エピソード12 それでも用宗維織は前を向く・後編

3.

 翌朝目が覚めても、昼休みになっても、残念ながら維織ちゃんへのいじめをやめさせる具体的な方法は何一つ思いつかなかった。このままではただただ無為に日々を過ごすことになってしまう。

 悔しいけどどうにもしてあげることができない。僕が一人で延々と悩んでいたとしてもそれは煩慮でしかなく、彼女が僕からの直接的な助けを求めていない以上、できることなんて数えるほどもないのだから。そう、直接的な助けを求めていない以上は・・・


「ん?まてよ・・・直接的な助け・・・そうか!」

 天啓に導かれるように一つだけ手段を思いついた。そうだ、直接的でなければ何かとやり様はあるかもしれない。もしかしたらこういうやり方は維織ちゃんの決意に背くことになるのかもしれない。けれど僕一人ではどうにもできないのであれば、もう誰かに協力を依頼するしかない。それくらいしか思いつく手段がなかった。

 とはいえ、一体誰に相談すればいいんだろう。


① 富士宮先輩に相談する

② 千珠葉に相談する

③ 大吾に相談する


 維織ちゃんは千珠葉や珠璃亞にも相談していないと言っていた。いつかタイミングを見て自分から伝えるつもりなのかもしれない。だとすると、今僕の口から千珠葉に伝えるのはお門違いだろう。

 それなら大吾は・・・ないな。うん、ない。そもそもあいつに相談したところでだ。大吾と維織ちゃんとは僕が知る限り面識はないし、あいつがこの状況を何とかしてくれるような妙案を与えてくれるとは残念ながら思えない。

 だとするとこういう時他に頼れるのはあの人しかいなかった。受験も近づいてきたこの時期に先輩を頼るのはあまりに忍びないのだが、かといってこんな時に頼れるのは他にいない。


・・・


退屈な午後の授業を何とかやり過ごし、ホームルームを終えるとそのまままっすぐ生徒会室へと向かう。


「失礼しまーす。」

 ノックしてからドアを開けると、いつもと同じ場所に富士宮先輩がいた。先輩は今日もいつもと変わらぬ場所で、変わらぬ表情で紅茶を飲みながら何かの本を読んでいたようだったが、僕に気が付くと本を閉じ、無言のままこちらへ来なさいと手招きのジェスチャーをしてきた。

 え、何この生き物超可愛いんですけど。


「失礼します。先輩、忙しいところ申し訳ありませんがご相談が・・・」

「気にしなくて大丈夫よ。それより榎野君が相談なんて珍しいわね。どうしたの?」

 優しくも真剣な表情でこちらの顔を覗き込んでくる富士宮先輩。そういえば僕のほうから富士宮先輩に何か悩み事を相談したり、助力を求めたりしたことはなかったかもしれない。まあ相手は先輩だし生徒会長だし。それに、何よりこうして先輩とまともに話すことができるようになったのもここ最近の話なのだから当然と言えば当然なのだが。

 そもそも僕は誰かに悩みを相談するのが苦手だ。というより自分の事を誰かに話すことが苦手だ。自分の事を熟々つらつらと話す奴もはっきり言って少し苦手だ。他人の自分語り程興味をもてないものはない。

 結局自分の事は自分でしか解決できないのだから、相手だっていくら仲が良かったとしても他人の悩みなんて正直どうでもいいだろうし、相談されたとしても何をどう答えていいのかわからないかもしれない。

 そうやって相手を困らせたくない気持ちと、相手に自分を深く知ってほしくない気持ちが相まって、僕は今まで他人に悩みを打ち明けることはほとんどなかった。しかし今回は違う。僕個人の悩みではない。そして、残念ながら僕個人ではその問題を解決する術を知らない。だから、ああだこうだと御託を並べて取り澄ましている場合ではないのだ。


「すいません、僕個人の悩みってわけじゃないんです。実は・・・」


・・・


「なるほどね。」

 一通り維織ちゃんの一件を説明し終えると、それを黙って聞いていた富士宮先輩がゆっくりと立ち上がり、新しく紅茶を入れ始めた。

 ほどなくして僕の目の前にもティーカップとソーサーが置かれると、当たり前のようにさりげなく温かい紅茶が注がれた。小さくお礼を言ってから口元に運ぶと、茶葉の香りがいつの間にかヒートアップしていた気持ちと、高鳴った心臓を落ち着かせてくれた。まあ今でも茶葉の銘柄なんて分からないままなのだが。


「すこし落ち着いた?」

「え?あ、はい・・・」

 どうやらいつの間にか焦燥感と苛立ちが表に出てしまっていたようだ。富士宮先輩の声にふと我に返り、拳を強く握りしめていたことに気が付いた。そうして、そのやり場のない怒りの熱は少しずつ落ち着いていった。


「ならよかった。それにしても榎野君がそんなになるなんて、余程用宗さんのことを気にかけているのね。」

「そ、そりゃあ気にしますよ。妹と同じクラスだし仲いいみたいですしね。それに誰かがいじめられているのを黙って見過ごせる程、つまらない男にはなりたくないですから。」

「ふーん。果たして本当にそれだけかなー?」

いぶかしげに怪しく笑みを浮かべる富士宮先輩の表情は何か言いたげだったが、そこには気付かない振りをして話を進めることにした。


「それで僕にできることはないかと考えてはみたんですけど、何もしてあげることができなくて。というか僕が直接助けたとしても、いじめがエスカレートすることはあってもおさまるとは思えないと言われまして・・・」

「それで私に助けてほしいと?」

「・・・そういうことです。」

 煮え切らない態度しか取れない僕を前に、富士宮先輩の表情は明るくない。


「そっか。でもさ、それって悪いけどお門違いじゃないかな。」

「え?」

「だって用宗さんと私は別に面識もないしさ。いくら生徒会長だからと言って、確証もなしにいきなり個人間の問題に介入していくのは少し肩入れしすぎじゃないかな?それこそ逆に用宗さんの立場を悪くしかねないと思うのだけれど。」

 言われてみれば確かにその通りだ。僕は何か勘違いをしていたのかもしれない。富士宮先輩ならきっとなんとかしてくれる、僕に思いつかないことでも何か策を講じてくれると勝手に理想化し、そして心のどこかで期待していたのかもしれない。


「それにね、私はその状況を目撃したわけではないし、ましてや間接的に榎野君から聞いただけだから何とも言えないわ。別に榎野君や用宗さんの言っている事を疑っているわけじゃないのよ?けれど事実の確認もせずに一方の主張だけ聞いて鵜呑みにするわけにはいかないの。榎野君の力にはなりたいけど、私は中立でなければならないのよ。」

「確かに先輩の言う通りです。僕も正直、富士宮先輩に頼めば何とかなるんじゃないかって安易に思っていたところがありました。けれどそれって失礼ですよね。もう少し一人で考えてみます。」

 彼女の主張はおよそ正しいと思う。反論するつもりもなかった。クールダウンした脳内で妙に納得してから紅茶を飲み干し、席を立とうとしたその時だった。


「待ちなさい榎野君。話はまだ終わってないわよ?」

「え?どういう・・・」

「事実確認もせずに、と言ったのだけれど?」

「それって・・・」

「確かめるわよ。仮に榎野君の話が全て本当だとしたら、到底許されることじゃないでしょ?というか、人のものを盗ったり破って使えないようにしたりってそれもういじめじゃなくて犯罪よ。嫌がらせとかそういった一時の感情でやっていいことではないの。そしてそれは高校生だから、じゃあしょうがないねと済ませていい問題じゃない。そうでしょう?」

 柔らかいその表情とは裏腹に、澄んだその黒い瞳は一切笑っていなかった。冷徹ささえ感じさせるような強いその視線からは、その発言が決して冗談や脅しなんかではなく彼女が本気であることが窺える。凍てついたようなその瞳は、まるでいじめの事実とその犯人がすでに見通せているかのようであった。


「けど先輩、確かめるって言ったってどうするんですか?」

「まあまあ、私に任せてちょうだい。ひとつ策があるの。」

 何やら良からぬことを企んでいるかのようなあからさまな笑みを浮かべると、富士宮先輩は自分の机の引き出しを何やらごそごそと探し始めていた。


「ちょっと準備があるから、週末また来てもらっていいかしら。」

「わかりました。また週末来ます。」


 こうして僕と富士宮先輩は、維織ちゃんのいじめの事実を確かめるために動き出した。富士宮先輩の策というのが一体何のことなのか皆目見当もつかないが、他にできることも思い当たらないので、富士宮先輩に乗っかる以外選択肢がなかった。

 それにしても富士宮先輩に相談してよかった。「お門違いじゃないか」と言われた時には内心失策だったかと心底肝を冷やしたが、結局こうして力になってくれた。


「ちゃんと解決できたら、改めて何かお礼でもしないとな。」

 校舎を後にして校門を出ると、夏の纏わりつくような生ぬるい風はもうどこにもなく、肌寒い秋風が烈しく吹き抜けていった。

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