エピソード13 そして用宗維織は歩き出す・中編
2.
維織ちゃんの部室のロッカーにカメラを設置してから数日が経過したある日の放課後、僕は富士宮先輩から生徒会室へと来るよう仰せつかっていた。わざわざ僕を呼ぶということは、何か進展があったと見て問題ないだろう。
だがそれは喜ばしい反面、
「先輩、失礼します。榎野です。」
一応ノックをしてから生徒会室へと入ると、そこには富士宮先輩だけでなく維織ちゃんの姿もあった。
僕と目が合うなり丁寧に会釈をしてくる。そうか、まあそうだよな。当事者の維織ちゃんを呼ばない理由もない。
「榎野君、お疲れ様。来てくれてありがとうね。早速だけど・・・呼ばれた理由、わかるよね?」
「・・・はい。」
「更衣室の映像だから榎野君には見せられないけど、確かにロッカーから水着をとっていく姿が映し出されていたの。一年生が二人ね。悲しいことなのだけど・・・」
背筋に悪寒が走った。心臓が痛いほど強く鼓動する。もちろん生徒会室に呼ばれた時点でそれなりの覚悟はあったはずだったのに、身体はそれを拒絶するかのように反応していた。
ふと維織ちゃんの方に視線を向ける。ずっと俯いていた彼女は、ただ自分の足元を眺めていた。その瞳に精気はない。
「そう、ですか。その一年生は水泳部の部員だった、っていう解釈でいいですか?」
「・・・そうね。今さっき用宗さんにも確認してもらったところだから間違いはないと思う。」
一瞬呼吸が止まる。声が出ない。顔だけ維織ちゃんの方を向くと、目が合った維織ちゃんが小さく頷いた。
何を話していいのかもわからない。様々な感情が混沌として混ざり合い、言葉が喉元まで出ては消えていく。
「・・・どうするんですか。」
「事実を確認してしまった以上、黙殺することはできないわね。これから水泳部の部長とその生徒を呼んでこのことを全て確認するつもりよ。」
あくまで淡々と、冷静で事務的に話す富士宮先輩。俯いたままそれを聞いていた維織ちゃんの表情は一層陰っていった。
「生徒会長、カメラに写っていた二人は・・・どうなるんですか?」
沈黙を続けていた維織ちゃんがようやく口を開いた。
「・・・彼女たちをどうするかは私が判断することではないから、確実なことは言えない。けれど、優しく見ても退部。厳しい処罰だと停学ってところかn」
「それはだめです!」
富士宮先輩の話を遮るように、維織ちゃんが急に声を荒げる。僕も富士宮先輩も目を開いたまま一瞬固まってしまった。彼女のこんな力強い声は、今まで聞いたことがなかった。
「私は、そんなこと望んでいるわけじゃないんです。ただ・・・ただもうこういうことはしてほしくない。ただそれだけなんです・・・」
「それで明日から、『はい、元通り。』と言っていじめが起こる前のような関係に戻れるかしら。用宗さんの優しさを相手が正しく理解してくれるかしら。」
「それは・・・」
「あなたが彼女たちを許すことは素晴らしいことよ。被害者になって、あんなことをされて、それでもなおいじめてきた相手を許すなんてこと、なかなかできることではないもの。けれどね、生徒会長として関わってしまった以上用宗さんの意を汲んで何もせず終わりってわけにはいかないの。それにね用宗さん。あれはいじめじゃない。あなたのものを故意に損壊したのよ?学生だからってだけで到底許されることじゃない。立派な犯罪なの。」
声を荒げることも、激情に駆られることもなく、ただ淡々と富士宮先輩は正論を投げかける。
「それでも・・・それでも私は!」
「失礼します。富士宮先輩、入ってもよろしいでしょうか。」
何かを訴えようとした維織ちゃんの声を遮るように、ドアを開ける音と力強い声が生徒会室へと響き渡る。
「部長・・・」
「お疲れ様海音。部活だったんでしょ?わざわざ来てもらってごめんなさいね。」
「いえ、お気になさらず。呼ばれた理由は分かっておりますので。」
深い海底のような紺桔梗色の髪をした彼女は生徒会室へと足を踏み入れると、すらりと伸びた指先を、まるで買ったばかりのワイシャツのようにピンと伸ばし、威風堂々と構えていた。はきはきとしていて威勢がいい。いかにも体育会系といったいで立ちだ。そして、僕はその彼女に見覚えがあった。
「海堂?水泳部の部長だったのか?」
「ん?お前は・・・だれだ?」
「えぇ・・・」
そう。この目の前にいる体育会系女子は海堂 海音(かいどう あまね)。同じクラスの二年で興津さんとよく一緒にいる女の子だ。が、まあ今の反応から見て分かる通り僕とは接点がほとんどない。まさか認識さえされていなかったとは思っていなかったけど。
「いや、同じクラスの榎野だよ。」
「すまん、知らんわ。」
性格はご覧の通りだ。
海堂からのひどい扱いに気をとられていて気が付かなかったが、その後ろに隠れるようにさらに女の子が二人いたことに気が付いた。まさか・・・
「それより先輩、二人とも連れてきました。これでよろしいでしょうか。」
海堂のその言葉に後ろの二人がピクッと小さく揺れた。やっぱりそうだ。間違いない。後ろの二人がいじめの加害者と見て間違いなさそうだ。
そのことを理解した瞬間、毛穴から怒りが放出されるような感覚に襲われた。
「ええ、ありがとう。」
ありがとうと言いつつも富士宮先輩の顔に笑みはない。眉ひとつ動かさずにただ冷めたような瞳でじっと二人を見つめていた。
対照的に維織ちゃんは、まるで見てはいけないものを見てしまったかのように加害者と思われる二人を交互に見たり、部長である海堂を見たりとどうにも落ち着かない。
「さて、なんで呼ばれたかは分かっているわよね。」
「・・・」
海堂の後ろの二人は互いに顔を見合わせるばかりで一向に口を開かない。
「あなた達が用宗さんに嫌がらせをしていたのでしょう?」
「何のことですか?・・・そんなこと、してませんけど。」
二人のうち一人が否定をしながら、「お前よくもチクったな」と言わんばかりに維織ちゃんを
「そう。あくまで認めないのね。じゃあ埒が明かないから証拠の動画を流そうかしら。」
「えっ?!」
誰が見てもあからさまに動揺している。まあ無理もない。誰も学校内で現場をカメラで撮られているなんて思いもしないだろう。
「空疎な時間です。先輩、確認させてください。それですべてが分かることです。」
「海音の言う通りね。じゃあとりあえず三人には動画を見てもらいましょうか。用宗さん、いいわね?」
「・・・分かりました。」
「そういうわけだから、榎野君は少し外してくれるかしら。」
どういうわけだかわからないが、要は更衣室での映像だから僕には視聴する権利がないらしい。まあこればっかりは仕方がない。
富士宮先輩から入ってよしの連絡が来るまで、大人しく生徒会室の前で待つことにした。
・・・
「先輩、入っていいよって生徒会長が・・・」
どれくらい待っただろうか。5分だったのか30分だったのか、悠久にも感じられた時間を過ごしていると、呼びに来てくれたのはまさかの維織ちゃんだった。
「失礼します。」
恐々とドアを開け中に入ると、そこには俯いたまま涙を流す水泳部の女の子二人と、呆れたようにモニターを眺める海堂の姿があった。
「かたがついたってことでいいですか?」
こっそりと富士宮先輩に耳打ちをする。と同時に甘美な匂いが鼻腔をくすぐった。なんだろう、シャンプー変えたのかな?いやいや、普通にキモいな自分。今はそんなことはどうでもよくて。
「うん。そういうことね。」
小声で富士宮先輩が返してくれた。
・・・
沈黙の時間が流れる。誰も口を開かない。というか開けなかった。誰もが開口のきっかけを探していた。そんな沈黙を切り裂いたのは海堂だった。
「なあ、あんたらさっき『何のことですか?』なんて言ってたよな。」
「・・・」
「言ってたよな!」
地鳴りのような怒号が室内全体に響き渡る。こんな海堂は見たことがない。誰が見ても明らかに海堂は激昂していて、海堂が連れてきた一年生二人は小さく震え、明らかに怖気づいていた。無理もない。正直僕もあまりの剣幕に自身の血の気が引いていくのが分かった。
「お前ら化け物だよ。よくも自分たちには関係ないことかのような、ふざけた態度がとれたものだな。今まで他の人間にもそうやって小汚い真似をしてきたのか?それが許されてきたのか?なんとか言えよ!」
「ちょ、ちょっと海音・・・気持ちは分かるけれど言い過ぎよ。少し感情的になりすぎじゃ」
「先輩は黙っていてください!」
富士宮先輩の制止も叶わず、海堂の怒りは収まるどころかヒートアップしていった。
「そもそもいじめの加害者でありながら何泣いてんだよ。どの面下げて泣いてんだ?なぁ、今どんな気持ちで泣いてんのか教えてくれよ。」
「部長、海堂部長!もういいです!」
「用宗・・・」
維織ちゃんが必死に海堂を抑え、宥める。その眼からは大粒の涙が溢れていた。
「もう、いいんです。」
「そうか・・・用宗がいいなら分かったよ。私も熱くなりすぎた。響子先輩に、それから佐野も、すまなかった。」
(うん、榎野な。)
とは間違っても言えないので、そこは心の中だけに留めておこう。てか俺何回名字間違えられるんだよ。
「しかし、このまま終わりというわけにはいかない。こいつらがしたことは犯罪だ。その責任は取ってもらう。」
すっかり泣き腫らした顔で精気を失っている二人はもう焦点が定まっていない。抜け殻のようになった二人は、ただ虚空を眺めているだけだった。
「分かっているとは思うが、二人とも今日をもって退部だ。もう顔を出すな。それでこの件は不問にする。いいな?」
興奮こそ収まったが未だ怒りに満ちた眼光で海堂が二人を睨みつけていた。
「・・・」
「いいな?」
「わかりました。」
「そういうことですので富士宮先輩、これで幕引きとさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「・・・分かったわ。用宗さんは?それでいいかしら?」
「・・・はい。」
瞳を真っ赤に腫らした維織ちゃんが小さく頷く。
こうして維織ちゃんへのいじめについては一応の決着となった。
・・・
「先輩、これでよかったんですかね。」
「どうしたの榎野君。納得がいっていないようね。」
富士宮先輩と二人だけになった生徒会室で、僕はソファにもたれて不規則な天井の模様をなんとなく目で追っていた。
「いや、そういうわけじゃないんです。僕が納得するかどうかはあまり関係ありませんし・・・そういうことじゃなくて、なんていうかその・・・僕がやったことって正しかったのかなって思って。」
「というと?」
「とりあえず維織ちゃんへのいじめはこれで落ち着くのかなとは思います。だけど、正直こんな大事になるとは思っていませんでしたし、いじめていた二人は退部させられてしまったし、なんというかその・・・もう少し穏便にというか、うまく立ち回ることができたんじゃないのかって思ってしまって。」
「榎野君。」
「え?あ、はい。」
「あなた、いじめられたことないでしょ。」
「え、まあそうですね。別に直接誰かにいじめられたことはないです。」
富士宮先輩の瞳が僕を捉えて離さない。気が付くと、自然と彼女から目を背けることができなくなっていた。
「では聞くけど、榎野君の言う穏便な方法って一体後どれくらい待てば思い浮かぶのかしら?うまく立ち回るって、具体的にどういうプロセスを指すのかしら。」
「それは、だからこれから考えるとして」
「その間にもしいじめがエスカレートしたり加害者が増えたりして、用宗さんが自分で自分の命を絶つようなことがあったなら、責任をとれる?」
「そ、そんなオーバ」
「オーバーなんて言いきれるかしら。そういった最悪の事態が起こらないって、どうして言い切れるのかしら?現に用宗さんはひどくストレスを感じていたようだし、追い詰められていたようにも感じたわ。よく考えて。それでも私の言っていることがオーバーだって言える?」
「そ、それは・・・」
いや、富士宮先輩の言う通りだ。自分でもいつ思いつくのかもわからない手段を待っている間に維織ちゃんにもしものことがあったら、きっと僕は僕を一生許すことができなかったかもしれない。
それに僕がさっきから引っかかっているのは全部結果論だ。僕が富士宮先輩を頼るという選択を、そして富士宮先輩が犯行現場を映像に残すという選択を行った末に起こった結末を、僕はただああすればよかったこうすればよかったと意味もなく考えていただけに過ぎない。
「ごめんなさい。少し熱くなりすぎたわ。別に榎野君を責めるつもりはないから嫌な気分にさせてしまったのならごめんなさい。でもね、前にも言ったけれど悪質ないじめは到底許していいことではないの。無視とか陰口とか、そういうのならまだ話し合いの余地はあるかもしれない。けれど人のものを隠したり、破損させたり、窃盗したり、それはもう犯罪なの。高校生だから、校舎の中で起こったことだからと許されるほど都合のいい話で終わらせてはいけないのよ。」
「そう、ですね。会長のおっしゃる通りです。」
「榎野君。あなたは優しいわ。被害者の事も、加害者のことも考えてあげることができる。だからね、あなたの言う『うまい立ち回り』は、またいつかあなたが同じような場面に直面した時に、その被害者と加害者を速やかに救済することができるようにこれからもずっと考え続けてちょうだい。」
瞼の裏側が熱くなってくる。これ以上ここにいると醜態を富士宮先輩に晒すことになりそうだ。
「・・・分かりました。先輩、用宗さんが心配なので今日はこれで失礼します。」
「榎野君は間違ってなかったわ。だから気にしないで、落ち着いたらまた顔を見せてね。」
そんな富士宮先輩の言葉を背中に受け、ゆっくりと生徒会室のドアを閉じた。瞬間、瞼からは堪えていたものが溢れ出すように雫が流れ落ちた。
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