいなきゃどうにもできなかったよ。」

 実際直接的に彼女を助けたのは二人だ。僕が彼女にしてあげられたことなんてたかが知れている。

 それでもこうやって感謝されると、僕の行動も無駄ではなかったんだと肯定された気がして少しだけ救われた気持ちになった。


「兄さんは何もしてないつもりかもしれないけど、維織ちゃんは本当に感謝してたよ。だから、友達として、私からもありがとうって。それだけ。」

「・・・おう。」

「なんで兄さんの方が照れてんのよ。」

 そう言って顔を合わせると、どちらからということもなく自然と笑いに包まれた。


・・・


「なあ千珠葉。もう今年も残すところ後2ヵ月しかないんだよな。」

「え、何急にしみじみしてんの?なんか年寄りくさいんだけど。」

「ん?いやさ、俺がギャルゲのようなラブコメ学園生活を夢見て色々と変わろうとしてからもう5ヶ月くらい経つ訳じゃん。」

「うん。」

「なんだけどさ、その、なんていうか・・・それでも結局誰とも何も進展がなくて。これからどうしたもんかなーと思ってさ。」

「へぇ。」

 あれ?待って何か様子がおかしいぞ。さっきまでの兄妹の団欒と温かい空気感は一体どこへ行ってしまったのだろうか。千珠葉の表情は瞬く間に曇っていった。


「あ、あれぇ俺何かおかしなこと言っちゃったかな?何かまずかったかなー?」

 ひとまず様子見で牽制してみる。が、そんな小手先の手段は千珠葉に通じるはずもなく、結果的に寧ろ状況を悪化させただけだった。


「何が『何かおかしなこと言っちゃったかな?』よ。いつもおかしなことしか言ってないくせに。馬鹿なの?それより本当に進展していないのかよく考えてみなさいよ。」

 おいちょっと待て。今聞き捨てならない文句をさらりと言われた気がしたんだが。

 当たり前のように文句を漏らした千珠葉であったが、話を遮ると尚ヒートアップさせてしまう。ここは兄としてこちらがクレバーにならなくては。


「どういうことだってばよ。」

「まずその聞き方やめて。チャクラ螺旋状に丸めて撃つぞ。」

 そう言って右手を僕に向け、指を軽く立たせ、何かを握るように念を込め始めた。するとそこには切り裂かれた空気の渦のような何かが・・・見えなかった。


「ごめんってば。」

「分かればよろしい。じゃあ聞くけどよく考えてみなよ。兄さんさ、去年の夏休みに何回女の子と会った?」

「?!え・・・ゼ、ゼロ回、です。」

 え、何この質問。なんで急に拷問が始まったの?絶対答え分かった上での質問だよねそれ。


「じゃあ最後に夏休みに予定を合わせて女の子と会ったのはいつ?」

「それははるか遠い昔・・・太古の記憶が」

「ふざけてる場合じゃない。」

 切り裂くような視線が突き刺さると、一瞬にして背筋に緊張が走った。


「小二です。」

「思っていたよりもだいぶ前じゃん。我が兄ながらさすがにちょっと同情するわ・・・でも今年は維織ちゃんとか珠璃亞と海行って遊んだよね。それに富士宮先輩とはお祭り行ったし、片浜先輩の別荘だって行ったんでしょ?」

「はっ?!え?!どういうこと?なんでそんなことまで詳細に知っている?!」

 教えたつもりのない事実が、いつの間にか妹の千珠葉に筒抜けになっていることを不思議に思わないはずもなく、僕は心当たりを思い浮かべては首を捻り、同時に実妹の情報収集力にただ驚かされていた。


「そんなの簡単じゃん。盗聴してるからに決まってるでしょ。」

「はぁ?!お前それマジで言ってんの?」

「なわけないじゃん。」

 真顔で言われると冗談なのか本当なのか分からないだろ。

 お得意の冷めた視線に一瞬たじろいでしまったが、ここでまた一つ疑問が浮かぶ。

 なわけないならじゃあ尚更どうして僕のプライベートが筒抜けになっているんだ。そこについては何ら解決していないので今度詳しく説明してもらいたい。


「こんな夏の思い出、今までに経験したことがあった?なかったでしょ。これがラブコメ展開じゃなかったらもう何なのよ。」

「そうか?いや、そうだな・・・だけど俺は、もっとこう、なんていうか、踏み込んだ関係になりたいっていうか、誰かにとっての特別になりたいんだよ。」

「は?何それ。独りよがりもいいとこだね。そんなただの承認欲求にまみれた感情を他人に押し付けるなんて、正直気持ち悪いんですけど。」

 僕の話を黙って聞いていた千珠葉であったが、直前の言葉を聞くなり、今までとはまるで別人かのような雰囲気に変わった。

 間違いない、これは完全にお怒りモードだ。


「おいおい言いすぎじゃないか?」

「いいや、いい機会だから忠告しといてあげる。兄さんがラブコメのような学園生活を夢見て行動するのは勝手だし、それ自体は前にも言った通り応援するよ。でもさ、最近女の子と少しまともに話せるようになったからって図に乗ってない?」

「いや、そんなこと・・・」

「あるよ。『誰かの特別になりたい』なんてそんな図々しい言葉が出てくることがその証拠だよ。決まった誰か一人の事を特別に思えない今の兄さんを、一体誰が特別に思ってくれるの?誰か一人に一途になれない兄さんを、一体誰が求めてくれるの?踏み込んだ関係になりたいくせに、自分の事はさらけ出さないのはなぜ?やってること、中途半端なんじゃないの?」

「・・・」

 高校1年の、齢16の、1つだけ年下の妹に完膚なきまでに論で制された。まるで言葉にならない。

 千珠葉の言葉は清々しいまでに正論で、そして、無残なまでに僕の心を突き刺した。


「いろんな女の子と話せるようになったり仲良くなったりするのが目的だっていうのなら、それは達成できていると思うけど。もう去年の今頃までとは雲泥の差なんじゃない?でも兄さんのやりたいことって、そういうことなの?」

 千珠葉の言葉をそのまま自分の胸に問いかける。僕が夢見ていたラブコメ生活ってそういうものだったのか?いろんな女の子と仲良くなって、そんな女の子達がみんな僕のことを好きで、僕の事を奪い合って、そんなシチュエーションが僕の理想だったのか?

 いや、違うはずだ。僕が求めていたのはそんなありもしない非日常じゃない。ギャルゲに憧れはしたけれど、女の子に囲まれて全員とイチャイチャしたかったわけじゃない。

 僕が求めていたのは・・・


「そうだな。確かに千珠葉の言う通りだよ。俺はただ女の子と話せるようになりたかったわけでも女の子に囲まれた学園生活を送りたかったわけでもないんだ。俺はその中から、ただ一人の、その・・・ヒロインと、巡り合いたかっただけなんだ。」

「うん。なんかその言い回しがやたらとクサくてウザくて気持ち悪いけどまあいいや。とにかく、女子への苦手意識をなくしていくのは結構だけど、自分の目的が何なのか、そのために何をすべきなのか、努々忘れないようにね。」

「あぁ、分かったよ。」

 千珠葉様からのありがたいお言葉と忠告を受けて、一層心身が引き締められた。確かに最近の僕は少しずつ話せる女の子が増えてきて、調子に乗っていたのかもしれない。

 忘れてはならないが僕は別にモテない。付き合った経験もない。話せる女の子達だって、実際僕をどう思っているのかなんてわからなくて、冷静に考えたら不安しかない。

 でも、いや、だからこそ僕はもっと彼女たちのことを知らなければならない。そして、僕の事を知ってほしい。

 そのために何をすべきなのか、今一度原点に振り返って考えてみることした。


「とりあえず風呂でも入るか。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る